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ショートストーリー
三年目の物差し
紙コップのコーヒーが冷めていくのを、水島は見ていた。
会議室のスクリーンには、外部の助言者がつくった資料が映っている。入社三年以内に「基礎資質スコア」を測り、上位二割を幹部候補として確定させる。残りは実務職として育てる。人材開発課の課長である水島に求められていたのは、その制度の設計だった。
「早く見極めるほど、投資効率が上がります」
助言者の声は穏やかで、反論しにくかった。粘り強さも、人と協働する力も、若いうちに固まる。だから早く測って、早く配れ。理屈は通っている。会議室の全員がうなずいていた。
水島だけが、手元の名簿をめくっていた。そこには、三年目の評価が下から数えたほうが早かった社員の名前がいくつも並んでいる。田淵。いまは西日本の主力ラインを一人で回している。会議で発言ひとつしなかった男が、三十代の半ばで別人のようになった。
「測ること自体は、反対しません」水島は言った。「ただ、測ったあとに何をするかが、この資料には書いてありません」
制度は結局、走り出した。水島は反対をやめる代わりに、条件をひとつ通した。選抜結果を本人に伝える前に、各部署の上長と面談を挟む。三十人分、ひと月かけて回った。
回ってみて、見えたことがあった。
第二製造部の課長は、部下の判断をほとんど許さなかった。手順から報告の言葉遣いまで細かく決め、その通りにやらせる。部下たちは素直だった。ただ、他部署とのやりとりになると、驚くほど高圧的になった。自分がされている扱いを、そのまま外に配っていた。
品質保証部の課長は逆だった。部下の言い分をすべて受け入れ、無理な納期も断らせない代わりに、詰めもしない。部下は人当たりがよく、頼まれごとを嫌がらない。だが締切の前日になっても、誰も手を挙げなかった。
田淵の当時の上長は、その中間にいた。話をよく聞き、そのうえで引き取らない。「それは君が決めることだ。決めたら聞かせてくれ」と言って、決めるまで待つ。待つが、放っておかない。水島がそのやり方を尋ねると、その人は困った顔をした。
「そんな立派なもんじゃないですよ。ただ、あいつが何に困ってるかは、聞かないとわからないでしょう」
面談の最後の週、水島は入社四年目の桑名に廊下で呼び止められた。選抜から漏れたことを、噂で知ったらしい。
「僕はもう、伸びないってことですか」
水島は答えに詰まった。制度をそのまま説明すれば嘘になり、否定すれば制度を裏切る。
「三年で測れるものと、測れないものがある」ようやくそう言った。「君のは、たぶん後者だ」
慰めに聞こえたはずだ。桑名は曖昧にうなずいて持ち場に戻っていった。その背中を見ながら、水島は、自分が守ろうとしているのは制度ではないと気づいた。
秋の役員会で、水島は面談の記録を出した。制度をやめてくれとは言わなかった。代わりに、選抜スコアの隣に、もうひとつの欄を足すことを提案した。上長が部下の言い分を聞いた回数と、聞いたうえで譲らなかった回数。二つを並べて置く。
「これは、部下ではなく上司を測る欄です」
役員の一人が眉を上げた。「うちの管理職を評価し直すのか」
「伸びるかどうかは、本人の三年目より、上司のこの二つで決まると思います」
制度は変わらなかった。欄がひとつ増えただけだった。それでも翌年の春、第二製造部の課長が水島のところへ来て、面倒くさそうに聞いた。あの欄、どう埋めればいいんだ、と。
見極めるのは早いほどいい。ただし、見極めた先に誰が立っているかを、この会社は一度も測ったことがなかった。
論考
早期選抜という物差しの錯覚
人の資質は早い段階で固まる。だから若いうちに見極めれば、育成投資の効率が上がる。多くの企業の選抜制度は、この前提の上に立っている。だがこの前提は、思われているほど強固ではない。
――問い:自社の早期選抜の根拠は、社内の過去十年の実データで再現できるか。
そもそも、能力を「数字で測れるもの」と「測れないもの」に二分する語り口自体が疑わしい。相手の表情を読み、その立場から自分の言動を決めるという行為は、高度に認知的な処理の連続である。協調性や粘り強さを認知能力の外側に置くのは、分類として粗い。そして測りにくい側だけを「早く育てるべき特別なもの」として扱った瞬間に、育成の焦点はかえってぼやける。
――問い:自社の資質評価項目のうち、観察可能な行動として定義されているものは何割か。
とはいえ、早期の関与に意味がないわけではない。基礎的な習慣や規律は早い段階で形成されやすく、放置すれば後の矯正コストは確実に上がる。出発点が低い集団ほど、初期の介入が大きな効果を生むという知見もある。問題は介入そのものではなく、特定の条件下で観測された効果を、条件の異なる全員に一般化したことにある。
――問い:初期介入が効いたと言える社内事例は、どんな前提条件を共有していたか。
視点を移すべきなのは、測る対象のほうだ。自己制御には二つの側面がある。自分の意思を明確にして主張する側面と、必要なときにそれを抑える側面である。この二つが揃って初めて機能する。そして両方を育てるのは、統制と応答性を同時に高く保つ関わり方だ。統制だけが高い関わりは、上には従順で外には高圧的な人間をつくる。一方的に扱われた者は、その扱い方を手本として下や外に配るからだ。応答性だけが高い関わりは、他者に優しいが自分を律せない人間をつくる。伸びるかどうかを決めているのは本人の初期値ではなく、日々置かれている関係の質である。
――問い:直属上司の関わり方を統制と応答性の二軸で分類したとき、自部門はどこに偏っているか。
自己制御や協働の力は、二十代後半以降も、四十代でも伸びる。組織にとってこれは朗報のはずだ。三年目の順位は、十年後の順位ではない。にもかかわらず多くの制度は、最も変わりやすいものを、最も早い時点で確定させようとしている。
――問い:五年前の低評価者のうち、現在主要ポジションに就いている者は何人いるか。
**実務への含意**
- 選抜結果は「確定」ではなく「その時点の暫定順位」として運用し、再挑戦の入口を制度に組み込む。
- 部下ではなく上司を測る。傾聴した量と、聞いたうえで譲らなかった量を、両方記録する。
- 統制か応答性のどちらかに偏った管理職には、欠けている側の具体的な行動をひとつだけ課し、次の評価まで続けさせる。
### 参考文献
- 『やり抜く力 GRIT(グリット)』アンジェラ・ダックワース(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478064806?tag=digitaro0d-22)
- 『マインドセット「やればできる!」の研究』キャロル・S・ドゥエック(草思社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4794221789?tag=digitaro0d-22)
- 『1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』エリック・シュミット他(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478107246?tag=digitaro0d-22)
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