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三つ目の「なぜ」
業務用厨房機器メーカー、ミナカタ製作所の営業企画課で、岸本遥は資料の最終ページを睨んでいた。
主力の食器洗浄機「クリーンエース」の売上が、三期連続で落ちている。来週の部長会で、その原因と打ち手を報告するのが遥の役目だった。入社六年目、初めて任された大きな報告だ。ここで認められれば、新製品の企画チー...
平均値の棚卸し
「提携は成功している。それを一枚で見せてくれ」
経営企画部長の久保は、そう言って倉田沙織の机に分厚いファイルを置いた。中堅部品メーカー・三輪精機は、この十二年で十四社と業務提携を結んできた。来月の経営会議では、次の大型提携の承認がかかっている。久保の欲しいものは明快だった。「提携は効く」という一枚...
宛先違い
森下沙耶の名刺入れには、いつも「特別」が入っていた。
中堅の業務システム会社、ハルカゼ・システムズの営業三課。彼女の担当顧客は十二社あり、そのすべてが「森下さんは、うちを一番に考えてくれている」と信じていた。
「御社だけに先にお見せします」「この条件は、社内でもかなり無理を通しました」。言葉の...
四色の付箋
創業七十年の文具メーカー・白峰紙工の商品企画部で、宮下蓮は三度目の企画書を書き直していた。
提案したいのは、手帳を自由に飾るための「色付箋とシールのセット」だった。若い世代のあいだで、手帳を色とりどりに装飾する文化が静かに広がっている。蓮はそれを誰よりもよく知っていた。なぜなら彼自身、匿名のアカウ...
三枚目の企画書
午後十一時の商品企画部には、真柴葵のデスクだけが灯っていた。
モニターには企画書が三つ並んでいる。来月の社内コンペに出す冷凍総菜の新シリーズ案だ。規定では一人一案でいい。けれど葵は三案すべてを仕上げるつもりでいた。半年前のコンペで、彼女の案は最終選考の手前で落ちた。あのときの部長の短い沈黙が、まだ...
大きな池の、小さな机
真壁遥が本社の先端開発室に呼ばれたのは、入社五年目の春だった。
地方工場の設計課では、彼女は「困ったら真壁さん」と言われる存在だった。治具の不具合も、ラインの小さな改善も、誰より早く答えを出した。だから辞令を見たとき、胸が高鳴った。ようやく本当の勝負ができる、と。
先端開発室は、噂どおりの場所だ...
片付いた棚
コンプライアンス室長の槙原は、改革三年目の年次報告書の最終ページを開いていた。「重大案件:0件」。その一行を書くために、彼女は三年を費やしてきた。旧経営陣の退任、相談窓口の刷新、全管理職への研修。社内報には「風通しのよい会社へ」という見出しが何度も躍った。あとは役員会で承認を得るだけだった。
そ...
踊り場の三分
晴和精機の品質保証部が入る三階は、その春、二十年ぶりに壁を失った。役員が視察先で見てきた「風通しのいい職場」を再現したのだという。仕切り板は撤去され、固定席もなくなり、六十人がひとつの島でつながった。
加瀬理都は、その二週目にはもう限界を感じていた。
検査記録の照合は、数字を一桁ずつ目で追う仕事...
水曜日の空白
第一水曜日の午後二時。営業企画部の早瀬は、分厚い資料の束を抱えて第三会議室へ向かっていた。月例の部内会議は二時間。各課の数字を順番に読み上げ、質問はほとんど出ない。終わるころには夕方で、顧客に出す提案書は今夜も手つかずのまま持ち帰ることになる。
早瀬には、温めている企画があった。取引先の小さな工務...
十二階の窓
三ツ輪工機の本社十二階、会議室「桐」の窓は、建てられた日から同じ角度までしか開かない。鹿野俊介は、その細い隙間から入る風を背中に受けて、社長の板東と向かい合っていた。
「鹿野くん。うちの売り場は、この三十年で何が変わった」
「……厨房機器そのものは、ずいぶん良くなりました。洗浄機の水量は半分以下...
いつもの紙
総務課の木崎が、コピー用紙の束を桐谷の机にそっと置いた。
「桐谷さん、これ、違うのよ」
ラベルには「A4 500枚×5冊」とある。注文書どおりの品だ。桐谷は画面の発注履歴を確かめてから、首をかしげた。
「品番、資料のとおりですよね」
「品番はね。でもメーカーが違う」
中堅の産業機器メーカー、東...
我慢料の明細書
真壁遥の机の引き出しには、封を切っていない封筒が一通入っていた。差出人は潮見醸造。社員四十人ほどの、海沿いの町の醤油蔵だ。
日邦フーズの経営企画部に配属されて六年。遥の仕事は、全国の事業部から集まる数字を束ね、役員会向けの資料に整えることだった。資料はいつも「よくまとまっている」と褒められた。けれ...
削った分は、どこへ行ったか
相和建材の西日本支社長として単身赴任した黒沢肇は、着任した週の金曜、支社の損益計算書を三度読み返した。
売上は本社の三分の一。営業利益率はその半分。毎月の役員会で映し出される支社別の棒グラフの中で、西日本だけが低く沈んでいる。四十九歳。管理本部で十年、数字を締める仕事をしてきた黒沢にとって、その低...
名前のない矢
新ブランド「ひとひら」の発表会まで、あと七十日だった。
岬ハウスウェアは社員二百人ほどの生活用品メーカーだ。原材料の高騰と急な需要の冷え込みが重なり、この一年で工場のラインを二つ止めた。そんな時期に、会社は創業以来もっとも大きな新ブランドを立ち上げようとしている。
その顔になったのが、入社六年目...
音を聞く男
四月の第二週、北條計測の人事部主任・宮下亜季は、A4で七枚の企画書を役員会に出した。「次世代選抜プログラム」。全社の総合評価スコア上位三十名を選び、二年かけて幹部候補に育てる。前年度の離職率が過去最悪を記録した会社にとって、久しぶりの前向きな話だった。
企画は通った。宮下は、はじめて自分の名前で仕...
一時間の共通語
制作会社オリーブ・クラフトの二課を遠山が引き継いだ日、フロアの灯りは夜十時を過ぎても消えなかった。案件は回っている。納品も落ちていない。ただ、全員が少しずつ疲れていた。
「今日から、作業は六時で切ります」
朝礼でそう言うと、ベテランの浜田が手を止めた。二十年この仕事をしてきた男だ。
「言うのは...
答えを持たない課長
河内塔子が技術営業二課の課長に就いた朝、机の上には何もなかった。花もカードも、おめでとうの一言も。かわりに、前任者が残した引き継ぎファイルが十七冊、背表紙を揃えて積まれていた。
八人のメンバーは全員が年上の男だった。いちばん若い者でも塔子より四つ上で、最年長の宮下は、彼女が入社した年にはもう主任だ...
社外の椅子
湊川テクノの資材調達部で、立花孝一は「話が早い男」で通っていた。四十八歳、入社二十六年。設計が無理を言えば協力工場に頭を下げ、経理が渋れば会議の前に廊下で片をつける。社内の誰と誰がどんな貸し借りを抱えているかを、彼は地図のように把握していた。
その地図が急に色を失ったのは、主力の計測機器事業を縮...
十秒の壁
三ツ木テクノサービスの二階、営業技術部のフロアには、島ごとに紙の城壁が建っていた。
保科遥はデスクの間を歩きながら、その高さを目で測った。去年より確実に伸びている。一年前、全社を挙げて「ペーパーレス推進」を掲げたはずだった。掲げて、三か月で崩れた。
「保科さん、また例の話ですか」
声をかけてき...
階段の段数
会議室の椅子は、二十脚のうち十六脚が空いていた。
北星テクノの主任研究員・鏑木遼は、スクリーンに映した周波数特性のグラフを見つめたまま、数秒だけ黙った。三か月前、新型振動センサー「MR-7」の社内勉強会を始めたときは、立ち見が出るほどだった。四回目の今日、来ているのは営業部の若手が三人と、サポート...