記事一覧 (122件)
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ちょうどいい濃さ
宮下颯太が三日かけて仕上げた企画書は、我ながら力作だった。二十二ページ。市場分析に競合の動向、顧客インサイト、そして三段構えの施策。専門用語をちりばめ、横文字のフレームワークを図解にして、脚注まで付けた。これで自分の実力を分かってもらえる。そう思いながら、彼は先輩の館林に第一稿を手渡した。
館林は...
その音は、誰のために鳴っているのか
楓プロダクツのオフィスは、いつも誰かのプレゼンの声で賑わっていた。
中堅デザイナーの三宅は、自分が見せ場を嫌う人間だとは思っていない。良い案を堂々と語るのは仕事のうちだ。ただ、新製品コンペが近づくにつれ、胸の奥がざらつくのを抑えられずにいた。
ざらつきの源は、若手のエースである倉田だった。倉田の...
余白という名の足場
中堅の物流会社、丸和ロジスティクス。東支店の支店長・笹本は、月曜の朝、ビルの管理会社から一本の電話を受けた。「給排水の基幹設備が破損し、復旧の見込みが立ちません。安全のため、当面の立ち入りを止めてください」。築四十年の支店ビルは、その日のうちに使用不能になった。
四十人の社員と、進行中の三百件の配...
親しき仲の作法
中堅の業務支援会社「リンクワークス」で、葵は十年来の取引先・高木部長の担当を任されていた。創業期から支えてくれた大口顧客で、社内では「高木案件は葵じゃないと回らない」と言われている。
その高木が、ここ数か月おかしかった。打ち合わせの席で、些細な誤字を見つけては三十分説教する。「君らはわかってない」...
いちばん細い糸
精密部品メーカー「三和テクノ」の調達課長・桑田は、二十年間ずっと同じ計算をしてきた。一円でも安く。それが会社への忠誠であり、彼のささやかな誇りでもあった。
中でも、山あいの小さな工場「丸金製作所」への発注単価は、社内で「桑田価格」と呼ばれるほど低かった。丸金は三和専用の治具を長い年月をかけて揃え、...
無菌室の設計図
雑貨メーカー「コトハ」のデザイナー・三崎は、夏の新作トートバッグの図案に、半年を費やしていた。波と帆をかたどった藍色の幾何学模様。海辺の朝をイメージした、彼女なりの「気持ちのいい線」だった。発売初週で売れ行きは上々。三崎は久しぶりに、自分の仕事を誇らしく思った。
異変は四日目の朝に来た。SNSで一...
全方位の人
金曜の夕方、製造ラインで小さな事故が起きた。出荷を待つ製品が台ごと傾き、検品にあたっていたスタッフが手をかすめて軽い怪我を負った。縫うほどではない。だが誰かが撮った写真がその夜のうちに広まり、週末を待たずに「管理体制はどうなっている」「安全を軽んじている」という声が積み上がっていった。
月曜の朝、...
衣装の意味
橘ミサキは入社四年目、店の売上を一人で引っ張る販売員だった。だから本社からの通達を読んだとき、誰よりも先に顔をしかめたのも彼女だった。
「来月より、勤務中はブランドの新ラインを着用のこと。スニーカー不可」
生活雑貨を扱う「ノクト」の店舗で、ミサキたちはこれまで動きやすい私服に近い装いで働いてきた...
見出しの釣り針
朝の編集会議で、高梨の記事はPVが部内最下位だった。地方の事務手続きにミスがあり、納付が十日遅れて数万円の延滞金が生じた――ただそれだけの、地味な記事である。
「内容は正確です」と高梨は言った。
「正確さは前提だよ」編集長は静かに返した。「読まれなければ、書いていないのと同じだ」
彼はホワイトボ...
裏要件
速水が最後のケーブルを抜いたとき、時計は午後十一時を回っていた。朝の七時半から、ほとんど飯も食わずに机に張りついていた。取引先の基幹サーバーが復旧不能に陥り、彼が一人で呼び出された案件だった。手順書どおりの復元は何度試しても弾かれ、途中でやり方そのものを切り替えた。ライセンスの壁、ドライバの相性、引...
落ちた高さの数えかた
葛西涼介は、その広告代理店で長く「会社の顔」だった。大型のプレゼンは必ず彼が締め、表彰式の常連で、若手はこぞって彼の話し方を真似た。好感度。それが彼の最大の資産であり、最強の武器だった。
ところがある案件で、彼は致命的な判断ミスを犯した。詳細は伏せるが、業界中に知れ渡るほどの失態だった。主要クライ...
下っ端になりに来た男
高瀬調理器具製作所の二代目社長・高瀬誠一は、五十二歳にして、自分の会社の組み立てラインに「見習い」として立っていた。
きっかけは、隣町の小さな金属加工会社「フジワラ製作所」だった。高瀬の工場が三日かかる工程を、その町工場はなぜか半日で終える。同じ機械、同じ材料、同じ人数。からくりが知りたくて頭を...
保留ボタンの外れる音
中堅の食品メーカー「みなも食品」の企画課で、佐久間結衣はもう七年、同じ机に座っていた。
仕事は、悪くなかった。定番のふりかけと佃煮を扱う部署は、売上が大きく伸びることもない代わりに、落ち込むこともない。上司の田添課長は穏やかで、残業も少なく、同期からは「いい部署に当たったね」と言われる。給料はまあ...
ナチュラルカーブ
北見保夫の机は、フロアのいちばん端にあった。窓際でも上座でもない、ただ通路に近いだけの席だ。五十八歳。地域密着型のドラッグストアチェーン「みどり薬品」で、彼は十二店舗を巡回する店舗指導員を務めていた。役職はない。かつてはあった。
入社二十年目の頃、北見は二度、昇進試験に落ちた。一度目は準備不足だ...
届く形
中堅商社・丸尾物産の情報管理室で、三宅は毎月たった一人、社内向けの「不審メール注意喚起」を配信していた。手口を丁寧に解説し、統計を添え、「身に覚えのないメールは開かないように」と結ぶ。文章は正確で、隙がなかった。三宅はそれを誇りにしていた。
だが、被害は減らなかった。先月も営業二課の若手が偽の請求...
翻訳者の砥石
「来期から、君には技術広報に移ってもらう」
恩田悠介がその辞令を聞いたのは、入社八年目の春だった。彼は精密機器メーカー「明科テクノロジー」の中央研究所で、センサーの信号処理アルゴリズムを担当していた。学会で論文賞をとったこともある。誰もが彼を「研究所の頭脳」と呼んだ。
技術広報。製品カタログの文...
遅れてくる拍手
生活雑貨メーカー「コハル製作所」の小さな企画室で、佐倉はノートパソコンの数字をにらんでいた。三か月前、満を持して世に出したカトラリーのシリーズ。削り出しの柄に、半年かけて磨いた曲線が宿っている。自信はあった。あったからこそ、画面の数字が刺さった。
販売数、先週ゼロ。今週も、ゼロ。
「いいものなん...
誇りの置き場所
田之上誠一郎が中部輸送の社長室で煙草をやめて以来、代わりに手の中に収まるようになったのは、いつも冷めたコーヒーだった。今夜も気づけば底が空になっていた。
机上には地方配送路線の赤字一覧が広がっている。五十年の歴史を持つ中部輸送のトラック網は、かつてこの地域の物流の誇りだった。二代目として会社を受け...
不完全な指揮台で
田村剛は、大阪オフィスの椅子に座った瞬間、違和感を覚えた。
ここは、彼が三年前まで毎日通っていた場所だ。IT系ベンチャーで開発チームのリーダーを務める田村は、東京本社に移ってから、自分の作業環境を徹底的に作り込んできた。三十二インチのモニターを二枚並べ、キーボードの打鍵感を試行錯誤で選び抜き、照明...
終いの名刺
山本 拓也は、駅前の雑居ビルの一室で「事業撤退支援コンサルタント」を名乗っていた。
看板の文字は太いゴシック体で、雨の日も晴れの日も通りすがりの人の目に入るよう設えてあった。開業して四年になるが、地元商工会の古参会員たちは今でも顔をしかめる。
「山本くん、少し前向きな名前にしてはどうかね」と理事...