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ショートストーリー

縦書き

意味の行き先

川村誠一が管理職になって十五年になる。 株式会社ミナトは社員二百名ほどの部品メーカーで、川村は営業管理部の部長を務めている。部下は十二名。数字の管理、案件の進捗確認、人事面談、経営会議への出席。やるべきことは常に明確で、川村はそのどれもを大過なくこなしてきた。 部下の退職を、何度か経験した。 入社五年目の西原という女性社員が辞めたときは、痛かった。目立たないが、見積書の精査や納期調整、新人の資料の手直しなど、部の裏方を一手に引き受けていた。去ったあと、ミスが続出し、川村は初めて自分が彼女の仕事を正確に把握していなかったことを思い知った。 逆に、自信に満ちた提案を連発していた男性社員が辞めたときは、本人の想像とは裏腹に、部の空気はどこか軽くなった。現場との軋轢がなくなり、若手が自然と動き始めた。 どちらの経験も、川村にとって管理職としての教訓になった。少なくとも、そう整理していた。 変化のきっかけは、些細なことだった。 得意先への提案書を部下とチェックしていたとき、川村はふと手が止まった。自社の主力製品は年々機能が追加されていた。開発が載せ、マーケティングが訴求し、営業が売る。だが、顧客がそれを本当に必要としているかを最後に確認したのは、いつだったか。 「顧客のニーズに応える」という言葉は、社内で日常的に使われている。だが川村は最近、その言葉が空を切っているように感じていた。応えているのは顧客のニーズではなく、自社の売上計画ではないのか。 疑問は静かに広がった。 自分は十五年間、部下を育ててきた。西原を失った反省から、地味な仕事にも声をかけるようにした。あの自信過剰な男の退職から、現場との対話を促すことを学んだ。部下の成長を見るたびに、管理職としての手応えを感じてきた。 だが、何のために育てているのか。 会社が顧客に真摯に向き合っていないなら、優秀な社員を育てることは、その惰性を強化しているだけではないのか。うまく回る歯車を、たくさん作っているだけではないのか。 川村は自分で「考えすぎだ」と打ち消す。完全な会社などない。できる範囲でやる、それが現実だ。だが翌朝になると、また同じ問いが戻ってくる。 ある週末、川村は実家に帰り、定年退職した父親と酒を飲んだ。 父は建材メーカーに四十年勤めた人だった。営業から始まり、課長、部長を経て、最後は関連会社の取締役で上がった。絵に描いたようなサラリーマン人生だ。 二人で焼酎を傾けながら、川村はふと聞いた。 「親父は、自分の会社のこと、疑ったことあった?」 父は少し驚いた顔をした。それから、グラスを置いて言った。 「あるよ。何度もある」 「どうしたの、そのとき」 「折り合いをつけた。自分にできることと、できないことがある。会社がどうであれ、目の前の部下や取引先に誠実でいることはできる。そこに集中した。後悔はしてない」 父はそこで言葉を切った。焼酎をひと口飲み、テレビの野球中継にちらりと目をやった。 それから、少し間があった。 「……ただ、生まれ変わったら、違う人生も歩いてみたくはある」 川村は何も言えなかった。 父は笑った。照れくさそうな、しかしどこか寂しい笑みだった。四十年の重さが、その一瞬に凝縮されていた。 帰りの電車で、川村は窓の外を眺めた。夜の住宅街が流れていく。どの家にも、誰かの四十年がある。折り合いをつけた人と、つけられなかった人と、まだ迷っている人がいる。 翌週の月曜日、川村は部下との面談で、最後にひとつ聞いた。 「この仕事、意味があると思う?」 部下は少し戸惑った顔をした。そういう質問を上司からされるとは思っていなかったのだろう。 川村は答えを求めているわけではない。ただ、この問いを手放したくなかった。 意味は、信じ込むものでも、与えられるものでもない。探し続けるものだ。——そう思いながらも、それすらひとつの問いに過ぎないことを、川村は知っている。

論考

縦書き

「回し続ける」ことへの問い——管理職が直面する意味の空洞

組織を円滑に回すことは、管理職の基本的な職責である。目標を設定し、部下を育成し、業務を最適化する。その繰り返しの中で、ふと「自分は何のためにこれを回しているのか」という問いが浮かぶ瞬間がある。この問いは、能力不足から生まれるのではない。むしろ、ある程度の経験を積み、組織運営に習熟したからこそ見えてくる空洞である。果たして、この問いを持つことは管理職の弱さなのか、それとも必要な機能なのか。 管理職の仕事には、二つの異なるレイヤーがある。一つは「どうやってうまく回すか」という技術的な問い、もう一つは「何のために回すか」という意味の問いだ。多くのマネジメント論は前者に集中している。チームビルディング、目標管理、フィードバックの技法。これらは重要だが、あくまで「回し方」の話である。 問題は、回し方が上手くなるほど、意味の問いが鋭くなることだ。顧客のニーズに応えているはずの事業が、実は自社の売上計画に応えているだけではないか。部下を成長させることが、形骸化した仕組みをより効率的に再生産しているだけではないか。こうした疑念は、現場を知り、数字を見て、人を育ててきた人間だからこそ抱ける。では、組織内で「意味の問い」を持つ管理職は、どのくらい存在するのだろうか。 ここで一つの反論がある。全員が意味を問い始めたら、組織は機能しなくなる、という指摘だ。確かにそうだろう。日々の業務を遂行するには、ある程度の「信じ込み」が必要だ。しかし、誰も問わない組織は惰性に陥る。顧客志向を掲げながら実態は内向き、という構造は、問いの不在から生まれる。重要なのは、全員が問うことではなく、問う人間が組織内に存在し続けることだ。管理職はその適任者ではないだろうか。現場と経営の結節点に立ち、両方の矛盾を体感できる立場にあるからだ。 もう一つ考えるべきは、世代間の視点の違いだ。定年まで勤め上げた世代の多くは、「折り合いをつける」という形で意味の問いに対処してきた。自分にできることに集中し、できないことは受け入れる。それは決して逃げではなく、四十年という長い時間を走り切るための知恵だった。一方で、折り合いをつけた先に残る「それでも」という余白——生まれ変わったら別の人生を、という思い——は、問いが消えたのではなく保留されただけであることを示している。先達の「折り合い」は答えではなく、もう一つの問いの形だ。現在の管理職は、先達と同じ道を歩くのか、それとも問いを保留せずに抱え続ける道を選ぶのか。 意味の問いを持ち続けることは、苦しい。しかしその苦しさは、組織が自らを点検するためのセンサーとして機能する。部下に「この仕事、意味があると思う?」と問いかけることは、答えを求める行為ではない。問いそのものを組織の中に存在させ続ける行為だ。意味は与えられるものでも、信じ込むものでもなく、探し続けるものだ。そしてその探索を止めたとき、組織は——そしてそこで働く個人は——惰性の中に沈んでいく。 #### 実務への含意 - 管理職は「回し方」の改善だけでなく、定期的に「何のために回しているか」を自問する時間を確保すべきである - 部下との面談に「この仕事の意味」を問う項目を一つ加えることで、組織内に自己点検の文化を育てることができる - 先輩管理職や退職者との対話は、自分の問いを相対化し、持続可能な「問い方」を学ぶ機会となる ### 参考文献 - 『働き方の哲学 360度の視点で仕事を考える』村山昇(ディスカヴァー・トゥエンティワン)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4799322389?tag=digitaro0d-22) - 『マネジャーの最も大切な仕事――95%の人が見過ごす「小さな進捗」の力』テレサ・アマビール(英治出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4862762409?tag=digitaro0d-22) - 『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』戸部良一他(中公文庫)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4122018331?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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