記事一覧 (56件)
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見えない天秤
「前例がないんですよ」
人事部長の声が、会議室に重く響いた。
総合商社・三栄物産の経営企画室で、主任の園田真由美は思わず拳を握りしめた。隣に座る同期の木村健太が、気まずそうに視線を逸らす。
議題は、次期プロジェクトリーダーの選出だった。
真由美と健太は同期入社。十年間、同じ部署で働いてきた。...
冷蔵庫に貼られた数字
「中学受験をしたい」
小学五年生の美咲がそう言い出したのは、夕食の片付けをしている最中だった。
中堅メーカーで営業部長を務める山本健一は、思わず手を止めた。妻の恵子も、食器洗いの手を止めてこちらを見ている。
「友達のあかりちゃんが塾に行き始めて、すごく楽しそうなの」
美咲の瞳は輝いていた。そ...
再生回数の向こう側
瀬戸内動画制作株式会社の会議室で、企画部長の村山は腕を組んでいた。目の前のモニターには、新人クリエイターの高橋が提出した動画企画書が映し出されている。
「これ、本気で言ってるのか」
高橋は二十四歳。半年前に中途入社してきた。前職は飲食チェーンの店員だったが、個人で動画投稿を始めて小さな成功を収め...
「とりあえず」の呪い
入社三年目の春、営業部の田村健太は上司の佐藤課長に呼ばれた。
「お前、今年の目標は何だ」
「えっと、とりあえず売上を伸ばしたいですね。まずは去年より上を目指します」
佐藤は眉をひそめた。
「とりあえず、か。まずは、か」
田村は何を言われているのかわからなかった。
「お前、その言葉を使って...
空っぽの冷蔵庫
山下美和子は、末っ子の息子が家を出た日の夜、久しぶりに冷蔵庫を開けた。
三段の棚には、ほとんど何も入っていなかった。卵が三個と、賞味期限の切れた豆腐と、夫が晩酌用に買った缶ビールが二本。
「今夜、どうする?」
夫の義明が台所に顔を出した。
「外に食べに行こうか」
美和子はそう答えた。二十五...
椅子のない部屋
川島誠一は、入社二十三年目の春に、自分の席がなくなっていることに気づいた。
出張から戻った月曜の朝、いつものフロアに上がると、見慣れたパーティションの配置が変わっていた。彼のデスクがあった場所には、フリーアドレス用の共有テーブルが置かれている。
「川島さん、三階の会議室Bに荷物まとめてあります」...
空っぽのノート
広報部の森川真希は、画面に映る白い投稿欄を三十分も見つめていた。
「今日も何も浮かばない」
会社のSNS運用を任されて二週間。フォロワー数を伸ばせと言われたものの、投稿する内容が思いつかない。同期の田中は営業成績でトップを取り、後輩の佐藤はプロジェクトリーダーに抜擢された。自分には何もない。発信...
谷底の営業部長
営業第三部の部長・宮本隆司は、自席のパソコン画面を見つめたまま動けなくなっていた。
午前中に人事部長から告げられた内容が、まだ頭の中で反響している。「来期の組織改編で、営業第三部は統合対象です。宮本さんには関連会社への出向を打診したい」
五十二歳。入社三十年。気づけば、会社に必要とされない人間に...
顔の向こう側
中堅IT企業ネクサスの人事部長・津田康彦は、最終面接に残った四人の候補者の履歴書を眺めながら、胃の辺りが重くなるのを感じていた。
新規プロジェクトのリーダー候補として、経営陣からは「将来の幹部になれる人材を」と厳命されている。しかし四人とも甲乙つけがたい経歴の持ち主だった。
「津田さん、ちょっと...
誰の責任でもない場所
神田の雑居ビル三階に入居する「クイックマッチ・ジャパン」は、飲食店と配達員をつなぐマッチングアプリを運営している。創業四年目、登録店舗は三千を超え、配達員は一万人に迫ろうとしていた。
経営企画部の村瀬康平は、その日の朝から気が重かった。SNSで炎上していた。配達員が商店街で高齢者と接触し、軽傷を負...
ツキを呼ぶ男
総務課の窓際に座る五十嵐哲也は、社内で「ツイていない男」として知られていた。入社十五年、異動の話が出るたびに直前で白紙になり、担当したプロジェクトは軒並み頓挫し、昨年は財布を三回も落とした。
「また外れたよ、社内ビンゴ」
五十嵐がため息をつくと、隣の席の若手、河野が苦笑した。
「五十嵐さん、い...
カメ組の名刺
入社七年目の春、藤原健一は自分のデスクで名刺を眺めていた。「営業三課 主任 藤原健一」。肩書きは三年前から変わっていない。同期の村田はすでに課長代理だ。
「藤原さん、会議室空いてます」
後輩の山下が声をかけてきた。今日は新規プロジェクトのプレゼン担当を決める会議だ。
会議室に入ると、課長の田中...
黄色いノート
三好修平は、自分の机の引き出しに手を突っ込んだまま、動けなくなっていた。
十二年前の手帳が出てきたのだ。黄ばんだページをめくると、若い頃の乱雑な字が目に飛び込んできた。
「自分のブランドを持つ」
その一行が、胸に刺さった。
三好は大手アパレルメーカー「クロスウェア」の営業部長だった。四十五歳...
地図のない航海
三崎誠一は、明和食品の営業企画部で三十二年間働いてきた。来月で五十七歳になる。
「三崎さん、例の件ですが」
隣の席の若手、田村が声をかけてきた。新規取引先との契約書類のことだ。三崎が下準備をし、田村が仕上げる。かつては逆だったが、役職定年で課長の肩書を外してからは、こうした補佐的な仕事が増えた。...
半分のコップ
営業三課の課長、村田は五十二歳になった日から、毎朝鏡を見るのが憂鬱になった。
「また増えたな」
白髪のことではない。額に刻まれた縦皺のことだ。いつの頃からか、村田の表情は険しくなっていた。部下の失敗に眉をひそめ、競合他社の躍進に舌打ちをし、本社からの無理な指示に唇を噛む。そんな日々の積み重ねが、...
窓辺の光
東京の渋谷にある広告代理店、クリエイトワークスで働く森下亜美は、入社五年目の二十七歳。地方の国立大学を卒業し、都会での成功を夢見て上京した。
朝は七時に家を出て、夜は十時過ぎまで会社にいる。それが日常だった。
「森下さん、明日のプレゼン資料、もう一回見直してくれる?」
上司の声に「はい」と答え...
見えない重荷
神崎運輸の中堅ドライバー、村瀬誠一は今年で運転歴十五年になる。四トン車から始め、今では大型の十トン車を任されている。無事故無違反。それが村瀬の誇りだった。
「村瀬さん、今日の配送、三十分前倒しでお願いできますか」
配車担当の若い社員が申し訳なさそうに言った。荷主からの急な依頼だという。村瀬は黙っ...
情報室の灯り
総合商社「丸和物産」の情報管理室は、本社ビル十八階の奥まった場所にあった。窓のない部屋に、青白いモニターの光だけが浮かんでいる。
室長の戸塚誠一郎は、この部屋で二十年を過ごしてきた。各国の政治経済動向、競合他社の動き、取引先の信用情報――あらゆるデータがこの部屋に集まり、戸塚の手で分析され、経営陣...
平台のない店
高野真澄は、創業四十年の老舗スーパー「丸高」の三代目として、二年前に社長に就任した。父から引き継いだ店舗は堅実な経営を続けていたが、近隣に大型ショッピングモールが開業して以来、客足は確実に減っていた。
月曜の朝礼で、真澄は営業部長の大島に問いかけた。
「先月のデータ、見ましたか。来店客数が前年...
「今日、何を聞いた?」
営業企画部の課長・高梨誠一は、部下たちの顔を見渡しながら額に手を当てた。
「なぜ誰も質問しないんだ」
新製品のマーケティング会議が終わった直後のことだった。本部長からの説明を聞いている間、高梨は何度か振り返った。だが、八人の部下は全員、無表情でメモを取っているだけだった。
「高梨くん、君のとこ...