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ショートストーリー

縦書き

休まない男

営業三課の課長・村瀬隆は、毎朝六時に出社し、夜十時まで席を立たない男として社内で知られていた。 「村瀬さんって本当にストイックですよね」 後輩の木下がそう言うたびに、村瀬は曖昧に笑ってやり過ごした。実際のところ、村瀬自身はストイックだと思ったことは一度もない。ただ、営業先の課題を解く方法を考えるのが面白くて、気がついたら時計が回っているだけだ。 問題は、隣の席の主任・赤坂だった。 赤坂もまた朝七時に出社し、夜九時まで残る。しかし赤坂の場合は違った。彼は自分の長時間労働を「努力の証」として周囲にアピールし、部下にも同じ水準を求めた。 「俺は今月まだ一日も休んでない」 赤坂がそう言うとき、その声には誇りが混じっていた。村瀬にはそれが、努力という衣を纏った自己顕示に聞こえた。 転機は、会社が新規事業のプロジェクトリーダーを選ぶときに訪れた。候補は村瀬と赤坂。取締役の前でのプレゼンが求められた。 赤坂は入念に準備した。スライドは四十枚。市場分析、競合調査、リスクヘッジ。教科書的な内容が隙なく並んでいた。 「私はこの三年間、一日たりとも手を抜いたことがありません」 赤坂はそう締めくくった。役員たちは静かに頷いた。 村瀬の番になった。スライドは十二枚。うち三枚は、村瀬が休日に趣味で作っていた業務効率化ツールのデモ画面だった。 「このツール、営業先で雑談しているときに思いついたんです。先方の担当者が『うちの在庫管理、いまだにエクセルなんですよ』とこぼしたのが引っかかって。帰りの電車で設計を始めたら止まらなくなりまして」 村瀬は淡々と話した。ツールは既にテスト運用されており、三社で導入が始まっていた。 「趣味みたいなものなので、作るのは苦じゃなかったです」 取締役の一人が身を乗り出した。 「村瀬さん、これ、いつ作ったの?」 「夜中ですかね。気がついたら朝になっていることもありました。あ、もちろん体調管理は社会人として気を付けてますが、あの時は単純に、動くのが見たくて止まらなかったんです。」 会議室に微かな笑いが起きた。赤坂の顔がわずかに強張った。 結果は村瀬が選ばれた。 翌日、赤坂が村瀬のデスクに来た。 「正直、悔しいよ。俺はあれだけ準備したのに」 「赤坂さんの資料、すごく丁寧だったと思いますよ」 「でも負けた。何が足りなかったんだろう」 村瀬は少し考えて答えた。 「足りないんじゃなくて、多すぎたのかもしれないですね」 赤坂は意味がわからないという顔をした。 「赤坂さんの四十枚、全部正しかったと思います。でも、正しいことを並べるのって、誰でもできるんですよ。ビジネス書を五冊読めばあの構成は作れる。役員の方々はたぶん、そういう『正解の集合体』を何百回も見てきてるんじゃないですかね」 赤坂は黙った。 「俺のツールは正解かどうかわからないです。ただ面白かったから作った。それだけなんですよ」 その夜、赤坂は珍しく定時で帰った。駅前の書店に寄り、ビジネス書のコーナーを素通りして、前から気になっていた天体観測の入門書を手に取った。買うかどうか迷って、結局買わなかった。 一週間後、赤坂はまた書店に寄った。今度は買った。 村瀬はそのことを知らない。知る必要もない。登山は、代わりに歩いてやることができないのだから。

論考

縦書き

「努力」という言葉が持つ構造的な欺瞞について

#### 序 「努力は裏切らない」という格言がある。だが、この言葉が前提としているのは、努力とは本来やりたくないことを我慢して行う行為だ、という認識である。もし行為そのものが楽しくてたまらないなら、そもそも「努力」という言葉は必要ない。ここに、現代の仕事観における根本的な問いが潜んでいる。内発的動機で動いている人間にとって、「努力」という概念は果たして存在するのか。 #### 展開 心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー状態」は、活動に完全に没入し、時間感覚が消失する体験を指す。フロー状態にある人間は、外部からの報酬や評価なしに行為そのものから満足を得る。興味深いのは、フロー状態を外部から観察すると「ストイック」「勤勉」「努力家」に見えるという点だ。十六時間連続で作業する開発者は、傍目には過酷な労働に見える。しかし本人にとっては、没頭の結果として時間が経過しただけである。 ダニエル・ピンクは『モチベーション3.0』で、報酬や罰則による外発的動機づけ(モチベーション2.0)から、自律性・熟達・目的に基づく内発的動機づけ(モチベーション3.0)への転換を論じた。この枠組みで見ると、「努力」という美徳はモチベーション2.0の産物である。やりたくないことを我慢して行うからこそ「偉い」という価値観は、報酬と罰則で人を動かす時代の遺物ではないか。 では、「ストイック」はどうか。自らを「ストイック」と称する人間の言動を観察すると、そこにはしばしば自己顕示の構造が見え隠れする。「私は毎朝五時に起きて走っています」「一日も休んでいません」。これらの発言は、聞き手に対する暗黙の評価要求を含んでいる。本当に走ることが好きな人間は、わざわざそれを宣言しない。宣言する必要がないからだ。 #### 反証 ただし、この議論には重要な留保がある。すべての人間が内発的動機だけで生きられるわけではない。生存のための労働は現実として存在し、好きなことを仕事にできる立場そのものが一種の特権であるという批判は正当だ。また、内発的動機で始めた活動も、収益化の過程で外発的動機に侵食されることがある。好きだったものが義務になる瞬間は、多くのクリエイターが経験している。 さらに、「努力」という概念を完全に否定することは、努力によって現状を打開しようとしている人々の尊厳を軽視するリスクを伴う。問題は「努力」そのものではなく、「努力していること」を美徳として他者に強要する構造にあるのではないか。 #### 再構成 ここで注目すべきは、内発的動機で動く人間と外発的動機で動く人間の「成果の質」の違いである。好きでやっている人間の成果物には、マニュアル通りの正解にはない独自性が宿る。それは教科書を五冊読めば作れる「正解の集合体」とは質的に異なるものだ。 組織論の観点からも、これは重要な示唆を含む。「努力を評価する」文化は、結果として長時間労働を美化し、没頭による自然な生産性を見えにくくする。真に生産性の高い組織とは、構成員が内発的動機で動ける環境を整備し、「努力の量」ではなく「没頭の深さ」を評価する組織ではないか。 #### 示唆 自分の足で山を登らなければ見えない景色がある。登山を代わりにしてやることはできない。「成功するための五つの方法」のような情報は、登山口の地図にすぎない。地図を読んだだけで登頂した気になっている人が多すぎはしないか。 **実務への含意:** - 採用・評価において「努力の量」より「没頭の兆候」を重視する基準を検討すべきである - 「ストイック」を自称する人材のマネジメントでは、その動機が内発的か外発的かを見極める必要がある - 自分自身が「努力している」と感じたとき、それは仕事の方向性を再考するシグナルかもしれない ### 参考文献 - 『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか』ダニエル・ピンク著、大前研一訳(講談社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4062144492?tag=digitaro0d-22) - 『好きなことだけで生きていく。』堀江貴文(ポプラ新書)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4591154661?tag=digitaro0d-22) - 『フロー体験 喜びの現象学』M.チクセントミハイ著、今村浩明訳(世界思想社)[Amazon](https://www.amazon.co.jp/dp/4790706141?tag=digitaro0d-22) ※ 本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています

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