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ショートストーリー

縦書き

払える大きさ

月曜の朝、本社人事から届いた資料の一行目に、赤い太字があった。〈営業企画課 自己決定度 全社平均を大きく下回る〉。  佐伯は四十一歳、文具卸の営業企画課を預かって三年になる。資料には研修の要点も添えられていた。部下に自分で決めさせること。自分で決めた経験が、人を前向きにすること。読みながら、悪くない話だと思った。  その日の午後、佐伯は入社六年目の野口を呼んだ。 「来春の新生活フェア、今年は君が決めていい。中身も、売り場も、好きにやってくれ」  野口は少しだけ目を見開き、「わかりました」と言った。  三日後に出てきた企画書は、去年とほとんど同じだった。ノートと手帳を平台に積み、のぼりの色を変えただけだった。 「自分で決めていいって言ったろう」  声がとがったのが、自分でもわかった。野口は企画書の端をそろえながら答えた。 「決めていいのは、わかりました。で、外れたら誰が払うんですか」 「払うって」 「数字が落ちたら、夏の評価で僕の欄に書かれますよね。課長は、外れても僕の評価は下げないって、ここで言えますか」  佐伯は言葉を探した。評価の最終決裁は部長だ。予算の配分もそうだ。 「言えないですよね」と野口は続けた。責める調子ではなかった。「課長も、決められないんだから」 「失敗を怖がってたら、何も決められないだろう」 「怖がってるんじゃないです。払えないんです。払えないものを賭けるのは、決定じゃなくて、ばくちです」  その夜、佐伯は実家に寄った。父は駅前で小さな八百屋を四十年やって、二年前に店を閉めた。台所で茶をすすりながら昼の話をすると、父は笑いもせずに言った。 「おれは何でも好きに決めたよ。誰にも何も言われなかった」 「うらやましいね」 「そのかわり、外したら売れ残りを捨てるのはおれだった。夜中にな。決めるってのは、あれを自分で捨てるってことだ」  父は湯のみを置いた。「お前の会社じゃ、捨てるのは誰だ」  佐伯は答えられなかった。会社では、売れ残りは別の部署が帳簿の上で静かに片づける。そして、外れたという記録だけが担当者の名前で残る。決める手ごたえは誰にも渡らず、傷だけが渡る。  翌朝、佐伯は「好きに決めていい」とは言い直さなかった。かわりに課の販促費の表を野口の前に置き、一つの行を指でなぞった。 「この三十万は、俺の判断で動かせる。部長の決裁もいらない。これを君の名前で使ってくれ」 「三十万だけ、ですか」 「外れたら、この三十万の分は俺が部長に頭を下げる。それ以上の約束は、正直、俺にもできない。そのかわり、当たっても外れても、報告書は君の名前で出す。理由も、結果も、君のものだ」  野口はしばらく表を見ていた。 「三十万なら、外れても、僕が引き受けられる大きさですね」  一週間後の企画書は、まるで違っていた。平台の半分を使い、新入社員が最初の一か月で実際に使った文具を、本人たちの手書きのメモと一緒に並べる。取引先の若手に、野口が自分で声をかけて集めたものだという。 「外れたら、来年の自分に笑われます」と野口は言った。その顔は、三日前より少し楽しそうに見えた。  フェアの結果は、まだ分からない。人事の資料の赤い太字も、来年すぐに消えるとは思えない。佐伯自身、自分の名前で決められるのは、三十万の大きさしかないのだ。  それでも佐伯はその夜、あの表の一行を来年はもう少し太くしてほしいと、部長あての上申書を書き始めた。太くした分は、自分が頭を下げる分になる。それを承知で、一行目を打った。  決めていい、と言うのはたやすい。払える大きさに切って渡すまでが、決めさせるということだった。

論考

縦書き

「自分で決めよう」の前に——決定は、引き受けられる責任の大きさでしか育たない

序:自己決定は幸福を左右する

所得や学歴よりも、「自分の意志で決めたかどうか」のほうが主観的な幸福感に強く影響する——そうした調査結果が知られている。進学先や就職先そのものより、その進路を自分で選んだという感覚が、人を支えるということだ。人は外から動かされるときより、自ら選んで動くときに力を発揮する。この指摘に異論は少ないだろう。

問い:あなたが最近「自分で決めた」と言い切れる仕事上の判断は、いくつあるか。

展開:決定と責任は表裏一体である

ただし、自己決定は「決めてよい」という許可だけでは成立しない。決めた結果を自分で引き受けられるとき、はじめて決定は決定になる。フリーランスを考えるとわかりやすい。何をいつやるかを誰からも指示されない。そのかわり、選択を誤って食えなくなれば、その結果は自分で負う。自己決定感が高いのは、自由だからというより、決定と結果が同じ人のところにあるからだ。責任を取れるからこそ、人は本気で選べる。

問い:あなたの決定が外れたとき、その代償を払うのは誰か。

反証:会社員に「自分で決めよう」は酷である

会社員の場合、構図は違う。権限は渡されても、結果の帰属は評価・予算・人事の仕組みが決める。失敗の傷は担当者の名前で残る一方、成功の果実は組織に吸収されやすい。決める手ごたえは渡されず、リスクだけが渡る。この非対称のもとで「自分で決めよう」と呼びかけても、無難な前例踏襲が返ってくるのは合理的な反応である。自己決定感が育たないのは、本人の意欲の問題ではなく、責任を取れない構造の問題だ。その意味で、「自己決定を大切に」という論調には少し無理がある。もっとも、だから決めなくてよいわけではない。翌日の服を前夜に決めるような、小さく自分で完結する決定は、誰にでも積み重ねられる。

問い:あなたの職場で「任せる」と言われた仕事に、結果の帰属まで含まれていたことはあるか。

再構成:決定の大きさを、責任の大きさに合わせる

鍵は、決定の大きさを、本人が引き受けられる責任の大きさに合わせることにある。組織の側は、権限移譲を「範囲」「予算」「結果の帰属」の三点セットで切り出す。外れたときにどこまでを上が引き受けるかを、先に言葉にする。個人の側は、自分が負える範囲を見極め、その内側では遠慮せず本気で決める。そして、引き受けた範囲で結果を出したら、範囲を少し広げてもらう。そのとき広がるのは権限だけでなく、背負う責任でもある。それを承知で広げていくことが、自己決定の力を育てる。

問い:いま上司に頼めば、結果ごと自分の名前で引き受けられる範囲はどこまでか。

示唆:自己決定感は、心の持ち方より「切り方」で決まる

自己決定感を、気の持ちようや習慣だけで高めるには限界がある。決定と責任を同じ人のところに置けるかどうか——それは多分に、仕事の切り分け方の問題だ。「決めていい」と言うのはたやすい。払える大きさに切って渡すまでが、任せるということである。

問い:あなたが部下に渡している「決めていい」は、払える大きさに切ってあるか。

実務への含意

  • 権限を渡すときは「範囲・予算・結果の帰属」を一緒に渡し、外れたときに上がどこまで引き受けるかを先に明言する
  • 自分が決められないと感じたら、「責任を取れる範囲はどこか」を上司とすり合わせ、その内側では本気で決める
  • 引き受けた範囲で結果を出したら、範囲と責任をセットで少しずつ広げてもらう

参考文献

  • 『人を伸ばす力——内発と自律のすすめ』エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト(新曜社)
  • 『身銭を切れ——「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』ナシーム・ニコラス・タレブ(ダイヤモンド社)
  • 『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム(東京創元社)

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