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ショートストーリー
響かない声
広告代理店ブライトハウスの会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
「若い女性に刺さるメッセージって何だと思う?」
クリエイティブ部長の杉山は、壁に映し出されたスライドを見つめながら問いかけた。クライアントは大手アパレルブランド「フローラ」。来春のキャンペーンに向けた企画会議だった。
「やっぱり恋愛ですよ」と、若手の田中が即答した。「彼氏に褒められたい、みたいな。女性って結局、男性の視線を気にしてるわけじゃないですか」
杉山は満足げにうなずいた。「そうだな。『もっとかわいくなれる』みたいな方向で攻めよう」
企画チーム唯一の女性、入社三年目の川村美咲は、その場で異を唱えることができなかった。
会議の後、美咲は自分のデスクに戻り、過去の炎上事例を調べ始めた。ルミネ、資生堂、牛乳石鹸——「女性を応援する」はずが、逆に反発を招いた広告は数え切れないほどあった。
翌日の朝、美咲は杉山のデスクに向かった。
「部長、ちょっとご相談があるのですが」
「ん? どうした」
「昨日の企画なんですが、少し懸念がありまして。『男性に褒められたい』という切り口は、一部の女性には響くかもしれませんが、反発を買う可能性も高いと思うんです」
杉山は眉をひそめた。「何を根拠に?」
「過去の炎上事例を見ると、女性の価値を外見や男性からの評価に結びつけた広告は、かなりの確率で批判を浴びています。フローラのターゲット層は二十代後半から三十代の働く女性ですよね。彼女たちの多くは、仕事で認められたいと思っている。そこに『もっとかわいく』というメッセージを投げかけるのは——」
「川村さん」杉山が遮った。「君の気持ちはわかる。でもね、マーケティングは感情論じゃないんだ。数字で考えないと」
「でも、炎上したら数字どころの話じゃ——」
「それは結果論だろう。成功した広告だってたくさんある」
美咲は引き下がらなかった。「では、せめて企画段階で複数案を検討しませんか。私の方で別案を用意させてください」
杉山は数秒間、美咲を見つめた。「……わかった。ただし、メインの企画は変えない。君の案はあくまでサブだ」
一週間後、美咲は二つの案をプレゼンテーションにまとめた。杉山チームの「もっとかわいくなれる、私。」と、美咲が用意した「自分のために、今日を選ぶ。」
クライアントとの最終プレゼンの日、会議室には緊張が走った。
杉山がメイン案をプレゼンし終えると、クライアント側の女性マーケティング部長、西田が口を開いた。
「杉山さん、率直に申し上げます。この方向性は危険だと思います」
「と、おっしゃいますと?」
「『かわいくなれる』というメッセージは、言い換えれば『今のあなたはかわいくない』という否定を含んでいます。しかも男性目線の。うちのブランドは、そういう価値観を押し付けたくないんです」
美咲のサブ案を見た西田は、表情を和らげた。
「こちらは、誰かのためではなく自分のために選ぶ、というメッセージですね。これなら、外見を気にする人もしない人も、それぞれの選択を肯定できる」
杉山は黙り込んだ。
プレゼン後、美咲は杉山に呼び止められた。
「川村、正直に言う。俺は女性の気持ちがわかってなかった」
美咲は首を振った。「わかっていなかったというより、確認するプロセスがなかったんだと思います。私一人の意見を聞くより、もっと多くの女性の声を集める仕組みがあれば——」
杉山は苦笑した。「確かにな。うちの部署、男ばっかりだもんな」
帰り道、美咲はふと思った。声を上げることは簡単ではない。でも、上げなければ何も変わらない。そして、声を聞く仕組みがなければ、上げた声さえも届かない。
彼女はコートのポケットに手を入れ、駅へと歩き出した。
会議室の窓から見える夕焼けが、いつもより少しだけ温かく見えた。
論考
届かないメッセージ——なぜ『応援』が『分断』を生むのか
#### 序:共感を求めて反発を招く構図
企業が消費者に向けて「あなたを応援する」というメッセージを発信することは珍しくない。特に女性向け商品・サービスを展開する企業にとって、ターゲット層への共感を示すことはマーケティングの基本である。しかし、善意で発信したはずのメッセージが、なぜか炎上を引き起こすケースが後を絶たない。応援のつもりが、なぜ反発を招くのか。ここには意思決定プロセスの構造的な偏りが潜んでいる。
**検証可能な問い**:過去十年間の広告炎上事例において、意思決定チームの構成(性別・年齢・バックグラウンド)と炎上リスクには相関があるか。
#### 展開:価値の否定と外部規範の押しつけ
炎上する広告には共通するパターンがある。それは「誰かの価値を一方的に下げ、それを引き上げましょう」という形式でメッセージを発信していることである。「もっとキレイになれる」という言葉は、裏返せば「今のあなたは十分ではない」という否定を含む。さらに問題なのは、その「キレイ」の基準が、多くの場合、男性からの視線や外部からの評価に基づいていることである。
働く女性に対して「職場の華になろう」と呼びかけることは、仕事で評価されたいと願う女性にとっては的外れなメッセージとなる。主体的な判断で外見を磨くことと、外部規範として押しつけられることは本質的に異なる。この区別を見落としたとき、応援は抑圧に転じる。
**検証可能な問い**:広告メッセージにおいて、主体性を強調した表現と外部規範を強調した表現では、受容度にどのような差が生じるか。
#### 反証:対抗メッセージもまた万能ではない
一方で、差別への対抗を前面に打ち出したメッセージであれば成功するかといえば、そう単純ではない。ストレートな社会批判を含むメッセージは、知的で問題意識の高い層には響くが、そうでない層には響きにくい。訴求層が限定されることを承知の上での戦略であれば問題ないが、万人受けを狙いながら尖ったメッセージを発信すれば、今度は別の分断を生むことになる。
結局のところ、どのようなメッセージを発信しても、すべての人に受け入れられることはない。重要なのは、誰に届けたいのかを明確にし、その層を不用意に傷つけないことである。訴求層を分断する地雷を踏まないためには、その層の多様な声を意思決定プロセスに反映させる仕組みが不可欠となる。
**検証可能な問い**:広告制作チームの多様性と、ターゲット層内での分断的反応の発生率には関連があるか。
#### 再構成:意思決定プロセスの見直し
炎上を防ぐための本質的な解決策は、事後のリスク管理ではなく、事前の意思決定プロセスにある。災害用備蓄品に生理用品が含まれていなかったという事例が示すように、意思決定の場に多様な視点がなければ、当事者にとって自明なことさえ見落とされる。
広告制作においても同様である。ターゲット層である女性の感覚が制作過程で反映されていれば、公開と同時に炎上するような事態は避けられるはずである。これは単に「女性を入れればよい」という話ではない。形式的な多様性ではなく、異なる視点からの意見が実際に意思決定に影響を与える仕組みが求められる。
**検証可能な問い**:意思決定における少数派意見の採用率と、最終成果物への評価にはどのような関係があるか。
#### 示唆:分断線をあおらない設計
広告に限らず、あらゆるコミュニケーションにおいて、ターゲットを絞ることと分断をあおることは異なる。前者は戦略であり、後者は設計の失敗である。訴求層の中に存在する多様性を認識し、その分断線を強調しないメッセージ設計が求められる。
そして、そのような設計を可能にするのは、意思決定プロセスの透明性と包摂性である。異なる視点を持つ人々が声を上げられる環境と、その声が実際に反映される仕組み。これは広告制作だけでなく、組織運営全般に通じる原則である。
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#### 実務への含意
- **意思決定チームの構成を見直す**:ターゲット層と同じ属性を持つメンバーが、形式的にではなく実質的に意見を反映できる体制を構築する
- **メッセージの事前検証を多層化する**:社内だけでなく、ターゲット層を代表する外部の視点を取り入れたレビュープロセスを設ける
- **「価値を下げて引き上げる」構造を避ける**:現状の否定から入るメッセージではなく、選択肢の提示や主体性の肯定を軸としたコミュニケーション設計を心がける
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#### 参考文献
- ジェンダー: https://www.amazon.co.jp/s?k=ジェンダー&tag=digitaro0d-22
- 広告炎上: https://www.amazon.co.jp/s?k=広告炎上&tag=digitaro0d-22
- 組織の意思決定: https://www.amazon.co.jp/s?k=組織の意思決定&tag=digitaro0d-22
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