ショートストーリー
全方位の人
論考
足し算の安心、引き算の責任
何らかの事故や不祥事が起きたとき、組織の多くは対応を「足す」方向に動く。全社一斉の点検、新たな報告義務、増えていくチェック欄。足し算は目に見えて、わかりやすく、外部に「やっています」と示しやすい。だが、足された業務の大半は、実際の再発防止とは無関係なことが多い。問い:直近の「再発防止策」のうち、原因に直接対応した項目は何割あっただろうか。
ここには二次的な負荷の連鎖がある。突発的な出来事は人々の即時的で感情的な反応を呼び、その反応は組織に防御を促す。組織は責任を問われないための「アリバイ」を整えようとし、その作業負荷は最も遠い現場へと流れ落ちる。皮肉なのは、平時には「働き方を守れ」と訴えていた声が、有事には現場をさらに締め上げる側へ回ることだ。問い:あなたの組織で生まれた対策は、誰の時間を消費して成り立っているか。
とはいえ、点検や報告そのものが無駄なのではない。説明責任は組織の信頼の基盤であり、再発防止を怠れば同じ事故が繰り返される。過剰反応を批判するあまり、必要な対応まで「過剰だ」と切り捨てれば、それは形を変えた別の怠慢にすぎない。問い:削るべき対応と残すべき対応を、何を基準に分けているか。
だとすれば、問われるのは反応の有無ではなく、的の絞り方である。優れた指示とは足し算ではなく引き算だ。原因の一点を見極め、そこに資源を集中し、無関係な負荷を現場に降らせない。感情的な空気の防波堤となり、本質的な対策だけをスマートに切り出す。これは増やすより難しく、責任も重い。問い:その引き算の判断を、組織の中で誰が引き受けているか。
全方位を見渡せる視点とは、目の前の出来事だけでなく、その後に連鎖して起こる負荷まで読む力である。騒がしさの中で何を足さないかを決められる者だけが、遠くの現場までを守れる。問い:次の危機が来たとき、あなたは足す人か、削る人か。
実務への含意:
- 対策を決める前に「この負荷は誰の時間で払われるのか」を一度問う
- 再発防止は項目の数ではなく、原因への命中度で評価する
- 感情的な外圧と本質的な安全対策を切り分け、前者の防波堤になる
参考文献
- 『ファスト&スロー(上)あなたの意思はどのように決まるか?』ダニエル・カーネマン(早川書房)Amazon
- 『学習する組織――システム思考で未来を創造する』ピーター・M・センゲ(英治出版)Amazon
- 『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』戸部良一ほか(中央公論新社)Amazon
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