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ショートストーリー

縦書き

伝え方の温度

製造業の中堅メーカー・丸栄精機の品質管理課に着任した新任課長の桐生和也は、着任早々、部下たちの仕事ぶりに頭を抱えていた。  前任の課長が「のびのびやらせる」方針だったこともあり、報告書の書式がバラバラ、検査手順の省略も散見される。桐生は前職で徹底した品質管理を実践してきた自負がある。このままでは取引先からの信頼を失いかねない。 「これ、ダメだよ」  着任二日目、桐生は若手社員の水野真帆が提出した検査報告書を突き返した。記載漏れが三カ所、数値の転記ミスが一カ所。指摘は正確だった。  水野は黙って報告書を受け取り、自席に戻った。その日の午後から、水野は桐生と目を合わせなくなった。  翌週、同じことが繰り返された。今度は別の若手、藤川拓海の顧客対応メールに対して「この書き方じゃ伝わらない。やり直し」と言い渡した。藤川は「わかりました」と小さく答えたが、修正に二時間をかけた末、ほぼ同じ内容のメールを再提出してきた。何をどう直せばいいのか、わからなかったのだ。  課内の空気は目に見えて重くなった。若手たちは報告を後回しにし、桐生に確認を求めることを避けるようになった。品質を上げるための指導が、逆に情報の流れを滞らせていた。 「桐生さん、ちょっといいですか」  声をかけてきたのは、隣の課の主任・小嶋奈津子だった。桐生より三つ年下だが、社歴は長い。 「水野さんと藤川くん、最近ちょっと元気ないみたいで」 「指摘してるだけですよ。事実と違うことは言ってない」 「事実かどうかの問題じゃないと思うんですけどね」  小嶋はコーヒーを一口飲み、言葉を選ぶように続けた。 「前の会社ではどうだったか知りませんけど、『ダメ』って言われて奮起するタイプばかりじゃないんですよ。特にうちの若い子たちは。否定されると、次にどう動けばいいか、フリーズしちゃうんです」 「じゃあ、間違ってても何も言うなと?」 「そうじゃなくて。『ここをこう変えてみたらどう?』って言い方にするだけで、ずいぶん違いますよ。指摘の中身は同じでも、受け取り方が変わるので」  桐生は反論しかけたが、飲み込んだ。思い返せば、品質が上がるどころか、チームの生産性は下がっている。正しいことを言っているはずなのに、結果が伴わない。  翌日、桐生は水野の報告書を手に取った。やはり記載漏れがある。いつもなら「ここが抜けてる」と言うところだった。 「水野さん、この項目のところなんだけど、検査日時も一緒に入れてもらうと、後から追跡しやすくなるんだ。次から意識してみてくれる?」  水野は一瞬、面食らったような顔をした。それから「はい、わかりました」と答えた。声のトーンが、いつもと少し違った。  藤川のメールにも、同じ方法を試した。「この部分、相手が最初に知りたいのは結論だから、順番を入れ替えてみたらどうかな」と具体的な改善案を添えた。藤川は十五分で修正を終え、「こういう感じですか?」と確認に来た。以前のように二時間かけて途方に暮れることはなかった。  劇的な変化が起きたわけではない。桐生が言い方を変えても、ミスはすぐにはなくならなかった。ただ、若手たちが報告を避けなくなった。質問が増え、確認が早くなった。小さな問題が、小さいうちに桐生の耳に入るようになった。  一カ月後、月例の品質レビューで、課内の不適合率がわずかに下がった。数字としてはささやかなものだ。 「桐生さん、ちょっと雰囲気変わりましたよね」  小嶋にそう言われて、桐生は苦笑した。 「言ってることは変えてないんですけどね。言い方を変えただけで」 「それが一番難しいんじゃないですか」  帰り道、桐生は考えた。正しさは、伝わらなければ意味がない。そして伝え方には、温度がある。

論考

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「否定」が機能しない時代のフィードバック設計

### 序  フィードバックは人材育成の中核でありながら、最も失敗しやすい行為の一つでもある。「ここがダメだ」と端的に伝えれば改善につながるという前提は、実務の現場ではしばしば裏切られる。否定型のフィードバックが受け手の防衛反応を引き起こし、かえって行動変容を阻害するメカニズムは、多くの管理職が経験的に知りながらも、代替手段を体系的に持ち合わせていないのが現状ではないだろうか。 *問い:あなたの職場で、否定型フィードバックが意図通りに機能した事例はどれくらいあるか?* ### 展開  フィードバックの本質は、相手の行動を変えることにある。正しさの証明ではない。この前提に立てば、「何がダメか」を伝えるよりも「どうすれば良くなるか」を示す方が、目的に対して合理的であることは自明だ。  提案型フィードバックが機能する理由は三つある。第一に、受け手の自尊心を不必要に傷つけないため、防衛反応が生じにくい。第二に、改善の方向性が具体的に示されるため、受け手が次のアクションを取りやすい。第三に、「問いかけ」の形をとることで、受け手が主体的に考える余地が生まれる。  特に注目すべきは第二の点である。否定型フィードバックの最大の問題は「何がダメか」は伝わるが「どうすればいいか」が伝わらないことにある。経験豊富な人材であれば否定から改善策を自ら導き出せるが、経験の浅い人材にとっては、否定はただの行き止まりになりかねない。 *問い:フィードバックを受けた人が、具体的な改善行動に移れた割合を測定しているか?* ### 反証  しかし、提案型フィードバックにも限界はある。重大なコンプライアンス違反や安全に関わる問題など、即座に明確な否定が必要な場面は確実に存在する。「こうしたらどうかな」では済まない状況で曖昧な表現を使えば、問題の深刻さが伝わらない。  また、提案型に偏りすぎると、受け手が「何をしても大丈夫」という誤った安心感を抱くリスクもある。フィードバックの形式よりも、日常的な信頼関係の構築が、受け手の受容度を左右する最大の要因だという指摘も見逃せない。信頼があれば、多少厳しい言い方でも受け入れられる。信頼がなければ、どれほど丁寧に言っても防衛反応は起きる。 *問い:信頼関係が十分に構築されていない段階で、厳しいフィードバックが必要な場面にどう対処するか?* ### 再構成  ここから導かれるのは、フィードバックを「否定か提案か」の二項対立で捉えるべきではないということだ。重要なのは、状況に応じてフィードバックの形式を使い分ける「設計力」である。  具体的には、三つの軸での判断が求められる。一つ目は「緊急度」。安全やコンプライアンスに関わる問題は即座に明確に指摘する。二つ目は「関係性の成熟度」。信頼関係が浅い段階では提案型を基本とし、関係が深まるにつれてフィードバックの幅を広げる。三つ目は「受け手の経験値」。経験の浅い人材には改善の方向性を含めた具体的な提案を、経験豊富な人材には課題の指摘のみで十分な場合もある。  このように考えれば、フィードバックとは固定的な「やり方」ではなく、相手と状況を読み取ったうえで設計するものだということがわかる。 *問い:自組織のフィードバックは、受け手の経験値や関係性の深さに応じて使い分けられているか?* ### 示唆  フィードバックの巧拙は、管理職個人のコミュニケーション能力に帰着されがちだ。しかし実際には、組織としてフィードバックの「型」を共有し、状況に応じた使い分けを仕組みとして整備することが、持続的な人材育成の基盤となる。正しいことを正しく伝える力は、個人の才能ではなく、訓練と設計によって獲得できるものである。 *問い:フィードバックの方法論を、組織として体系的に学ぶ機会を設けているか?* ### 実務への含意 - フィードバックの第一歩として「何がダメか」ではなく「どうすれば改善できるか」を伝える習慣を、チーム全体で共有する - フィードバックの形式を「緊急度」「関係性の成熟度」「受け手の経験値」の三軸で使い分けるガイドラインを整備する - 定期的な1on1の場を設け、日常的な信頼関係の構築を通じて、率直なフィードバックが受容される土壌をつくる ### 参考文献 - 『フィードバック入門 耳の痛いことを伝えて部下と職場を立て直す技術』中原淳(PHP研究所)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4569832903?tag=digitaro0d-22) - 『心理的安全性のつくりかた』石井遼介(日本能率協会マネジメントセンター)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4820728245?tag=digitaro0d-22) - 『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』エイミー・C・エドモンドソン(英治出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4862762883?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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