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ショートストーリー
評論家の席
三十四歳の須藤健一は、営業企画部のデスクで資料を眺めながら、今日も何かが違うと感じていた。
大学時代は弁論部の部長として全国大会に出場し、入社後も三年連続で新人賞を受賞した。同期の中では出世頭と言われ、二十代の終わりには課長補佐に抜擢された。誰もが彼の将来を期待していた。
だが、三十歳を過ぎた頃から、須藤の中で何かが変わり始めた。
「あの案件、結局失敗したらしいよ」
昼休み、同期の村山がコーヒーを片手に話しかけてきた。須藤は軽く頷いた。
「まあ、最初から無理があったからな。あのやり方じゃうまくいくはずがない」
「さすが須藤、よく見てるね」
村山は感心したように言ったが、須藤は心のどこかで虚しさを覚えた。最近の自分は、誰かの失敗を予測し、後から正しさを証明することばかりしている。それを周囲は「分析力がある」と褒めてくれるが、自分では何も生み出していないことに気づいていた。
その日の夕方、須藤は偶然、新入社員の佐々木が会議室で一人残っているのを見かけた。彼女は入社一年目で、須藤が新人研修の講師を担当した縁があった。
「どうした、まだ残ってるのか」
「あ、須藤さん。新規プロジェクトの企画書を書いてるんです。でも、なかなかまとまらなくて」
須藤は企画書を覗き込んだ。正直なところ、粗が目立つ内容だった。数字の根拠が甘く、競合分析も不十分だ。
「これ、このまま出したら厳しいぞ。まず市場規模の算出方法が——」
指摘を始めようとした瞬間、佐々木の目に浮かんだ光が、須藤の言葉を止めた。それは、かつて自分も持っていたはずの、何かを成し遂げようとする熱意だった。
「すみません、まだ勉強不足で。でも、どうしてもこのアイデアを形にしたくて」
「なぜ、そこまで」
「お客様の声を直接聞いたんです。今のサービスでは届かない人たちがいて、この企画ならその人たちの役に立てるかもしれないって」
須藤は黙った。
自分はいつから、アイデアを形にすることより、他人のアイデアを評価することに時間を使うようになったのだろう。いつから、失敗を恐れて、批評家の席に座ることを選んだのだろう。
「須藤さん、よかったら教えてもらえませんか。どうすればもっと良い企画書になりますか」
その言葉に、須藤は不思議な感覚を覚えた。教えを請われているのに、自分のほうが何かを学ばされている気がした。
帰り道、須藤は夜のオフィス街を歩きながら考えた。
かつて予期せぬ経営危機で会社が傾きかけたとき、須藤は率先して新規事業の立ち上げに手を挙げた。結果は失敗に終わり、それ以来、彼は慎重になった。リスクを取らなくなった。評論することで、自分の価値を証明しようとしてきた。
だが、それは本当に自分が望んでいた生き方だったのか。
翌朝、須藤は佐々木のデスクに向かった。
「昨日の企画書、一緒に直さないか。俺も一から考え直してみたいんだ」
佐々木は驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「ありがとうございます」
須藤は久しぶりに、白紙の企画書に向き合った。正解は分からない。失敗するかもしれない。だが、他人の人生を評論する席より、自分の人生を書き込む席のほうが、ずっと居心地がよかった。
数か月後、企画は小さな成功を収めた。大きな売上にはならなかったが、確かに届けたい人に届くサービスになった。
同期の村山が言った。
「須藤、最近なんか変わったな。前より忙しそうだけど、楽しそうだ」
須藤は笑った。
「評論家を辞めて、プレイヤーに戻っただけだよ」
帰り際、佐々木が声をかけてきた。
「須藤さん、次はどんな企画をやりましょうか」
「さあな。でも、また一緒に白紙から考えような」
須藤は、三十四歳にしてようやく、自分の人生がこれから始まるような気がしていた。
論考
評論家になる人、当事者であり続ける人
### 序
三十代前後で「人生を持て余している」と感じる人が増えている。若い頃は優秀だった人、恵まれた環境にいた人ほど、その傾向が顕著だという観察がある。彼らは批評や分析には長けているが、自ら何かを生み出すことからは距離を置いている。なぜ、かつて輝いていた人材が、人生の評論家に成り下がってしまうのか。
その根本的な原因は、「これからの生き方」を定めていないことにある。ここでいう生き方とは、価値観を体現した習慣のことだ。日々の時間の使い方、優先順位のつけ方、それ自体が生き方である。
**検証可能な問い:** 自分が過去一週間で最も時間を費やした活動は、自らの価値観に基づいて意図的に選んだものか、それとも惰性や外部の期待によるものか。
### 展開
評論家的な姿勢と当事者的な姿勢の違いは明確だ。評論家は他者の行動を観察し、その成否を事後的に判断する。当事者は不確実な状況の中で自ら意思決定し、結果を引き受ける。評論は安全であり、失敗のリスクがない。しかし、その安全さと引き換えに、自己の成長機会を放棄している。
人が評論家になりやすいのは、過去の成功体験にしがみつくためだ。かつての実績が自己評価の基盤となり、新たな挑戦で失敗することを恐れる。その結果、リスクを取らず、他者の挑戦を批評することで自らの価値を示そうとする。
この現象は個人に限らない。組織においても、過去の成功モデルに固執し、新しい取り組みに対して批判的な姿勢を取る文化が形成されることがある。
**検証可能な問い:** 最後に自ら手を挙げて新しいプロジェクトや役割に挑戦したのはいつか。その頻度は年々減少していないか。
### 反証
ただし、評論的視点には価値がある。経験に基づく洞察は、若手の無謀な挑戦を適切な方向に導くことができる。すべての人が当事者であり続ける必要はなく、助言者や指導者としての役割も重要だ。
問題は、評論が唯一の活動になってしまうことにある。助言者として価値を提供するためには、自らも継続的に学び、変化に適応している必要がある。過去の経験だけに依存した評論は、やがて時代遅れになる。
また、孤独を避けたいという欲求も影響する。自分の道を選ぶことは、時に周囲との摩擦を生む。評論家でいることは、コミュニティの中で安全な立場を確保する手段でもある。
**検証可能な問い:** 自分の発言や行動が周囲と異なることを恐れて、本当に言いたいことを控えた経験が最近あるか。
### 再構成
生き方を定めるとは、「これから」を選択することだ。過去の栄光でも、他者の評価でもなく、自らの価値観に基づいて日々の行動を決定すること。それは必ずしも大きな変化を意味しない。
習慣とは、毎日の小さな選択の積み重ねだ。朝起きてから夜眠るまで、何に時間を使い、誰と過ごし、何を優先するか。これらの選択が一貫して自らの価値観を反映しているとき、人は生き方を持っていると言える。
人間の本性は苦しいときに現れる。市場環境の急変や予期せぬ危機に直面したとき、その人の生き方が試される。評論家は安全な場所から状況を分析する。当事者は不完全な情報の中で決断を下し、行動する。
**検証可能な問い:** 困難な状況に直面したとき、自分は問題解決に向けて行動しているか、それとも状況の分析や批評に時間を費やしているか。
### 示唆
生き方を定めることには、孤独が伴う。他者と異なる道を選ぶとき、不安や迷いが生じる。しかし、その孤独を支えるのは、最終的には自分自身への信頼だ。
言葉では嘘をつけても、長期的な行動では嘘はつけない。これからの生き方を問うことは、過去との決別を意味する。それは怖いことであり、面倒なことだ。しかし、答えのない問いを先延ばしにし続けることは、人生を持て余す感覚につながる。
三十代であれ五十代であれ、人生はこれから始まるという感覚を持てるかどうか。それは、自らの生き方を定め、当事者として生きているかどうかにかかっている。
**実務への含意:**
- 週に一度、自分が「評論者」として過ごした時間と「当事者」として過ごした時間を振り返り、バランスを確認する
- 新しい挑戦を避けていることに気づいたら、小さくても良いので手を挙げる機会を意図的に作る
- 自分の価値観を言語化し、日々の行動がそれと一致しているかを定期的に検証する
### 参考文献
- 『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』スティーブン・R・コヴィー(キングベアー出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4863940246?tag=digitaro0d-22)
- 『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎・古賀史健(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478025819?tag=digitaro0d-22)
- 『生き方 人間として一番大切なこと』稲盛和夫(サンマーク出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4763195433?tag=digitaro0d-22)
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