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ショートストーリー
履歴書に書けなかった一行
三雲フーズの新規事業室は、社内で「離れ小島」と呼ばれていた。本社ビルの七階、ワンフロアの隅を間仕切りで区切っただけの、八人の部署である。室長の宮下佳子が二年前にこの部屋を任されたとき、上から与えられた条件はひとつだけだった。
「三年で新しい柱を作れ。人はひとりだけ、好きに採っていい」
宮下が選んだのは速水だった。三十六歳。海外の大学院を出て、外資系のコンサルティング会社に七年。前職では食品メーカーの立て直しを主導し、業界誌に名前が載ったこともある。面接で彼が語った市場の読みは、宮下が二年かけて漠然と感じていたことを、十五分で言葉にしてみせた。
採用が決まったとき、同期の営業部長は「よくそんな人が来たな」と笑った。宮下自身も、少し誇らしかった。うちみたいな中堅企業に、この経歴。私には見る目がある。
最初の三か月は、実際うまくいった。速水の作った事業計画は精緻で、役員会でも通りが良かった。数字の根拠が明快で、どこを突かれても即座に答えが返ってくる。宮下は会議のたびに、自分の判断が正しかったことを確認するような気持ちになった。
ほころびは、数字の外側に出た。
工場の試作ラインを押さえる件で、速水は製造部の課長に「この工程、二日で組めますよね」と言った。課長は黙って頷き、そのあと三週間、宮下の携帯に電話をかけてこなくなった。若手の菅野が資料を出すと、速水は五分で赤を入れて返してきた。赤は的確だった。的確すぎて、菅野は自分が何を考えてその資料を作ったのかを説明する機会を、一度も持てなかった。
「速水さんに悪気はないんです」
宮下は何度もそう言った。製造部にも、菅野にも、自分自身にも。「あの人はレベルが違うから、こっちが合わせないと」
そう言うたび、少しだけ楽になった。うまくいっていないのは相性の問題ではなく、能力差の問題なのだと思えたからだ。
秋の終わりに、菅野が辞表を持ってきた。
「僕が力不足なのは、わかってます」と菅野は言った。「でも、この半年、一度も『どう思う?』って訊かれませんでした」
宮下は反射的に、速水を弁護する言葉を探した。忙しかった、悪気はない、実際あの人の判断のほうが速い。口を開きかけて、止まった。菅野が言っているのは、能力の話ではなかった。
その夜、宮下は自分が二年前に書いた採用要件のメモを開いた。項目は五つ。市場分析力。事業構想力。数字への強さ。語学。実績。
——全部、ひとりでできることだ。
翌週、宮下は速水を会議室に呼んだ。何を言うか決めていなかった。ただ、菅野の辞表を机に置いた。
速水はしばらくそれを見て、それから言った。
「彼が抜けても、計画にとって致命的ではないと思いますが」
「私も最初はそう思った」と宮下は言った。「でも、菅野が辞めたら、製造部の課長も、たぶんもう誰も、この部屋に情報を持ってこなくなる。あなたが計画を組み立てるための材料は、全部あの人たちが持ってるのよ」
速水は答えなかった。反論を組み立てているのだろう、と宮下は思った。三十秒ほどの沈黙のあと、彼が口にしたのは、違う言葉だった。
「僕は、そこを見たことがありませんでした」
年が明けて、速水は会議で最初に喋らなくなった。菅野は残った。辞表は宮下の引き出しに入ったままだ。工程の相談は相変わらず難航し、計画は半年遅れた。役員会での通りは、前より悪い。
ただ、製造部の課長は、頼んでもいない試作サンプルを、月に一度、この離れ小島に届けてくるようになった。
宮下は採用要件のメモを書き直した。五つの項目はそのまま残し、六つ目にこう書き足した。
「この人と働いた人が、次も一緒に働きたいと思うか」
書きながら、宮下は思った。速水の履歴書に、嘘は一行もなかった。ただ私は、そこに書けることだけを読んでいたのだ。
論考
スペックは、関係の質を予測しない
優れた個人を集めれば優れた協働が生まれる。この前提は、採用の場でも人事異動の場でも、ほとんど疑われることがない。しかし選抜に使われる基準の大半は、「ひとりでできること」を測っている。学歴、資格、分析力、過去の実績。いずれも単独作業の成果として観測できるから、測りやすい。そして測りやすさが基準を決め、基準が組み合わせを決めていく。——あなたの組織の評価項目のうち、他者との相互作用の中でしか観測できない項目はいくつあるか。
ここで二重の誤りが生じる。第一に、測っていない性質は改善されない。協働の質は評価表に載らないので、誰も自分の課題として認識しない。第二に、より厄介なことに、高いスペックそのものが相互性を損なう副作用を持つ。成功の履歴が積み上がった人ほど、「自分の判断が最も速く正確である」という経験則を内面化する。多くの場合、それは事実だ。事実であるがゆえに、他者に判断を委ねる時間が無駄に見えてくる。結果として周囲からの情報が止まり、判断の精度そのものが静かに落ちていく。万能感は、能力の証明ではなく、情報が届かなくなった状態の別名であることが多い。——直近の意思決定で、「訊かなくてもわかる」と判断して省いた確認は何件あったか。
とはいえ、相性や人柄を重視した選抜が常に良い結果を生むわけではない。「一緒に働きやすい人」を選び続けた組織は同質化し、異論が消える。摩擦のない集団は、快適なまま外部環境の変化に気づかない。能力より人間関係を優先した登用は、しばしば温情主義に堕して基準そのものを失う。突出した個人が周囲を掻き乱しながら成果を出す局面は、確かに存在する。——過去三年で採用または登用した人のうち、既存メンバーの前提を覆す発言をした人は何人いるか。
したがって問題は「スペックか人柄か」ではない。測定単位の取り方である。個人の性能を単体で測るのか、その人が加わったあとのチーム全体の出力で測るのか。前者は選抜の前に測れるが、未来を予測しない。後者は予測力が高いが、入れてみるまで測れない。実務的な妥協点は、過去の協働の痕跡を読むことだ。誰がその人を推薦しているか。前職の同僚は、もう一度一緒に働きたがるか。本人が語る成功譚に、自分以外の固有名詞が何回出てくるか。これらは経歴書の外側にあるが、確認は可能である。——候補者の語る実績のうち、他者の関与が明示されている割合を数えたことがあるか。
そして、組み合わせの失敗は失敗として認識されにくい。選んだ本人が、自分の判断を守るために事態を弁護し続けるからだ。「あの人はレベルが違うから、こちらが合わせる」という説明は、周囲の疲弊を能力差の問題にすり替える便利な装置になる。だからこそ、選抜の精度を上げる努力より、撤回のコストを下げておく設計のほうが効く場合がある。試用期間の実質化、役割の再定義、評価軸の公開。誤りを認めても損をしない仕組みが、誤りの発見を早める。——あなたの組織で、採用や登用の判断を「間違っていた」と表明した人は、その後どう扱われたか。
### 実務への含意
- 評価項目に「単独では観測できない項目」を最低ひとつ入れる。たとえば「この人と働いた人の再共働意向」を、前職の推薦者や社内の関係部署から取る。
- 高実績者の入社後三か月は、成果ではなく情報の流れを観測する。周辺部署からの相談件数が減っていれば、成果が出ていても警報として扱う。
- 選抜の判断を撤回する手順を、選抜の前に決めておく。撤回が個人の失点にならない設計にしないと、誤った組み合わせは温存され続ける。
### 参考文献
- 『採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの』伊賀泰代(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478023417?tag=digitaro0d-22)
- 『実力も運のうち 能力主義は正義か?』マイケル・サンデル、鬼澤忍訳(早川書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4150506027?tag=digitaro0d-22)
- 『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』アダム・グラント、楠木建監訳(三笠書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4837957463?tag=digitaro0d-22)
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