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ショートストーリー

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拍手の設計者

瀬川拓人が「クラップ」を立ち上げたのは、二十八歳のときだった。 社内コミュニケーションツールに搭載した「拍手ボタン」は、同僚の仕事にワンタップで称賛を送れるシンプルな機能だった。メールで礼を言うほど大げさでもなく、何もしないほど冷たくもない。ちょうどいい距離感の承認——それが瀬川の着想だった。 導入企業は瞬く間に増えた。拍手の総数がリアルタイムで表示されるダッシュボードを追加すると、利用時間は三倍に跳ね上がった。「拍手ランキング」を実装すれば、さらに伸びた。投資家たちは数字に沸き、瀬川は業界誌の表紙を飾った。 異変を最初に察知したのは、開発部の桐谷だった。 「瀬川さん、少しいいですか」 桐谷は導入企業の社員アンケートを独自に分析していた。拍手の数が多い社員ほど、心理的な疲弊度が高いという逆相関が出ていた。 「拍手をもらうために、行動が変わっているんです。本来やるべき地味な仕事より、目立つ仕事を選ぶ傾向が明確に出ています」 瀬川はデータに目を通した。統計的に有意な数字が並んでいる。だが、その週に控えた大型資金調達のことが頭を離れなかった。 「サンプルが偏っているんじゃないか。導入企業の満足度は過去最高だよ」 桐谷は黙って頷き、会議室を出た。 半年後、別の社員が同様の報告を上げた。今度は離職率データも添えて。瀬川はミーティングで言った。「ツールの使い方は企業側の裁量だ。我々はインフラを提供しているに過ぎない」 誰も反論しなかった。 クラップの導入企業が五千社を超えた頃、一通のメールが届いた。従業員三十人の製造会社を営む村瀬恵子からだった。 「お会いしてお話ししたいことがあります」 瀬川は広報に回そうとしたが、文面のある一行が目に留まった。 ——拍手が届かなくなった人が、どうなるかご存じですか。 会議室で向かい合った村瀬は、静かな声だった。 「うちの工場に三十年いた職人がいましてね。腕は確かですが、寡黙な人で。拍手ランキングはいつも最下位でした」 瀬川は黙って聞いた。 「若い社員たちが拍手を集めることに夢中になる中で、彼だけは自分の仕事を変えませんでした。でもある日、彼が私にこう言ったんです。『社長、俺の仕事は拍手がもらえない種類みたいです』って」 村瀬は一拍おいて続けた。 「彼は辞めていきました。三十年ですよ。彼の仕事は、御社の拍手では測れないものだった。でもクラップが入ってからは、測れないものは存在しないことになってしまった」 村瀬が去った後、瀬川は一人で会議室に残った。窓の外のビル群を見るともなく見ながら、ふと気づいた。自分がクラップを作った本当の理由に。 前職での三年間、誰にも認められなかった。企画を通しても評価されず、退職した日、誰一人引き止めなかった。 だから作ったのだ。承認が目に見える世界を。称賛が数値になる仕組みを。 五千社に届けた「承認のインフラ」は、二十五歳の自分が喉から手が出るほど欲しかったものだった。 瀬川はパソコンを開き、桐谷が二年前に送ってきたデータをもう一度開いた。 あのとき見なかったことにした数字が、画面の上で静かに並んでいた。 拍手は、設計した本人にだけは届かない。

論考

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承認を設計する者の盲点——プラットフォームが生む見えない代償

「認められたい」という欲求は、人間の根源的な動機の一つである。マズローの欲求階層説においても承認欲求は高次の位置に置かれ、人の行動を強力に駆動する。現代のビジネスはこの欲求を巧みに活用してきた。従業員エンゲージメント施策、顧客ロイヤルティプログラム、デジタルサービスのリアクション機能——いずれも「承認」を可視化・数値化し、事業の推進力に変えている。しかし、承認を意図的に設計し最適化することは、本当に人を豊かにしているのだろうか。 *問い:あなたの組織で「承認の仕組み」を導入した後、社員の行動は望ましい方向に変わったか?* 承認の設計が問題を帯びるのは、それが「断続的報酬」の構造を持つときである。行動心理学では、報酬が不確実なタイミングで与えられるとき、人はその行動を最も強く繰り返すことが知られている。スロットマシンと同じ原理だ。デジタルサービス上の「いいね」や評価スコアは、この断続的報酬を精密に設計したものといえる。利用者は「次にいつ承認が来るか分からない」という不確実性に駆り立てられ、繰り返しサービスを利用する。同様の構造はオンライン取引にも見られる。リアルタイムで変動する数値は、それ自体が刺激となり、本来不要な行動を誘発する。ここで見逃せないのは、これらの設計が利用者の幸福ではなく、利用時間やトランザクション数という事業者側の指標を最大化するために最適化されている点だ。 *問い:あなたが提供するサービスの「成功指標」は、顧客の幸福と本当に一致しているか?* ただし、承認の仕組みそのものを悪と断じるのは短絡的である。適切に設計された承認制度は、組織の心理的安全性を高め、個人の成長を後押しする。問題は仕組みそのものではなく、設計者が自社の成長指標のみに目を向け、利用者への悪影響を「見なかったことにする」不作為にある。多くの場合、現場からは異変のシグナルが上がっている。データで裏付けられた懸念が報告されても、成長期の組織は「サンプルの偏り」「個別事例」として処理しがちだ。この不作為は、単に知らなかった罪とは質が異なる。知りうる立場にありながら、知ることを選ばなかった罪である。 *問い:あなたの組織で「不都合なデータ」が報告されたとき、それは意思決定に反映されたか?* さらに掘り下げると、不作為の根源には経営者自身の心理構造が潜んでいることがある。承認を売る仕組みを作った者が、実は最も承認に飢えていた——そうしたケースは珍しくない。かつて認められなかった経験が、承認を可視化するサービスの着想につながる。動機自体は理解できる。だが、自分の渇望を投影した仕組みは、他者の渇望をも際限なく刺激する。ここにパラドックスがある。創業者は成功によって外面的な承認を得るが、その成功を維持するには仕組みを止められない。止めることは自己否定に等しいからだ。結果として内部からの警告は黙殺される。そして数値化できない価値——寡黙な熟練の技術、長期的な信頼関係、目立たない貢献——は、承認の可視化が進むほど周縁に追いやられていく。 *問い:あなたのサービスが「測れないもの」を測ろうとしたとき、測れないまま残すべきだったものは何か?* 承認の設計は、現代ビジネスにおいて避けて通れないテーマである。しかし設計者に求められるのは、利用者の行動を最適化する技術ではなく、自分自身の動機を直視する誠実さだろう。「なぜ自分はこの仕組みを作りたいのか」——この問いに向き合えない者は、やがてその仕組みに飲み込まれる。 #### 実務への含意 - **成功指標の再点検**:利用時間やエンゲージメント率だけでなく、利用者の幸福度や離脱理由を定期的に測定し、事業指標との乖離を監視する - **内部警告の制度化**:現場からの「不都合なデータ」が経営判断に反映される仕組みを設け、不作為を構造的に防ぐ - **「測らない勇気」の確保**:すべてを数値化・可視化する衝動を抑え、数値化が逆効果をもたらす領域を意識的に残す ### 参考文献 - 『嫌われる勇気——自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎・古賀史健(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478025819?tag=digitaro0d-22) - 『Hooked ハマるしかけ——使われつづけるサービスを生み出す[心理学]×[デザイン]の新ルール』ニール・イヤール(翔泳社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4798137863?tag=digitaro0d-22) - 『僕は君たちに武器を配りたい』瀧本哲史(講談社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4062170663?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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