記事一覧 (105件)
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誇りの置き場所
田之上誠一郎が中部輸送の社長室で煙草をやめて以来、代わりに手の中に収まるようになったのは、いつも冷めたコーヒーだった。今夜も気づけば底が空になっていた。
机上には地方配送路線の赤字一覧が広がっている。五十年の歴史を持つ中部輸送のトラック網は、かつてこの地域の物流の誇りだった。二代目として会社を受け...
不完全な指揮台で
田村剛は、大阪オフィスの椅子に座った瞬間、違和感を覚えた。
ここは、彼が三年前まで毎日通っていた場所だ。IT系ベンチャーで開発チームのリーダーを務める田村は、東京本社に移ってから、自分の作業環境を徹底的に作り込んできた。三十二インチのモニターを二枚並べ、キーボードの打鍵感を試行錯誤で選び抜き、照明...
終いの名刺
山本 拓也は、駅前の雑居ビルの一室で「事業撤退支援コンサルタント」を名乗っていた。
看板の文字は太いゴシック体で、雨の日も晴れの日も通りすがりの人の目に入るよう設えてあった。開業して四年になるが、地元商工会の古参会員たちは今でも顔をしかめる。
「山本くん、少し前向きな名前にしてはどうかね」と理事...
先渡しの約束
栗原誠は、独立して七年が経つ。中小企業のIT顧問を三社掛け持ちしながら、システム構築と運用相談を請け負ってきた。仕事は口コミだけで来た。「うちに合うものを作ってくれる」という信頼が、彼の唯一の看板だった。
半年前から、栗原は自分のための開発を始めた。業務フローを誰でも図示・共有できるウェブツール...
ルールが違う
田中茂は四十二歳、中堅の人材紹介会社で営業マネージャーをしている。顧客の要望に即座に応え、必要とあれば夜でも電話を折り返す。それが彼の誇りだった。
その年の春、会社から「官公庁向けの採用支援プロジェクト」を任された。ある地方自治体の人事課と協力して、専門職の採用プロセスを改善するというものだ。初...
摩擦係数ゼロの相棒
田中俊哉は、システム開発部の隅で、ひとり画面に向かっていた。
三十七歳、在籍十二年。彼のデスクには花もトロフィーも置かれていないが、社内でもっとも多くのシステムを一人で設計し、保守してきた事実がある。
隣の会議室では、プロジェクト進捗報告会が三時間に及んでいた。廊下ですれ違った若手の吉川が耳打ち...
ブレーキの地図
桐島慎一は、社内で「止め男」と陰口を叩かれていた。
中堅のシステム開発会社で品質管理マネージャーを務める彼は四十三歳。会議のたびにリスクシートを配り、新機能のリリース判定では必ず最後まで賛成の手を挙げなかった。その場にいるだけで議論の体感温度が二度は下がる。同僚からは「また桐島が止める」と嫌がら...
受け取る力
吉川俊介は、今年で十七年目の営業マンだった。部長職に就いてから五年、彼の頭の中にあるのは常に「数字」だった。
月初めのミーティングで彼が口にするのは決まって億単位の話だった。「三億の案件が動いている」「競合に五億を取られた」。それ以下の規模の話が出ると、吉川はノートパソコンに目を落とし、すでに別...
自分の時計で
西條雅人は、今日も昼少し前に仕事を始めた。
事務所と言っても、地方都市の雑居ビルの三階を借りているだけだ。一部屋に机が二つ、本棚が三つ。もう一つの机には誰も座らない。従業員を雇ったことは一度もなく、すべての仕事を一人でこなしている。クライアントは近隣の中小企業ばかりで、月商は安定しているが、特に大...
記録が証明したもの
田中誠は十二年間、同じやり方で部門を回してきた。朝九時、部屋の電気を一番に点ける。部下が順々に出勤してくる。互いに軽く会釈して、それぞれのデスクへ向かう。その光景こそが仕事の始まりだと、彼は長年信じていた。
開発部長として三十名を束ねるようになってからも、その信念は変わらなかった。チームとは同じ場...
それしかできない、という強さ
三浦健介は会議室の壁に貼られた競合分析のシートを眺めていた。赤いマーカーで「スマホアプリで代替可能」と書かれた付箋が、自社製品の機能一覧のほぼすべてを覆っていた。
「廃盤の方向で検討したいと思います」三浦は資料から目を上げずに言った。「うちの『フォーカスタイマー』は現時点でコモディティです。同機能...
煮込みの時間
三田村隆一は、中堅食品メーカーの商品企画部長だ。四十二歳。「スピードが命」という言葉を社是のように唱え、部内のすべての業務に納期と効率指標を設けていた。
その朝、隆一のもとに一枚の企画書が届いた。提出者は入社五年目の朝倉桂。タイトルは「昔ながらの手法で作るビーフシチューの復活」。
読み始めて、隆...
誰の時間か
村田誠一は、仕事ができる男として知られていた。
食品メーカーのマーケティング部で十五年、一度も大きな失敗をしたことがなかった。上司の意図を素早く汲み、数字を積み上げ、社内外の調整を丁寧にこなしてきた。三十代後半にはグループリーダーの肩書を得て、評価シートには毎年「安定感がある」と書かれた。悪くはな...
引き継がれないもの
村岡賢一がコスト最適化に舵を切ったのは、三年前のことだった。
当時の判断には根拠があった。業界全体が収益性の低下に苦しむ中、固定費を削らなければ生き残れないという危機感があった。専門業務は次々と外部委託に移し、「社内は調整と判断だけ行えばいい」という方針を打ち出した。採用も絞り、既存社員には広範な...
その基準で、何を測っているのか
神谷良介は、採用選考委員会の資料を静かに閉じた。
「山田さん、出身大学を見ましたか。うちの基準には届かない」
総務部長の堀口が、老眼鏡ごしに言った。堀口はこの会社に三十年いる。帝国大卒、経営企画出身。自他ともに認める「うちの採用文化の守り手」だった。来年は定年が近い。自分がそれまで守り続けてきた...
外の足場
中堅の精密機器メーカー「アルファ計測」の品質保証本部長、加村剛は社内で「鬼の加村」と呼ばれていた。月次の不良率報告会では、数字を出せなかった工場長を二時間近く立たせて詰める。論理の穴を突き、口ごもりを許さず、最後は深く頭を下げさせる。それが二十年来の彼のやり方だった。
入社六年目、品証企画課の藤村...
窓際の灯
中堅機械商社の情報システム室は、フロアの一番奥にあった。山岸かおるは三十五歳、入社十年目で、長らく社内の発注画面の細かな改善を一人で担ってきた。「ここに一行コメント欄があると現場が助かる」「この検索は曖昧マッチでないと使われない」――そういう声を拾っては、夜中にこっそり手を入れる。利用者からの礼が、...
下地のはなし
「正直、要件は単純なんです。売上をリアルタイムで見られるダッシュボード。それだけ作ってもらえれば」
会議室の長机の向こうで、川端工業の社長は早口にそう言った。創業四十年の町工場。最近、息子に専務を譲ったばかりで、社長自身は会長職への移行が決まっている。
聞いていた真鍋は、メモを取る手を止めた。フ...
既知という名の壁
月曜の朝、営業部の田原は淹れたばかりのコーヒーを口に運びながら、入社三年目の木下の話を聞いていた。
「先方の購買部長、最初は鉄壁だったんです。でも雑談で奥さんが釣り好きだって話題になって、それから空気がふっと変わって——」
「ああ、それは典型だな。雑談で懐に入る、新人研修でも教えてるやつだ」
田...
帆柱の営業課長
田所は、提案資料を閉じる手を止めた。スマホには、半年前まで担当していた旧クライアントの社長、岡部からの誘いが届いている。
「来月、福岡で役員会がある。終わりに私の親しい役員も交えて夕食を、と思っているんだ。費用は気にせず来てくれ、というわけにはいかんが、来てもらえるなら、おそらく次の案件は田所さんに...