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ショートストーリー

縦書き

最後の一杯

青山の路地裏にある小さなバー「風見鶏」で、山崎達也は三十年間カウンターに立ち続けていた。 その夜、常連の大手広告代理店専務・川端が、いつもより早い時間に姿を見せた。 「マスター、いつもの」 川端はスツールに腰を下ろすと、乱暴にネクタイを緩めた。山崎は黙ってハイボールを差し出す。 「今日、ついに決まったよ。来月で俺は終わりだ」 六十歳での役員退任。川端はグラスを一気に空けると、もう一杯を要求した。 「三十五年だぞ。入社してからずっと、この会社のために走ってきた。なのに、最後はこれか」 山崎は静かにグラスを満たしながら、かつてこの店に通った男たちのことを思い出していた。 三十年前、開店直後から毎晩のように来ていた中堅出版社の編集長・藤井がいた。作家たちに原稿を催促され、上司には売上を詰められ、いつも疲れ切った顔で飲んでいた。酔うと決まって愚痴をこぼし、時には店の備品を壊すこともあった。五十二歳で心筋梗塞により急逝した。 同じ頃、週に一度だけ顔を見せる老紳士がいた。小さな町工場の経営者で、名を宮本といった。職人肌で寡黙だが、若い客が困っていると黙って助言をした。「酒は人を映す鏡だよ」と、いつも穏やかに言っていた。九十三歳で工場の旋盤の前で倒れるまで、現役だった。 「マスター、聞いてるのか」 川端の声で山崎は我に返った。 「聞いてますよ。大変でしたね」 「大変どころじゃない。後輩に抜かれて、挙げ句の果てに肩叩きだ」 川端は四杯目を空けた。顔が赤くなり、声が大きくなってきている。 「あの野郎、俺が育ててやったのに。恩を仇で返しやがって」 隣の席で静かに飲んでいた若い女性客が、居心地悪そうに身を縮めた。 山崎は川端の前に水を置いた。 「川端さん、少し休まれては」 「余計な世話だ。俺はまだ飲む」 川端はテーブルを叩いた。グラスが揺れ、ウイスキーが少しこぼれた。 そのとき、店の扉が開いた。 入ってきたのは、白髪の老人だった。山崎は目を見開いた。宮本の息子、宮本健一だ。父親の工場を継ぎ、今は三代目として経営している。七十歳を超えてもなお、背筋がまっすぐだった。 「お久しぶりです、マスター」 健一は柔らかく微笑んで、川端の隣に座った。 「親父がよく言ってましてね。この店のハイボールを飲むと、明日も頑張れるって」 川端は健一をじろりと見た。 「あんた誰だ」 「町工場のオヤジですよ。もうすぐ引退しますけどね」 「引退? 俺もだ。ただし、望んでない」 健一は少し考えてから言った。 「私の親父は九十三まで働きました。でも、七十過ぎてからは、自分から若い者に仕事を任せ始めた。技術を伝えることが楽しいって言ってました」 「説教か?」 「いえ。ただ、親父は最期まで楽しそうでしたよ。毎晩、この店で一杯だけ飲んで、翌朝また工場に行く。その繰り返しを愛していた」 川端は黙った。 山崎は二人の前にそれぞれハイボールを置いた。 「川端さん。うちの店には、怒りながら飲んで早く逝った方も、楽しんで飲んで長生きした方もいらっしゃいました」 川端はグラスを見つめた。 「……違いは、なんだと思う」 「自分のままでいられたかどうか、じゃないですかね」 健一が静かに付け加えた。 「親父は会社のためじゃなく、自分のために働いてました。だから、辞めても辞めなくても、きっと同じだったと思います」 川端はしばらく黙っていた。やがて、ゆっくりとグラスを持ち上げた。 「……一杯だけにしておくか。明日、孫の運動会があるんだ」 山崎は小さくうなずいた。 店を出る川端の背中は、来たときより少しだけ軽く見えた。 カウンターを拭きながら、山崎は思った。酒は人を殺しもするし、生かしもする。違いはきっと、グラスの向こうに何を見ているかだ。 窓の外では、秋の風が街路樹を揺らしていた。

論考

縦書き

自然体の経営学——なぜ「ありのまま」が長続きを生むのか

**序** ビジネスパーソンの健康と寿命を左右するものは何か。食事、運動、睡眠といった生活習慣が挙げられることが多いが、見落とされがちな要因がある。それは「自分らしくいられているかどうか」という心理的な状態である。ストレス研究の知見によれば、慢性的な自己抑制は心身に深刻な負荷をかける。では、仕事において「自然体」でいることは、どのような条件のもとで可能になるのか。 *問い:あなたの職場では、社員が「素の自分」で振る舞えているか。それを測定する方法は何か。* **展開** 自然体でいられるかどうかは、大きく二つの要素に依存する。一つは人間関係の質であり、もう一つは仕事への内発的動機である。 人間関係において重要なのは、相手によって自分を変えなくて済む環境だ。上司に対しては従順に、部下に対しては威圧的に、顧客に対しては迎合的に——と使い分けを強いられる職場では、心理的エネルギーの消耗が激しい。一方、立場を超えて一貫した態度でいられる職場では、余計な気遣いにエネルギーを奪われない。 内発的動機については、仕事そのものを楽しめているかどうかが鍵となる。外的報酬(給与、地位、評価)を主な動機とする場合、それらが失われたときに生きる意味を見失いやすい。対照的に、仕事の過程そのものに喜びを見出している人は、肩書きが変わっても揺らがない。九十歳を超えても現役で働き続ける職人や芸術家に共通するのは、この内発的動機の強さである。 *問い:あなたの仕事における動機は、外発的か内発的か。その比率を変えることは可能か。* **反証** ただし、「自然体」という概念には曖昧さがある。何をもって「自分らしい」とするかは主観的であり、場合によっては「ありのまま」が他者への配慮を欠いた振る舞いを正当化する口実になりうる。 また、すべての職場で自然体が許容されるわけではない。高度に標準化された業務や、厳格な規律が求められる環境では、個人の自然体よりも役割への適応が優先される。この場合、自然体を追求することはむしろストレスを増大させる可能性がある。 さらに、内発的動機を持てる仕事に就けること自体が特権的な条件である。生計を立てるために好きではない仕事に従事せざるを得ない人々に対して、「好きなことを仕事にせよ」と説くことは、現実離れした助言となりかねない。 *問い:「自然体」と「プロフェッショナルとしての規律」は両立可能か。その境界線はどこにあるか。* **再構成** これらの反証を踏まえると、「自然体」の意味を再定義する必要がある。それは「何でも好き勝手に振る舞う」ことではなく、「役割と自己との間に過度な乖離がない状態」と捉えるべきだろう。 重要なのは、職業的役割を演じることと、自分を完全に殺すこととを区別することである。営業担当者が顧客に対して礼儀正しく振る舞うのは役割の範囲内であり、それ自体は自己抑圧ではない。問題となるのは、自分の価値観に反する行為を恒常的に強いられる状況である。 この観点から、長期的に持続可能な働き方を設計するには、二つのアプローチが考えられる。第一に、自分の価値観に合致する職場・役割を選択すること。第二に、現在の役割の中で価値観を実現できる余地を見つけること。どちらのアプローチも、自己理解が出発点となる。 *問い:現在の仕事において、あなたの価値観が毀損されている領域は何か。それを変える余地はあるか。* **示唆** 自然体で働くことは、単なる快適さの追求ではない。それは持続可能性の問題である。自分を殺し続ける働き方は、短期的には成果を出せても、長期的には心身を蝕む。組織にとっても、社員が「本当の自分」を抑圧し続ける環境は、創造性の低下や離職率の上昇というコストをもたらす。 「いつまで働けるか」という問いに対する答えは、健康状態だけでなく、「いかに働いているか」という質的側面にも依存している。 **実務への含意** - 採用・配置において、スキルマッチだけでなく価値観マッチを重視することで、社員の持続可能な貢献を引き出せる - 1on1ミーティング等で「仕事のどの部分に喜びを感じるか」を定期的に確認し、内発的動機の維持・強化を図る - リーダーは自らが「役割に縛られすぎない姿」を見せることで、チーム全体の心理的安全性を高めることができる **参考文献** - 自然体: https://www.amazon.co.jp/s?k=自然体&tag=digitaro0d-22 - 内発的動機づけ: https://www.amazon.co.jp/s?k=内発的動機づけ&tag=digitaro0d-22 - 心理的安全性: https://www.amazon.co.jp/s?k=心理的安全性&tag=digitaro0d-22 ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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