第二営業部の朝礼で、遠野は誇らしげにスライドを映した。新規顧客向けの大型キャンペーン。実績の数字を見栄えのいい角度で切り取り、まだ確定していない受注まで「ほぼ内定済み」として積み上げた資料は、会議室の空気を一瞬で華やがせた。部長も「攻めていていい」と頷く。遠野の頭の中では、この一手で自分の評価が一気に跳ね上がる未来だけが、くっきりと光っていた。
華やかなプレゼンの朝
その斜め後ろで、桐生は黙ってノートにペンを走らせていた。彼女の机の引き出しには、半年前から温め続けている一枚の企画書が眠っている。「導入でつまずいた取引先への、無償の初期サポート枠」。見返りを求めず、困っている小さな顧客に三時間だけ静かに伴走する、という地味な提案だった。
「桐生さん、それ、タダ働きですよね」朝礼のあと、遠野は笑いながら言った。「数字にならないことに時間を使っても、誰も評価してくれませんよ」。桐生は曖昧に頷いた。本当は、彼女自身が誰よりもその予測を恐れていた。頭の中で鳴るのは、いつも最悪の場面ばかりだ。──売名だと笑われる。コストを垂れ流すだけで、感謝もされずに終わる。彼女にとってその一歩は、大損しかねない危うい賭けに見えていた。だから何度も引き出しを開けかけては、また閉じた。
価値観が衝突する瞬間
遠野の施策は、最初の二週間こそ華々しかった。だが「ほぼ内定」は次々と崩れ、誇張された数字は顧客からの問い合わせで裏が取れなくなった。一件の苦情が別の苦情を呼ぶ。彼が見ていなかった小さなドミノが、見えないところで一列に倒れていった。気づいたときには、施策どころか部全体の信用そのものが揺らいでいた。遠野は「これくらい、すぐ取り返せると思っていた」と青ざめた。彼の描いていた未来は、解像度があまりに低かったのだ。
その混乱の最中、桐生は初めて引き出しを最後まで開けた。「これ以上、失うものはない」という、消極的な勇気だった。彼女は数社の取引先に、ただ静かに、無償のサポート枠を差し出した。
返ってきたものは、彼女の予測を完全に裏切った。
「あの三時間で救われた」と、ある会社の社長は、頼まれてもいないのに別の経営者を紹介してくれた。サポートを受けた担当者は、自社での使い方を社内勉強会で勝手に広めていた。桐生が「せいぜい十の労力」と見積もったものは、相手の中で百の価値に膨らみ、利息までつけて戻ってきた。半年も眠っていた企画書は、いつのまにか部の立て直しの軸になっていた。
予測を裏切って戻る実り
二人とも、未来の予測を外していた。遠野は、自分の派手な一手が呼ぶ災いを低く見積もりすぎた。桐生は、自分の地味な善意が生む実りを、低く見積もりすぎた。
違いは、予測が上手いか下手か、ではなかったのかもしれない。最後のところで、世界を信じていたかどうかだった。