ショートストーリー
棚を歩く人
論考
話し方の前に、棚を歩く――偏りを知ったうえで知識の土台をつくる
序:「三つの理由」は表出の技術である
「言いたいことを三つに絞る」「理由を三つ挙げる」という話し方は、たしかに効く。話し手は余計なものを詰め込まなくなり、聞き手は構造をつかみやすい。ただし、これは何をどう見せるかという表出の技術である。何を見せられるかは、その人が持っている知識の土台で決まる。三つの理由が三つとも同じ方向を向いていれば、型が整っているほど、かえって土台の薄さが目立つ。
問い:自分が最近使った「三つの理由」は、いくつの候補から選んだものか数えられるか。
展開:どの情報源にも偏りがある
知識の土台をつくるとは、特定の分野を深く掘ること以上に、偏りなく見渡すことである。ところが、情報源はどれも中立ではない。検索やSNSは、利用者が好むものを優先して出す。新聞やテレビには編集の方針がある。図書館も例外ではない。選書をする人の判断、利用者のリクエスト、よく借りられる本で埋まる新刊棚。ニューメディアもオールドメディアも、それぞれの癖を持っている。
だから「正しい情報源」を一つ探すのは筋がよくない。偏っていると知ったうえで複数の情報源を横断し、互いの偏りを打ち消していくほうが現実的である。図書館の分類体系は、この点で役に立つ。普段は近寄らない領域の棚が、物理的に目の前に並ぶからだ。同じ主題について立場の異なる複数の本を読み比べる、というよく知られた読書法も、同じ発想に立っている。
問い:先月読んだ情報の出どころを三種類以上挙げられるか。それらは同じ立場からのものではないか。
反証:網羅には時間がかかり、終わりもない
もっとも、網羅には時間がかかる。会議は待ってくれず、準備に時間をかけているうちに発言の機会を失うこともある。そもそも完全に偏りのない知識など存在しない。「土台を固めてから話す」という姿勢は、話さないことの言い訳にもなりうる。表出の型を先に身につけ、走りながら中身を足すほうが速い、という考え方にも一理ある。
問い:準備が足りないことを理由に発言を見送ったことが、この一か月で何回あったか。
再構成:網羅は「状態」ではなく「習慣」
この反論に対する答えは、網羅を完成させるべき状態ではなく、続ける習慣として扱うことである。毎週少しずつ普段行かない棚を歩く。自分の主張と反対側の資料を一つ足す。それだけで、土台は時間とともに厚くなる。
そう考えると、型と土台は対立しない。土台が厚い人ほど、多くの候補から三つを選ぶことができ、型はその選択を見せる器になる。多くの中から選ばれた三つは、反論を受けても崩れにくい。反対側をすでに読んでいるからである。
問い:自分の主張に対するいちばん強い反論を、出どころとともに一つ挙げられるか。
示唆:問いの立て方を変える
人を育てる場面では、話し方の研修より先に、情報源の幅を広げる習慣を身につけさせたい。会議では、「理由は何か」に加えて、「その理由はいくつの候補から選んだか」「反対側の資料は何を読んだか」と問う。この問いが当たり前になれば、型だけが一人歩きすることは減っていく。
問い:チームの会議で、反対側の資料を求める質問が最後に出たのはいつか。
実務への含意
- 提案の前に、主張と反対の立場の資料を最低一つ読み、反論への答えを用意する
- 情報源を「ネット・新聞・本」のように種類で分け、どれか一つに偏っていないかを月に一度点検する
- 普段近寄らない分野の棚や媒体を、週に一度、短い時間でよいので見る習慣を持つ
参考文献
- 『本を読む本』モーティマー・J・アドラー、チャールズ・V・ドーレン(講談社学術文庫)
- 『独学大全』読書猿(ダイヤモンド社)
- 『知的生活の方法』渡部昇一(講談社現代新書)