ショートストーリー
名前のない矢
論考
批判は、いちばん見える人に刺さる
組織や市場が不安に覆われるとき、批判は決定した者ではなく、最も可視的な実行者に集中する。看板になった人、前線に立つ人、名前と顔が出ている人。彼らはたいてい、批判されている事柄について拒否権を持っていない。これは偶然ではなく、構造の帰結である。あなたの組織に直近半年で寄せられた苦情や批判のうち、決定者の氏名が宛先に含まれていたものは何%か。
理由は三つある。第一に、多くの意思決定が「総意」「経営判断」といった無名の形式で記録され、決定者の名前が残らない。第二に、広報や営業の設計上、外部から見えるのは実行者の顔だけである。第三に、批判する側は、最も反応が返ってきそうな宛先を最短距離で選ぶ。匿名であればコストはほぼゼロで、宛先の適切さを吟味する動機も働かない。結果として、権限の最も小さい人に、最も大きな圧力がかかる。直近の主要な意思決定について、決定者名・決定日・判断根拠を五分以内に取り出せるだろうか。
とはいえ、実行者は無関係な被害者だ、と言い切るのは乱暴である。看板を背負って便益を受けている以上、説明を求められるのは自然なことだ。また、決定者の名前を常に明示すれば、責任を負いたくない管理職が挑戦的な判断を避け、意思決定が遅く小さくなる危険もある。透明性は無料ではない。決定者名を開示している部門と、していない部門とで、意思決定の速度や失敗の頻度に実際の差はあるだろうか。
そこで、責任を一枚岩として扱うのをやめ、三つに分けて考えたい。決定責任、実行責任、説明責任である。混乱の多くは、この三つを同じ人に押しつけることから生じる。実行者が負うべきは実行責任だけであり、「なぜやるのか」を語る説明責任は決定した者に属する。実行者に説明責任まで負わせた瞬間、その人は自分に変更できないことについて謝るしかなくなり、批判は解決に向かわず消耗だけを残す。あなたの組織で実行者が矢面に立った案件のうち、決定者が同席したのは何割か。
批判は本来、情報である。宛先が正しければ改善に変わり、間違っていれば人を削るだけで終わる。必要なのは個人の耐性を上げることではなく、矢の飛ぶ先を設計し直すことだ。的が置かれた場所は、置いた側にしか動かせない。批判が集中している人物と、その件について決定権を持つ人物を並べて書き出したとき、二つの名前は一致しているだろうか。
実務への含意
- 重要な意思決定は、決定者名・決定日・判断根拠をセットで社内に記録し、参照できる状態にする。「総意」で終わらせない。
- 匿名の意見窓口には「誰宛てか」を明示する。宛先が無記名だと、投稿は最も目立つ個人に向かう。
- 実行者が矢面に立つ場面では、決定者を必ず同席させる。実行者に説明責任を代行させない。
参考文献
- 『「空気」の研究』山本七平(文藝春秋)Amazon
- 『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』鴻上尚史・佐藤直樹(講談社)Amazon
- 『ネット炎上の研究 誰があおり、どう対処するのか』田中辰雄・山口真一(勁草書房)Amazon
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