社会人
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三つ目の「なぜ」
業務用厨房機器メーカー、ミナカタ製作所の営業企画課で、岸本遥は資料の最終ページを睨んでいた。
主力の食器洗浄機「クリーンエース」の売上が、三期連続で落ちている。来週の部長会で、その原因と打ち手を報告するのが遥の役目だった。入社六年目、初めて任された大きな報告だ。ここで認められれば、新製品の企画チー...
四色の付箋
創業七十年の文具メーカー・白峰紙工の商品企画部で、宮下蓮は三度目の企画書を書き直していた。
提案したいのは、手帳を自由に飾るための「色付箋とシールのセット」だった。若い世代のあいだで、手帳を色とりどりに装飾する文化が静かに広がっている。蓮はそれを誰よりもよく知っていた。なぜなら彼自身、匿名のアカウ...
三枚目の企画書
午後十一時の商品企画部には、真柴葵のデスクだけが灯っていた。
モニターには企画書が三つ並んでいる。来月の社内コンペに出す冷凍総菜の新シリーズ案だ。規定では一人一案でいい。けれど葵は三案すべてを仕上げるつもりでいた。半年前のコンペで、彼女の案は最終選考の手前で落ちた。あのときの部長の短い沈黙が、まだ...
大きな池の、小さな机
真壁遥が本社の先端開発室に呼ばれたのは、入社五年目の春だった。
地方工場の設計課では、彼女は「困ったら真壁さん」と言われる存在だった。治具の不具合も、ラインの小さな改善も、誰より早く答えを出した。だから辞令を見たとき、胸が高鳴った。ようやく本当の勝負ができる、と。
先端開発室は、噂どおりの場所だ...
片付いた棚
コンプライアンス室長の槙原は、改革三年目の年次報告書の最終ページを開いていた。「重大案件:0件」。その一行を書くために、彼女は三年を費やしてきた。旧経営陣の退任、相談窓口の刷新、全管理職への研修。社内報には「風通しのよい会社へ」という見出しが何度も躍った。あとは役員会で承認を得るだけだった。
そ...
踊り場の三分
晴和精機の品質保証部が入る三階は、その春、二十年ぶりに壁を失った。役員が視察先で見てきた「風通しのいい職場」を再現したのだという。仕切り板は撤去され、固定席もなくなり、六十人がひとつの島でつながった。
加瀬理都は、その二週目にはもう限界を感じていた。
検査記録の照合は、数字を一桁ずつ目で追う仕事...
水曜日の空白
第一水曜日の午後二時。営業企画部の早瀬は、分厚い資料の束を抱えて第三会議室へ向かっていた。月例の部内会議は二時間。各課の数字を順番に読み上げ、質問はほとんど出ない。終わるころには夕方で、顧客に出す提案書は今夜も手つかずのまま持ち帰ることになる。
早瀬には、温めている企画があった。取引先の小さな工務...
十二階の窓
三ツ輪工機の本社十二階、会議室「桐」の窓は、建てられた日から同じ角度までしか開かない。鹿野俊介は、その細い隙間から入る風を背中に受けて、社長の板東と向かい合っていた。
「鹿野くん。うちの売り場は、この三十年で何が変わった」
「……厨房機器そのものは、ずいぶん良くなりました。洗浄機の水量は半分以下...
いつもの紙
総務課の木崎が、コピー用紙の束を桐谷の机にそっと置いた。
「桐谷さん、これ、違うのよ」
ラベルには「A4 500枚×5冊」とある。注文書どおりの品だ。桐谷は画面の発注履歴を確かめてから、首をかしげた。
「品番、資料のとおりですよね」
「品番はね。でもメーカーが違う」
中堅の産業機器メーカー、東...
我慢料の明細書
真壁遥の机の引き出しには、封を切っていない封筒が一通入っていた。差出人は潮見醸造。社員四十人ほどの、海沿いの町の醤油蔵だ。
日邦フーズの経営企画部に配属されて六年。遥の仕事は、全国の事業部から集まる数字を束ね、役員会向けの資料に整えることだった。資料はいつも「よくまとまっている」と褒められた。けれ...
削った分は、どこへ行ったか
相和建材の西日本支社長として単身赴任した黒沢肇は、着任した週の金曜、支社の損益計算書を三度読み返した。
売上は本社の三分の一。営業利益率はその半分。毎月の役員会で映し出される支社別の棒グラフの中で、西日本だけが低く沈んでいる。四十九歳。管理本部で十年、数字を締める仕事をしてきた黒沢にとって、その低...
名前のない矢
新ブランド「ひとひら」の発表会まで、あと七十日だった。
岬ハウスウェアは社員二百人ほどの生活用品メーカーだ。原材料の高騰と急な需要の冷え込みが重なり、この一年で工場のラインを二つ止めた。そんな時期に、会社は創業以来もっとも大きな新ブランドを立ち上げようとしている。
その顔になったのが、入社六年目...
音を聞く男
四月の第二週、北條計測の人事部主任・宮下亜季は、A4で七枚の企画書を役員会に出した。「次世代選抜プログラム」。全社の総合評価スコア上位三十名を選び、二年かけて幹部候補に育てる。前年度の離職率が過去最悪を記録した会社にとって、久しぶりの前向きな話だった。
企画は通った。宮下は、はじめて自分の名前で仕...
一時間の共通語
制作会社オリーブ・クラフトの二課を遠山が引き継いだ日、フロアの灯りは夜十時を過ぎても消えなかった。案件は回っている。納品も落ちていない。ただ、全員が少しずつ疲れていた。
「今日から、作業は六時で切ります」
朝礼でそう言うと、ベテランの浜田が手を止めた。二十年この仕事をしてきた男だ。
「言うのは...
答えを持たない課長
河内塔子が技術営業二課の課長に就いた朝、机の上には何もなかった。花もカードも、おめでとうの一言も。かわりに、前任者が残した引き継ぎファイルが十七冊、背表紙を揃えて積まれていた。
八人のメンバーは全員が年上の男だった。いちばん若い者でも塔子より四つ上で、最年長の宮下は、彼女が入社した年にはもう主任だ...
十秒の壁
三ツ木テクノサービスの二階、営業技術部のフロアには、島ごとに紙の城壁が建っていた。
保科遥はデスクの間を歩きながら、その高さを目で測った。去年より確実に伸びている。一年前、全社を挙げて「ペーパーレス推進」を掲げたはずだった。掲げて、三か月で崩れた。
「保科さん、また例の話ですか」
声をかけてき...
階段の段数
会議室の椅子は、二十脚のうち十六脚が空いていた。
北星テクノの主任研究員・鏑木遼は、スクリーンに映した周波数特性のグラフを見つめたまま、数秒だけ黙った。三か月前、新型振動センサー「MR-7」の社内勉強会を始めたときは、立ち見が出るほどだった。四回目の今日、来ているのは営業部の若手が三人と、サポート...
宛先の向こう側
篠塚あかりの席には、電話がない。
研修会社オリエンス・ラボが対面の集合研修から遠隔配信へ主力を移して二年、受講者との接点はほぼすべてメールに集約された。運営事務局はフロアの奥、窓のない小部屋にある。一日に二百通あまりを三人でさばく。案内が届かなかった人を追いかけ、迷っている人の言葉を先回りして消し...
見本のない棚
三崎パッケージ工業の営業二課に、津田悠介は九年勤めている。菓子メーカー向けの紙箱を売る仕事だ。課の壁一面を、試作品を並べた棚が占めている。津田は客先に持っていく箱を、いつもその棚から選ぶ。棚にない形は、そもそも提案のしようがない。
津田の望みは、はっきりしていた。三十五で主任、四十で係長。父も似た...
稼働率九十八パーセント
分散勤務に切り替えて四か月、営業支援部の数字は悪くなかった。見積書の作成件数は前年比で一割増え、差し戻し率は下がった。宮下がその二つを月次資料に並べたとき、役員の一人が短く言った。
「では、なぜ受注は伸びていない」
宮下は答えを持たなかった。持っていないというより、答えの形が数字になっていなかっ...
普通でいいんだよ
郷田真希が白河産業のブランドマネージャーに任じられた日、上司は一枚の折れ線グラフを見せた。台所用洗剤「まいにち」。二十五年間、ほとんど水平な線だった。
「悪くない。でも、話題がない」と上司は言った。「君の代で、何か起こしてほしい」
何かを起こす。郷田はその言葉を待っていた気がした。前の部署では新...
三年目の物差し
紙コップのコーヒーが冷めていくのを、水島は見ていた。
会議室のスクリーンには、外部の助言者がつくった資料が映っている。入社三年以内に「基礎資質スコア」を測り、上位二割を幹部候補として確定させる。残りは実務職として育てる。人材開発課の課長である水島に求められていたのは、その制度の設計だった。
「早...
反対側の椅子
南雲食品工業の第二会議室は、いつも空調が効きすぎている。
郡司美咲は、手元の資料を三度めくり直した。業務用ソースの定期配送サービス。飲食店が発注を忘れても、これまでの使用量から自動で補充する仕組みだ。半年かけて三十軒の店を回り、そこで何度も聞いた「切らして困った」という言葉を、そのまま企画書に変え...
履歴書に書けなかった一行
三雲フーズの新規事業室は、社内で「離れ小島」と呼ばれていた。本社ビルの七階、ワンフロアの隅を間仕切りで区切っただけの、八人の部署である。室長の宮下佳子が二年前にこの部屋を任されたとき、上から与えられた条件はひとつだけだった。
「三年で新しい柱を作れ。人はひとりだけ、好きに採っていい」
宮下が選ん...
反対の席
高梨怜が入社した頃、企画部の会議室には楕円のテーブルがあった。今はもう、ほとんど使われていない。会議はオンラインに移り、議題は事前に共有シートへ書き込む方式になった。誰かが意見を置けば、その下に賛同のスタンプが並ぶ。手のひら、拍手、親指。会議そのものは十五分で終わる。効率という物差しで測るなら、これ...
二割の口
沼田健吾は、雑談を在庫だと思っていた。持っていても金にならず、置き場所だけ食う。
業務用厨房機器の商社・西尾テクノに入って七年。担当する既存客は四十社。更新のタイミングは外さないし、見積もりは誰より速い。四半期の数字はいつも中の上。それで十分だと思っていた。
不満があるとすれば、新規開拓の目標が...
差引支給額の下に
相原詩織が総務課に配属されて最初に渡されたのは、A4の紙が一枚だけ入ったクリアファイルだった。給与明細の問い合わせ対応マニュアル。手順は三つしか書かれていない。
「楽な担当だよ」課長の柴田は、自席から振り返りもせずに言った。「月に五件来れば多いほうだ。振込額が合っていれば、誰も何も言ってこない」...
四十七階の静けさ
三宅製作所の朝は、油の匂いから始まる。試作専門の板金工場で、従業員は三人。二代目の三宅隆之は、月末が近づくと帳簿の右端ばかりを見るようになった。
「ルミナ・デバイスさん、まだです」
経理を兼ねる妻が、言いにくそうに言った。四百八十万円。筐体の試作と治具の費用で、うちの三カ月分の利益に当たる。
...
検問所
三ツ輪食品の企画部には、暗黙の作法があった。会議で最初に口を開くのは部長の郷田、最後にまとめるのも郷田。あいだの四十分は、頷きの時間だ。
柏木葉子は入社十四年目の課長代理で、その四十分の作法にかけては部内で一番の腕前だった。角度も、間の取り方も、心得ている。頷きながら、頭の別のところで「本当は違う...
いちばん細い糸
精密部品メーカー「三和テクノ」の調達課長・桑田は、二十年間ずっと同じ計算をしてきた。一円でも安く。それが会社への忠誠であり、彼のささやかな誇りでもあった。
中でも、山あいの小さな工場「丸金製作所」への発注単価は、社内で「桑田価格」と呼ばれるほど低かった。丸金は三和専用の治具を長い年月をかけて揃え、...
全方位の人
金曜の夕方、製造ラインで小さな事故が起きた。出荷を待つ製品が台ごと傾き、検品にあたっていたスタッフが手をかすめて軽い怪我を負った。縫うほどではない。だが誰かが撮った写真がその夜のうちに広まり、週末を待たずに「管理体制はどうなっている」「安全を軽んじている」という声が積み上がっていった。
月曜の朝、...
保留ボタンの外れる音
中堅の食品メーカー「みなも食品」の企画課で、佐久間結衣はもう七年、同じ机に座っていた。
仕事は、悪くなかった。定番のふりかけと佃煮を扱う部署は、売上が大きく伸びることもない代わりに、落ち込むこともない。上司の田添課長は穏やかで、残業も少なく、同期からは「いい部署に当たったね」と言われる。給料はまあ...
ナチュラルカーブ
北見保夫の机は、フロアのいちばん端にあった。窓際でも上座でもない、ただ通路に近いだけの席だ。五十八歳。地域密着型のドラッグストアチェーン「みどり薬品」で、彼は十二店舗を巡回する店舗指導員を務めていた。役職はない。かつてはあった。
入社二十年目の頃、北見は二度、昇進試験に落ちた。一度目は準備不足だ...
翻訳者の砥石
「来期から、君には技術広報に移ってもらう」
恩田悠介がその辞令を聞いたのは、入社八年目の春だった。彼は精密機器メーカー「明科テクノロジー」の中央研究所で、センサーの信号処理アルゴリズムを担当していた。学会で論文賞をとったこともある。誰もが彼を「研究所の頭脳」と呼んだ。
技術広報。製品カタログの文...
ルールが違う
田中茂は四十二歳、中堅の人材紹介会社で営業マネージャーをしている。顧客の要望に即座に応え、必要とあれば夜でも電話を折り返す。それが彼の誇りだった。
その年の春、会社から「官公庁向けの採用支援プロジェクト」を任された。ある地方自治体の人事課と協力して、専門職の採用プロセスを改善するというものだ。初...
引き継がれないもの
村岡賢一がコスト最適化に舵を切ったのは、三年前のことだった。
当時の判断には根拠があった。業界全体が収益性の低下に苦しむ中、固定費を削らなければ生き残れないという危機感があった。専門業務は次々と外部委託に移し、「社内は調整と判断だけ行えばいい」という方針を打ち出した。採用も絞り、既存社員には広範な...
その基準で、何を測っているのか
神谷良介は、採用選考委員会の資料を静かに閉じた。
「山田さん、出身大学を見ましたか。うちの基準には届かない」
総務部長の堀口が、老眼鏡ごしに言った。堀口はこの会社に三十年いる。帝国大卒、経営企画出身。自他ともに認める「うちの採用文化の守り手」だった。来年は定年が近い。自分がそれまで守り続けてきた...
外の足場
中堅の精密機器メーカー「アルファ計測」の品質保証本部長、加村剛は社内で「鬼の加村」と呼ばれていた。月次の不良率報告会では、数字を出せなかった工場長を二時間近く立たせて詰める。論理の穴を突き、口ごもりを許さず、最後は深く頭を下げさせる。それが二十年来の彼のやり方だった。
入社六年目、品証企画課の藤村...
ひとつの数字
辻真理子は、部長としての最後の稟議書に判を押した。次の四月に取締役就任が内定しており、今日はその内示のあとだった。窓の外は新橋の灰色の空。机上には娘のフォトフレームと、もう一通、彼女個人宛の茶封筒。差出人は週刊誌だった。
「貴社経営企画本部長・辻真理子氏のご実弟、飲食業で倒産寸前。ご本人はこの件に...
硝子の声
片瀬陽菜は、老舗化粧品メーカー「花匠堂」の広報担当として、社内でも特異な存在だった。
他の広報が練りに練ったプレスリリースを出すなか、陽菜は自社のSNSアカウントで、まるで友人に話しかけるような投稿をした。新商品の紹介に「私も今朝つけてみたけど、正直ちょっとベタつく(笑)改良版に期待!」と書いた...
燃料を断つ
営業三課の課長、柴田真紀は、四月の異動で着任した新部長・黒瀬の「手腕」をすぐに見抜いた。
黒瀬はまず、チーム全員に向けて圧倒的な歓迎を見せた。「このメンバーなら必ず結果が出る」「俺はここに来るべくして来た」。一人ひとりの名前を覚え、過去の実績を引用して褒め、ランチに誘い、相談に乗った。着任一週間...
止まれない男と、立ち止まった男
営業部の朝礼が終わると、課長の片桐は自席でため息をついた。
今期、部内のSNS施策を任された若手の宮本が、また問題を起こしていた。自社のビジネスアカウントに、競合他社を名指しで揶揄する投稿を上げたのだ。
「片桐さん、見ましたか。リツイートが三千超えてますよ」
宮本は端末の画面を見せながら笑って...
需要の在処
中堅化粧品メーカー「彩花堂」のマーケティング部長・三島聡は、午後の会議室で壁一面のホワイトボードを見つめていた。そこには新規事業のコンセプト案が三つ並んでいる。いずれも、三島の上司である常務・大河内の肝いりで進めてきたものだ。
「若い女性の肌コンプレックスを喚起するSNSキャンペーンと連動した美白...
声の重さ
システム開発会社ネクストウェーブで、チームリーダーの黒田俊一は六人のエンジニアを率いていた。その中で最も頼りにしていたのが、入社五年目の園田健太だった。
園田は口数こそ少ないが、納期前のトラブルでも黙々とコードを書き続け、チームを何度も救ってきた。黒田にとって園田は「放っておいても大丈夫な人間」だ...
隣の席の距離
営業一課と営業二課の統合が決まったのは、六月の末だった。
業績の伸び悩みを背景に、会社は組織のスリム化を進めていた。統合後の新チームを率いることになったのは、営業一課の課長・片桐雅彦、四十二歳。部下は十二人になる。
片桐は統合初日、全員をひとつの島に集めた。デスクを寄せ、ホワイトボードを共有し、...
会議室の王様
「また部長が暴走してますよ」
営業企画課の田村真紀は、隣の席の後輩・安藤に小声でささやいた。会議室のガラス越しに、腕を振り回しながら熱弁をふるう柳沢部長の姿が見える。
柳沢部長は、三年前に外部からヘッドハンティングされてきた人物だった。前職では中堅メーカーの営業本部長を務めていたという触れ込みで...
三百のメモ
佐伯誠一は、付箋の山を見つめていた。
パソコンのモニター周りに貼られた黄色い紙片は、もう数えきれないほどになっている。「顧客データの可視化ツール」「営業日報の自動要約」「新人研修のオンライン化」——どれも会議中や通勤電車の中で思いついたアイデアだった。
「佐伯さん、また増えましたね」
後輩の村...
評論家の席
三十四歳の須藤健一は、営業企画部のデスクで資料を眺めながら、今日も何かが違うと感じていた。
大学時代は弁論部の部長として全国大会に出場し、入社後も三年連続で新人賞を受賞した。同期の中では出世頭と言われ、二十代の終わりには課長補佐に抜擢された。誰もが彼の将来を期待していた。
だが、三十歳を過ぎた頃...
空っぽのノート
広報部の森川真希は、画面に映る白い投稿欄を三十分も見つめていた。
「今日も何も浮かばない」
会社のSNS運用を任されて二週間。フォロワー数を伸ばせと言われたものの、投稿する内容が思いつかない。同期の田中は営業成績でトップを取り、後輩の佐藤はプロジェクトリーダーに抜擢された。自分には何もない。発信...
谷底の営業部長
営業第三部の部長・宮本隆司は、自席のパソコン画面を見つめたまま動けなくなっていた。
午前中に人事部長から告げられた内容が、まだ頭の中で反響している。「来期の組織改編で、営業第三部は統合対象です。宮本さんには関連会社への出向を打診したい」
五十二歳。入社三十年。気づけば、会社に必要とされない人間に...
ツキを呼ぶ男
総務課の窓際に座る五十嵐哲也は、社内で「ツイていない男」として知られていた。入社十五年、異動の話が出るたびに直前で白紙になり、担当したプロジェクトは軒並み頓挫し、昨年は財布を三回も落とした。
「また外れたよ、社内ビンゴ」
五十嵐がため息をつくと、隣の席の若手、河野が苦笑した。
「五十嵐さん、い...
カメ組の名刺
入社七年目の春、藤原健一は自分のデスクで名刺を眺めていた。「営業三課 主任 藤原健一」。肩書きは三年前から変わっていない。同期の村田はすでに課長代理だ。
「藤原さん、会議室空いてます」
後輩の山下が声をかけてきた。今日は新規プロジェクトのプレゼン担当を決める会議だ。
会議室に入ると、課長の田中...
黄色いノート
三好修平は、自分の机の引き出しに手を突っ込んだまま、動けなくなっていた。
十二年前の手帳が出てきたのだ。黄ばんだページをめくると、若い頃の乱雑な字が目に飛び込んできた。
「自分のブランドを持つ」
その一行が、胸に刺さった。
三好は大手アパレルメーカー「クロスウェア」の営業部長だった。四十五歳...
刺激の檻
営業部長の沢村誠一は、四十五歳にして自分が「永遠の新規開拓者」であることに気づいていなかった。
彼の営業成績は常にトップクラスだった。新しい顧客を獲得する瞬間、沢村の目は輝いた。初対面の緊張感、相手の懐に入っていく駆け引き、そして契約成立の高揚感。その快感を求めて、彼は次々と新規顧客を開拓し続けた...
対等という距離
経営企画部の新人、水野翔太は、自分が優秀だと思っていた。
入社試験は二千人中三位。有名国立大学を首席で卒業し、在学中にはビジネスコンテストで全国優勝もした。周囲の同期と比べても、自分の能力が突出していることは明らかだった。
配属されたチームには、翔太のほかに三人のメンバーがいた。リーダーの木村、...
残りの時間
総務部の佐藤健一は、五十二歳になった朝、自分の人生を振り返っていた。
入社三十年。与えられた仕事を真面目にこなし、大きな失敗もなく、課長という肩書きを手に入れた。だが、会議室の窓から見える景色は、三十年前と何も変わっていなかった。変わったのは、自分の髪が白くなったことくらいだ。
「佐藤さん、新人...
これでいい
人事部の会議室で、山崎理恵は自分のプレゼン資料を見つめていた。
三十四歳。入社十二年目。同期の中では出世が遅いほうだ。今回の社内公募制度で、念願だった新規事業開発室への異動を勝ち取りたい。そのための面接が、明後日に迫っていた。
「山崎さん、資料見せてもらっていいですか」
隣のデスクの後輩、高橋...
熱くなれない人
営業企画部の村瀬は、三年目にして初めてプロジェクトリーダーを任された。新規サービスの立ち上げという大役に、周囲は期待の目を向けていた。
「村瀬さん、このプロジェクトにかける想いを聞かせてください」
キックオフミーティングで、部長の木島がそう水を向けた。会議室には八人のメンバーが揃っている。村瀬は...