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ショートストーリー

縦書き

反対側の椅子

南雲食品工業の第二会議室は、いつも空調が効きすぎている。 郡司美咲は、手元の資料を三度めくり直した。業務用ソースの定期配送サービス。飲食店が発注を忘れても、これまでの使用量から自動で補充する仕組みだ。半年かけて三十軒の店を回り、そこで何度も聞いた「切らして困った」という言葉を、そのまま企画書に変えたつもりだった。 「無理ですね」 生産管理部の堀田課長は、資料の一ページ目から目を上げずに言った。 「現場を知らない人が考える話だ」 耳の裏が熱くなった。三十軒回りました、と言いかけて、美咲は飲み込んだ。飲み込んだ言葉の分だけ、口の中が苦くなった。 会議のあと、営業企画課長の仁科が缶コーヒーを二本持って給湯室に来た。 「堀田さんの頭の中にはな、たぶんきれいな三角形があるんだよ」 「三角形、ですか」 「てっぺんに結論がある。その下に理由が三つくらい並んでる。君の頭にも同じ形のがある。ぶつかってるのは三角形どうしであって、人どうしじゃない」 仁科は缶を開けた。 「で、君は堀田さんの三角形、描けるか」 描けなかった。てっぺんに「無理」と書いた三角形しか、美咲には浮かばなかった。 翌週から、美咲は工場に通った。用事を作っては通い、用事がなくなってからも通った。 見えてきたのは、想像していたのとは違う景色だった。ソースの製造ラインは一本しかなく、味を変えるたびに洗浄で二時間が消える。だから生産は週単位でまとめて組まれている。自動補充で日々の注文が細かく散れば、その計画は端から崩れる。 そして、去年のことを知った。別の商品で似た自動補充を試し、需要予測が外れて在庫が積み上がり、賞味期限を迎えた分を廃棄した。廃棄の伝票にサインしたのは堀田だった。 「営業はさ」 工場の休憩室で、堀田がぽつりと言った。作業着の袖にソースの色が薄く染みていた。 「いつも『お客様が困ってる』って言うんだ。それは嘘じゃない。俺だってわかってる。でもこっちは、『捨てました』って言葉を、お客さんにも会社にも言えないんだよ」 困っているのは本当です、と反射的に言いかけた。今度は飲み込むのではなく、言い方を変えた。 「堀田さんの話、私はこう受け取ったんですけど、違いますかね。困らせないことより、裏切らないことのほうが先だ、と」 堀田は顔を上げた。少し長く、美咲を見た。 「……まあ、そういうことだ」 三週間後、同じ第二会議室。美咲は企画書を配らなかった。ホワイトボードに一行だけ書いた。 「お客様に、切らせない」 「この件の目的って、これでいいですよね」 堀田はうなずいた。「そこは異論ない」 「じゃあ、私たちが割れてるのは、目的じゃないですよね。補充の判断を誰が持つか、そこですよね」 堀田の指が、机を一度叩いた。 「持つのが営業なら、俺は反対だ。数字を作りたい人間が補充量を決めたら、必ず膨らむ」 「わかります。だから今日は、判断を工場に置く案を持ってきました」 美咲は一枚だけ紙を出した。対象は三店舗。補充量の上限は工場が決め、営業は店の使用実績を毎週渡すだけ。廃棄が出たら、その分は営業の予算から引く。 堀田はしばらく黙って紙を見ていた。それから、初めて資料を手に取った。 「……三店舗じゃ、予測の精度は出ないぞ」 「はい。半年で九店舗まで増やしたいです。そこを改善するには、どうしたらいいですか」 堀田はペンを取り、紙の余白に何かを書き始めた。 決まったのはごく小さなことだった。三店舗、半年、上限つき。企画書の最初の版とは、規模も体裁もまるで違うものになっていた。 会議室を出るとき、空調は相変わらず効きすぎていた。ただ美咲は、自分の椅子ではなく、向かいの椅子の座り心地を、少しだけ知っていた。

論考

縦書き

意見を通さない人が、なぜ合意を取れるのか

### 序 会議で頭ごなしに反論されると、人は身構える。準備に時間をかけた提案ほど、否定は人格への攻撃に感じられる。だが反論とは、相手が自分の判断基準を無償で開示した瞬間でもある。腹が立つという反応は正しいが、そこで止まると情報を捨てることになる。あなたは直近に反論された場面で、相手が何を守ろうとしていたかを一文で書けるだろうか。 ### 展開 人はみな、結論の下に理由を積んだ三角形を持っている。てっぺんが主張、下段が根拠、さらに下段が経験や責任範囲だ。対立は結論どうしがぶつかっているように見えるが、実際には下段のどこか一点で分岐している。営業と経理が揉めるのは性格の問題ではなく、月次予算と決算スピードという異なる評価指標を負っているからだ。立場が違えば三角形の形も違う。ゆえに、対立の解像度を上げる作業とは、相手の三角形を描き直す作業に等しい。あなたは反対した相手の評価指標を、具体的な数字で言えるだろうか。 ### 反証 とはいえ「相手に寄り添え」という助言には限界がある。第一に、寄り添いを重視しすぎれば意思決定が遅れる。全員の三角形を丁寧に描いている間に、市場は動く。第二に、寄り添いは譲歩の連鎖に転じやすい。理解と同意は別物だが、現場ではしばしば混同される。第三に、そもそも対話の意思がない相手には手法が届かない。傾聴を万能薬のように語る言説は、この三点を過小評価している。あなたの組織で、合意形成に費やした時間が意思決定を遅らせた例はあるだろうか。 ### 再構成 だから寄り添いは目的ではなく、手順の一部と捉えるべきだ。実務的な順序はこうなる。まず視座を上げ、双方が否定できない共通の目的を確認する。次に各論へ降り、対立点がどの層にあるのかを特定する。目的の層なのか、手段の層なのか、責任の分担の層なのか。ここを取り違えたまま議論すると、手段の対立を目的の対立と誤認し、話が永遠に噛み合わない。ただし視座は上げすぎても機能しない。「顧客のため」「社会のため」まで上がれば全員が賛成するが、何も決まらない。適切な高さとは、双方が実際に責任を負っている最も低い層である。あなたの直近の議論で、対立点は目的・手段・責任のどの層にあっただろうか。 ### 示唆 合意とは、説得の勝利ではなく、分岐点の共同発見である。自分の意見を通すことを一旦手放した人のほうが、結果として通る案を作れるのは、そのためだ。通すべきは意見ではなく、決定である。あなたは次の会議で、自分の主張を出す前に、共通の目的を一行で確認できるだろうか。 ### 実務への含意 - 反論を受けたら、反駁より先に「私はこう受け取ったが、違うか」と要約を返す。要約が外れていれば、そこが分岐点である。 - 議論の冒頭で目的を一行だけ板書し、合意を取る。合意できない場合、争点は手段ではなく目的にある。 - 対立が解けないときは、相手の評価指標を守る設計に案を作り替える。譲歩ではなく、リスクの引き受け先を変える。 ### 参考文献 - 『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』宇田川元一(NewsPicksパブリッシング)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4910063013?tag=digitaro0d-22) - 『ハーバード流交渉術』ロジャー・フィッシャー、ウィリアム・ユーリー(三笠書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4837903606?tag=digitaro0d-22) - 『心理的安全性のつくりかた』石井遼介(日本能率協会マネジメントセンター)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4820728245?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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