リーダーシップ
64件の記事
待てば戻る、と誰もが言った
三ツ木精機の第二工場は、その朝も静かだった。
生産管理部の宮下佳奈は、稼働ボードの前で立ち止まる。十二本あるラインのうち、動いているのは四本。残りは白いカバーをかけられ、蛍光灯の光をぼんやりと返している。三か月前まで、ここは夜まで音が絶えなかった。
主力顧客の設備投資が一斉に止まった。理由は一つ...
普通でいいんだよ
郷田真希が白河産業のブランドマネージャーに任じられた日、上司は一枚の折れ線グラフを見せた。台所用洗剤「まいにち」。二十五年間、ほとんど水平な線だった。
「悪くない。でも、話題がない」と上司は言った。「君の代で、何か起こしてほしい」
何かを起こす。郷田はその言葉を待っていた気がした。前の部署では新...
三年目の物差し
紙コップのコーヒーが冷めていくのを、水島は見ていた。
会議室のスクリーンには、外部の助言者がつくった資料が映っている。入社三年以内に「基礎資質スコア」を測り、上位二割を幹部候補として確定させる。残りは実務職として育てる。人材開発課の課長である水島に求められていたのは、その制度の設計だった。
「早...
反対側の椅子
南雲食品工業の第二会議室は、いつも空調が効きすぎている。
郡司美咲は、手元の資料を三度めくり直した。業務用ソースの定期配送サービス。飲食店が発注を忘れても、これまでの使用量から自動で補充する仕組みだ。半年かけて三十軒の店を回り、そこで何度も聞いた「切らして困った」という言葉を、そのまま企画書に変え...
隙のない人
七時十五分。椎名遥は関西支社の鍵を開けた。
久米屋食品の業務用調味料部門で、女性が支社長になるのは初めてだった。着任の日に本社の役員から「前例をつくってください」と言われて、彼女は微笑んで頷いた。前例。つまり、失敗できないということだ。
彼女は自分に規則を課した。誰よりも早く来る。数字は前日のう...
勘定科目にない資産
産業用センサーをつくる東和テクノで、品質保証部の八木誠一が退職願を持ってきたのは、期末の山を越えた火曜の午後だった。
「一身上の都合ということで、お願いします」
八木は白い封筒を机に置くと、それ以上何も言わなかった。課長の沢渡は封筒を裏返したり戻したりしながら、この十年で八木と交わした会話の総量...
本棚のない部屋
三月の第二週、青葉フーズシステムズの会議室には、最終面接に残った十四人分の評価シートが並んでいた。
人事課長の宮下は、その紙の束を前にして、去年と同じ違和感を覚えていた。上位に並ぶ名前が、去年と、そのまた去年と、驚くほど似た顔ぶれに見えるのだ。出身校ではない。話し方だ。彼らは一様に、間の取り方が...
履歴書に書けなかった一行
三雲フーズの新規事業室は、社内で「離れ小島」と呼ばれていた。本社ビルの七階、ワンフロアの隅を間仕切りで区切っただけの、八人の部署である。室長の宮下佳子が二年前にこの部屋を任されたとき、上から与えられた条件はひとつだけだった。
「三年で新しい柱を作れ。人はひとりだけ、好きに採っていい」
宮下が選ん...
反対の席
高梨怜が入社した頃、企画部の会議室には楕円のテーブルがあった。今はもう、ほとんど使われていない。会議はオンラインに移り、議題は事前に共有シートへ書き込む方式になった。誰かが意見を置けば、その下に賛同のスタンプが並ぶ。手のひら、拍手、親指。会議そのものは十五分で終わる。効率という物差しで測るなら、これ...
注意の残量
生産管理課の朝は、電話の音から始まる。
サンワ精機第二工場で出荷伝票を扱う二階堂圭太は、その日も型番を取り違えた。桁が一つ違うだけの品番が縦に並ぶ製品群で、彼が打ち込んだのは一行下の型番だった。出荷は止まり、客先への謝罪は課長代理の保科佐和子が引き受けた。
「今度こそ、気をつけます」
二階堂は...
点のつかない部屋
坂内あかりが社内基盤「ひろば」の担当になったとき、社長から言われたのは一言だった。「部署の壁を薄くしてくれ」
ミナカワ生活研究所は、洗剤や台所用品をつくって六十年になる。工場と開発と営業が、それぞれの言葉で仕事をしていた。同じ製品の話をしていても、三つの別の話に聞こえた。坂内はその三つを一つの部屋...
差引支給額の下に
相原詩織が総務課に配属されて最初に渡されたのは、A4の紙が一枚だけ入ったクリアファイルだった。給与明細の問い合わせ対応マニュアル。手順は三つしか書かれていない。
「楽な担当だよ」課長の柴田は、自席から振り返りもせずに言った。「月に五件来れば多いほうだ。振込額が合っていれば、誰も何も言ってこない」...
余白のある帳面
巴屋工機の第二工場に、佐久間が生産管理システムの導入案を持ち込んだのは、初夏の朝だった。
本社の企画部から現場常駐に回されて三か月。彼には勝算があった。手書きの日報を電子化すれば、月に四十時間の転記作業が消える。不良の兆候を三日早く掴める。数字は嘘をつかない。会議室のスクリーンに折れ線を映しなが...
二本の矢印
宮下真澄がサンライズ電機・城南店の白物家電売り場に立って、四年目の春だった。
その日、洗濯機のコーナーで足を止めた老夫婦は、しばらく最新型の前で顔を見合わせていた。二十万円を超える、乾燥機能付きの一台だった。
「お二人でお住まいですか」
「ええ。娘は遠くにいるもんで」
「洗濯は、週に何回くらいで...
開けなかった扉
明和企画の田上のもとに、その男から最初の電話がかかってきたのは、水曜の夕方だった。
「至急、御社と組みたい案件がある」。声は妙に早口で、会社名を尋ねてもするりと流された。要件を問えば「詳しくは会ってから」の一点張り。三十分のあいだに四度かけ直してきて、最後にはこう言い放った。「今日中に返事がなけれ...
欠けた歯車の音
朝九時、藤沢の内線が鳴った。名乗ったのは、聞いたことのない会社名だった。「三宅様の代理でご連絡しています。本日より当面のあいだ、就業を控えられるとのことです」。声は事務的で、三宅本人の言葉は一度も出てこなかった。診断書は追って郵送する、それだけ告げて電話は切れた。
三宅の席は、藤沢の斜め向かいにあ...
近道の値段
桐谷澪が始めたのは、自宅の台所で石鹸を煮る小さな仕事だった。
半年前まで、月の売上は数万円だった。それが、何気なく投稿した一枚の写真をきっかけに、注文が雪崩を打った。「アトリエ・ミオ」の名は業界の外にまで知られ、売上は数字の桁がひとつ、またひとつと増えていった。
嬉しさより先に来たのは、恐怖だっ...
その音は、誰のために鳴っているのか
楓プロダクツのオフィスは、いつも誰かのプレゼンの声で賑わっていた。
中堅デザイナーの三宅は、自分が見せ場を嫌う人間だとは思っていない。良い案を堂々と語るのは仕事のうちだ。ただ、新製品コンペが近づくにつれ、胸の奥がざらつくのを抑えられずにいた。
ざらつきの源は、若手のエースである倉田だった。倉田の...
余白という名の足場
中堅の物流会社、丸和ロジスティクス。東支店の支店長・笹本は、月曜の朝、ビルの管理会社から一本の電話を受けた。「給排水の基幹設備が破損し、復旧の見込みが立ちません。安全のため、当面の立ち入りを止めてください」。築四十年の支店ビルは、その日のうちに使用不能になった。
四十人の社員と、進行中の三百件の配...
親しき仲の作法
中堅の業務支援会社「リンクワークス」で、葵は十年来の取引先・高木部長の担当を任されていた。創業期から支えてくれた大口顧客で、社内では「高木案件は葵じゃないと回らない」と言われている。
その高木が、ここ数か月おかしかった。打ち合わせの席で、些細な誤字を見つけては三十分説教する。「君らはわかってない」...
全方位の人
金曜の夕方、製造ラインで小さな事故が起きた。出荷を待つ製品が台ごと傾き、検品にあたっていたスタッフが手をかすめて軽い怪我を負った。縫うほどではない。だが誰かが撮った写真がその夜のうちに広まり、週末を待たずに「管理体制はどうなっている」「安全を軽んじている」という声が積み上がっていった。
月曜の朝、...
衣装の意味
橘ミサキは入社四年目、店の売上を一人で引っ張る販売員だった。だから本社からの通達を読んだとき、誰よりも先に顔をしかめたのも彼女だった。
「来月より、勤務中はブランドの新ラインを着用のこと。スニーカー不可」
生活雑貨を扱う「ノクト」の店舗で、ミサキたちはこれまで動きやすい私服に近い装いで働いてきた...
裏要件
速水が最後のケーブルを抜いたとき、時計は午後十一時を回っていた。朝の七時半から、ほとんど飯も食わずに机に張りついていた。取引先の基幹サーバーが復旧不能に陥り、彼が一人で呼び出された案件だった。手順書どおりの復元は何度試しても弾かれ、途中でやり方そのものを切り替えた。ライセンスの壁、ドライバの相性、引...
下っ端になりに来た男
高瀬調理器具製作所の二代目社長・高瀬誠一は、五十二歳にして、自分の会社の組み立てラインに「見習い」として立っていた。
きっかけは、隣町の小さな金属加工会社「フジワラ製作所」だった。高瀬の工場が三日かかる工程を、その町工場はなぜか半日で終える。同じ機械、同じ材料、同じ人数。からくりが知りたくて頭を...
ナチュラルカーブ
北見保夫の机は、フロアのいちばん端にあった。窓際でも上座でもない、ただ通路に近いだけの席だ。五十八歳。地域密着型のドラッグストアチェーン「みどり薬品」で、彼は十二店舗を巡回する店舗指導員を務めていた。役職はない。かつてはあった。
入社二十年目の頃、北見は二度、昇進試験に落ちた。一度目は準備不足だ...
誇りの置き場所
田之上誠一郎が中部輸送の社長室で煙草をやめて以来、代わりに手の中に収まるようになったのは、いつも冷めたコーヒーだった。今夜も気づけば底が空になっていた。
机上には地方配送路線の赤字一覧が広がっている。五十年の歴史を持つ中部輸送のトラック網は、かつてこの地域の物流の誇りだった。二代目として会社を受け...
不完全な指揮台で
田村剛は、大阪オフィスの椅子に座った瞬間、違和感を覚えた。
ここは、彼が三年前まで毎日通っていた場所だ。IT系ベンチャーで開発チームのリーダーを務める田村は、東京本社に移ってから、自分の作業環境を徹底的に作り込んできた。三十二インチのモニターを二枚並べ、キーボードの打鍵感を試行錯誤で選び抜き、照明...
ブレーキの地図
桐島慎一は、社内で「止め男」と陰口を叩かれていた。
中堅のシステム開発会社で品質管理マネージャーを務める彼は四十三歳。会議のたびにリスクシートを配り、新機能のリリース判定では必ず最後まで賛成の手を挙げなかった。その場にいるだけで議論の体感温度が二度は下がる。同僚からは「また桐島が止める」と嫌がら...
引き継がれないもの
村岡賢一がコスト最適化に舵を切ったのは、三年前のことだった。
当時の判断には根拠があった。業界全体が収益性の低下に苦しむ中、固定費を削らなければ生き残れないという危機感があった。専門業務は次々と外部委託に移し、「社内は調整と判断だけ行えばいい」という方針を打ち出した。採用も絞り、既存社員には広範な...
外の足場
中堅の精密機器メーカー「アルファ計測」の品質保証本部長、加村剛は社内で「鬼の加村」と呼ばれていた。月次の不良率報告会では、数字を出せなかった工場長を二時間近く立たせて詰める。論理の穴を突き、口ごもりを許さず、最後は深く頭を下げさせる。それが二十年来の彼のやり方だった。
入社六年目、品証企画課の藤村...
窓際の灯
中堅機械商社の情報システム室は、フロアの一番奥にあった。山岸かおるは三十五歳、入社十年目で、長らく社内の発注画面の細かな改善を一人で担ってきた。「ここに一行コメント欄があると現場が助かる」「この検索は曖昧マッチでないと使われない」――そういう声を拾っては、夜中にこっそり手を入れる。利用者からの礼が、...
既知という名の壁
月曜の朝、営業部の田原は淹れたばかりのコーヒーを口に運びながら、入社三年目の木下の話を聞いていた。
「先方の購買部長、最初は鉄壁だったんです。でも雑談で奥さんが釣り好きだって話題になって、それから空気がふっと変わって——」
「ああ、それは典型だな。雑談で懐に入る、新人研修でも教えてるやつだ」
田...
帆柱の営業課長
田所は、提案資料を閉じる手を止めた。スマホには、半年前まで担当していた旧クライアントの社長、岡部からの誘いが届いている。
「来月、福岡で役員会がある。終わりに私の親しい役員も交えて夕食を、と思っているんだ。費用は気にせず来てくれ、というわけにはいかんが、来てもらえるなら、おそらく次の案件は田所さんに...
ひとつの数字
辻真理子は、部長としての最後の稟議書に判を押した。次の四月に取締役就任が内定しており、今日はその内示のあとだった。窓の外は新橋の灰色の空。机上には娘のフォトフレームと、もう一通、彼女個人宛の茶封筒。差出人は週刊誌だった。
「貴社経営企画本部長・辻真理子氏のご実弟、飲食業で倒産寸前。ご本人はこの件に...
約束の重さ
「三島電機」は創業七十年の中堅家電メーカーだ。主力は業務用の厨房機器で、全国のホテルや飲食店に製品を卸してきた。
二年前の四月、社長に就任した三島健司(五十八歳)は、若手社員を本社の大会議室に集めてこう宣言した。
「旧来の事業で積み上げてきた重荷は、私たちの世代で清算する。君たちの世代に、過去の...
名前のない設計図
総務部の片山朋子は、自分のことを「要領が悪い人間」だと思っていた。
たとえば、全社イベントの準備を任されたとき、彼女はまずノートを開く。会場の下見、備品の手配、関係部署への連絡、当日の動線、トラブル時の代替案――すべてを付箋に書き出し、時系列で並べ、依存関係を矢印でつなぐ。同僚たちが「片山さん、ま...
反論のない会議室
三枝誠一は、社内で導入された新しいAIアシスタントの評価レポートを読みながら、ため息をついていた。
満足度98%。
部長の椅子に座って三年になるが、これほど気持ちの悪い数字を見たのは初めてだった。
株式会社クロスフィールドは、業務効率化のために全社にAIアシスタントを導入した。企画書の壁...
模範の代償
伊東製作所のシステム開発部には、「天才」と呼ばれる男がいた。
桐生隆志。三十八歳。入社十五年目にして、社内の基幹システムを事実上一人で設計し直した伝説の持ち主だ。朝は誰よりも早く来て、夜は誰よりも遅く帰る。だが桐生の顔にはいつも笑みがあった。コードを書くことが好きで、難問を解くことに喜びを感じ、...
硝子の声
片瀬陽菜は、老舗化粧品メーカー「花匠堂」の広報担当として、社内でも特異な存在だった。
他の広報が練りに練ったプレスリリースを出すなか、陽菜は自社のSNSアカウントで、まるで友人に話しかけるような投稿をした。新商品の紹介に「私も今朝つけてみたけど、正直ちょっとベタつく(笑)改良版に期待!」と書いた...
正しい刃の行方
品質管理コンサルティング会社「アクシス・パートナーズ」の会議室に、重苦しい沈黙が垂れ込めた。
「結局、和泉さんのやり方では成果が出ないということです」
そう切り出したのは、入社五年目の柴田真帆だった。向かいに座る和泉孝介は、ゆっくりとペンを置いた。
アクシスは従業員五十名ほどの小さな会社...
意味の行き先
川村誠一が管理職になって十五年になる。
株式会社ミナトは社員二百名ほどの部品メーカーで、川村は営業管理部の部長を務めている。部下は十二名。数字の管理、案件の進捗確認、人事面談、経営会議への出席。やるべきことは常に明確で、川村はそのどれもを大過なくこなしてきた。
部下の退職を、何度か経験した。
...
見えない柱
真野恵子が辞めると聞いたとき、営業企画部の誰もが驚いた。
株式会社ハルカゼは社員四十名ほどの中堅メーカーで、恵子は入社六年目の中堅社員だった。特別目立つタイプではない。派手なプレゼンをするわけでも、大口の案件を取ってくるわけでもない。だが、部の仕事が滞りなく回っていたのは、間違いなく彼女のおかげ...
フチの裏側
経理部の主任・河野誠一は、自分の仕事ぶりに一定の自信を持っていた。
毎月の月次決算は期日の二日前には仕上げる。取引先への支払い処理は一度もミスをしたことがない。後輩の面倒も見ている。四十八歳、経理一筋二十五年。自分は「ちゃんとやっている側」の人間だと思っていた。
だからこそ、部長の白石から言われ...
燃料を断つ
営業三課の課長、柴田真紀は、四月の異動で着任した新部長・黒瀬の「手腕」をすぐに見抜いた。
黒瀬はまず、チーム全員に向けて圧倒的な歓迎を見せた。「このメンバーなら必ず結果が出る」「俺はここに来るべくして来た」。一人ひとりの名前を覚え、過去の実績を引用して褒め、ランチに誘い、相談に乗った。着任一週間...
聞くだけの男
深谷誠は、部下の話を聞くのが好きだった。
正確に言えば、好き嫌いの問題ではなく、そうなってしまうのだ。新入社員の不安も、中堅社員の愚痴も、取引先の世間話も、深谷の前に座ると人はなぜか饒舌になる。営業部の三課で課長を務めて六年になるが、成績はいつも中の上。飛び抜けた数字を叩き出すわけでもない。ただ、...
止まれない男と、立ち止まった男
営業部の朝礼が終わると、課長の片桐は自席でため息をついた。
今期、部内のSNS施策を任された若手の宮本が、また問題を起こしていた。自社のビジネスアカウントに、競合他社を名指しで揶揄する投稿を上げたのだ。
「片桐さん、見ましたか。リツイートが三千超えてますよ」
宮本は端末の画面を見せながら笑って...
拍手の設計者
瀬川拓人が「クラップ」を立ち上げたのは、二十八歳のときだった。
社内コミュニケーションツールに搭載した「拍手ボタン」は、同僚の仕事にワンタップで称賛を送れるシンプルな機能だった。メールで礼を言うほど大げさでもなく、何もしないほど冷たくもない。ちょうどいい距離感の承認——それが瀬川の着想だった。
...
一ミリの隙間
新製品の企画書を前にして、園田美咲は三度目のため息をついた。
マーケティング部の主任に昇進して半年。任されたのは、老舗食品メーカー「丸星フーズ」の新ブランド立ち上げという大仕事だった。美咲はこの仕事に全身全霊を注いでいた。企画書の文言を何十回も書き直し、プレゼン資料のフォントサイズを一ポイント単位...
伝え方の温度
製造業の中堅メーカー・丸栄精機の品質管理課に着任した新任課長の桐生和也は、着任早々、部下たちの仕事ぶりに頭を抱えていた。
前任の課長が「のびのびやらせる」方針だったこともあり、報告書の書式がバラバラ、検査手順の省略も散見される。桐生は前職で徹底した品質管理を実践してきた自負がある。このままでは取...
マニュアルの外側
総務部の吉岡真帆は、入社三年目にして社内規程の見直しプロジェクトのリーダーに抜擢された。三十二歳の彼女にとって、それは嬉しくもあり、重い任務でもあった。
きっかけは、社員アンケートだった。「社内ルールが多すぎて息苦しい」という声が、回答の四割を占めていた。服装規程、備品の使用ルール、会議室の予約手...
エースの死角
営業部のエース、鳴海拓也は今期も全社トップの成績を叩き出していた。入社七年目、三十一歳。明るい笑顔、論理的な話術、そして誰もが認める行動力。クライアントからの評判も抜群で、「鳴海さんに担当してもらえてよかった」という声が社内に届くことも珍しくなかった。
だからこそ、鳴海には不満があった。
月曜の...
隣の席の距離
営業一課と営業二課の統合が決まったのは、六月の末だった。
業績の伸び悩みを背景に、会社は組織のスリム化を進めていた。統合後の新チームを率いることになったのは、営業一課の課長・片桐雅彦、四十二歳。部下は十二人になる。
片桐は統合初日、全員をひとつの島に集めた。デスクを寄せ、ホワイトボードを共有し、...
会議室の王様
「また部長が暴走してますよ」
営業企画課の田村真紀は、隣の席の後輩・安藤に小声でささやいた。会議室のガラス越しに、腕を振り回しながら熱弁をふるう柳沢部長の姿が見える。
柳沢部長は、三年前に外部からヘッドハンティングされてきた人物だった。前職では中堅メーカーの営業本部長を務めていたという触れ込みで...
自分だけの物差し
営業部の月次会議が終わると、会議室には重い沈黙が残った。売上ランキングがスクリーンに映し出され、上位三名には拍手が送られる。一方で、下位に名前が並んだ者たちは、足早に席を立っていく。
入社三年目の川島翔太は、自分の名前が下から四番目に表示されているのを見て、小さくため息をついた。
「また、あの位...
見えない天秤
「前例がないんですよ」
人事部長の声が、会議室に重く響いた。
総合商社・三栄物産の経営企画室で、主任の園田真由美は思わず拳を握りしめた。隣に座る同期の木村健太が、気まずそうに視線を逸らす。
議題は、次期プロジェクトリーダーの選出だった。
真由美と健太は同期入社。十年間、同じ部署で働いてきた。...
椅子のない部屋
川島誠一は、入社二十三年目の春に、自分の席がなくなっていることに気づいた。
出張から戻った月曜の朝、いつものフロアに上がると、見慣れたパーティションの配置が変わっていた。彼のデスクがあった場所には、フリーアドレス用の共有テーブルが置かれている。
「川島さん、三階の会議室Bに荷物まとめてあります」...
谷底の営業部長
営業第三部の部長・宮本隆司は、自席のパソコン画面を見つめたまま動けなくなっていた。
午前中に人事部長から告げられた内容が、まだ頭の中で反響している。「来期の組織改編で、営業第三部は統合対象です。宮本さんには関連会社への出向を打診したい」
五十二歳。入社三十年。気づけば、会社に必要とされない人間に...
顔の向こう側
中堅IT企業ネクサスの人事部長・津田康彦は、最終面接に残った四人の候補者の履歴書を眺めながら、胃の辺りが重くなるのを感じていた。
新規プロジェクトのリーダー候補として、経営陣からは「将来の幹部になれる人材を」と厳命されている。しかし四人とも甲乙つけがたい経歴の持ち主だった。
「津田さん、ちょっと...
見えない重荷
神崎運輸の中堅ドライバー、村瀬誠一は今年で運転歴十五年になる。四トン車から始め、今では大型の十トン車を任されている。無事故無違反。それが村瀬の誇りだった。
「村瀬さん、今日の配送、三十分前倒しでお願いできますか」
配車担当の若い社員が申し訳なさそうに言った。荷主からの急な依頼だという。村瀬は黙っ...
情報室の灯り
総合商社「丸和物産」の情報管理室は、本社ビル十八階の奥まった場所にあった。窓のない部屋に、青白いモニターの光だけが浮かんでいる。
室長の戸塚誠一郎は、この部屋で二十年を過ごしてきた。各国の政治経済動向、競合他社の動き、取引先の信用情報――あらゆるデータがこの部屋に集まり、戸塚の手で分析され、経営陣...
平台のない店
高野真澄は、創業四十年の老舗スーパー「丸高」の三代目として、二年前に社長に就任した。父から引き継いだ店舗は堅実な経営を続けていたが、近隣に大型ショッピングモールが開業して以来、客足は確実に減っていた。
月曜の朝礼で、真澄は営業部長の大島に問いかけた。
「先月のデータ、見ましたか。来店客数が前年...
「今日、何を聞いた?」
営業企画部の課長・高梨誠一は、部下たちの顔を見渡しながら額に手を当てた。
「なぜ誰も質問しないんだ」
新製品のマーケティング会議が終わった直後のことだった。本部長からの説明を聞いている間、高梨は何度か振り返った。だが、八人の部下は全員、無表情でメモを取っているだけだった。
「高梨くん、君のとこ...
ぬるま湯の中で
人事部の大森課長は、退職届を見つめていた。今月で三人目だ。
「また若手ですか」
隣の席の吉田が溜息をついた。
「ああ。入社二年目の藤本くん。一度も怒ったことないのに」
大森は頭を抱えた。三年前、会社は大きく変わった。パワハラ問題をきっかけに、管理職研修が刷新され、「心理的安全性」という言葉が...
指示待ちの壁
営業三課の課長、村瀬隆一は会議室の壁時計を見上げた。午後三時。今日も部下の佐野が報告に来ない。
「佐野、例の提案書の進捗はどうなってる」
声をかけると、佐野はびくりと肩を震わせた。入社四年目、真面目だが、いつも村瀬の指示を待っている。
「あ、はい。課長からの指示待ちでした」
「指示? 先週の...