ショートストーリー
点のつかない部屋
論考
場は人格を配っている
人が集まる場をつくるとき、私たちはたいてい「どうすれば活発になるか」を考える。だが場が人に与えるものは活発さだけではない。場は参加者に、自己像を配る。どの発言が伸び、どこに承認が集まるかという分布を通じて、「あなたはこういう人だ」という役割が割り当てられていく。しかも割り当てられた側は、やがてそれを自分の性格だと思うようになる。──あなたの組織で「あの人はああいうキャラだから」と言われている人物は、その場に来る前からそうだっただろうか。
仕組みはさほど複雑ではない。承認が可視化されると、参加者は承認の分布を学習する。学習すれば、承認されやすい振る舞いが増え、されにくい振る舞いが減る。ここまでは単なる適応だが、問題はその次にある。振る舞いが偏り続けると、周囲はその偏りを本人の属性として記述しはじめる。「熱量のある人」「批判的な人」「数字に強い人」。記述は期待になり、期待は逸脱コストになる。役から降りれば承認が減るので、人は役に留まる。こうして場は、性格の生産装置になる。──直近半年で、あなたの組織で「その人らしくない」発言をした人は何人いたか。
とはいえ、可視化そのものを悪と決めつけるのは乱暴だ。指標のない場は理想の広場にはならない。声の大きい人と役職の高い人が占有するだけである。承認の可視化は、埋もれていた貢献を発見する装置でもあり、記録されない場が無責任な攻撃を生むことも繰り返し観察されてきた。役割の固定にも効用がある。何を期待されているかが明確な場は、参加のコストが低い。──指標を撤去した場で、最初に発言量を増やすのは誰か。
だとすれば問うべきは、指標の有無ではなく指標の構造である。第一に、通貨が単一かどうか。承認の形が一種類しかない場では価値が一列に並び、役が固まる。第二に、全数か部分か。すべての発言が計測される場には、試し書きの場所がない。第三に、退出可能性。点のつかない部屋が併設されている場は、役を降りる余地を残す。設計の巧拙は、集計の精度ではなく、集計しない領域をどれだけ意図して確保したかに表れる。──あなたの組織に、記録も集計もされない対話の場はいくつあるか。
場をつくった人間は、その場が返してくる人間の姿を、いつのまにか人間の本性だと思い込む。参加率が上がり返信が速くなったという数字は、その思い込みを補強する。だが数字が示しているのは、設計に適応した人々の姿であって、彼らが何者であるかではない。設計を変えれば別の人格が現れる。それは操作の余地であると同時に、責任の所在でもある。──いま見えている「社員の姿」は、測り方を変えたら何番目に変わるか。
実務への含意
- 承認の形を複数用意する。スタンプ一種類ではなく、質問・引用・引き継ぎなど、性質の異なる反応を残せるようにする
- 「集計されない場」を意図して一つ確保し、そこを評価や表彰の対象にしない
- エンゲージメント指標が改善したときこそ、投稿の中身を人が読む。数字と読後感が乖離していないかを確かめる
参考文献
- 『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』ジェリー・Z・ミュラー(みすず書房)Amazon
- 『監視資本主義: 人類の未来を賭けた闘い』ショシャナ・ズボフ(東洋経済新報社)Amazon
- 『デジタル・ミニマリスト: 本当に大切なことに集中する』カル・ニューポート(早川書房)Amazon
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