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ショートストーリー

縦書き

エースの死角

営業部のエース、鳴海拓也は今期も全社トップの成績を叩き出していた。入社七年目、三十一歳。明るい笑顔、論理的な話術、そして誰もが認める行動力。クライアントからの評判も抜群で、「鳴海さんに担当してもらえてよかった」という声が社内に届くことも珍しくなかった。 だからこそ、鳴海には不満があった。 月曜の朝会で、課長の片桐が「今期から案件の進捗を全員で共有するシートを使います」と発表したとき、鳴海は露骨にため息をついた。 「片桐さん、それ僕にも必要ですか。正直、入力する時間がもったいないんですけど」 会議室が静まった。片桐は一瞬言葉を詰まらせたが、「全員でやることに意味があるんだ」と短く答えた。鳴海は肩をすくめ、ノートパソコンの画面に視線を戻した。 その日の昼休み、後輩の宮田が恐る恐る話しかけてきた。 「鳴海さん、あの共有シート、僕が代わりに入力しましょうか」 「悪いな。入力の時間で二件回れるからさ」 宮田は笑って引き受けた。だが鳴海は、宮田の目に浮かんだかすかな躊躇いに気づかなかった。 翌週、鳴海は大型案件のプレゼンに向かった。得意先の常務が同席する重要な場だ。資料は完璧に仕上げた。自信があった。 ところがプレゼンの冒頭、先方の担当者がこう切り出した。 「鳴海さん、先日御社の宮田さんに別件でお会いしたんですが、今回の提案背景について少し聞いていた話と違うようですね」 鳴海の手が止まった。宮田が先方と接触していたことを知らなかった。共有シートを見ていなかったからだ。宮田が入力していた備考欄には、先方が気にしているポイントが丁寧にまとめられていた。 プレゼンはどうにか乗り切ったが、先方の反応は鳴海の期待を大きく下回った。帰社後、片桐に呼ばれた。 「共有シート、見てなかっただろう」 「……すみません」 「鳴海、おまえが優秀なのはみんな知ってる。でもな、優秀だから全部ひとりで見えてると思ったら間違いだ」 鳴海は反論しかけたが、言葉が出なかった。片桐は続けた。 「宮田はおまえの代わりにシートを埋めてたんじゃない。おまえが見ないから、せめて俺たちが見られるようにって入力してたんだ。チームのためにな」 その夜、鳴海はオフィスにひとり残り、共有シートを最初から読んだ。宮田だけではない。他のメンバーも、それぞれの案件で拾った小さな情報を書き込んでいた。鳴海がいつも「自分には必要ない」と切り捨てていたものの中に、自分ひとりでは絶対に得られなかった視点がいくつもあった。 翌朝、鳴海は朝会の前に共有シートを開き、自分の案件の進捗を入力した。備考欄には、前日のプレゼンで得た先方の反応を書き添えた。 宮田がそれに気づいて、少し驚いた顔をした。鳴海は何も言わず、小さくうなずいた。 エースの数字がチームの数字になるには、まだ時間がかかるのかもしれない。だが、入力欄のカーソルが点滅しているうちは、その回路はつながっている。

論考

縦書き

能力が高い人ほど陥る「特権意識」の罠――謙虚さはなぜ組織の競争力になるのか

優秀な人材は組織の宝である。しかし、その優秀さがときに組織を蝕む毒に変わることがある。能力が高く、実績を積み重ねた人物ほど、「自分は特別だ」という無自覚な特権意識を抱きやすい。この特権意識は、本人が思う以上に周囲との関係を損ない、チーム全体のパフォーマンスを引き下げる要因になりうる。では、なぜ能力と傲慢は結びつきやすいのだろうか。 突出した成果を出す人間には、周囲からの称賛と特別扱いが集まる。上司は多少の逸脱を黙認し、同僚は気を遣い、部下は追従する。こうした環境が、本人の中に「自分のやり方が正しい」「ルールは自分には当てはまらない」という確信を育てていく。問題は、この確信が自覚されにくい点にある。本人は合理的に判断しているつもりでも、実際には自己評価のバイアスが働いている。能力の高さが判断力の高さを保証するわけではないにもかかわらず、周囲のフィードバックが歪んでいるため、修正の機会が失われるのだ。では、組織は高業績者に対するフィードバックをどのように設計すれば、この歪みを防げるだろうか。 一方で、特権意識のすべてが悪いわけではないという見方もある。強い自己効力感や自信は、困難な局面を突破するために不可欠な資質でもある。リーダーが毅然とした態度を取れるのは、ある種の「自分は正しい」という確信があるからだ。謙虚さを過度に求めれば、意思決定の速度が落ち、リーダーシップの空白が生まれる可能性もある。問題は特権意識そのものではなく、それが他者の貢献を軽視する態度に転化したときに生じる。では、自信と謙虚さの境界線はどこにあるのだろうか。 この問いに対する一つの答えは、「自分の視野には限界がある」という認識を持てるかどうかにある。エドガー・シャインが提唱する「謙虚なリーダーシップ」の核心は、リーダーが全知である必要はなく、チームメンバーとの信頼関係を通じて情報を補完し合うことにある。能力の高い個人が「自分には見えていないものがある」と認めたとき、初めてチームの知恵が統合される。特権意識を持つ人間が変わりにくいのは、ロバート・キーガンが指摘するように、変化を妨げる「裏の目標」——たとえば「弱みを見せたくない」「自分の優位性を失いたくない」——が無意識に働いているからだ。この構造に気づくことが、変化の第一歩となる。では、自分の「裏の目標」を可視化するために、どのような内省の仕組みが有効だろうか。 能力と謙虚さは対立概念ではない。むしろ、真に高い能力とは、自分の限界を知ったうえで他者の力を引き出せることを指す。ダニエル・ゴールマンが示すEQの視点で言えば、自己認識と他者への共感は、知性や技術と同等かそれ以上にリーダーの成果を左右する。特権意識の罠から抜け出す鍵は、「自分は何を見落としているか」と問い続ける習慣にある。 **実務への含意** - 高業績者に対しても例外なくチームの仕組みへの参加を求めることで、情報の非対称性を減らす - 360度フィードバックなど、率直な評価が届く仕組みを制度として設計する - リーダー自身が「わからない」「教えてほしい」と言える文化を意識的に醸成する ### 参考文献 - 『謙虚なリーダーシップ』エドガー・H・シャイン(英治出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4862762778?tag=digitaro0d-22) - 『なぜ人と組織は変われないのか』ロバート・キーガン(英治出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4862761542?tag=digitaro0d-22) - 『EQリーダーシップ』ダニエル・ゴールマン(日本経済新聞社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4532149754?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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