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ショートストーリー

縦書き

「普通かな」

堀内賢太郎が株式会社ソラノを辞めたのは、入社七年目の秋だった。  送別会の席で、賢太郎はちょっといいスピーチをした。「七年間、本当にお世話になりました。あとはみなさんに託します」。穏やかな笑顔の裏で、彼は確信していた。——さあ、困るぞ。  賢太郎には自負があった。営業二課の業務改善提案、部内の勉強会の立ち上げ、若手への助言。自分こそがこのチームの頭脳であり、精神的支柱だという確信。それなのに、課長の安田は賢太郎の働きを正当に評価してくれなかった。少なくとも、賢太郎にはそう見えていた。  安田が何度か面談で伝えたことがある。「堀内、お前の提案はいいんだが、もう少し現場の声を聞いてからにしてくれないか」。賢太郎はそれを激励だと受け取った。現場の声は聞いている、ただ現場が追いついていないだけだ、と。  退職して一ヶ月。転職先の面接をこなしながら、賢太郎は元同僚の高橋と食事をした。 「最近どう? 二課、大変でしょ」  高橋は少し考えてから言った。 「うん、まあ普通かな」  賢太郎は箸を止めた。 「普通って……俺がやってた業務改善の提案とか、勉強会とか、どうなったの」 「ああ、提案は若い村田が引き継いだよ。あいつ、現場と一緒に考えるタイプだから、わりとうまく回ってる。勉強会は自然消滅したけど、まあ、なくても別に」  高橋に悪意はなかった。事実を述べただけだ。だが、賢太郎にとってその「普通かな」は、七年間の自己像を根底から揺さぶる一言だった。  数日後、賢太郎は別の元同僚からさらに打撃を受けた。 「安田課長、前から堀内さんの方向性について心配してたんだよ。面談でも言ってたみたいだけど」  賢太郎は記憶を辿った。安田が面談で何か言っていた。「現場の声を聞いてから」——あれは激励ではなく、方向修正の指摘だったのか。  だが、その瞬間も、賢太郎の頭の中で別の声が聞こえた。安田はわかっていなかったんだ。俺の提案の本質を理解できなかっただけだ。  転職先が決まった。小さなコンサルティング会社だった。賢太郎は心機一転、新しい環境で自分の真価を発揮するつもりだった。  入社三ヶ月。賢太郎は早速、業務プロセスの改善提案をまとめた。社長に直接プレゼンし、手応えを感じた。ところが実行段階になると、現場のリーダーたちが動いてくれない。 「堀内さんの言うことはわかるんですが、うちのやり方もあるんで」  デジャヴだった。  またわかってくれない人たちだ——その言葉が喉元まで出かけた瞬間、賢太郎はふと立ち止まった。  ソラノでも同じだった。安田課長も「現場の声を聞いて」と言っていた。ここでもまた、同じことが起きている。  場所が変わっても、同じ壁にぶつかっている。ということは、壁は外にあるのではなく——。  賢太郎はオフィスの窓から外を眺めた。夕暮れのビル街が広がっている。どのビルの中にも、自分と同じように「わかってくれない」と思っている誰かがいるのかもしれない。  そしてそのうちの何人かは、たぶん、自分と同じ間違いをしている。  認められたいのなら、まず相手が何を必要としているかを聞くことだ。それは七年前から安田課長が言い続けていたことだった。  賢太郎は小さく息を吐いた。自分はずっと、自分の話を聞いてほしかっただけだったのかもしれない。

論考

縦書き

承認を追う者が承認を失う——「セルフ戦力外」の構造と自己認識の罠

#### 序:去って初めて知る、自分の実像 組織を離れた者がまず直面するのは、自分がいなくなった後の職場が「普通に回っている」という現実である。多くの退職者は、意識的であれ無意識であれ、「自分がいなくなれば困るはずだ」という期待を抱いて去る。だがその期待が裏切られたとき、人は深い動揺に見舞われる。自分は本当に必要とされていたのか。この問いにどう向き合うかが、その後のキャリアを左右する。 #### 展開:承認欲求と貢献のねじれ 承認を強く求める人材には、共通のパターンがある。自分の貢献を高く評価し、その評価が組織から返ってこないことに不満を募らせ、やがて退職という行動に出る。だがここに構造的な問題が潜んでいる。本人が「貢献している」と信じているものと、組織が実際に必要としているものがずれていた場合、いくら自己評価が高くても承認には至らない。承認とは、自分が差し出したいものを差し出した結果ではなく、相手が必要としているものを提供した結果として生じるものだからだ。この順序の逆転に気づけないことが、承認を求める者の根本的な誤りである。 #### 反証:フィードバックは本当に届いていなかったのか ここで、「上司がきちんと伝えていなかったのでは」という反論が生じる。確かに、方向性のずれを早期にフィードバックするのは管理職の責務である。しかし現実には、上司が何度か指摘していたにもかかわらず、本人がそれを「激励」や「一般論」として解釈し、修正のシグナルとして受け取れていないケースが少なくない。自己像が硬直している人間は、自己像を脅かす情報を無意識に変換・無効化する。承認欲求が強いほど自己像を守ろうとする力も強く、フィードバックが入りにくくなるという悪循環が生まれる。 #### 再構成:場所を変えても壁は変わらない 自己認識の歪みに気づかないまま環境を変えた場合、高い確率で同じパターンが再現される。新しい職場でも同様の提案をし、同様の壁にぶつかり、「ここの人たちもわかっていない」と結論づける。場所が変わっても同じ壁に当たるとき、壁は外にあるのではなく自分の中にある。この気づきが訪れるかどうかが、同じ失敗を繰り返すか否かの分岐点となる。逆説的だが、自分の実力を正確に認識できる人間は、そもそも承認を過度に求めるパターンに陥らない。自己認識の精度と承認される確率は正比例する。 #### 示唆:鏡としての物語 承認は追えば逃げ、追わなければ結果として訪れる。この逆説に気づくことが、キャリアにおける最も重要な内省の一つかもしれない。「自分は組織が必要としているものを本当に提供できているか」——この問いを持てる人間は、すでに承認の循環の中にいる。 **実務への含意:** - 退職前に「自分がいなくなったら何が困るか」を第三者視点で検証し、自己評価と現実のギャップを把握する - フィードバックを受けたとき、防衛反応(「あの人はわかっていない」)が起きていないか意識的に点検する - 「承認されない」と感じたとき、原因を外部に求める前に「自分の貢献は組織の方向性と整合しているか」を問い直す ### 参考文献 - 『嫌われる勇気——自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎・古賀史健著(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478025819?tag=digitaro0d-22) - 『自分の小さな「箱」から脱出する方法』アービンジャー・インスティチュート著(大和書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4479791779?tag=digitaro0d-22) - 『insight(インサイト)——いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』ターシャ・ユーリック著(英治出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4862762700?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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