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ショートストーリー
三つ目の「なぜ」
業務用厨房機器メーカー、ミナカタ製作所の営業企画課で、岸本遥は資料の最終ページを睨んでいた。
主力の食器洗浄機「クリーンエース」の売上が、三期連続で落ちている。来週の部長会で、その原因と打ち手を報告するのが遥の役目だった。入社六年目、初めて任された大きな報告だ。ここで認められれば、新製品の企画チームに手を挙げられる。
原因の欄には、すでに三つの言葉が並んでいた。「競合の新製品投入」「価格競争力の低下」「営業人員の不足」。業界紙の特集記事にも、取引先の展示会担当者の話にも、ほぼ同じことが書かれていた。
問題は、部長の千葉だった。千葉は報告の途中で必ず「それで、なぜ」と聞く。一度答えに詰まると、質問は二つ、三つと重なり、最後は誰も口を開けなくなる。先月、隣の課の主任が四十分立ちっぱなしで質問を浴びたのを、遥は見ていた。
「ずいぶん怖い顔してるね」
声をかけてきたのは、保守サービス課の古賀だった。定年を二年後に控え、今でも自分で厨房に潜り込んで機械を直している。遥が資料を見せると、古賀は原因の欄を指でなぞった。
「この『競合の新製品』って、誰が言ってたの」
「業界紙です。特集が組まれていて」
「その記者は、誰に聞いて書いたんだろうね」
遥は少しむっとした。「古賀さん、時間がないんです。現場を一軒ずつ回っている余裕なんてありません。公表されている情報を整理するのが、企画の仕事だと思います」
「整理は大事だよ」と古賀は言った。「でもさ、うちの機械を毎日洗ってる人の話は、どこにも載ってないんだよな」
その夜、遥は試しに、隣の席の新人・森田に報告の流れを話してみた。森田は真面目な顔で聞き終えると、言いにくそうに口を開いた。
「あの……最初の三つの原因は分かるんですけど、なんでそれで、うちだけこんなに落ちてるんですか。競合の新製品って、他社も同じ条件ですよね。後半、急に話が飛んだ気がして」
遥は返事ができなかった。自分では筋が通っていると思っていた。けれど、なぜ「うちだけ」なのかは、一度も考えていなかった。
翌日、遥は古賀に頭を下げ、保守の巡回に同行させてもらった。三日で七軒の厨房を回った。閉店後の店で、古賀は洗浄機の扉を開け、ノズルの横についた小さな樹脂の部品を外して見せた。
「二年前に原価を下げるためにこれを変えた。性能は同じなんだけど、汚れが溜まりやすくなってね。毎晩これを外して洗わなきゃいけない」
厨房のチーフが、濡れた手を拭きながら言った。「人が足りなくて、閉店後の片付けは一人なんですよ。この部品を洗う十分が、正直きつい。次に買い替えるときは、外さなくていい機械にしようって話してます」
遥はノートに書き込みながら、三つ目の「なぜ」にようやく触れた気がした。売れないのは、価格でも競合でもなかった。使う人の夜の十分を、自分たちが奪っていたのだ。
部長会の日。遥の報告が終わると、千葉はいつものように腕を組んだ。
「競合の新製品の影響はどう見てる」
「影響はあります。ただ、同じ条件の他社より当社の落ち込みが大きい理由は、二年前の部品変更による清掃負担です。七軒の厨房で確認しました。対策部品の試算はこちらです」
千葉は資料をめくり、しばらく黙った。それから「分かった。試作の予算を組もう」とだけ言って、次の議題に移った。質問は、その一つだけだった。
会議室を出ると、廊下の先に作業着姿の古賀がいた。遥が報告すると、古賀は笑って、ポケットから例の樹脂部品を取り出した。
「これ、記念にあげるよ」
手のひらに乗せたそれは、驚くほど軽かった。答えはいつも、資料の外側の、こんなに小さなところに転がっている。
論考
「なぜ」が止まる場所を疑う――浅い思考から抜け出すための三つの習慣
### 序:考えが浅いとはどういう状態か
業績が伸び悩むとき、多くの人は「競合が強くなった」「価格が高い」「人手が足りない」といった理由を挙げる。どれも間違いではない。だが、これらは誰にでも言える理由であり、自社固有の事情を説明していない。考えが浅いとは、知識が少ないことではなく、ありきたりな説明に到達した時点で思考を止めてしまう状態を指す。
**問い:直近の報告で挙げた原因のうち、競合他社にもそのまま当てはまるものはいくつあるか。**
### 展開:鵜呑みが思考を止める
思考が止まる最大の要因は、他者の言葉をそのまま受け入れる習慣である。業界紙、専門家、取引先の発言は、いずれも誰かが何らかの視点や意図をもって発信したものだ。情報源が偏っていることも、単純に誤っていることも珍しくない。にもかかわらず、自信をもって語られた説明ほど検証されずに流通する。結果として、自分の意見だと思っていたものが、実は誰かの意見の反復にすぎなくなる。浅い理解は、少し角度を変えた質問一つで崩れる。そして一度崩れると「この人は考えていない」と見なされ、追及は連鎖的に厳しくなる。
**問い:自分が「事実」として扱っている情報のうち、一次情報で確認したものは何割あるか。**
### 反証:深く考えることの限界
一方で、あらゆる情報を疑い、徹底的に掘り下げることが常に正しいわけではない。意思決定には期限があり、調査に時間をかけすぎれば機会を逃す。また、深く考えたつもりでも、確証バイアスによって自分に都合のよい事実ばかり集めてしまう危険もある。疑うこと自体が目的化すれば、何も決められない組織になりかねない。深さは、無限に追求する対象ではなく、目的に応じて配分すべき資源である。
**問い:その問題に追加で一週間かけた場合、意思決定はどの程度変わる見込みがあるか。**
### 再構成:深さを測る基準を外に置く
では、どこまで考えれば十分なのか。有効な基準は「自分が納得したか」ではなく「第三者が納得したか」である。考えた内容を事前に誰かへ説明し、「なるほど」と言ってもらえるかを確かめる。「なぜそうなるのか」「途中で話が飛んでいる」と指摘された箇所こそ、思考が止まっていた場所だ。加えて、「なぜ当社だけがそうなのか」という比較の問いを立てると、一般論と固有の原因を切り分けやすくなる。こうして準備された説明は、最初の質問に動じずに答えられる。質問する側の多くは相手を基本的に信頼しており、確認したいだけである。最初の応答が確かなら、追及はそこで止まる。
**問い:次の報告の前に、利害関係のない第三者へ説明する機会を設けられるか。**
### 示唆:現場という一次情報
深い思考の材料は、資料の外側にあることが多い。顧客が製品をどう使い、どこで手間を感じているかは、統計や記事にはほとんど現れない。二次情報で全体像をつかみ、一次情報で固有の原因を確かめる。この往復が、ありきたりな説明を超える唯一の道筋である。
**問い:過去三か月で、顧客の利用現場を自分の目で見た回数は何回か。**
### 実務への含意
- 原因分析では「その理由は競合にも当てはまるか」を必ず確認し、自社固有の要因を最低一つ特定する
- 重要な報告の前には、第三者に説明して「話が飛んでいる箇所」を指摘してもらうリハーサルを習慣化する
- 二次情報(記事・専門家の見解)を引用する際は、その情報源と意図を一行添え、可能な範囲で一次情報と照合する
### 参考文献
- 『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』安宅和人(英治出版)
- 『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド(日経BP)
- 『考える技術・書く技術――問題解決力を伸ばすピラミッド原則』バーバラ・ミント(ダイヤモンド社)