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ショートストーリー
その基準で、何を測っているのか
神谷良介は、採用選考委員会の資料を静かに閉じた。
「山田さん、出身大学を見ましたか。うちの基準には届かない」
総務部長の堀口が、老眼鏡ごしに言った。堀口はこの会社に三十年いる。帝国大卒、経営企画出身。自他ともに認める「うちの採用文化の守り手」だった。来年は定年が近い。自分がそれまで守り続けてきたものへの目が、どこか優しすぎると神谷はときどき感じていた。
神谷は営業三課の課長だ。現場を十二年やってきた。今回の候補者・山田は、偏差値でいえば中堅の国立大学出身だが、神谷が一次面接で五時間話して確信した何かがあった。提案の質、論理の組み立て方、それ以上に「反論を受けたときの考え直し方」が他の誰とも違った。「AIのアウトプットって、まず一度疑うようにしています。ちゃんと自分で確認しないと、間違いが見えなくなるので」と、山田はさらっと言った。その言葉が神谷の中でずっと引っかかっていた。
「出身大学ではなく、あの思考の癖を見てほしいのですが」
「基準を曲げたら、線引きの意味がなくなる」
堀口の言葉に、会議室の空気が固まった。異議を唱えることのコストを、その場にいた誰もが知っていた。
結局、その枠は別の候補者に埋まった。帝都大出身、面接では模範的な受け答えをした人物。内定を出したその日の夕方、神谷は一人でコーヒーを飲みながら山田の面接メモをもう一度読んで、静かにシュレッダーにかけた。
三ヶ月後。
「山田さん、内定辞退したんじゃなかったんですね」
神谷が声をかけたのは、別部署の廊下だった。山田は取引先のコンサル会社に入り、今月から担当者としてこちらに来ることになっていた。
「はい、別のところからご縁をいただきまして」
山田は少し照れたように言った。神谷は「うちに来てほしかった」という言葉を飲み込み、「それはよかった」とだけ返した。
数日後、山田が提出した業務分析の資料が社内をざわつかせた。薄い冊子の中に、自社の業務フローの問題点が三十項目、解決策の優先度と実施コストつきで整理されていた。会議で使われていた「改善提案フォーマット」よりも、ずっと鋭く、ずっと実用的だった。入社したばかりの「帝都大出身の逸材」が最初の三ヶ月で出した改善提案が、A4一枚の箇条書きだったことを神谷は思い出した。それは悪い仕事ではなかった。ただ、「想定の範囲内」だった。
その夜、堀口から珍しくメッセージが届いた。「山田さんの資料、見たか」という一行だった。
翌日の廊下で、堀口が何かを言いかけて止まった。「ああいう視点は、どこで身につくんだろうな」とつぶやくように言った。神谷は「わかりません」と答えた。本当にわからなかった。大学名でもない、経験でもない、何かがあった。それを「基準」にする方法を、まだ誰も知らない。
採用基準は翌年も変わらなかった。ただ、次の選考から堀口が何度か「この人の思考は、どう見えるか」と神谷に聞くようになった。
評価する側が、評価できるものしか評価してこなかったことに、ようやく気づきはじめた。それがどこへ向かうのか、まだ誰にもわからない。
論考
評価の呪縛——なぜ組織は「測れるもの」しか測らないのか
評価とは何かを問い直す必要がある。多くの組織において、採用・昇進・人材育成の基準は、長い年月をかけて形成された「測定可能な指標」に依存している。問題は、その指標がいつ時代遅れになったかを組織自身が気づきにくいという点にある。評価基準の陳腐化は、測定値そのものに変化が起きるのではなく、測定値と実態のズレが静かに広がるかたちで進む。あなたの組織は、今も「正しいものを測っている」と言い切れるだろうか。
古くなった評価基準は、往々にして「制度的慣性」によって維持される。かつて一定の能力を担保していた指標が、環境変化によってその機能を失ったとしても、組織はすぐには手放さない。評価コストを削減できるからだ。さらに決定的なのは、その基準の下で選ばれてきた人材が組織の中核を占めるという構造である。彼らにとって基準の変更は「自己否定」に等しいリスクを持つ。評価する側が自分たちの正当性を守るために評価基準を守るという循環が、こうして生まれる。
もちろん、評価基準の安定性には意味がある。基準が頻繁に変わる組織は公平性を保てず、評価への信頼が失われる。また、「今この瞬間に役立つスキル」だけを評価する近視眼的な基準は、長期的な組織力を損なう可能性もある。基礎的な論理思考力や倫理観は、特定のツールや技術とは異なり、環境が変化しても普遍的な価値を保つことが多い。評価基準の硬直化をすべて「既得権益の問題」に帰するのは、過度に単純化した見方だろう。
しかし、基準の「安定性」と「硬直性」は別物である。変えてはいけないのは、能力を評価するという目的そのものであり、特定の測定指標ではない。問うべきは「この指標は今も目的を達成しているか」という問いだ。その問いを立てることを避け続ける組織は、やがて「測れるもの」だけを追い求め、測れないが重要なものを体系的に見落としていく。そのコストを最初に支払うのは常に評価の客体側にいる人材だ。組織は評価ミスのリスクを外部化できるが、評価される側は自分のキャリアをそのまま賭けることになる。
評価の硬直化が生む最大の問題は、機会損失の「不可視化」だ。採用されなかった人材、登用されなかった社員、評価されなかった提案は、組織の記録に残らない。見えない損失は積み上がり、組織の競争力を静かに侵食する。制度を設計する側が「制度の恩恵を受けた人間である」という事実は、変革を内部から起こすことの難しさの根本にある。
**実務への含意**
- 評価基準は「なぜこの指標を使うのか」を年に一度問い直す習慣が組織の硬直化を防ぐ
- 評価者が「自分には評価できていないものがある」と認識することが、評価制度の健全性の出発点となる
- 採用・登用で定性的な判断を行使した事例を記録することで、組織の評価能力そのものを育てることができる
### 参考文献
- 『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』安宅和人(NewsPicksパブリッシング)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4910063048?tag=digitaro0d-22)
- 『ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機』濱口桂一郎(岩波書店)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4004318947?tag=digitaro0d-22)
- 『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット(東洋経済新報社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4492533877?tag=digitaro0d-22)
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