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ショートストーリー
三枚の名刺
システム開発会社の課長、高橋美咲は、週末になると別人になる。
平日の彼女は、チームを率いる冷静な管理職だ。部下からの相談には的確に答え、クライアントとの折衝では一歩も引かない。社内では「鉄の女」と呼ばれている。
しかし土曜日の朝、彼女は地域の子ども食堂でエプロンをつけ、配膳係として汗を流す。そこでは「みさきさん」と呼ばれ、子どもたちにからかわれながら笑っている。日曜日には、アマチュア劇団の稽古に参加する。演じるのは決まって脇役だが、舞台の上では誰よりも感情を解放している。
美咲は三つの世界を行き来していた。
ある金曜日の夜、会社の懇親会で後輩の藤田から声をかけられた。
「高橋さん、実は僕、先週の土曜日、子ども食堂の前を通りかかったんです」
美咲の心臓が跳ねた。
「高橋さんが、子どもに『おかわりどうぞ』って笑顔で言ってるのを見て、正直驚きました。会社とは全然違う人みたいで」
藤田に悪意はない。純粋な驚きだった。しかし美咲は動揺した。
「どっちが本当の高橋さんなんですか?」
藤田の無邪気な質問が、美咲の心に刺さった。
それ以来、美咲は落ち着かなくなった。会社で厳しい指示を出すとき、子ども食堂での自分が頭をよぎる。子どもたちと笑い合うとき、部下の前での自分を思い出す。どちらかが偽物なのではないか。そんな疑念が膨らんでいった。
翌週の月曜日、美咲はプロジェクトの進捗会議で、いつもより言葉が鈍った。
「高橋さん、今日はどうしたんですか。らしくないですよ」
部下の一人が不思議そうに言った。美咲は曖昧に笑ってごまかした。
水曜日、劇団の稽古でも集中できなかった。演出家から「感情が入っていない」と指摘された。
「本当の自分って、どれなんだろう」
帰り道、美咲はひとりごちた。
土曜日、子ども食堂に向かう足が重かった。しかし、約束は約束だ。エプロンをつけて配膳を始めると、常連の小学生、翔太が駆け寄ってきた。
「みさきさん、今日は元気ないね。どうしたの?」
子どもの観察力は侮れない。美咲は苦笑した。
「翔太くん、人って、場所によって全然違う自分になることがあるでしょ。どれが本当の自分だと思う?」
翔太は首をかしげた。
「ぼく、学校と家で全然ちがうよ。学校ではおとなしいけど、家ではうるさいって言われる」
「それ、困らない?」
「なんで? どっちもぼくだもん」
美咲は虚を突かれた。
その夜、美咲は自宅で三枚の名刺を並べてみた。会社の名刺、子ども食堂のボランティア証、劇団の団員証。どれも自分の名前が書いてある。
翔太の言葉が蘇った。「どっちもぼくだもん」。
考えてみれば、三つの場所で求められる役割は違う。会社では決断力、子ども食堂では温かさ、劇団では感情表現。それぞれの場所で、自分の異なる側面が引き出されている。
どれかが偽物なのではない。三枚の名刺すべてが、自分なのだ。
翌週の月曜日、美咲は藤田を呼んだ。
「この前の質問の答え、考えてみたんだけど」
藤田は緊張した面持ちで聞いた。
「どっちも本当の私。職場の私も、ボランティアの私も、演じてる私も。全部、本当」
藤田は少し考えてから言った。
「なんか、ちょっとホッとしました。僕も会社と実家で全然キャラ違うんで、ちょっと気になってたんです」
「それでいいんじゃない。違う自分を持ってるほうが、人生は豊かになるよ」
美咲は自分の言葉に、初めて納得した。
その週末、美咲は子ども食堂で翔太に会った。
「みさきさん、今日は元気だね」
「翔太くんのおかげ。いいこと教えてもらったから」
翔太はきょとんとしていたが、美咲は笑った。
三枚の名刺は、今も美咲の財布に入っている。どれが本物かと問われたら、こう答えるだろう。
全部、本物だ、と。
論考
複数の自己を生きる技術──「本当の自分」という幻想を超えて
### 序
「本当の自分はどれなのか」という問いは、多くの人が一度は抱く悩みである。職場での自分とプライベートでの自分が異なることに違和感を覚え、どちらかが偽りではないかと疑う。しかし、この問い自体に落とし穴がある。「自分は一つであるべきだ」という前提そのものが、現代社会の実態に合っていないのである。本稿では、複数の自己を持つことの意義と、それを実践する方法について考察する。
**検証可能な問い:** 自己の一貫性を重視する人と、複数の自己を許容する人の間で、精神的健康度に差があるか?
### 展開
人間には、感情的な反応を司る部分と、理性的な判断を行う部分がある。前者は「自分らしくありたい」という欲求を生み出し、自己イメージと他者からの評価が一致したときに充実感を覚える。この仕組みは、かつて人類が小規模な集団で生活していた時代に発達したものである。当時は一つの集団の中で一貫した役割を果たすことが、集団の存続に貢献した。
しかし現代社会では、人は複数のコミュニティに所属している。家庭、職場、趣味の場、地域活動など、それぞれの場で求められる役割は異なる。職場では決断力が求められ、家庭では柔軟さが求められ、趣味の場では没頭する姿勢が求められる。これらすべてを「一つの自分」で統一しようとすると、どこかで無理が生じる。
**検証可能な問い:** 所属するコミュニティの数と、自己の多面性の自覚には正の相関があるか?
### 反証
ただし、複数の自己を持つことには課題もある。異なる場面での自分が矛盾していると感じると、分裂感や不安を覚える人もいる。また、自己の一貫性は社会的信頼の基盤でもある。「あの人は言うことがころころ変わる」と思われれば、人間関係に支障をきたす。
さらに、「複数の自己」という考え方が、状況に応じて態度を変える無責任さの言い訳に使われる可能性もある。自己の多元性を認めることと、責任を回避することは別の問題である。複数の自己を持つにしても、それぞれの場面での約束や責任は果たさなければならない。
**検証可能な問い:** 自己の多面性を自覚している人は、そうでない人と比較して、約束遵守率に差があるか?
### 再構成
複数の自己を健全に統合するためには、いくつかの視点が有効である。第一に、「演じる」という意識を持つこと。場面に応じて異なる自分を出すことを、嘘や偽りではなく、状況への適応と捉える。俳優が複数の役を演じられるように、人も複数の役割を演じ分けられる存在である。
第二に、「どれも本当の自分」と認識すること。異なる側面のどれかを偽物と決めつけるのではなく、すべてを自分の一部として受け入れる。これにより、自己否定のループから抜け出せる。
第三に、異なる自己を意識的につなぐこと。職場の同僚にプライベートの一面を少し見せる、趣味の仲間に仕事の話をするなど、境界を緩やかにすることで、分裂感を和らげることができる。
**検証可能な問い:** 異なるコミュニティ間で自己開示を行う頻度と、自己統合感の高さに相関はあるか?
### 示唆
「本当の自分は一つ」という考え方は、環境が単純だった時代の遺産である。現代のように複雑で多様な社会を生きるには、複数の自己を持つことを肯定的に捉え、それを統合する技術を身につける必要がある。自己の多元性を受け入れることは、自分を偽ることではない。むしろ、自分の可能性を広げ、異なる環境に適応する力を高めることにつながる。
いくつもの自分を持っていい。その全部が、本当の自分なのだから。
**検証可能な問い:** 自己の多元性を肯定的に捉える人は、キャリアの転換や環境変化への適応力が高いか?
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### 実務への含意
- 職場とプライベートで異なる自分を見せることに罪悪感を持たず、それぞれの場に適した振る舞いと捉える
- 異なるコミュニティでの自分を意識的につなげ、同僚や友人に別の顔を少しずつ見せる機会を作る
- 部下やチームメンバーにも「複数の顔」があることを認め、職場以外の側面を尊重する文化を育てる
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### 参考文献
- 『私とは何か――「個人」から「分人」へ』平野啓一郎(講談社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4062881721?tag=digitaro0d-22)
- 『嫌われる勇気』岸見一郎・古賀史健(ダイヤモンド社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4478025819?tag=digitaro0d-22)
- 『モダニティと自己アイデンティティ』アンソニー・ギデンズ(筑摩書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/448051063X?tag=digitaro0d-22)
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