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ショートストーリー

縦書き

待てば戻る、と誰もが言った

三ツ木精機の第二工場は、その朝も静かだった。 生産管理部の宮下佳奈は、稼働ボードの前で立ち止まる。十二本あるラインのうち、動いているのは四本。残りは白いカバーをかけられ、蛍光灯の光をぼんやりと返している。三か月前まで、ここは夜まで音が絶えなかった。 主力顧客の設備投資が一斉に止まった。理由は一つではない。取引先の業界再編、為替、そして誰も正確には名前をつけられない何か。とにかく、注文が消えた。 「値付けの問題だな」 月次会議で、営業本部長の羽田がそう言った。二十年この会社の売上を作ってきた人で、社内の誰もが彼の数字の勘を信じている。「単価を八パーセント落とす。それで在庫がはけて、ラインが回る。市場ってのはそういうもんだ。安ければ必ず売れる」 「回復までの辛抱です」と経営企画の課長が続けた。「無理に手を打つと、あとで歪みが残ります。今は身を軽くして、待つ」 宮下は資料の端を指でなぞった。二か月前も、同じ言葉を聞いた。単価はすでに五パーセント下げてある。それでも受注は増えていない。 「あの」と彼女は言った。「値段の話ではないと思います」 会議室の温度が少し下がった。 「お客様は、高いから買わないんじゃありません。買う理由がないんです。設備を増やす予定そのものがない。ゼロに何を掛けても、ゼロです」 羽田が眉を上げた。「じゃあどうする。祈るのか」 「注文を待つのを、やめませんか」 宮下は前の週に回った十二社の訪問メモを開いた。どこも新規の設備投資は凍結していた。だが、そのうち九社が同じ愚痴をこぼしていた。動いている古い機械の調子が悪い。部品はもう出ない。止まったら困るが、更新する予算はない。 「新しい機械は売れません。でも、止められない機械はある。うちは他社製設備の補修部品も作れます。図面がなくても、現物から起こせる。第二工場の空いた四本を、その専用にできませんか」 「単価は」と羽田。 「一台あたりは小さいです。でも一社の一台じゃない。同じ悩みが九社にある。それに——」宮下は言葉を選んだ。「補修を任された会社は、次に設備を入れるとき、最初に声がかかります」 「それは推測だ」 「はい。推測です」 沈黙が続いた。羽田が椅子の背にもたれた。 「宮下。市場ってのはな、放っておけばいちばん賢い答えを出すんだ。俺たちが余計なことをすると、必ずどこかが歪む。値段を下げて、待つ。それがいちばんきれいなやり方だ」 「本部長のおっしゃることは、注文がある世界では正しいと思います」宮下は言った。「今は、その世界にいないだけで」 会議はそこで終わった。 三日後、宮下は会長の古い執務室に呼ばれた。創業家の三ツ木は八十を過ぎ、もう決裁の場には出てこない。棚には錆びたギアが文鎮のように並んでいる。 「羽田くんから聞いた」と会長は言った。「工場を勝手に使いたいそうだな」 「勝手に、とは言っていません」 会長は笑って、棚の一つを指した。「わしが若い頃、旋盤が全部止まった年がある。上は油の質が悪いと言った。ベルトが伸びたと言った者もいた。全部替えた。それでも動かん」 「原因は何だったんですか」 「電気だよ。工場に来る電気が細かった。誰も配電盤を見なかった。機械の中ばかり覗いていたからな」会長はギアを持ち上げ、また置いた。「エンジンが動かんとき、エンジンを丸ごと作り直す必要はない。だが、どこが動いていないのかは、見に行かんといかん」 宮下は黙っていた。 「四本だ」と会長は言った。「半年やってみろ。数字が出なければ、閉じる」 半年後、補修部門の売上は全社の一割にも届かなかった。ラインは四本のまま。羽田は相変わらず単価の話をする。何一つ、劇的には変わっていない。 ただ、その期の受注表には、これまで名前のなかった三社が並んでいた。いずれも補修から始まった取引で、そのうち一社は、翌期に新しい設備の相談を持ち込んできた。 宮下は稼働ボードの前に立つ。動いているのは、まだ七本だ。 待っていれば戻ってくるものと、迎えに行かなければ来ないものがある。その見分けだけが、たぶん仕事だった。

論考

縦書き

「いずれ売れる」という前提を、どこで疑うか

多くの組織は、明文化されない一つの前提の上に立っている。良いものを適正な価格で出せば、いずれ売れる。この前提は強力で、しかも大半の局面では正しい。だからこそ、正しくない局面を見分けるのが難しい。厄介なのは間違った信念ではなく、たいてい当たる信念のほうだ。——自社の来期計画のうち、「いずれ需要は戻る」という仮定に依存している数字はどれか。 この前提のもとでは、売れない原因はつねに供給側にあることになる。価格が高い、品質が足りない、営業が弱い。したがって処方箋も供給側で完結する。値下げ、コスト削減、人員の再配置。あとは調整を続けていれば、市場が最も賢い答えを出してくれる。ここには「時間は味方である」という想定が静かに埋め込まれている。待つことは、何もしないことではなく、正しい戦略として扱われる。——直近一年に打った売上対策のうち、需要の量そのものを増やそうとしたものは何割あったか。 しかし需要そのものが縮んでいる局面では、供給側の調整はほとんど効かない。限りなくゼロに近い需要に、どれだけ安い価格を掛けても結果は増えない。むしろ値下げは粗利を削り、次の一手を打つ原資を先に失わせる。加えて、価格が理屈どおりに下がりきらない領域がある。人件費は下方に硬直的で、賃金を下げる形ではなく雇用を減らす形で調整が起きる。そして先行きが読めないとき、企業も個人も現金を手放したがらない。この現金を抱え込む傾向が、投資と消費を同時に細らせる。放っておけば戻るどころか、待つほど悪化する均衡が成立してしまう。——過去に「回復待ち」で過ごした期間、需要は実際に戻ったのか、それとも他社が先に別の需要を作っていたのか。 とはいえ、需要を作る側の論理も万能ではない。追い風のときにまで需要創出を続ければ、供給が追いつかず価格が歪み、作られた需要は本当の必要と乖離していく。刺激は常用すると効かなくなる。だから問うべきは「市場に任せる派と、介入する派のどちらが正しいか」ではない。「いま自分はどちらの世界にいるか」である。前提が違えば、同じ施策の符号が逆になる。優れた実務家は理論の信奉者ではなく、前提の診断者だ。——いまの市場が需要制約と供給制約のどちらにあるか、それを判定する指標を三つ挙げられるか。 結局のところ、不確実性の下で効いてくるのは、正解を選ぶ能力よりも、前提が変わったことに気づく速度である。動かなくなった機械を前にして、機械そのものを作り直す必要はない。どこが動いていないのかさえ特定できれば、交換すべき部品は驚くほど小さいことが多い。難しいのは修理ではなく、診断のほうだ。そして診断の情報は、たいてい現場の末端に最初に届く。——自社で「前提が変わった」と最初に気づくのは誰で、その声が意思決定に届くまでに何日かかるか。 ### 実務への含意 - 売上未達の原因分析を「価格・品質・営業力」の三択で終わらせない。需要の量そのものを独立した項目として測り、報告フォーマットに欄を作る。 - 値下げに踏み切る前に、既存顧客の「止められない業務」を棚卸しする。凍結されるのは新規投資であって、維持・補修の需要ではないことが多い。 - 「回復待ち」という意思決定には必ず期限を切る。待つこと自体が一つの賭けであり、賭けには期日と撤退条件が要る。 ### 参考文献 - 『雇用、利子および貨幣の一般理論(上)』ジョン・メイナード・ケインズ/間宮陽介訳(岩波文庫)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4003414519?tag=digitaro0d-22) - 『ブラック・スワン[上]──不確実性とリスクの本質』ナシーム・ニコラス・タレブ/望月衛訳(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478001251?tag=digitaro0d-22) - 『ドラッカー名著集2 現代の経営[上]』P.F.ドラッカー/上田惇生訳(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478307008?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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