アイキャッチ画像
ショートストーリー
熱くなれない人
営業企画部の村瀬は、三年目にして初めてプロジェクトリーダーを任された。新規サービスの立ち上げという大役に、周囲は期待の目を向けていた。
「村瀬さん、このプロジェクトにかける想いを聞かせてください」
キックオフミーティングで、部長の木島がそう水を向けた。会議室には八人のメンバーが揃っている。村瀬は一瞬言葉に詰まった。
「……お客様に新しい価値を届けたいと思っています」
無難な言葉を並べながら、村瀬は自分の声がどこか空虚に響くのを感じていた。正直に言えば、このプロジェクトに特別な情熱があるわけではない。ただ、任されたからにはきちんとやり遂げたい。それだけだった。
「いいですね。でも、もっと熱く語ってほしいな」
木島は笑顔でそう言ったが、その言葉は村瀬の胸に小さな棘のように刺さった。
プロジェクトが始まって二週間が経った頃、問題が起きた。チームメンバーの一人、入社二年目の高木が、明らかにモチベーションを失っていた。締め切りに遅れ、ミーティングでも発言が減っている。
「高木くん、少し話せる?」
村瀬は高木を会議室に呼んだ。
「すみません、最近調子が悪くて」
高木は視線を落としたまま言った。
「何かあった?」
「……正直、この仕事に情熱が持てないんです」
高木の言葉に、村瀬は自分自身を見ているような気持ちになった。
「朝起きても、ワクワクしないんです。周りのみんなは楽しそうに仕事してるのに、自分だけ取り残されてる気がして。こんな気持ちで働いてたら、チームに迷惑ですよね」
「そんなことない」
村瀬は即座に否定したが、続く言葉が見つからなかった。
その夜、村瀬は一人でオフィスに残っていた。パソコンの画面を眺めながら、高木にかける言葉を探していた。
ふと、隣のフロアから光が漏れているのが見えた。経理部の窓だ。あそこには確か、今年で定年を迎える鶴田さんがいるはずだった。
翌日、村瀬は昼休みに鶴田を訪ねた。
「鶴田さんは、四十年近くこの会社で働いてこられましたよね」
「そうだね」
「……その間、ずっと仕事に情熱を持っていましたか」
鶴田は少し驚いた顔をして、それから穏やかに笑った。
「情熱か。そんな大層なもの、私にはなかったよ」
「え?」
「若い頃は、もっと熱くなれる仕事に就くべきだったんじゃないかって悩んだこともある。でもね、ある時気づいたんだ。毎日ちゃんと出社して、目の前の仕事を丁寧にやって、困っている同僚がいたら手を貸す。それだけで十分なんじゃないかって」
鶴田は窓の外に目をやった。
「情熱がないと働く資格がないみたいな風潮があるけど、私はそうは思わない。熱くなれなくても、きちんと責任を果たしている人はたくさんいる。それを認めないのは、傲慢というものだよ」
村瀬は黙って頷いた。
その週末、村瀬は高木をランチに誘った。
「この前の話、ずっと考えてた」
村瀬はコーヒーカップを両手で包みながら言った。
「実は俺も、このプロジェクトに特別な情熱があるわけじゃない」
高木が驚いて顔を上げた。
「でも、だからといって手を抜くつもりはないし、高木くんと一緒に良いものを作りたいとは思ってる。情熱がなくても、そういう働き方はできるんじゃないかって」
高木は少し考え込んでから、小さく笑った。
「村瀬さんにそう言ってもらえると、なんか楽になります」
「俺も、自分で言ってて楽になった」
二人は顔を見合わせて笑った。
プロジェクトの最終報告会で、木島が村瀬に声をかけた。
「いいチームだったね。高木くんも見違えるように頑張ってた」
「ありがとうございます」
「秘訣は何だった?」
村瀬は少し考えてから答えた。
「熱くなれないことを、許したんだと思います」
木島は首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
退社時刻を告げるチャイムが鳴る中、村瀬はいつもと同じペースでパソコンをシャットダウンした。情熱という名の重荷を下ろした背中は、不思議なほど軽かった。
論考
情熱の道徳化がもたらす職場の分断
**序:情熱は美徳か**
「好きなことを仕事にすれば、それは労働ではなくなる」という言葉は、現代の労働観において一種の美徳として機能している。仕事への内発的動機付け、つまり報酬や評価ではなく仕事そのものへの興味を原動力とする働き方は、確かに多くの利点を持つ。しかし、この考え方が「正しい働き方」として道徳化されたとき、予期せぬ弊害が生まれる。情熱を持てない人は「人間として何かが欠けている」というレッテルを貼られるリスクに晒されるのである。
**問い:あなたの職場では、仕事への情熱の有無が人物評価の基準になっていないだろうか。**
**展開:道徳化がもたらす排除**
内発的動機付けが道徳化されると、興味深い現象が起きる。仕事を「美徳」と捉える人々は、生活費や承認のために働く人々を無意識に見下す傾向を持つようになる。ある調査では、内発的動機付けを道徳化している従業員は、「仕事を愛していない」と見なした同僚への協力を控える傾向が確認されている。「情熱がない人には助ける価値がない」という無意識の選別が、チーム内の信頼関係を分断してしまうのだ。これは個人の問題にとどまらず、組織全体のパフォーマンスを低下させる要因となる。
**問い:職場で「情熱がない」と見なされている人に対する態度は、そうでない人と比べてどう異なるか。**
**反証:情熱を持てないのは道徳的失敗ではない**
しかし、この「情熱至上主義」には根本的な問題がある。現実には、多くの働き手は自分の仕事にそのような愛を経験することがない。これは道徳的な失敗ではなく、ただの現実である。どんなに好きな仕事であっても、退屈な事務処理や困難な局面は必ず存在する。情熱を道徳的義務と捉えていると、「毎朝ワクワクして出社できない自分」に不必要な罪悪感を抱くようになる。本来は正常な感情の起伏が、「情熱の欠如」という自己への失望に変換されてしまう。これは燃え尽き症候群への入り口となりうる。
**問い:仕事に対する感情の波を「情熱の欠如」と解釈していないだろうか。**
**再構成:特権としての情熱**
ここで視点を転換する必要がある。好きなことを仕事にできるのは、一つの特権である。経済的余裕、適切な教育機会、運やタイミングといった様々な条件が揃って初めて可能になることが多い。それを「道徳的に優れている証」とみなすのは、持たざる者への傲慢ではないか。さらに言えば、従業員が情熱を持って働くことを期待する構造は、経営者側に有利に働く側面がある。公正な報酬の見返りなしに期待以上の働きを引き出せるからだ。情熱の道徳化は、構造的な問題を個人の資質に転嫁する機能を持っている。
**問い:情熱を持てる仕事に就けている人と、そうでない人の違いは、本人の努力や資質だけで説明できるだろうか。**
**示唆:持続可能な働き方へ**
持続可能なキャリアのためには、情熱という重荷を下ろすことも選択肢の一つである。毎日きちんと出社し、目の前の仕事を丁寧にこなし、困っている同僚がいれば手を貸す。それだけで十分に価値ある働き方だと認識を改めることが、結果的に長く健全に働き続けることを可能にする。情熱がないことを許容する職場文化は、多様な動機で働く人々が協力し合える土壌を作る。
**問い:あなたのチームは、情熱以外の動機で働く人を受け入れる準備ができているだろうか。**
---
**実務への含意**
- 採用・評価において「情熱」を過度に重視することの弊害を認識し、多様な動機を持つ人材を受け入れる基準を設ける
- チームビルディングにおいて、仕事への姿勢の違いを個人の欠点ではなく多様性として捉える対話の場を作る
- 自分自身の感情の起伏を「情熱の欠如」と誤解しないよう、定期的なセルフチェックの習慣を持つ
---
**参考文献**
- 内発的動機付け: https://www.amazon.co.jp/s?k=内発的動機付け&tag=digitaro0d-22
- 燃え尽き症候群: https://www.amazon.co.jp/s?k=燃え尽き症候群&tag=digitaro0d-22
- 働き方改革: https://www.amazon.co.jp/s?k=働き方改革&tag=digitaro0d-22
※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています