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ショートストーリー
稼働率九十八パーセント
分散勤務に切り替えて四か月、営業支援部の数字は悪くなかった。見積書の作成件数は前年比で一割増え、差し戻し率は下がった。宮下がその二つを月次資料に並べたとき、役員の一人が短く言った。
「では、なぜ受注は伸びていない」
宮下は答えを持たなかった。持っていないというより、答えの形が数字になっていなかった。
出社していた頃、フロアの中央に吉川の席があった。誰かが「これ、どこに回せばいいんでしたっけ」とつぶやくたび、吉川は顔を上げた。仕様変更の伝達が遅れそうな日は、設計と営業のあいだに自分から入った。年に一度の評価面談で、宮下は吉川の欄をいつも書きあぐねた。書けることが多すぎて、数えられることが少なすぎた。
分散勤務になって、その席は消えた。質問は個別のチャットに散り、答えるのはたいてい吉川だったが、それはどの集計にも現れなかった。かわりに現れたのは、若手が客先で仕様の齟齬に気づかないまま契約直前まで進む、といった種類の綻びだった。
ある日のオンライン会議で、吉川の音声に生活音が混じった。廊下を誰かが通る音、遠くで鳴る呼び鈴。役員の一人が「環境を整えてから出てください」と言った。吉川は謝り、次の会議からは近所のコインパーキングに停めた車の中から入るようになった。理由を聞いた宮下は、二部屋しかない家に働く大人が二人いるのだと知った。同じ会社の同じ会議に、まったく違う費用を払って参加している人がいる。四か月のあいだ、宮下はそのことを一度も知らなかった。
役員会は別の対策を出してきた。稼働可視化ツールの導入である。着席時間を記録し、画面を抜き打ちで撮る。「見えないから不安になる。見えるようにすれば済む話でしょう」
宮下は反対した。会議のあと、若手の谷口が残って言った。
「課長、僕は導入に賛成です」
「監視されて嬉しいのか」
「嬉しくはないです。でも、前のほうが不公平でした。オフィスにいた頃、僕は評価が『感じのいい人』に流れていくのをずっと見ていました。誰が何をしたかなんて、結局は課長の印象でしょう。数字だけになった今のほうが、僕には勝ち目がある」
宮下は返す言葉を探した。谷口は間違っていない。自分が守ろうとしているのはたしかに測れない何かだが、測れないものは同時に、いくらでも恣意的に扱える何かでもあった。
「わかった。ただし条件をつける」
宮下が人事と交渉して落としどころにしたのは、画面撮影の廃止と、記録項目の追加だった。何時間座っていたかではなく、何にどれだけ時間を使ったかを本人が分類する。分類の選択肢は部で決める。宮下はそこに「他者からの相談対応」という項目をねじ込んだ。
三か月後、集計が出た。吉川の総稼働時間の四割近くが、その項目に入っていた。他部署からの照会、若手の手戻り防止、仕様確認の橋渡し。宮下が想像していたより、はるかに多かった。
数字は何も劇的には変えなかった。吉川の等級は据え置きのままだったし、受注が跳ねたわけでもない。変わったのは工数表の様式だけだ。ただ、四半期の面談で吉川はこう言った。
「これができて、初めて断れるようになりました。前は、断ったら何もしていないことになるので」
宮下はうなずいた。そして、自分が四か月ずっと取り落としていたものの名前が、ようやくわかった気がした。吉川がしていたのは、成果を出す仕事ではなく、他人が成果を出せる状態を保つ仕事だった。オフィスという建物は、その仕事をただ目に映していただけで、評価していたわけではなかったのだ。
可視化されたのは仕事の量であって、価値ではない。それでも人は、名前のついた仕事しか守ることができない。
論考
見えない仕事は、なぜ最初に消えるのか
働く場所が分かれると、組織の評価はほぼ自動的に「見えるもの」へ寄っていく。これは経営者の思想が変わったからではない。手元にある情報が変わったからだ。同じフロアにいた頃、上司は数字のほかに、誰が誰を助け、どの会話が問題を未然に潰したかを、断片的にでも目にしていた。その断片が消えると、残るのは件数と納期と金額になる。評価制度の文言は一行も変えていないのに、実質は入れ替わっている。──自部署の評価項目のうち、対面での観察を暗黙の前提にしていたものはいくつあるか。
最初に評価から脱落するのは、媒介する仕事である。部署間の翻訳、手戻りの予防、詰まった新人の解きほぐし。これらは成果物を持たず、うまくいったときには「何も起きなかった」という形でしか現れない。しかも分散した環境では、この種の仕事は減るのではなく増える。文脈の共有が薄くなるぶん、誰かが余分に説明し、確認し、橋を架けているからだ。負荷は増え、記録は減る。もうひとつ、働く環境そのものが私費と私生活へ押し出される。静かな書斎から会議に入る人と、生活音のなかから入る人が、同じ土俵で評価される。職場という建物が均していた条件差が、そのまま業務上の差として立ち上がってくる。──直近の四半期で、成果指標に現れなかった業務に何時間費やしたか、メンバーは答えられるか。
とはいえ、「見えるものへの偏り」を一方的に害と呼ぶのは雑だ。対面の観察が公平だった保証はどこにもない。それは印象であり、距離であり、しばしば声の大きさだった。近くに座る人、雑談の得意な人、上司と同じ話題を持つ人が有利になる仕組みでもある。成果指標への移行は、その恣意性を確実に削る。とりわけ若手、中途入社、地理的に離れた人にとっては、可視化されたほうが勝ち目がある。監視ツールへの反発にしても、その多くは「測られること」自体ではなく「勝手に測られること」に向いている。──いま守ろうとしている「見えない貢献」は、本当に貢献なのか、それとも古い序列の別名か。
だとすれば、対立軸は可視化か不可視かではない。誰が、何を測る対象にするかを決めるのか、である。監視型の可視化では、上位者が項目を決め、行動そのもの(着席時間、画面)を測る。この設計では、測られる側は測定に適応するだけで、仕事はやがて指標に似てくる。一方、項目の設計に当事者が関与し、行動ではなく寄与の内訳を本人が分類する設計では、可視化はまったく別の機能を持つ。名前のない仕事に名前がつくと、それは初めて配分の対象になり、そして断ることができるようになる。測定は管理の道具であると同時に、承認の道具でもある。どちらになるかは、権限の置き場所で決まる。──自社の可視化施策で、測る項目を決めたのは誰か。その席に、測られる側はいたか。
分散した働き方は、評価制度の欠陥を新しく作り出したのではない。もともとあった欠陥から目隠しを外しただけである。オフィスという建物は、見えない貢献を評価していたのではなく、ただ目に映していた。目に映るという偶然に支えられていたものは、制度として設計されていない以上、いずれどこかで崩れる。場所の問題として処理してしまうと、同じことが次の変化のたびに起きる。──全員が同じ場所に戻ったとして、いま失われたものは自然に戻ってくるだろうか。
**実務への含意**
- 評価項目に「他者の成果を可能にする仕事」の区分を設ける。相談対応、部署間調整、手戻り予防を、工数として申告できる形にする。
- 測定項目の設計に、測られる側を参加させる。何を測るかを決める会議に、その席をつくる。
- 稼働の監視(着席時間・画面記録)と、寄与の記録(時間の使途の自己分類)を混同しない。前者は信頼を消費し、後者は信頼を生む。
### 参考文献
- 『測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』ジェリー・Z・ミュラー(みすず書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4622087936?tag=digitaro0d-22)
- 『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』エイミー・C・エドモンドソン(英治出版)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4862762883?tag=digitaro0d-22)
- 『リモートワークの達人』ジェイソン・フリード、デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン(早川書房)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4150505608?tag=digitaro0d-22)
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