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ショートストーリー
音を聞く男
四月の第二週、北條計測の人事部主任・宮下亜季は、A4で七枚の企画書を役員会に出した。「次世代選抜プログラム」。全社の総合評価スコア上位三十名を選び、二年かけて幹部候補に育てる。前年度の離職率が過去最悪を記録した会社にとって、久しぶりの前向きな話だった。
企画は通った。宮下は、はじめて自分の名前で仕事を動かした実感を持った。
つまずいたのは、候補者リストを印刷した日である。
三十名の顔ぶれが、あまりに似ていた。報告書がうまく、会議で要点を押さえ、上長の期待を外さない。減点の少ない人間が、上から順に並んでいた。宮下はリストを裏返して、しばらく机を見ていた。
「宮下さん、ちょっといい?」
声をかけてきたのは、生産技術部の課長・志方だった。手にしているのは、落選者の一覧だ。
「柏木、入ってないんだね」
柏木鉄平。入社七年目。宮下も名前は知っていた。評価は低い。仕様書の期限を守らない。報告のメールが三行しかない。数字だけ見れば、選ばれない理由しかなかった。
「あいつ、去年の浜松の件、覚えてる?」志方は言った。「工場の装置が止まって、原因が三日わからなかった。柏木を連れて行ったら、電源を入れて十五秒で『二番のベアリングです』と言った。当たってた」
「……どうやって」
「音だって。本人に聞いても、それ以上は説明できない。だから報告書が書けない」
宮下はその話を持って、部長の芝崎のところへ行った。芝崎は資料に目も落とさずに言った。
「再現性のないものは評価できない。制度というのは、誰が運用しても同じ結果が出るから制度なんだ」
「でも部長、同じ物差しで測れば、同じ人しか選べません」
「同じ人が選べるのはいいことだよ。会社は安定する」
「安定した会社が、去年、離職率で過去最悪を出しました」
言ってしまってから、宮下は自分の声が震えているのに気づいた。芝崎ははじめて顔を上げ、それから長く息を吐いた。
「……君は、柏木を三十人に入れろと言っているのか」
「いいえ」
自分でも意外な答えだった。宮下は続けた。
「入れません。あの三十人の物差しに柏木を通しても、たぶんまた落ちます。落ちるたびに、本人が自分を凡人だと思い込んでいく。それが一番もったいないんです」
「では、何を言っている」
「選抜の外に、記録を一つ作らせてください」
宮下が用意したのは、拍子抜けするほど小さな仕組みだった。半期に一度、各課長がメンバー一人につき三行だけ書く。〈この半年、この人が誰にも頼まれずに一番時間を使っていたことは何か〉。評価には使わない。点数もつけない。人事部の棚に貯めるだけ。
「それだけか」
「それだけです」
芝崎は「金がかからないなら好きにしろ」と言った。宮下はその言葉を承認として受け取った。
一年が過ぎ、棚には二百四十枚の紙が溜まった。読んでいくと、評価スコアには一度も現れなかった輪郭が、いくつも浮かんだ。誰に言われなくても他部署の議事録を全部読んでいる女性。休憩時間に旧型機の図面を模写している若手。そして柏木の欄には、二期続けて同じ三行があった。〈客先の装置の音を録って、帰りの車のなかで繰り返し聞いている〉。
宮下は志方と組んで、正式な部署ではない、名前だけの「現場診断チーム」を作った。三人。柏木はそこで、はじめて自分の仕事の名前を持った。
数字はすぐには動かなかった。半年で受けた診断依頼は四件。売上に載るほどではない。
ただ、その年の秋、浜松の工場から一本の電話があった。担当を替えてほしい、という要望ではなかった。「音の人を、また寄越してもらえますか」。
電話を取り次いだ宮下は、受話器を置いてから、ずいぶん長く保留ボタンを見ていた。
会社が人を選ぶことをやめられないのなら、せめて、選ばれなかった側が自分の名前を置いておける場所くらいは、要る。
論考
凡人という人はいない――評価制度が取りこぼす「差異」について
人材評価は、原理的に「比較可能なもの」しか扱えない。比較するには共通の軸が要り、共通の軸を作るには、個人に固有の部分をいったん削り落とさなければならない。だから評価制度が精緻になるほど、そこに映るのは「他人と比べてどうか」であって、「その人が何者か」ではなくなる。制度が悪いのではない。制度とはそういう道具である、というだけのことだ。──あなたの組織の評価項目のうち、他社の同職種の評価表とそのまま入れ替えても成立する項目は、何割あるだろうか。
そのうえで断言できることがある。人は必ず、他者と異なる特性を持って生まれる。それは能力の高低ではなく、注意の向く先の違いだ。ある人は数字の異常に、ある人は場の空気の傾きに、ある人は機械の音に、頼まれもしないのに注意が向いてしまう。この「勝手に向いてしまう注意」こそが、その人固有の資本である。そして卓越とは、この差異を知ることと、それに忠実でいられる環境を持つことの積であって、和ではない。片方がゼロなら、答えはゼロになる。──直近一年で、誰にも指示されずに最も長く時間を費やした対象を、あなたは自分の部下三名について即答できるだろうか。
ただし、この考え方は危うさを抱えている。「自分の特性に忠実に生きる」は、都合の悪い仕事から逃げる口実にきわめて転用しやすい。組織が回っているのは再現性のおかげであり、属人的な能力への依存は、そのまま事業継続のリスクになる。誰にも説明できない判断は、引き継げず、検証できず、間違っていても誰も気づけない。差異の礼賛は、一歩踏み外せば、標準化を担っている人々への侮蔑になる。──属人的な能力に依存している業務のうち、担当者が三か月不在でも回るものは、いくつあるだろうか。
だから解は、評価制度を差異で置き換えることではない。評価と観察を分離することである。評価は、比較可能な軸で、公平に、序列をつけて行えばよい。それとは別に、比較しない情報を、序列をつけないまま貯める場所を用意する。誰が何に勝手に時間を使っていたか。何を頼まれてもいないのに続けていたか。これは点数化した瞬間に死ぬ情報なので、点数化してはならない。貯めるだけで、しばらく何も起こらない。それでよい。──あなたの組織に、序列をつけない人材情報の蓄積は、存在するだろうか。
そして最後に重要なのは、差異は発見された瞬間に価値を持つのではない、ということだ。価値になるのは、それが要求される持ち場と接続されたときである。音がわかる人間は、音を聞く仕事がなければ、ただ報告書の遅い人でしかない。つまり本当に不足しているのは、才能の発掘手法ではなく、既存の組織図の外に小さな持ち場を作る権限のほうだ。──あなたの会社で、正式な部署ではない三人のチームを作る決裁は、誰が持っているだろうか。
### 実務への含意
- 評価と観察を、別の帳簿に分ける。観察の記録には点数も序列もつけず、用途を限定せずに数年単位で蓄積する。
- 選抜の「外」に、落選者が自分の特性を置ける場所を用意する。落選そのものより、落選が自己認識を固定してしまうことのほうが損失が大きい。
- 発掘した特性は、必ず小さな持ち場と接続する。持ち場のない特性は、半年で本人が忘れる。
### 参考文献
- 『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0』トム・ラス(日本経済新聞出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4532321433?tag=digitaro0d-22)
- 『天才を殺す凡人 職場の人間関係に悩む、すべての人へ』北野唯我(日本経済新聞出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4532322537?tag=digitaro0d-22)
- 『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』サイモン・シネック(日本経済新聞出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4532317673?tag=digitaro0d-22)
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