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ショートストーリー
一応、確認なのですが
会議室の空気が、目に見えて淀んでいた。
森山食品マーケティング部の新商品開発会議。テーブルには「次世代ヘルシースナック」と銘打たれた企画書が広げられ、部長の黒田をはじめとする七名が難しい顔で腕を組んでいる。
「で、結局どうするんですか」
開発チームの中堅、早川が沈黙を破った。十五年この部署で働いてきたベテランだ。
「プロテイン配合で、低糖質で、満足感があるスナック。そういう方向性で」
企画担当の小林が答える。資料には「健康志向×美味しさの両立」という文字が踊っていた。
「それはわかってる。でも具体案が出ないから困ってるんだろう」
早川の言葉に、また沈黙が降りる。
入社二年目の吉村真帆は、会議室の隅で議事録を取りながら居心地の悪さを感じていた。別部署から三ヶ月前に異動してきたばかりで、食品開発の経験はほとんどない。だから発言もせず、ただメモを取り続けていた。
「プロテインバーとの差別化が難しいですよね」
「ターゲット層を絞れませんか」
「若年層か、シニア層か」
話は広がり、散らばり、収束の気配がない。
真帆はふと企画書を見直した。「次世代ヘルシースナック」。その言葉が引っかかる。
黒田部長が大きなため息をついた。
「このままじゃ埒が明かない。誰か、何かないか」
視線がテーブルを一周し、なぜか真帆と目が合った。
「吉村さん、何か意見は」
心臓が跳ねた。異動したばかりの自分に、何が言えるというのか。
「いえ、私は専門外なので……」
「遠慮しなくていい。素人目線も大事だから」
その言葉が、真帆の中で何かを動かした。
「あの、一応確認なのですが」
口が勝手に動いていた。
「『ヘルシー』って、具体的にどういう意味ですか」
場の空気が凍った。早川が眉をひそめる。
「今さら何を言ってるんだ。健康にいいってことだろう」
「はい、それはわかるのですが……」
真帆は企画書を見つめながら続けた。
「低糖質がヘルシーなのか、プロテインが多いことがヘルシーなのか。私、正直よくわからなくて」
小林が苦笑した。「全部ですよ。全部満たせればベストです」
「でも、全部って、誰にとっての全部なんでしょうか」
真帆は自分でも驚くほど冷静だった。
「筋トレしている人のヘルシーと、ダイエット中の人のヘルシーと、健康診断で引っかかったおじさんのヘルシーって、同じですか」
会議室が静まり返った。黒田部長がゆっくりと腕を組み直した。
「……続けてくれ」
「すみません、間抜けな質問かもしれないのですが」
真帆は深呼吸した。
「そもそも、なぜ『スナック』じゃないといけないんですか。ヘルシーを追求するなら他にも選択肢はありますよね。でも私たちはスナックを作ろうとしている。それって、どうしてなんでしょう」
沈黙が続いた。だがそれは先ほどまでの淀んだ沈黙とは違う、何かを考えている沈黙だった。
早川がぽつりと言った。「……罪悪感なく、つまめるから、か」
「罪悪感」と小林がつぶやく。「そうか。ヘルシーって、栄養素の話じゃなくて、気持ちの話なのかもしれない」
黒田部長が身を乗り出した。「つまり、夜中につまんでも後ろめたくないスナック。そういうことか」
企画書には書かれていない言葉が、次々と生まれ始めた。
会議が終わったのは四十分後。ホワイトボードには「罪悪感ゼロ夜食スナック」という仮タイトルと、具体的なアイデアが並んでいた。
帰り際、早川が声をかけてきた。
「正直、最初は何を言い出すんだと思った。でも、あれがなかったら今日も何も決まらなかった」
「私は本当にわからなかっただけで」
「それでいいんだよ」早川は小さく笑った。「俺たちは十五年もやってきて、わからないことがわからなくなっていたんだ」
窓の外には夕焼けが広がっていた。
知らないことは、ときに一番鋭い刃になる。
論考
「素人質問」という技法——暗黙の前提を問う勇気が組織を動かす
**序:停滞する会議の構造的問題**
会議が行き詰まるとき、原因は「議論の質」ではなく「前提の共有不足」にある。参加者は同じ言葉を使いながら、異なる意味で理解している。しかし誰も確認しない。「わかっているはず」という思い込みが議論を空転させる。組織の停滞の根本には、何が未定義のまま放置されているのだろうか。
**展開:問いかけの二つのモード**
組織における問いかけには二つのモードがある。「フカボリモード」は暗黙の前提を明らかにする。「ユサブリモード」は固定観念を揺さぶる。多くの会議では後者が重視され前者が軽視される。斬新なアイデアを求めるあまり、前提が曖昧なまま議論が進む。では深掘りモードにはどのような質問形式が有効なのか。
**反証:素人質問のリスクと限界**
この問題を打破する手法が「素人質問」だ。「それってどういう意味ですか」といった形式で、当たり前の前提に疑問を投げかける。しかしリスクもある。「話を聞いていなかったのか」と顰蹙を買う可能性がある。何でも質問する態度は怠惰とみなされる。素人質問が効果を発揮する条件と逆効果になる条件を分けるものは何か。
**再構成:戦略としての「空気を読まない」姿勢**
素人質問を成功させる鍵は、戦略的に「空気を読まない」ことである。日本の組織では空気を読むことが美徳とされ、本質的な疑問は抑圧されがちだ。しかし「わかったふり」の蓄積は組織を硬直化させる。重要なのは質問の仕方だ。「間抜けな質問かもしれませんが」といった枕詞で攻撃性を和らげつつ本質を突く。仮説を添えれば怠惰との差別化も図れる。自組織において、素人質問を許容する文化はどの程度醸成されているか。
**示唆:問う勇気が組織を前進させる**
素人質問の本質は、知らないことを認める勇気である。専門性が高まるほど「知らない」と言いにくくなる。しかし専門家ほど自分の前提を疑う必要がある。初歩的な問いが議論の転換点となることは珍しくない。
**実務への含意**
- 会議が停滞したときは「前提の確認」を試みる
- 枕詞で攻撃性を緩和し、仮説を添えて怠惰な印象を避ける
- 上位者が「わからない」と認めることで心理的安全性を高める
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**参考文献**
- [問いかけ 技法](https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%95%8F%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%91+%E6%8A%80%E6%B3%95&tag=digitaro0d-22)
- [心理的安全性 組織](https://www.amazon.co.jp/s?k=%E5%BF%83%E7%90%86%E7%9A%84%E5%AE%89%E5%85%A8%E6%80%A7+%E7%B5%84%E7%B9%94&tag=digitaro0d-22)
- [ファシリテーション 会議](https://www.amazon.co.jp/s?k=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3+%E4%BC%9A%E8%AD%B0&tag=digitaro0d-22)
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