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ショートストーリー
隣の席の距離
営業一課と営業二課の統合が決まったのは、六月の末だった。
業績の伸び悩みを背景に、会社は組織のスリム化を進めていた。統合後の新チームを率いることになったのは、営業一課の課長・片桐雅彦、四十二歳。部下は十二人になる。
片桐は統合初日、全員をひとつの島に集めた。デスクを寄せ、ホワイトボードを共有し、朝礼を毎日行うと宣言した。「チームは一体であるべきだ」——それが片桐の信念だった。
ところが、旧二課のメンバーたちは明らかに居心地が悪そうだった。とりわけ、三十代半ばの柴田理沙は露骨に不満を見せた。旧二課では、各自が裁量をもって動き、週に一度の報告会で進捗を共有するスタイルだった。柴田はその自由度を活かし、独自に顧客との関係を深め、旧二課でトップの成績を上げてきた。
「毎朝の朝礼って、正直なところ必要ですか」
統合三日目、柴田は片桐に直接言った。周囲の空気が凍る。片桐は眉をひそめた。
「必要だから設けている。情報共有はチームの基本だ」
「情報共有なら、チャットツールで十分です。朝の三十分があれば、一件多く顧客に連絡が取れます」
片桐は反論しようとしたが、言葉を飲み込んだ。柴田の成績は事実として優秀だった。だが、個人プレーでは組織は育たない。そう確信していた。
翌週、片桐は副部長の宮本に呼ばれた。宮本は温厚な人物で、片桐より十歳ほど年上だ。
「統合チーム、どうだ」
「正直、旧二課の連中がまだ馴染んでいません。特に柴田が」
宮本はコーヒーを一口飲み、こう言った。
「片桐、おまえは良いチームをつくりたいんだよな。だが、良いチームというのは全員が同じ場所に座っていることなのか?」
片桐は黙った。
「おれも昔、同じ失敗をした。部下を近くに置けば管理できると思っていた。でもな、管理と信頼は違う。近くにいるから信頼できるわけじゃない。むしろ距離を詰めすぎて、相手の力を奪っていたんだ」
その日の帰り道、片桐は自分のやり方を振り返った。朝礼で全員の顔を見ることで安心していたのは、自分のほうだった。部下の状況を逐一把握していないと不安だった。それは信頼ではなく、管理だった。
翌日、片桐は柴田を会議室に呼んだ。
「少し、やり方を変えてみようと思う」
柴田は警戒するような目を向けた。
「朝礼は週一にする。それ以外の日は、各自の裁量に任せたい。ただし、週末に三十分だけ、全員で進捗と課題を共有する場を設けさせてくれ」
柴田は少し驚いた顔をして、それから頷いた。
「それなら、私からも提案があります。週一の共有会で、各自が『今週学んだこと』をひとつずつ話すのはどうですか。数字の報告だけだと形骸化するので」
片桐は一瞬、自分の提案に条件をつけられたことに苛立ちを覚えた。だが、それを押し殺した。
「いいだろう。やってみよう」
一ヶ月が過ぎた。目に見える変化があった。旧二課のメンバーたちが自然に動き始めた。柴田は自分の営業ノウハウを惜しみなく共有するようになり、旧一課の若手が柴田に相談を持ちかけるようになった。朝礼がなくなったことで、各自が自分の時間を主体的に使い始めた。
ある金曜日の共有会で、入社二年目の高橋が言った。
「柴田さんに教わった方法で、初めて大口の契約が取れました」
柴田は照れたように笑った。片桐はその光景を見ながら、不思議な感覚を覚えた。全員を目の前に集めていた頃より、チームとしてのまとまりが生まれていた。
共有会の後、柴田が片桐のデスクに立ち寄った。
「課長、最初に朝礼をなくしてほしいと言ったとき、正直、このチームではやっていけないと思っていました」
「おれも、おまえを扱いにくいと思っていた」
ふたりとも笑った。
「でも」と柴田は続けた。「距離があるからこそ、自分から近づこうとするんですよね。強制されると、逆に離れたくなる」
片桐は頷いた。宮本の言葉が胸に甦った。近くにいることが信頼ではない。離れていても繋がれると信じることが、信頼なのだ。
翌月の営業成績は、統合前の両課の合計を上回った。だが片桐にとって、数字以上に大きかったのは、高橋が共有会で見せたあの誇らしげな顔だった。
管理を手放したとき、人は自ら動き出す。片桐はその事実を、部下たちから教わった。
論考
管理を手放すと、チームは強くなる
組織を率いる立場にある人間が最も恐れるのは、「目が届かない場所で何が起きているかわからない」ことだろう。だからこそ、リーダーは報告を求め、会議を増やし、デスクを近くに並べる。しかし、こうした管理行動が本当にチームの成果を高めているのかどうかは、立ち止まって検証する価値がある。
**管理が信頼の代替になるのか?** これが本稿の出発点である。
組織における「距離」には二つの意味がある。物理的な距離と、心理的な距離だ。多くのリーダーは物理的な近さを心理的な近さと混同する。全員を同じ空間に集め、頻繁にミーティングを行えば、チームの一体感が生まれると信じている。だが、実際にはその逆が起きることがある。過度な接触は個人の裁量を奪い、主体性を減退させる。部下は「指示を待つ」ことに最適化され、自ら考える力を失っていく。
では、自律性の高いチームとは何か。それは、各メンバーが自分の判断で動きつつも、チーム全体の方向性を共有している状態を指す。ここで重要なのは、「放任」と「信頼に基づく委任」の違いだ。放任は無関心であり、委任は意図的な距離の設計である。リーダーが「あえて距離を取る」と決断するには、相手の能力を信じるという前提が必要になる。
**距離を取ることで本当に成果は上がるのだろうか?**
反論もある。裁量を与えすぎれば、方向性のずれが生じる。経験の浅いメンバーは判断を誤るかもしれない。情報の非対称性が拡大し、組織としての意思決定が遅れる可能性もある。これらの懸念は正当だ。しかし、だからといって管理を強化すれば解決するわけではない。管理の強化は短期的な安心をもたらすが、長期的にはメンバーの成長機会を奪い、組織の硬直化を招く。
**管理強化は短期の安定と引き換えに、長期の適応力を犠牲にしていないか?**
ここで必要なのは、距離の「設計」という発想だ。完全な自由でも完全な管理でもなく、チームの成熟度や業務の性質に応じて、適切な距離を意識的に選ぶ。たとえば、週に一度の共有の場を設けつつ、日常の業務判断は各自に委ねる。報告の頻度やフォーマットを、管理者の不安ではなく、チームの実情に合わせて設計する。この「距離の設計」こそが、現代のリーダーに求められる重要な能力ではないだろうか。
**あなたの組織では、距離の設計を誰がどのように行っているか?**
信頼とは、相手を監視しなくても大丈夫だと思える状態のことだ。そしてその信頼は、距離を与えることによってしか育まれない。近くにいれば安心できるという発想は、実は信頼の不在を示している。管理を手放す勇気を持ったとき、リーダーは初めて、チームの本当の力を目にすることになる。
#### 実務への含意
- **会議や報告の頻度を「リーダーの安心」ではなく「チームの成果」を基準に見直す**
- **メンバーの裁量範囲を段階的に拡大し、判断力の成長を促す仕組みを設計する**
- **「距離を取る」ことを放任と混同せず、意図的な委任として言語化し、チームと共有する**
### 参考文献
- 『ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』フレデリック・ラルー(英治出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4862762263?tag=digitaro0d-22)
- 『心理的安全性のつくりかた』石井遼介(日本能率協会マネジメントセンター)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4820728245?tag=digitaro0d-22)
- 『できるリーダーは、「これ」しかやらない』伊庭正康(PHP研究所)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4569842372?tag=digitaro0d-22)
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