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ショートストーリー

縦書き

椅子のない部屋

川島誠一は、入社二十三年目の春に、自分の席がなくなっていることに気づいた。 出張から戻った月曜の朝、いつものフロアに上がると、見慣れたパーティションの配置が変わっていた。彼のデスクがあった場所には、フリーアドレス用の共有テーブルが置かれている。 「川島さん、三階の会議室Bに荷物まとめてあります」 若手の田中が、視線を合わせずにそう言った。 人事部長との面談は十五分で終わった。早期退職優遇制度。四十七歳。対象年齢に該当。検討してほしい。退職金は上乗せする。再就職支援もつける。 川島は返事をしないまま部屋を出た。 彼は営業企画部の課長だった。数字は可もなく不可もなく、大きな失敗もなければ目立った成果もない。二十年以上、黙々と仕事をこなしてきた。会社が求めるものを、求められるまま提供してきた自負があった。 昼休み、川島は社員食堂で一人、味のしないカレーを食べた。周囲のテーブルでは、若手たちがタブレット端末を見ながら何かを話し合っている。在宅勤務の報告、クラウドツールの使い方、副業の確定申告。聞き慣れない言葉が飛び交っていた。 午後、取引先から電話があった。十年来の付き合いがある部品メーカーの社長、野村だった。 「川島さん、ちょっと相談があるんだが」 野村は七十二歳。跡継ぎがいない。社員は十四人。年商は三億円ほど。黒字だが、自分の体力が持たない。廃業を考えていると言った。 「社員をどうするかが一番の悩みでね。みんな十年以上いる連中だから」 川島は黙って聞いていた。 「川島さん、うちを買わないか」 冗談だと思った。だが、野村の声は真剣だった。 「あんたは二十年以上、この業界を見てきた。うちの技術も、取引先も、全部知ってる。社員とも顔見知りだ。俺より、あんたのほうがうまくやれるかもしれん」 その夜、川島は妻に話した。 「馬鹿じゃないの」 妻の反応は予想通りだった。 「会社辞めて、借金して、人の会社買うの? 失敗したらどうするの」 川島は答えられなかった。 三日後、川島は野村の工場を訪ねた。平日の昼間、油の匂いがする作業場で、職人たちが黙々と機械を動かしていた。 「この旋盤、三十年使ってる」 古参の職人が言った。 「社長が若い頃に買ったやつだ。今はもう作ってない型だから、壊れたら終わりだ」 川島は聞いた。 「続けたいですか、この仕事」 職人は少し考えてから答えた。 「わからん。ただ、明日いきなり終わりと言われるよりは、あと何年かあるとわかってるほうがいい。準備ができるから」 その言葉が、川島の胸に残った。 一週間後、川島は人事部長に辞表を出した。早期退職制度を使う。退職金の上乗せ分は、野村の会社を買う資金の一部になる。足りない分は銀行から借りる。 妻は最後まで反対した。だが、川島の決意は変わらなかった。 「二十三年間、会社の椅子に座ってきた」 川島は妻に言った。 「その椅子がなくなったとき、俺には何も残ってないことに気づいた。でも、野村さんの会社には、技術がある。人がいる。取引先がある。椅子はなくても、立っていられる場所がある」 妻は何も言わなかった。 半年後、川島は小さな部品メーカーの社長になった。社長室はない。社員と同じ作業場の片隅に、古い事務机が一つあるだけだ。 毎朝六時に出社し、夜は九時まで帳簿と向き合う。給料は前職の半分以下。休日もほとんどない。 それでも川島は、二十三年ぶりに、自分の足で立っている気がした。 椅子がないことは、不安定なことではない。誰かに座らせてもらう必要がないということだ。

論考

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キャリア自律の時代——会社に依存しない働き方の構造的必然性

### 序 日本型雇用システムは構造的に終焉を迎えつつある。終身雇用、年功序列、企業別組合という三本柱で支えられてきたこのシステムは、高度経済成長期には合理的に機能した。しかし、経済成長の鈍化、人口減少、そして産業構造の変化により、その前提条件が崩壊している。問題の本質は、個人の能力や努力ではなく、システムそのものの持続不可能性にある。では、企業が黒字であっても45歳以上のリストラを進めるのはなぜか。 ### 展開 年功序列制度の下では、労働者は若年期に生産性以下の賃金を受け取り、中高年期にその「貸し」を回収する構造になっている。これは暗黙の長期契約であり、企業が成長し続ける限り成立する。しかし、成長が止まれば、この契約は企業側にとって維持不可能な負債となる。 黒字企業がリストラを行う理由はここにある。現在の利益を守るためではなく、将来の競争力を維持するために、固定費としての人件費構造を変革する必要があるのだ。欧米企業が即戦力採用を基本とするのは、市場環境の変化に対応できる組織の柔軟性を保つためである。日本企業もようやく、この現実に直面し始めた。では、この変化は本当に労働者にとって不利益なのか、それとも別の可能性を開くのか。 ### 反証 ただし、「全員が資本家になれ」という処方箋には限界がある。起業や会社買収には資金力、リスク許容度、そして特定のスキルセットが必要であり、すべての労働者に適した選択肢ではない。また、日本型雇用の崩壊は、必ずしも労働者に不利な変化ばかりではない。 専門性を高め、社内外で市場価値を証明できる人材にとっては、むしろ機会の拡大を意味する。年功ではなく成果で評価される環境は、実力ある若手にとって有利に働く。問題は、この変化に適応する準備ができていない層が多いことだ。では、どのような思考の転換が必要なのか。 ### 再構成 キャリア自律とは、会社に人生の主導権を預けないことである。これは必ずしも独立や起業を意味しない。組織に所属しながらも、自分のスキルや経験が市場でどう評価されるかを常に意識し、必要であれば環境を変える選択肢を持つことだ。 重要なのは「時間のオーナーシップ」という概念である。自分の時間をどこに投資するかの決定権を、会社ではなく自分が持つ。これは、副業の解禁やテレワークの普及によって、制度的にも可能になりつつある。雇用形態に関わらず、自分の市場価値を高める活動に時間を配分できるかどうかが、今後のキャリアを分ける。では、具体的にどこから始めればよいのか。 ### 示唆 変化は避けられない。しかし、変化そのものは脅威ではなく、準備の欠如が脅威となる。日本型雇用の終焉は、一部の人には危機であり、別の一部の人には機会である。その違いを生むのは、自分のキャリアを自分で設計する意識の有無だ。 40代、50代であっても、自分の経験とスキルを棚卸しし、市場でどう価値を発揮できるかを考えることは遅くない。むしろ、長年の実務経験は、適切に再構成すれば大きな資産となる。 --- **実務への含意** - 自分のスキルと経験を、社内評価ではなく市場価値の観点で定期的に棚卸しする - 本業以外で収入を得る手段を少なくとも一つ持つ(副業、投資、資格など) - 「会社がなくなっても食べていける」状態を長期目標として設定する --- ### 参考文献 ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています - 『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』三戸政和(講談社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4062915189?tag=digitaro0d-22) - 『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略』リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット(東洋経済新報社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4492533877?tag=digitaro0d-22) - 『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』北野唯我(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478105553?tag=digitaro0d-22)

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