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ショートストーリー

縦書き

ちょうどいい濃さ

宮下颯太が三日かけて仕上げた企画書は、我ながら力作だった。二十二ページ。市場分析に競合の動向、顧客インサイト、そして三段構えの施策。専門用語をちりばめ、横文字のフレームワークを図解にして、脚注まで付けた。これで自分の実力を分かってもらえる。そう思いながら、彼は先輩の館林に第一稿を手渡した。 館林はページをめくる手を、三枚目で止めた。 「宮下、これ、結局なにが言いたいの?」 「ええと、要するに、既存のお客さんの離脱を抑えつつ、新規の獲得コストを最適化するための……」 「一文で」 宮下は詰まった。二十二ページを一文で、と言われた瞬間、言葉が喉の奥で渋滞した。あれだけ調べて、あれだけ書いたのに、芯にあるはずの一言が、自分でもつかめていなかった。 館林は赤いペンを取り、最初のページから線を引きはじめた。「市場は急速に変化し」——消える。「昨今の潮流を鑑みるに」——消える。修飾語が、前置きが、気取った熟語が、次々と横棒で潰されていく。宮下は思わず声を上げた。 「待ってください。せっかく調べたんです。そんなに削ったら、薄っぺらい企画に見えませんか」 「逆だよ」館林はペンを置いた。「これはさ、濃すぎるんだ。エスプレッソを一気に出されてる感じ。飲む側は苦くて、いちいち水で薄めながら飲まなきゃいけない。読む人の時間を、いま二十二ページ分もらってるって、考えたことある?」 宮下は黙った。丁寧に書くことと、たくさん書くことを、いつのまにか同じだと思っていた。 「あのな」館林は自分のマグカップを持ち上げた。中身はとうに冷めている。「料理がうまいやつほど、最初はレシピどおりに作るんだ。分量をきっちり計る。下手なやつほど、基本もできてないのに、いきなりコーヒーの粉をカレーに入れたがる。お前の企画書は、いまそっちだよ」 その夜、宮下はもう一度、白紙から書き直した。二十二ページを閉じ、まず一文だけ書いた。「離れかけたお客さんを、いちばん安く呼び戻す。」それだけ。そこから、その一文を支えるものだけを残し、支えないものを全部消していった。図解は一枚。数字は三つ。前置きはゼロ。書き上がったのは、たった一枚だった。 削っている最中、何度も指が止まった。この分析は入れておきたい。この気の利いた言い回しは残したい。だがそのたびに、館林の声が耳の奥で鳴った。——どれを残すか、全部わかってるか。わかっていないから、削れない。宮下はそう気づいて、また一行を消した。 翌週の会議。宮下は少し震える手で、その一枚を配った。厚みのない資料に、部長がやや怪訝な顔をする。だが読み始めて数秒、部長は顔を上げた。 「これ、分かりやすいな。要は、いまいる客を安く戻すって話だろ。やろう」 拍子抜けするほど、あっさりだった。会議室を出るとき、館林が横に並んだ。 「削るのは、手を抜くことじゃない。どれを残すか、全部わかってないと削れないんだ。お前、今回それが少しわかったろ」 宮下は自分の手元の一枚を見た。軽い。けれど、二十二ページより、ずっと重かった。 削られて残ったその一行は、書いた本人が初めて、迷いなく口に出せる言葉になっていた。

論考

縦書き

「濃度」で読む文章術——なぜ引き算が伝わるのか

文章のうまさは、しばしば「何を足せるか」で語られる。難しい熟語、凝った比喩、豊富なデータ。だが、伝わる文章の多くは逆の作業でできている。足すのではなく、削る。よく言われる分け方として、書き手には「情報を盛る人」と「濃度を整える人」の二種類がいる。読み手に届くのは、たいてい後者だ。あなたが最近書いた文章は、足して作ったものだろうか、それとも削って作ったものだろうか。 なぜ削ると伝わるのか。理由は読み手の側にある。文章を読むとは、書き手の代わりに読み手が時間と注意を差し出す行為だ。冗長な前置き、なくても意味の通る修飾語、「私は」「思います」といった弱い言葉は、その注意を少しずつ削り取っていく。濃すぎるエスプレッソを出されれば、飲む側は自分で水を足して薄めるしかない。削るとは、その手間を書き手が肩代わりすることであり、読み手への時間の贈り物にほかならない。削った一文と削らなかった一文は、読み手の理解速度をどれだけ変えるだろうか。 もっとも、削れば削るほどよい、という単純な話ではない。強調の言葉も、ここぞという場面で一度だけ使えば効く。すべてを短く切り詰めれば、今度は情報が欠け、そっけなく、時に冷たい文章になる。短さそれ自体が目的になると、伝えるべき文脈まで捨ててしまう。では、削りすぎと削り足りなさの境界は、どこにあるのか。 その境界を測る物差しが「濃度」だ。目指すべきは短さではなく、過不足のなさ——薄くもなく、苦くもない、ちょうどいい濃さである。そしてこの調整は、基本の型を身につけた者にしかできない。料理の上手な人ほど、最初はレシピどおりに分量を計る。基本の一皿を確実に作れるからこそ、隠し味という「アレンジ」が活きる。文章も同じで、まず伝わる骨格を作れることが先で、装飾はその後だ。あなたは、装飾をすべて外した骨格だけで、言いたいことを言い切れるだろうか。 だから、書き終えたら一度、削ってみるといい。迷ったら消す。消して意味が壊れれば、戻せばいい。残った言葉は、書いた本人が迷いなく口に出せるものになっているはずだ。それが「ちょうどいい濃さ」に近づいた合図になる。伝わる文章とは才能ではなく、どれを残すかを見極める、地道な引き算の技術なのだ。 **実務への含意** - 書き終えたら「一文で言うと?」を自分に問う。答えられなければ、構成そのものを疑う。 - 「私は」「思います」「という」「〜ですが」を一度検索し、なくても通じるものは消す。 - 削る前に基本の型(結論→理由→具体)を先に固める。アレンジは骨格ができてから。 ### 参考文献 - 『20歳の自分に受けさせたい文章講義』古賀史健(星海社新書)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4061385100?tag=digitaro0d-22) - 『新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング』唐木元(インプレス)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4844338722?tag=digitaro0d-22) - 『「文章術のベストセラー100冊」のポイントを1冊にまとめてみた。』藤吉豊・小川真理子(日経BP)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4822289060?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています。

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