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ショートストーリー

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十人の声

営業企画部の永瀬真紀は、自席のモニターに映った数字を見て、思わず唇を噛んだ。 参加申込数——七名。 生活雑貨メーカー「ハルノ工房」が初めて企画した顧客交流イベントまで、あと二週間。社内で大々的に告知し、SNSでも拡散したのに、反応はこの程度だった。 「永瀬さん、集まり具合はどうですか」 声をかけてきたのは、上司の三田部長だ。五十代半ば、穏やかだが数字には厳しい。コミュニティ施策の責任者として永瀬を指名したのも三田だった。 「七名です。目標の百名には程遠くて」 三田は腕を組んだ。「百名、ね。それは誰が決めた目標?」 「競合のグリーンクラフトさんが毎回百人規模でオンラインイベントをやっていると聞いたので……」 「他社がやっているから、か」 三田はそれだけ言って、自席に戻った。 永瀬は焦った。翌日から動き方を変え、ゲスト講師に人気インフルエンサーの起用を検討し始めた。予算を追加申請し、景品付きのキャンペーンも計画した。集客さえ増えれば、コミュニティは自然に育つ。そう信じていた。 一週間後、追加施策の効果で申込数は三十五名に伸びた。だが中身を精査すると、大半が景品目当ての新規登録者で、ハルノ工房の製品を購入したことがある人はわずか四名だった。 「このイベント、何のためにやるんでしたっけ」 隣の席の後輩、坂口が画面を覗き込んで言った。悪気はないのだろうが、永瀬の胸にはその言葉が刺さった。 何のために。 その夜、永瀬は自宅のキッチンで、ハルノ工房の木製まな板を使いながら考えた。五年前に自社製品のモニターとして使い始めたこのまな板は、今も手に馴染む。刃当たりが柔らかく、傷がついても味わいに変わる。この感覚を誰かと共有したいと思ったことが、入社のきっかけだった。 翌朝、永瀬は三田部長に時間をもらった。 「イベントの規模を縮小させてください。百名は目指しません」 三田は眉を上げた。「代わりにどうする?」 「まず十人だけ集めます。うちの製品を長く使ってくれている方を、カスタマーサポートの記録から探して、直接声をかけます」 「十人で何が分かる?」 「分かりません。でも、景品で百人集めても、誰がうちのファンなのか分からないままです。十人なら全員の顔を見て話ができます」 三田は少し考えてから言った。「面白いとは思うが、上には俺が説明するから、報告できる材料は持ってきてくれ」 永瀬はカスタマーサポートの応対記録を一件ずつ読み返した。修理依頼のメールに「二十年使っています」と書いてくれた主婦。「御社の包丁研ぎ器は飲食店仲間にも薦めている」と添えてくれた料理人。そうした人たちに一人ずつ、手書きのメッセージカードを添えた招待状を送った。 最初の会合に来てくれたのは、八名だった。 会議室に集まった参加者は、永瀬が想像していたよりもずっと饒舌だった。 「ハルノさんの道具って、使い込むほど手に馴染むんですよね。それが好きで」 「修理対応が丁寧だったから信頼してる。でも正直、最近の新製品はちょっとデザイン優先に見える」 厳しい意見も出た。だがその言葉には、製品への期待が込められていた。 永瀬はメモを取りながら、ひとつの問いを投げた。 「みなさんにとって、ハルノ工房ってどんな存在ですか?」 沈黙のあと、六十代の男性が口を開いた。 「"暮らしの道具を一緒に育てる会社"かな。売って終わりじゃなくて、修理して、長く使わせてくれる。そういうところが他と違う」 その一言に、他の参加者が頷いた。永瀬の目にじわりと熱いものがこみ上げた。 会合のあと、永瀬はその言葉をもとに、コミュニティのビジョンを一行にまとめた。 「暮らしの道具を、一緒に育てる」 三田部長に報告すると、彼は紙面をじっと見つめてから言った。 「百名のイベントからは、これは出てこなかっただろうな」 三カ月後、月一回の小さな集まりには二十名ほどが参加するようになっていた。参加者が知人を連れてくるようになったのだ。華やかな数字ではない。だが、参加者の一人がSNSに投稿した「ハルノ工房の集まりに行ってきた。道具の話を夢中でしてしまった」という短い文章には、三十件を超えるコメントがついていた。 永瀬は数字の大きさを追いかけることをやめた。代わりに、八人の顔を思い出すことにしている。あの会議室で生まれた一行のビジョンが、今も小さな輪の真ん中にある。

論考

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「量より質」の逆説——なぜ熱心な十人がビジネスを変えるのか

#### 序 新規事業やコミュニティを立ち上げるとき、多くの担当者が最初に気にするのは「何人集まるか」だ。集客数は分かりやすい指標であり、上司への報告にも使いやすい。しかし、数を追うことが本当に事業の成長につながるかと問われれば、答えは必ずしもイエスではない。むしろ、最初の段階で規模を追いかけすぎることが、活動の迷走を招く原因になりうる。ここで検討すべき問いがある——集客数と事業成果の間には、本当に線形的な関係があるのだろうか。 #### 展開 ある考え方によれば、事業の基盤をつくるのは大量の「薄い関心層」ではなく、少数の「濃い支持者」である。製品やサービスに対して強い愛着を持つ十人のコアメンバーがいれば、そこからビジョンが生まれ、ビジョンが明確であれば活動の方向性が定まり、自然と参加者の輪が広がっていく。この段階的な成長モデルは、一見すると回り道のように見える。だが実際には、最初に方向性を固めることで、後のすべての施策が一貫性を持つようになる。問いかけるべきは、自社のコミュニティや事業に「方向性の基盤となる支持者」が何人いるか、である。 #### 反証 もちろん、「まず十人から」という方針には限界もある。短期的な成果を求められる組織では、少人数の活動に予算と時間を割くことへの理解を得にくい。また、少数の支持者に依存しすぎると、その集団が閉鎖的になり、新規参加者を排除する「内輪」の論理が生まれるリスクもある。さらに、どれほど熱心なファンがいても、製品やサービスそのものの品質が伴わなければ、コミュニティは空回りする。少数精鋭の戦略は万能ではなく、事業のステージや市場の性質に応じて使い分ける必要がある。ここでの問いは、少数のコアメンバーから広がる成長と、最初から広く網を張る成長では、どちらが自社の状況に適しているか、だ。 #### 再構成 両者を対立的に捉えるのではなく、段階として理解するのが妥当だろう。最初にコアメンバーと方向性を共有し、次にその方向性を軸にして範囲を広げていく。この「小さく始めて大きく育てる」プロセスにおいて最も重要なのは、ビジョンの明確化だ。ビジョンとは、壮大な理念である必要はない。「自分たちは何のためにこの活動をしているのか」という問いへの、関係者全員が納得できる答えのことだ。ビジョンが曖昧なまま施策を打つと、集客やイベント開催そのものが目的化する——いわゆる「手段の目的化」が起きる。目的と手段の逆転は、忙しさの中で見落とされやすいが、活動の持続可能性を根本から揺るがす構造的な問題だ。問うべきは、現在の活動が「何のために」行われているか、即答できるかどうか、である。 #### 示唆 規模の追求は、それ自体が悪いわけではない。だが順序を間違えると、数字は増えても中身が空洞化する。熱心な少数の声に耳を傾け、そこから生まれたビジョンを軸に組織を動かしていく。この地味で着実なプロセスこそが、結果として最も遠くまで届く。問いを立てよう——あなたの事業に、ビジョンを一緒につくってくれる「最初の十人」はいるだろうか。 #### 実務への含意 - コミュニティや新規事業の立ち上げでは、最初に「何のためにやるのか」を定義し、それに共感する少数の支持者との対話からビジョンを固める - 集客数やイベント回数をKPIにする前に、参加者の「質」を測る指標(リピート率、自発的な紹介数など)を設計する - 手段の目的化が起きていないか、定期的にビジョンに立ち返って活動を検証する仕組みを組み込む ### 参考文献 - 『ファンベース』佐藤尚之(筑摩書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/448007127X?tag=digitaro0d-22) - 『ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則』ジム・コリンズ(日経BP)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4822740315?tag=digitaro0d-22) - 『ビジネスも人生もグロースさせる コミュニティマーケティング』小島英揮(日本実業出版社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/453405677X?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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