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削った分は、どこへ行ったか
相和建材の西日本支社長として単身赴任した黒沢肇は、着任した週の金曜、支社の損益計算書を三度読み返した。
売上は本社の三分の一。営業利益率はその半分。毎月の役員会で映し出される支社別の棒グラフの中で、西日本だけが低く沈んでいる。四十九歳。管理本部で十年、数字を締める仕事をしてきた黒沢にとって、その低...
名前のない矢
新ブランド「ひとひら」の発表会まで、あと七十日だった。
岬ハウスウェアは社員二百人ほどの生活用品メーカーだ。原材料の高騰と急な需要の冷え込みが重なり、この一年で工場のラインを二つ止めた。そんな時期に、会社は創業以来もっとも大きな新ブランドを立ち上げようとしている。
その顔になったのが、入社六年目...
音を聞く男
四月の第二週、北條計測の人事部主任・宮下亜季は、A4で七枚の企画書を役員会に出した。「次世代選抜プログラム」。全社の総合評価スコア上位三十名を選び、二年かけて幹部候補に育てる。前年度の離職率が過去最悪を記録した会社にとって、久しぶりの前向きな話だった。
企画は通った。宮下は、はじめて自分の名前で仕...
一時間の共通語
制作会社オリーブ・クラフトの二課を遠山が引き継いだ日、フロアの灯りは夜十時を過ぎても消えなかった。案件は回っている。納品も落ちていない。ただ、全員が少しずつ疲れていた。
「今日から、作業は六時で切ります」
朝礼でそう言うと、ベテランの浜田が手を止めた。二十年この仕事をしてきた男だ。
「言うのは...
答えを持たない課長
河内塔子が技術営業二課の課長に就いた朝、机の上には何もなかった。花もカードも、おめでとうの一言も。かわりに、前任者が残した引き継ぎファイルが十七冊、背表紙を揃えて積まれていた。
八人のメンバーは全員が年上の男だった。いちばん若い者でも塔子より四つ上で、最年長の宮下は、彼女が入社した年にはもう主任だ...
社外の椅子
湊川テクノの資材調達部で、立花孝一は「話が早い男」で通っていた。四十八歳、入社二十六年。設計が無理を言えば協力工場に頭を下げ、経理が渋れば会議の前に廊下で片をつける。社内の誰と誰がどんな貸し借りを抱えているかを、彼は地図のように把握していた。
その地図が急に色を失ったのは、主力の計測機器事業を縮...
十秒の壁
三ツ木テクノサービスの二階、営業技術部のフロアには、島ごとに紙の城壁が建っていた。
保科遥はデスクの間を歩きながら、その高さを目で測った。去年より確実に伸びている。一年前、全社を挙げて「ペーパーレス推進」を掲げたはずだった。掲げて、三か月で崩れた。
「保科さん、また例の話ですか」
声をかけてき...
階段の段数
会議室の椅子は、二十脚のうち十六脚が空いていた。
北星テクノの主任研究員・鏑木遼は、スクリーンに映した周波数特性のグラフを見つめたまま、数秒だけ黙った。三か月前、新型振動センサー「MR-7」の社内勉強会を始めたときは、立ち見が出るほどだった。四回目の今日、来ているのは営業部の若手が三人と、サポート...
宛先の向こう側
篠塚あかりの席には、電話がない。
研修会社オリエンス・ラボが対面の集合研修から遠隔配信へ主力を移して二年、受講者との接点はほぼすべてメールに集約された。運営事務局はフロアの奥、窓のない小部屋にある。一日に二百通あまりを三人でさばく。案内が届かなかった人を追いかけ、迷っている人の言葉を先回りして消し...
待てば戻る、と誰もが言った
三ツ木精機の第二工場は、その朝も静かだった。
生産管理部の宮下佳奈は、稼働ボードの前で立ち止まる。十二本あるラインのうち、動いているのは四本。残りは白いカバーをかけられ、蛍光灯の光をぼんやりと返している。三か月前まで、ここは夜まで音が絶えなかった。
主力顧客の設備投資が一斉に止まった。理由は一つ...
見本のない棚
三崎パッケージ工業の営業二課に、津田悠介は九年勤めている。菓子メーカー向けの紙箱を売る仕事だ。課の壁一面を、試作品を並べた棚が占めている。津田は客先に持っていく箱を、いつもその棚から選ぶ。棚にない形は、そもそも提案のしようがない。
津田の望みは、はっきりしていた。三十五で主任、四十で係長。父も似た...
水曜日の落書き帳
ホシノ電工には、水曜の朝までに社内掲示板へ新しい商品の案をひとつ書く、という決まりがあった。社員三十四人、全員が対象。ただし役員は書かないし、読まない。それが十年続いている。
企画課の宮下志保は、その掲示板が好きだった。好きだったが、この一年は苦しかった。彼女の書いた案はどれも「面白いね」で流れ、...
稼働率九十八パーセント
分散勤務に切り替えて四か月、営業支援部の数字は悪くなかった。見積書の作成件数は前年比で一割増え、差し戻し率は下がった。宮下がその二つを月次資料に並べたとき、役員の一人が短く言った。
「では、なぜ受注は伸びていない」
宮下は答えを持たなかった。持っていないというより、答えの形が数字になっていなかっ...
普通でいいんだよ
郷田真希が白河産業のブランドマネージャーに任じられた日、上司は一枚の折れ線グラフを見せた。台所用洗剤「まいにち」。二十五年間、ほとんど水平な線だった。
「悪くない。でも、話題がない」と上司は言った。「君の代で、何か起こしてほしい」
何かを起こす。郷田はその言葉を待っていた気がした。前の部署では新...
三年目の物差し
紙コップのコーヒーが冷めていくのを、水島は見ていた。
会議室のスクリーンには、外部の助言者がつくった資料が映っている。入社三年以内に「基礎資質スコア」を測り、上位二割を幹部候補として確定させる。残りは実務職として育てる。人材開発課の課長である水島に求められていたのは、その制度の設計だった。
「早...
反対側の椅子
南雲食品工業の第二会議室は、いつも空調が効きすぎている。
郡司美咲は、手元の資料を三度めくり直した。業務用ソースの定期配送サービス。飲食店が発注を忘れても、これまでの使用量から自動で補充する仕組みだ。半年かけて三十軒の店を回り、そこで何度も聞いた「切らして困った」という言葉を、そのまま企画書に変え...
教科書は、最後のページから
常盤精機の営業企画課長・宮下弘之のデスクには、背表紙の折れた統計学の入門書が三冊、立てて並べてあった。買ったのは春で、いまは秋だ。しおりは三冊とも、第二章の途中で止まっている。
会社は産業用ポンプを四十年つくってきた。売って、納めて、終わり。そういう商売だった。ところが去年、いちばん大きな取引先が...
隙のない人
七時十五分。椎名遥は関西支社の鍵を開けた。
久米屋食品の業務用調味料部門で、女性が支社長になるのは初めてだった。着任の日に本社の役員から「前例をつくってください」と言われて、彼女は微笑んで頷いた。前例。つまり、失敗できないということだ。
彼女は自分に規則を課した。誰よりも早く来る。数字は前日のう...
勘定科目にない資産
産業用センサーをつくる東和テクノで、品質保証部の八木誠一が退職願を持ってきたのは、期末の山を越えた火曜の午後だった。
「一身上の都合ということで、お願いします」
八木は白い封筒を机に置くと、それ以上何も言わなかった。課長の沢渡は封筒を裏返したり戻したりしながら、この十年で八木と交わした会話の総量...
本棚のない部屋
三月の第二週、青葉フーズシステムズの会議室には、最終面接に残った十四人分の評価シートが並んでいた。
人事課長の宮下は、その紙の束を前にして、去年と同じ違和感を覚えていた。上位に並ぶ名前が、去年と、そのまた去年と、驚くほど似た顔ぶれに見えるのだ。出身校ではない。話し方だ。彼らは一様に、間の取り方が...