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ショートストーリー
会議室の王様
「また部長が暴走してますよ」
営業企画課の田村真紀は、隣の席の後輩・安藤に小声でささやいた。会議室のガラス越しに、腕を振り回しながら熱弁をふるう柳沢部長の姿が見える。
柳沢部長は、三年前に外部からヘッドハンティングされてきた人物だった。前職では中堅メーカーの営業本部長を務めていたという触れ込みで、入社当初から自信に満ちた態度を崩さなかった。
「営業ってのは結局、熱意なんだよ。数字とか分析とか、そんなものは後からついてくる」
これが柳沢の口癖だった。データに基づいた提案をしても「机上の空論だ」と一蹴される。現場の声を集めて報告しても「おれの経験では違う」と否定される。部下たちは次第に意見を言わなくなっていった。
真紀は入社七年目。地道にキャリアを積み、昨年からは新規事業のプロジェクトリーダーを任されていた。彼女が三ヶ月かけてまとめた市場調査レポートを、柳沢は会議でこう評した。
「こんな分厚い資料、誰が読むんだ。営業は足で稼ぐもんだよ」
その日の夜、真紀は同期の山本と居酒屋にいた。
「正直、転職も考えてる」
真紀がビールを一口飲んで言った。山本は黙って聞いている。
「でもね、ふと思ったの。私、柳沢部長のことを『わかってない人』って決めつけてた。でも、本当にそうなのかなって」
「どういうこと?」
「部長がなぜああいう言動をするのか、私は考えようとしてなかった。彼がどんな状況にいるのか、何にプレッシャーを感じているのか。そういうことを一切無視して、ただ『ダメな人』というラベルを貼っていた」
山本は少し驚いた顔をした。
「急にどうしたの、悟りでも開いた?」
「そうじゃなくて」真紀は苦笑した。「今日、たまたま部長と二人きりでエレベーターに乗ったの。そしたら部長、すごく疲れた顔してた。『田村さん、最近の若い子は何を考えてるかわからないな』って、ぽつりと言ったの」
「へえ」
「その時、気づいたの。部長も部長なりに必死なんだって。新しい環境で、自分のやり方が通用しなくて、でもプライドがあるから認められない。私たちが部長を遠ざければ遠ざけるほど、部長は殻に閉じこもっていく」
翌週、真紀は一つの行動を起こした。柳沢部長に個別のミーティングを申し込んだのだ。
「市場調査の件、改めてご説明させてください。前回は資料が多すぎました。今回は要点だけをまとめました」
柳沢は警戒した目で真紀を見た。が、真紀は続けた。
「それと、部長の営業経験から見て、この分析に足りない視点があれば教えていただけませんか。私はデータしか見ていないので」
柳沢の表情が、わずかに緩んだ。
「……まあ、座れ」
会議室で二時間。柳沢は最初こそ腕組みをしていたが、次第に身を乗り出して話し始めた。かつての成功体験、そして今の戸惑い。真紀は口を挟まず聞いた。
全てが劇的に変わったわけではない。柳沢部長は相変わらず強引なところがある。ただ、真紀の報告には以前より耳を傾けるようになった。
「田村さん、ちょっといいか」
ある日、柳沢が真紀のデスクにやってきた。
「あの市場調査、役員会で使いたい。手直しを頼めるか」
「はい。ただ、一点確認させてください。部長のご経験に基づく補足コメントを加えてもよろしいですか」
柳沢は一瞬きょとんとし、それから小さく頷いた。
「……任せる」
その背中を見送りながら、真紀は思った。人を「わかっていない」と断じることは簡単だ。けれど、その判断自体が、自分の視野の狭さを映し出している鏡なのかもしれない。
エレベーターホールで、柳沢がボタンを三回連打しているのが見えた。真紀は小さく笑った。
人は誰でも、どこかで少しだけ、滑稽なのだ。
論考
能力と自己認識のパラドックス——なぜ私たちは他者を過小評価するのか
人間の自己認識には、構造的な歪みが内在している。能力の低い者ほど自己を過大評価し、能力の高い者ほど自己を過小評価する傾向がある。この非対称性は、組織運営や人材評価において深刻な問題を引き起こす。
### 展開
この現象の核心には、「メタ認知」の欠如がある。ある領域での能力が不足している人は、その領域で何が優れているかを判断する基準自体を持っていない。したがって、自分の欠点を認識することができない。これは単なる「思い上がり」ではなく、認知構造上の必然である。
逆に、能力の高い者は自分にとって容易なことは他者にとっても容易だと錯覚しやすい。結果として、自分の優位性を過小評価する。この二重の歪みが、組織内での評価の逆転現象を生む。
**検証可能な問い:** 自己評価と他者評価の乖離は、どのような条件下で最大化するか?
### 反証
ただし、この傾向には文化的な変数が存在する。東アジア圏では、能力の高低にかかわらず自己を控えめに評価する傾向が観察されている。謙遜を美徳とする文化的規範が、認知バイアスを上書きする可能性を示唆している。
また、シニカルな態度——すべてを否定的に捉える傾向——は必ずしも知性の欠如を意味しない。批判的思考と皮肉な態度は表面上類似するが、前者は根拠に基づき、後者は感情に基づく。両者の区別は、建設的な議論において不可欠である。
**検証可能な問い:** 文化的規範は個人の認知バイアスをどこまで修正できるか?
### 再構成
注目すべきは、私たちが「他者を愚かだ」と断じる際にも、同様のバイアスが作用している点である。「根本的帰属誤謬」と呼ばれるこの傾向により、人は他者の行動を状況ではなく性格に帰属させる。遅刻した同僚を「だらしない人間だ」と判断し、電車遅延の可能性を考慮しない。
さらに「ネガティビティ・バイアス」により、私たちは肯定的な情報より否定的な情報に注意を向けやすい。十人の有能な同僚より、一人の問題社員が記憶に残る。こうして「世の中は愚か者ばかりだ」という主観的確信が形成される。
**検証可能な問い:** 意識的な訓練によって根本的帰属誤謬を軽減できるか?
### 示唆
結局のところ、「他者が愚かに見える」という認識は、観察対象の問題であると同時に、観察者自身の認知フィルターの問題でもある。他者の能力を正確に評価するためには、まず自分自身の認知バイアスを認識する必要がある。
これは自己批判の勧めではない。むしろ、判断を保留し、状況を考慮し、第一印象を検証するという実践的な姿勢の重要性を示している。
**検証可能な問い:** 認知バイアスへの自覚は、実際の判断精度向上にどの程度寄与するか?
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### 実務への含意
- **採用・評価場面では、自己申告に過度に依存しない制度設計を行う。** 能力の低い応募者ほど自信に満ちた回答をする傾向があるため、客観的指標との組み合わせが必要である。
- **フィードバックは具体的かつ検証可能な形で提供する。** 抽象的な評価は、受け手の認知バイアスによって歪められやすい。
- **他者への否定的評価を下す前に、状況要因を意識的に検討する習慣をつける。** 「なぜこの人はこうしたのか」と問う前に、「この人がこうせざるを得なかった状況は何か」と問う。
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### 参考文献
- 『ファスト&スロー(上)』ダニエル・カーネマン(早川書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4150504105?tag=digitaro0d-22)
- 『影響力の武器[第三版]』ロバート・B・チャルディーニ(誠信書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4414304229?tag=digitaro0d-22)
- 『「バカ」の研究』ジャン=フランソワ・マルミオン編(亜紀書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4750516503?tag=digitaro0d-22)
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