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ショートストーリー

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需要の在処

中堅化粧品メーカー「彩花堂」のマーケティング部長・三島聡は、午後の会議室で壁一面のホワイトボードを見つめていた。そこには新規事業のコンセプト案が三つ並んでいる。いずれも、三島の上司である常務・大河内の肝いりで進めてきたものだ。 「若い女性の肌コンプレックスを喚起するSNSキャンペーンと連動した美白シリーズ」「毛穴の目立ちを問題として認知させるプロモーション戦略」「パートナーの目線を意識させる親密ケアブランドの立ち上げ」。 三つとも共通していた。まず不安を植え付け、次にその解決策を売る。社内では誰も疑問を口にしなかったが、三島はこの半年、ずっと引っかかっていた。 「三島、来週の役員会に出す資料、この線でまとめてくれ」 大河内は自信に満ちていた。業界では名の通った男だ。かつてあるスキンケアブランドで「夕方の顔」というキャッチコピーを生み出し、夕方になると肌がくすむという認識を世の中に広めた。実際にはほとんどの人が夕方に顔色が変わるわけではないが、一度そう刷り込まれると、鏡を見るたびに不安になる。そこに「夕方リセットクリーム」を差し出した。大ヒットだった。 「これが我々の得意技だ。問題を見つけるんじゃない、作るんだ」 大河内はそう言って笑った。三島は笑えなかった。 会議の後、三島は自分のデスクに戻り、カスタマーサポートに届いた直近半年分の問い合わせメールを引っ張り出した。社内の誰も読まない、地味なデータだ。 一通ずつ読んでいく。肌荒れの相談、乾燥の悩み、季節の変わり目の不調——。その中に、似たような訴えが何十件と繰り返されているのに気づいた。 「季節の変わり目に顔がかゆくなって、どの化粧品を使っても合わない」「花粉の時期になると肌が荒れて、人に会うのが億劫になる」「敏感肌用を買っても、結局かゆみが治まらない」。 三島は驚いた。これほど多くの人が同じ苦痛を訴えているのに、彩花堂にはそれに応える商品が一つもなかった。業界全体を見渡しても、季節性の肌トラブルに特化したブランドはほとんどない。皆、架空の不安を売ることに夢中で、足元にある本物の需要を見ていない。 翌日、三島は大河内のオフィスを訪ねた。 「常務、一つ提案があります。SNSキャンペーンの予算を、季節性敏感肌の研究開発に回せないでしょうか」 三島はカスタマーサポートのデータを見せた。大河内は眉をひそめた。 「三島、お前はマーケティングの基本を忘れたのか。需要は作るものだ。こんな地味な路線で売上が立つわけがない」 「でも、ここには既に困っている人がいます。答えを待っている人がいるんです」 「困っている人間がいることと、それが金になることは別だ」 大河内の目は冷たかった。三島は口をつぐんだ。 それから二週間、三島は就業後の時間を使って独自に調査を続けた。皮膚科医へのヒアリング、季節性肌トラブルの実態調査、競合の空白地帯の分析。データは揃っていった。 ある夜、残業中の三島に、入社二年目の部下・宮田が声をかけた。 「部長、何を調べてるんですか」 三島はデータを見せた。宮田は画面を食い入るように見つめた。 「私、まさにこれです。毎年春になると肌がボロボロになって、どこに相談していいかわからなくて。正直、うちの会社の商品には一度も助けられたことがありません」 三島は胸を突かれた。自分の会社の社員ですら助けられていない。彩花堂は一体、誰のための会社なのか。 翌週の役員会。大河内が「肌コンプレックス喚起キャンペーン」のプレゼンを終えた後、三島は手を挙げた。 「補足として、もう一つの選択肢をお見せしたいのですが」 大河内の顔が険しくなった。しかし社長の目配せで、三島は壇上に立った。 スライドはシンプルだった。カスタマーサポートに届いた生の声。皮膚科医のコメント。競合が手つかずの市場規模。そして最後に、宮田の言葉——「自分の会社の商品に助けられたことがない」。 会議室が静まった。社長が口を開いた。 「三島君、予算は限られている。大河内の案か、君の案か、どちらかだ」 三島は答えた。「どちらが、十年後もお客様に必要とされる会社にしてくれるかで判断していただけませんか」 結局、その日に結論は出なかった。大河内は不機嫌なまま会議室を出て行った。三島の案が採用される保証はどこにもない。 ただ、廊下で宮田が小声で言った。 「部長、ありがとうございます。初めて、この会社にいていいんだと思えました」 三島はうなずいた。需要は作るものだと、業界では誰もが言う。だが、足元にしゃがみ込んで耳を澄ませば、声はいくらでも聞こえてくるはずだった。

論考

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需要は発見するものか、発明するものか——マッチポンプ型ビジネスの構造的問題

#### 序:需要創造という名の怠慢 ビジネスの世界では「需要創造」という言葉がしばしば肯定的に使われる。まだ市場に存在しない欲求を喚起し、新たな消費行動を生み出す。イノベーションの一形態として語られることも多い。しかし、需要創造には二つの全く異なるタイプが存在する。一つは、顧客自身がまだ言語化できていない潜在的な課題を掘り起こすもの。もう一つは、本来問題ではないものを「問題」として定義し、その解決策を売りつけるものだ。後者は、端的に言えばマッチポンプである。 **問い:あなたの会社が提供する商品やサービスは、顧客の既存の苦痛を和らげているか、それとも新たな不安を植え付けた上でその不安を解消しているか?** #### 展開:マッチポンプの三段階構造 マッチポンプ型ビジネスには明確な三段階構造がある。第一段階は「問題の定義」だ。広告やメディアを通じて、本来は中立的な状態を「欠陥」や「恥」として再定義する。第二段階は「社会規範の形成」で、メディア露出やピアプレッシャーを利用して「対処しないことは怠慢である」という空気を作り出す。第三段階は「解決策の提示」であり、自社のサービスを唯一の救済として差し出す。 この構造が巧妙なのは、第三段階に至る頃には消費者自身が「自分で選んだ」と思い込んでいる点にある。選択肢の枠組み自体が設計されているにもかかわらず、本人には自発的な意思決定に見える。結果として、被害者が加害構造に感謝するという倒錯が生まれる。 **問い:消費者が「自分で選んだ」と感じている購買行動のうち、どれだけが産業側が設計した選択肢の枠内での判断にとどまっているか?** #### 反証:すべての需要創造は悪か ただし、すべての需要創造を悪と断じるのは短絡的だろう。スマートフォンが登場する前、多くの人は「手のひらサイズのコンピュータが欲しい」とは思っていなかった。真のイノベーションは、顧客が想像すらしていなかった価値を提示することで新たな需要を生む。 両者の分水嶺はどこにあるか。それは「その需要が満たされた後、顧客の生活は客観的に改善されているか」という問いに尽きる。スマートフォンは情報へのアクセスやコミュニケーションの質を向上させた。一方、不安を煽って売る商品は、その不安自体を解消しない限り永遠に「もっと必要」という循環を生み出す。つまり、正当な需要創造は課題を解決して完了するが、マッチポンプは構造的に終わりがない。 **問い:自社の商品を購入し続ける顧客は、時間の経過とともにその商品への依存度が下がっているか、上がっているか?** #### 再構成:探索コストという本質 マッチポンプが横行する根本原因は、真の需要を発見するための「探索コスト」の高さにある。顧客が本当に困っていることを知るには、現場に足を運び、声を聞き、仮説を立て、検証するという地道なプロセスが必要だ。クリステンセンのジョブ理論が示すように、顧客は「片付けたい用事」を抱えているが、それを明確に言語化できるとは限らない。その言語化されていない用事を発見するには、観察と対話を重ねるしかない。 しかし多くの企業は、この探索コストを「非効率」と見なす。既に困っている人を見つけるより、困っていない人に不安を与える方が、マーケティング投資対効果が予測しやすいからだ。広告費をかければ確実に不安は広がる。一方、真の課題の発見は、いくら調査しても見つからないリスクがある。この非対称性が、企業をマッチポンプに向かわせる構造的な力学となっている。 **問い:自社のマーケティング予算のうち、顧客の潜在課題の発見に使われている割合はどの程度か?** #### 示唆:足元にしゃがみ込む勇気 マッチポンプに対する処方箋は、シンプルだが実行が難しい。「足元にしゃがみ込んで耳を澄ます」ことだ。カスタマーサポートに届く問い合わせ、SNSでの不満の声、店頭での何気ない会話——真の需要は、調査報告書の中ではなく、そうした日常の接点に埋もれている。 問題を発明する企業は短期的には利益を上げるかもしれないが、その利益は顧客の信頼を蝕む形で得られている。一方、真の課題を発見し解決した企業は、顧客からの信頼という形で長期的な資産を積み上げる。市場における持続的な競争優位は、不安の製造ラインではなく、課題発見の筋力によってのみ築かれる。 **問い:もし自社の全広告を止めた場合、顧客はそれでも自社の商品を必要とするか?** --- #### 実務への含意 - **カスタマーサポートのデータを「コストセンター」ではなく「需要発見の資産」として再評価する**。問い合わせの中に繰り返し現れるパターンこそが、未充足の真の需要を指し示している。 - **新規事業の企画段階で「この商品がなくなっても顧客は困らないのではないか」というテストを義務化する**。この問いに「はい」と答えざるを得ない商品は、マッチポンプの兆候がある。 - **マーケティング予算の配分を「認知拡大」と「課題探索」に分け、後者の比率を意識的に引き上げる**。広告費の一部を顧客インタビューやフィールドリサーチに振り向けることで、持続的な価値創造の基盤を作る。 ### 参考文献 - 『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』クレイトン・M・クリステンセン(ハーパーコリンズ・ジャパン)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4596551227?tag=digitaro0d-22) - 『影響力の武器[新版]:人を動かす七つの原理』ロバート・B・チャルディーニ(誠信書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4414304296?tag=digitaro0d-22) - 『ドリルを売るには穴を売れ』佐藤義典(青春出版社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4413036239?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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