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ショートストーリー

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名刺に書いていないこと

岩城がテレビに映ったのは、木曜の深夜だった。  「酒場で見つけた! ちょっと変な大人たち」。わずか十五分のコーナーで、岩城は立ち飲み屋のカウンターに肘をつき、二十年つけているハイボールの手帳を開いていた。店ごとの濃さを、氷の溶け方まで書いてある。テロップは「設備業界の岩城さん(52)」。社名も役職も出なかった。赤い顔で「濃いのは正義です」と言ったところで、スタジオが笑った。  翌朝、会社の喫煙所で、若手営業の佐野に肩を叩かれた。 「見ましたよ。完全に、ただの飲んだくれでしたね」 「だろうな」 「もったいないなあ。どうせなら社名を出して、切り抜きを流せばよかったんです。フォロワー、一晩で千は増えましたよ」  佐野は営業部のSNS担当を名乗り、毎日なにかを投稿している。反応がつけば上機嫌で、荒れかければ夜中まで返信している。  昼前、岩城のスマホに通知が来た。ほとんど開かないビジネスSNSからだった。 〈昨夜の番組を拝見しました。九州の酒造会社で商品企画をしている森下と申します。あの手帳について、お話を伺えないでしょうか。来春、酒場ごとの濃さを再現した缶ハイボールを企画しております〉  岩城は二度読んだ。冷却設備のことは、一行も書いていなかった。  佐野が画面をのぞき込んで、目を丸くした。 「どうやって辿り着いたんです? 名前と業界しか出てないのに。しかも、本業じゃないほうで」  岩城にも、すぐには分からなかった。  そのアカウントは十五年前、取引先に勧められて作ったものだった。誰かと盛んにつながるわけでもない。ただ、課長になった日に肩書きを直し、子会社へ出向した日に勤務先を書き換え、三年後に戻った日にもう一度直した。担当した案件は、守秘に触れない範囲で一行ずつ足した。名刺を刷り直すのと同じ感覚だった。妻には「誰が見るの、それ」と笑われていた。  ハイボールのことは、どこにも書いていない。 「おかしな話だろ。名刺に書いてないことで、名刺のほうに連絡が来た」  佐野は少し考えてから、身を乗り出した。 「だったら、手帳のことをプロフィールに書きましょうよ。『ハイボール研究家』とか。そっちのほうが絶対に伸びます」 「書いたら、たぶん、この人は連絡してこなかったよ」 「なんでですか」 「さあな。聞いてみる」  翌週、岩城は森下とオンラインで話した。森下は画面の向こうで、少し照れたように笑った。 「番組のあと、制作会社に問い合わせたんです。でも出演者の連絡先は教えられない、と。それで名前と業界で検索したら、同姓同名が何人も出てきて」  その中に一人だけ、設備業界で、課長になり、出向して、戻って、十五年分の経歴が途切れずに並んでいる人がいた。 「テレビで面白いと思って、プロフィールで安心したんです。酔っぱらいの思いつきじゃなくて、ちゃんと測る人の記録なんだろうなって。知らない方にいきなり連絡するのは、やっぱり怖いですから」  岩城は二十年分の手帳を画面に映し、店ごとの数字を読み上げた。打ち合わせは三度続いた。だが一か月後、森下からの連絡は短かった。社内の会議で、缶の企画そのものが見送りになった。申し訳ない、と三回書いてあった。  喫煙所で報告すると、佐野は「残念でしたね」と言ったあと、少し間をおいた。 「でも、不思議ですね。本業の名刺に、本業じゃない相談が来るなんて」 「名刺は、何ができるかより先に、誰なのかを伝えるもんなんだろうな」  岩城は煙を吐いて、笑った。 「何の相談が来るかは、こっちじゃ選べない。選べるのは、来た人が安心して扉を叩けるかどうかだけだ」  その夜、佐野は自分のプロフィールを開いた。ハンドルネームを本名に変え、「毎日発信中」を消して、入社してから担当した取引先の業種を三行だけ書いた。誰も見ていないのは分かっていた。  岩城はいつもの立ち飲み屋で手帳を開き、今夜の濃さを書き込んだ。この手帳のことは、これからもどこにも書かないつもりだった。  名刺に書いてあったのは、本職のことだけだった。それでも、思いがけない相談がたどり着ける扉は、そこにしかなかった。

論考

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何で見つかるかは選べない——だから「誰なのか」を確かめられる場所を整えておく

序:注目された理由は、本業とは限らない

ビジネスSNSの使い方は、たいてい「専門性をどう打ち出すか」「どう発信して見つけてもらうか」で語られる。見つけてほしい分野を決め、その分野で目立つ。考え方としては筋が通っている。

だが現実の注目は、こちらの狙いどおりには来ない。趣味、癖、たまたま話した一言。本業とまったく関係のない側面で名前が広まり、思いもよらない相談が舞い込むことがある。そのとき相手は、どこからあなたに連絡してくるのか。

問い:これまで受けた相談のうち、自分が「打ち出していた分野」以外から来たものはいくつあるか。

展開:公開の職歴は、まず「この人は誰か」を伝える

知らない人に連絡するのは、連絡する側にとって小さくない賭けだ。相手が実在するのか、まともに応じてくれる人なのか、分からないまま声をかけるのは怖い。番組や記事を作った側に問い合わせても、出演者の連絡先は普通は教えてもらえない。結局、相手は名前と所属の手がかりで検索し、たどり着いた先を見て決める。

ここで効くのが、昇進・異動・出向・復帰のたびに職歴を書き換えるという、地味な習慣である。途切れずに並んだ経歴は、「何ができるか」を宣伝する前に、「この人は実在し、腰を据えて働いてきた人だ」という確認材料になる。だからこそ、職歴に書いていない側面についての相談でも、連絡はそこに届く。

新しい機会は、親しい人よりもゆるいつながりの先から来やすい、とよく言われる。ゆるいつながりの先にいる人は、こちらの想定とは違う角度からこちらを見ている。来る相談の分野が読めないのは当然なのだ。

問い:自分の名前と所属で検索したとき、初めて見る人が「連絡しても大丈夫そうだ」と思える情報が出てくるか。

反証:本業に結びつかないなら、意味はないのでは

反論は多い。第一に、本業の職歴を整えても、来るのが本業と無関係の相談なら、仕事としては実を結ばない。第二に、それならいっそ趣味や得意な側面も前面に出して書いたほうが、見つかりやすいのではないか。第三に、更新しても誰にも見られない期間のほうが圧倒的に長い。第四に、相談が来ても、相手の社内事情で話が流れることは珍しくない。

問い:本業と関係のない相談を一年分書き出したら、そのうち仕事や新しいつながりに発展したものはいくつあるか。

再構成:分野は選べないが、信用の土台は選べる

第二の反論から考える。趣味や面白い側面を前面に出すと、確かに目立つ。しかし目立つことと、知らない人が安心して連絡できることは別だ。面白さは入口になるが、連絡をためらわせないのは、むしろ地に足のついた職歴のほうである。面白さだけが並んだプロフィールは、注目は集めても、声をかける決め手になりにくい。

第一・第四の反論には、こう答えられる。思いがけない分野で相談が来たこと自体が、他人の目から見た自分の価値の観測データになる。自分では仕事と思っていなかった記録や習慣に、外の誰かが値段をつけようとした。それは、成約しなくても残る発見だ。

注目がいつ、何について来るかは選べない。選べるのは、来た人が安心して扉を叩ける状態にしておくかどうかだけである。

問い:自分では仕事と思っていない習慣や記録のうち、他人が「相談したい」と思いそうなものは何か。

示唆:名刺は「何ができるか」より先に「誰なのか」

公開の職歴は、専門性の広告として磨くだけのものではない。どんな分野の相談であれ、知らない人が最後に確かめに来る身元の証明でもある。節目ごとに名刺を刷り直すように更新しておけば、思いがけない入口から来た人も、迷わずにたどり着ける。

問い:最後にプロフィールを更新したのはいつで、その後に起きた節目はいくつあるか。

実務への含意

  • 昇進・異動・出向・復帰・主要案件の終了を「更新の合図」と決め、その週のうちに公開の職歴を書き換える
  • 外部からの連絡を受け付ける手段(メッセージの受付設定など)を開けておき、知らない人が声をかけられる状態を保つ
  • 本業と無関係の相談が来たら、成約しなくても「何を見て、なぜ自分に連絡したか」を聞き、自分の思わぬ価値として記録する

参考文献

  • 『スタートアップ! シリコンバレー流成功する自己実現の秘訣』リード・ホフマン、ベン・カスノーカ(日経BP社)
  • 『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー(講談社)
  • 『弱いつながり 検索ワードを探す旅』東浩紀(幻冬舎)

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