ショートストーリー
音を聞く男
論考
凡人という人はいない――評価制度が取りこぼす「差異」について
人材評価は、原理的に「比較可能なもの」しか扱えない。比較するには共通の軸が要り、共通の軸を作るには、個人に固有の部分をいったん削り落とさなければならない。だから評価制度が精緻になるほど、そこに映るのは「他人と比べてどうか」であって、「その人が何者か」ではなくなる。制度が悪いのではない。制度とはそういう道具である、というだけのことだ。──あなたの組織の評価項目のうち、他社の同職種の評価表とそのまま入れ替えても成立する項目は、何割あるだろうか。
そのうえで断言できることがある。人は必ず、他者と異なる特性を持って生まれる。それは能力の高低ではなく、注意の向く先の違いだ。ある人は数字の異常に、ある人は場の空気の傾きに、ある人は機械の音に、頼まれもしないのに注意が向いてしまう。この「勝手に向いてしまう注意」こそが、その人固有の資本である。そして卓越とは、この差異を知ることと、それに忠実でいられる環境を持つことの積であって、和ではない。片方がゼロなら、答えはゼロになる。──直近一年で、誰にも指示されずに最も長く時間を費やした対象を、あなたは自分の部下三名について即答できるだろうか。
ただし、この考え方は危うさを抱えている。「自分の特性に忠実に生きる」は、都合の悪い仕事から逃げる口実にきわめて転用しやすい。組織が回っているのは再現性のおかげであり、属人的な能力への依存は、そのまま事業継続のリスクになる。誰にも説明できない判断は、引き継げず、検証できず、間違っていても誰も気づけない。差異の礼賛は、一歩踏み外せば、標準化を担っている人々への侮蔑になる。──属人的な能力に依存している業務のうち、担当者が三か月不在でも回るものは、いくつあるだろうか。
だから解は、評価制度を差異で置き換えることではない。評価と観察を分離することである。評価は、比較可能な軸で、公平に、序列をつけて行えばよい。それとは別に、比較しない情報を、序列をつけないまま貯める場所を用意する。誰が何に勝手に時間を使っていたか。何を頼まれてもいないのに続けていたか。これは点数化した瞬間に死ぬ情報なので、点数化してはならない。貯めるだけで、しばらく何も起こらない。それでよい。──あなたの組織に、序列をつけない人材情報の蓄積は、存在するだろうか。
そして最後に重要なのは、差異は発見された瞬間に価値を持つのではない、ということだ。価値になるのは、それが要求される持ち場と接続されたときである。音がわかる人間は、音を聞く仕事がなければ、ただ報告書の遅い人でしかない。つまり本当に不足しているのは、才能の発掘手法ではなく、既存の組織図の外に小さな持ち場を作る権限のほうだ。──あなたの会社で、正式な部署ではない三人のチームを作る決裁は、誰が持っているだろうか。
実務への含意
- 評価と観察を、別の帳簿に分ける。観察の記録には点数も序列もつけず、用途を限定せずに数年単位で蓄積する。
- 選抜の「外」に、落選者が自分の特性を置ける場所を用意する。落選そのものより、落選が自己認識を固定してしまうことのほうが損失が大きい。
- 発掘した特性は、必ず小さな持ち場と接続する。持ち場のない特性は、半年で本人が忘れる。
参考文献
- 『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0』トム・ラス(日本経済新聞出版)Amazon
- 『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』北野唯我(日本経済新聞出版)Amazon
- 『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』サイモン・シネック(日本経済新聞出版)Amazon
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