はじめに
「凡人最強説」について書くのは、これで三度目になります。
一度目は、マイケル・ジャクソンの孤独を手がかりに「幸福は他人の目の外にある」と書きました。二度目は、ある女優さんの騒動を手がかりに「目立たず、小さく、誰の投資対象にもならない存在こそが、最も強靭な生存戦略を持っている」と書きました。
今回は、2026年の秋にたまたま続けて目にした二つのニュースから考えてみます。一つは、アメリカ・アラスカ州の上院選で起きた「同じ名前の二人の候補」をめぐる騒動です。もう一つは、日本のあるインフルエンサーが、炎上をきっかけに売上を伸ばし、その後も話題を重ねていった出来事です。
一見、何の関係もない二つの話です。けれども並べてみると、同じ問いが浮かび上がってきます。
注目とは、受け取った瞬間に何かを手放す「契約」なのではないでしょうか。そしてその契約書の裏面には、小さな字で負債の明細が書かれているのではないでしょうか。
先にお断りしておきます。本稿は、登場する方々を裁くためのものではありません。私は「自分ならこうは選ばない」と考えていますが、それは私の物差しにすぎません。注目の舞台に上がることを選ぶ人生も、その人のものとして尊重しています。本稿でやりたいのは、契約書の裏面を一緒に読んでみること、それだけです。
なお、私人である方々については名前を伏せ、報道された事実と本人が公に語った言葉だけを扱います。
第1章:同じ名前を持つという災難
ダン・サリバン対ダン・サリバン
アラスカ州の連邦上院選には、2026年、ダン・サリバンという名前の候補が二人いました。
一人は、2014年から上院議員を務める共和党の現職、ダン・S・サリバン氏です。もう一人は、南東部の漁業の町ピーターズバーグに住む、退職した元小学校教員のダニエル・J・サリバン・Jr.氏です。米国森林局で働いた経歴もある人です。
報道によれば、新人のサリバン氏は、現職が地元の声に応えないこと、物価の上昇、地方の医療などへの不満を出馬の理由に挙げています。AP通信の取材には「何かを変えたい。それは私の権利だ」と語り、出馬すれば庭に看板を立てたり手紙を書いたりするより多くの人に届く、という趣旨の話もしています。
これに対し、共和党側は「現職の票を奪って民主党候補を勝たせるための偽装の立候補だ」と主張しました。州の選挙管理当局はいったん彼を失格にしましたが、州の裁判所がこれを覆し、6月29日には州最高裁が出馬を認めています。共和党側が根拠に挙げたのは、選挙の立ち上げを手伝ったコンサルタントが民主党の候補者を支援してきた人だったことなどです。本人も州の民主党も、連携を否定しています。8月には、連邦司法省が大陪審を通じて召喚状を出したと報じられましたが、本稿の執筆時点で起訴は報じられていません。
8月の予備選で、新人のサリバン氏の得票は2.5%でした。地元公共放送の報道では、その票の多くは民主党寄りの地区から来ていて、名前の取り違えはほとんど見られなかったといいます。
そして10月22日、連邦司法省はアラスカ州を提訴しました。現職が僅差で敗れた場合に、当選の認定を止めるよう求める訴えです。トランプ大統領は翌日、「やれと言ったのは私だ」と記者団に語りました。
誰が騒ぎを大きくしたのか
ここで一つ、注目の「量」が誰によって増やされたのかを見ておきたいと思います。
新人のサリバン氏が出馬したとき、予想できた注目は「上院議員と同じ名前の人が立候補した」というちょっとした話題くらいだったはずです。ところが、その後の流れはこうでした。
- 現職の陣営と共和党の全国組織が「偽装だ」と声を上げる
- 州が調査し、失格にする
- 裁判で覆る
- 連邦の捜査が報じられる
- 大統領が名指しで批判する
- 司法省が州を訴える
本人の得票は2.5%です。放っておけば、泡沫候補の一人として静かに選挙を終えていたかもしれません。騒ぎを全国規模に広げたのは、本人ではなく、彼を消そうとした側でした。消そうとするほど広まる、いわゆる「ストライサンド効果」の典型です。
名前が「共有資産」になるとき
二作目で私は、スターのブランドは本人の持ち物ではなく、周りの人々が投資して作り上げた「共有資産」になってしまう、と書きました。
新人のサリバン氏に起きたことは、それをさらに極端にした形です。彼が投資したのは自分の名前だけでした。その名前が、出馬した瞬間に上院の多数派を争う戦場の道具になりました。ある陣営は「偽物の名前だ」と言い、別の陣営は「その名前に入った票は、本当は現職のものだ」と言います。自分の名前に投じられた票の持ち主まで、他人が決めようとしているわけです。
ここには、二作目で触れた「有限責任と無限責任」の非対称もそのまま現れています。訴えが退けられても、政党や政権が失うのは政治的な得点の一部です。一方で本人は、失格をめぐる裁判に追われ、刑事捜査の報道や大統領からの批判にさらされました。
それでも、彼は凡人の強さも持っている
ただし、この話を「凡人が舞台に上がって痛い目を見た」とだけまとめるのは、公平ではないと思います。
地元テレビ局の報道によれば、ピーターズバーグの人々は党派を超えて彼を支えています。都市計画委員の選挙に勝ったこともあり、町では「みんなが知っている先生」です。あるテレビ局の取材は断り、書面での回答が中心だとも報じられています。目立つことそのものを求めている人の振る舞いには、あまり見えません。
退職した元教員には、守るべき出世も、取引先も、ブランドもありません。選挙が終われば「ただのサリバン先生」に戻れる町があります。凡人最強説の言葉でいえば、もともと失うものが少なく、倒れても戻れる場所を持っている人です。その意味で、彼の出馬は凡人だからこそできた挑戦だったとも言えます。
それでも、一つだけ引っかかる点が残ります。連邦の刑事捜査です。町の人々がどれだけ支えてくれても、国家の捜査機関が相手では、「元の車線に戻る」ことが保証されません。凡人の強さは「戻れること」にあります。その「戻れること」そのものを奪いかねない負債は、凡人であっても慎重に扱うべき種類のものだと私は考えます。
第2章:ピラミッドの頂上で
1万円と、3〜4倍の売上
2026年5月の大型連休中、ある動画がXで拡散されました。六本木の貸切スペースで、全裸の女性6人が人間ピラミッドを組み、男性経営者が頂上の女性にシャンパンをかけながら「これが資本主義だ」と叫ぶ、というものです。経営者は当初「AI生成の疑いがある」と否定しましたが、頂上にいた女性インフルエンサー(以下、A氏とします)が「頂上にいたのは私だ」と名乗り出た後、事実と認めて謝罪しました。
A氏はその後の取材に、参加した理由を「今後、何か出資してもらったりとか、コネクションができればと言う思い」「恩を売りたいという浅い気持ちでやっちゃいました」と語っています。当日受け取ったのは1万円だったそうです。
一方で、A氏はこうも語っています。
「実は私に関連する商品の売り上げが伸びましたので、あまり怒ってないです。(中略)いつもの売り上げの3〜4倍になりました」
「いろいろ失ったんですけど、得たものも多かったのでよく分かりませんね」
戻る売上と、戻らない要求
約4か月後、同じ媒体の取材に、A氏はこう振り返っています。
「話題にはなりましたから、ユーザーからの自分の見え方とか、どう発言したら人をこっちに向かせられるかとか、ビジネスとしては良くなった。むしろメチャクチャプラスかなと思っています」
ここだけを読むと、炎上は成功した投資のように見えます。けれども、同じインタビューには次の言葉もありました。
「コンテンツの売り上げはあの時が一番上がって、また元には戻るんですけど、過激なのを求められるようになったので、その辺はしんどくなりました。やりすぎちゃったのはマイナスですね」
私は、この一節がこの出来事のすべてを語っていると思います。
売上は元に戻りました。けれども、観客の期待値は戻りませんでした。
注目は、逆回りしない歯車(ラチェット)のように働きます。一度大きな刺激を出すと、観客はそれを基準にします。次に同じ量の注目を得るには、もっと強い刺激が要ります。二作目で私は承認を「高カロリーの餌」にたとえましたが、その味を覚えるのは発信する側だけではありません。見る側も同じです。
実際、その後もA氏の名前が、より強い刺激を伴う動画とともに話題になることがありました。経営者やインフルエンサーに会うたびに「シャンパンタワーやった人だ」と言われ続けていて、本人も「人から爆弾みたいに思われているかもしれませんね」と語っています。
二つの「最強」
印象に残ったのは、A氏が4か月後の取材で使った言葉です。
「私の方が最強かなと思います」
偶然ですが、凡人最強説と同じ「最強」という言葉です。けれども、中身はほとんど正反対です。
|
A氏の語る「最強」 |
凡人最強説の「最強」 |
| 何を測るか |
数字がどれだけ伸びたか |
倒れたときにどれだけ戻れるか |
| 比べる相手 |
自分を利用しようとした相手 |
昨日の自分 |
| 見ている時間 |
ピークの瞬間 |
長く生き延びること |
片方は山の高さを測り、もう片方は谷の浅さを測っています。どちらの物差しを採るかは、人それぞれです。ただ、山の高さを測る物差しには、山が高いほど谷も深くなりうるという事実が目盛りとして刻まれていません。
第3章:すっぱいぶどうと甘いレモン
凡人最強説は「すっぱいぶどう」ではないのか
ここで、凡人最強説にとって一番痛い問いに向き合っておきます。
「有名になれなかった人が、有名人の不幸を見て『自分は凡人でよかった』と言っているだけではないか」。
イソップ寓話のキツネは、高いところにあるぶどうに手が届かず、「どうせあれはすっぱいぶどうだ」と言って立ち去ります。哲学者ヤン・エルスターは、このように手に入らないものに合わせて自分の好みの方を作り変えてしまう心の働きを「適応的選好形成」と呼び、それが本人の自律的な選択とは言えない可能性を論じました。凡人最強説も、この疑いから自由ではありません。
私なりの答えを書いておきます。
すっぱいぶどうの理屈は、結果が先にあって、理由が後から作られます。手に入らなかったという事実が先にあり、「だからあれは価値がない」という評価が後から付きます。
凡人最強説が目指しているのは、その逆の順番です。注目を得る前に、それがどんな負債を連れてくるかを一つずつ数えます。数え終わったところで「自分は要らない」という結論が出てきます。結論が後、計算が先です。
もちろん、私がこの順番を本当に守れているかどうかは、私自身には確かめようがありません。一つだけ、自分に向けて試せる問いがあります。
「明日、名声がただで手に入るとしたら、受け取るか」。
それでも「要らない」と答えるなら、少なくとも値札の高さだけで断っているのではない、ということになります。名声に付いてくる明細の方を見て断っているからです。
「甘いレモン」という逆向きの合理化
心理学には、すっぱいぶどうと対になる言葉があります。「甘いレモン」です。手に入ってしまった悪いものを、「これは実は良いものだった」と思い込む合理化のことです。
社会心理学者のレオン・フェスティンガーは、自分の行動と考えが食い違ったとき、人はその不快さ(認知的不協和)を減らすために、考えの方を書き換えることが多いと論じました。
A氏の語る動機は、時間とともに変わっています。
| 時期 |
本人の説明 |
| 騒動の直後 |
「恩を売りたいという浅い気持ちでやっちゃいました」「ちょっとそういうのはもう辞めなきゃなって」 |
| 4か月後 |
「恩を売るっていうより、自分でピラミッドの上に立って、自分で数字をつかみにいく感覚を勉強させてもらった感じ」「メチャクチャプラス」 |
私はこれを、A氏個人の弱さとして指摘したいのではありません。起きてしまったことに後から意味を与えるのは、人間なら誰でもすることです。むしろ、そうやって前を向かなければ立っていられない状況もあると思います。
ただ、ここで見ておきたいのは、合理化の向きです。すっぱいぶどうは「手に入らなかったもの」を下げ、甘いレモンは「手に入ってしまったもの」を上げます。どちらも、結果が出た後で帳簿を書き換えるという点では同じです。
本人の言葉の中で、私が一番誠実だと感じたのは、5月の「いろいろ失ったんですけど、得たものも多かったのでよく分かりませんね」という一言でした。帳簿がつけられていない、ということを正直に言っているからです。そして、帳簿がつけられないまま次の取引に進まざるをえないことこそが、注目の経済の一番怖いところだと私は思います。
第4章:注目という契約の、裏面の明細
三つの問い
二つの出来事から、注目という契約の裏面に書かれている明細を、三つの問いとして取り出してみます。
一つ目:それは戻れる取引か
炎上で伸びた売上は数か月で元に戻りました。けれども「シャンパンタワーの人」という呼び名は戻りません。新人のサリバン氏の場合も、得票は2.5%で終わるかもしれませんが、刑事捜査の記録が始まってしまえば、それは選挙の結果とは関係なく残ります。
利益は一時的で、負債は恒久的です。この非対称が、注目の取引の基本形なのだと思います。
ナシーム・ニコラス・タレブは『身銭を切れ』の中で、何度も繰り返す賭けにおいては、一度でも「破滅」がありうるなら、平均の期待値がどれほど高くても最後には負ける、という趣旨の議論をしています。破滅とは、次の試行ができなくなることです。凡人最強説の言葉に置き換えれば、「元の車線に戻れなくなること」です。
二つ目:負債は誰が払うのか
人間ピラミッドの場を設けた経営者は、謝罪動画を出しました。拡散した暴露系のアカウントは、閲覧数を得ました。アラスカでは、政党や政権が政治的な得点を得たり失ったりしています。
けれども、名前と顔が残り続けるのは、それぞれの中心にいる個人です。二作目で書いた「有限責任の大人たちと、無限責任の個人」という構図は、芸能界の外にもそのまま広がっています。注目の場では、負債の多くを払うのは、たいてい一番目立った人です。
三つ目:要求は戻るか
注目には、一度上げた水準を下げられないという性質があります。観客は前回を基準にします。昨日と同じ刺激では、今日の注目は得られません。
これは承認を求める側だけの問題ではありません。見る側の私たちも、より強い刺激を求めることで、この歯車を回すのに加担しています。私自身も、こうして記事を読み、論考の題材にしている時点で、その観客の一人です。
凡人であることは、注目をゼロにすることではない
誤解のないように書いておきます。凡人最強説は「誰にも見られずに生きよ」という主張ではありません。
文章を書いて公開すれば、誰かの目に触れます。仕事をすれば、評価されます。完全に注目の外に出ることは、現代ではほとんど不可能です。
凡人最強説が言いたいのは、注目の大きさを自分で決められる範囲にとどめるということです。具体的には、次のような構えのことです。
- ハンドルを自分で握れる速度で走る
- 名前が自分の持ち物でなくなるほどの規模には、自分から近づかない
- 近づかざるをえないときは、先に明細を読む
新人のサリバン氏が出馬に込めた「自分の声を届けたい」という願いそのものは、私にはよく分かります。看板や手紙では届かない声を、どうにかして届けたいという気持ちです。その気持ちは、凡人の誰もが持っているものだと思います。問題は、その声を届ける手段の規模を、自分ではなく他人が決めてしまう場に入ったことでした。
第5章:それでも舞台に上がる人へ
消防士は必要である
二作目の反論の中で、私は「消防士は社会に必要ですが、全員が消防士になる必要はありません」と書きました。
注目の舞台も同じだと思います。誰かが舞台に上がらなければ、政治は動かず、新しい表現は生まれず、埋もれた問題は知られないままです。リスクを引き受けて声を上げる人がいるからこそ、私のように舞台の外で静かに暮らす人間も、その恩恵を受けています。
新人のサリバン氏が、自分の名前が戦場の道具にされると知ったうえで、それでも選挙に残ると決めたのだとすれば、それは一つの覚悟です。A氏が「数字をつかみにいく」生き方を選び、その代償を自分で引き受けると決めているのだとすれば、それもまた、その人の人生です。
私は、どちらの選択も否定しません。私が自分には選ばない、というだけです。
明細を読んでから、署名する
一つだけお願いしたいことがあるとすれば、それは「署名する前に、裏面を読んでほしい」ということです。
- それは戻れる取引か
- 負債を払うのは誰か
- 一度上げた要求を、下げられるか
この三つを読んだうえで「それでも上がる」と決めた人は、私よりずっと勇気のある人です。読まずに上がってしまった人には、少なくとも「読む機会があった」ことを知ってほしいと思います。そして、まだどちらにも決めていない人には、舞台に上がらない人生も、決して負けではないということを知ってほしいと思います。
おわりに
同じ名前を持っていたために、望んだ以上の注目を浴びることになった元教員がいました。注目を自ら取りにいき、その歯車が戻らないことを身をもって知ったインフルエンサーがいました。
二人の立場は正反対ですが、どちらの話にも、注目という契約の裏面がはっきりと見えていました。表には「話題」「売上」「声が届くこと」が大きな字で書かれています。裏には「戻れないこと」「払うのは自分であること」「要求が上がり続けること」が小さな字で書かれています。
凡人最強説は、その小さな字を読む習慣のことなのだと、私は三度目にしてようやく言葉にできた気がします。
それをどう読み、どう振る舞い、どう生きていくかは、読んでくださったお一人お一人のものです。私はこう考えている、というだけです。
ビールでも飲みながら、契約書の裏面を、一度ゆっくり眺めてみませんか。
予想される反論と、それに対する見解
反論1:「結局、有名になれない人の負け惜しみではないか」
その疑いは、本稿の第3章で正面から扱いました。すっぱいぶどうは「結果が先、理由が後」の理屈です。凡人最強説は「計算が先、結論が後」を目指しています。ただし、私がそれを本当に守れているかは、私自身には確かめられません。「名声がただで手に入るとしたら受け取るか」という問いを、読者の皆さんにも自分自身に向けてみていただければと思います。
反論2:「注目が収益に直結する仕事なら、炎上を利用するのは合理的な判断ではないか」
一理あります。注目そのものが商品である仕事では、注目を集めることは事業の中核です。本稿も、その計算をすべて誤りだとは考えていません。ただ、その計算に「元に戻る売上」と「戻らない要求」の差が入っているかどうかが問題だと考えます。本人が「売上は元に戻ったが、過激なものを求められるようになった」と語っていることは、その差が実在することを示しています。
反論3:「アラスカの候補は自分で選んだわけではない。凡人最強説で論じるのは筋違いではないか」
おっしゃる通り、新人のサリバン氏の注目の大部分は、相手側が作ったものです。だからこそ私は彼を、凡人が「自分で決めた大きさを超えて巨大化させられた」例として扱いました。凡人最強説は「目立とうとするな」という教えではなく、「注目の大きさは自分の手を離れて膨らみうる。その可能性まで明細に入れよ」という教えでもあると考えます。
反論4:「他人の騒動を題材にして論考を書くこと自体が、注目の経済への加担ではないか」
痛いところです。その通りだと思います。私もこの論考を書くことで、二人の騒動を読む観客の一人になっています。だからこそ、私人の名前は伏せ、報道された事実と本人が公に語った言葉だけを扱い、家族やプライベートに関わる事柄には触れないようにしました。それでも加担がゼロになるわけではありません。その自覚は持っておきたいと思います。
反論5:「注目を浴びる勇気のない人間の自己正当化を、『戦略』と呼んでいるだけではないか」
勇気の問題として見れば、私は勇気のない側にいるのだと思います。第5章で書いた通り、舞台に上がる人は、私よりずっと勇気のある人です。ただ、勇気があることと、その選択が本人にとって合理的であることは、別の問題です。凡人最強説は勇気の大小を競うものではなく、自分が引き受けられる負債の大きさを知るためのものだと考えています。
反論6:「明細を読めと言っても、注目の負債は事前には予測できない」
その通りです。新人のサリバン氏が、出馬の時点で司法省の提訴まで予想できたとは思えません。だからこそ、明細の一つ目は「戻れる取引か」なのです。具体的に何が起きるかは予測できなくても、「最悪の場合に戻れるか」は事前に考えられます。予測できないものに備える方法は、予測の精度を上げることではなく、破滅を避ける余白を残すことだと、タレブも繰り返し述べています。
参考文献
- ナシーム・ニコラス・タレブ『身銭を切れ——「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』望月衛 監訳、千葉敏生 訳(ダイヤモンド社, 2019)
- ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性[上]——不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』望月衛 監訳、千葉敏生 訳(ダイヤモンド社, 2017)
- ヤン・エルスター『酸っぱい葡萄——合理性の転覆について』玉手慎太郎 訳(勁草書房, 2018)
- レオン・フェスティンガー『認知的不協和の理論——社会心理学序説』末永俊郎 監訳(誠信書房, 1965)
- 山本龍彦『アテンション・エコノミーのジレンマ——〈関心〉を奪い合う世界に未来はあるか』(KADOKAWA, 2024)
報道(事実関係の出典)
- BBC News「Trump administration sues to block certification of upcoming Alaska election」(2026年10月)ほか、ロイター・AFP・共同通信・日本テレビ・産経新聞・時事通信の同件報道(2026年10月)
- Al Jazeera「Dan Sullivan vs Dan Sullivan: Why is Trump's DOJ suing in Alaska?」(2026年10月24日)
- Associated Press「To the GOP, he's a sham candidate. At home, he's Mr. Sullivan, ex-teacher and Alaska Senate hopeful」(2026年7月11日)
- Alaska Public Media「Petersburg's Dan J. Sullivan stays on Alaska's U.S. Senate ballot after third-place primary finish」(2026年9月1日)
- Alaska's News Source「Searching for Sullivan: Petersburg rallies behind candidate, declines KTUU interview」(2026年6月26日)
- 集英社オンライン(2026年5月9日)、NEWSポストセブン(2026年5月14日・9月25日)の人間ピラミッド騒動に関する記事
著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業
## はじめに
「凡人最強説」について書くのは、これで三度目になります。
一度目は、マイケル・ジャクソンの孤独を手がかりに「幸福は他人の目の外にある」と書きました。二度目は、ある女優さんの騒動を手がかりに「目立たず、小さく、誰の投資対象にもならない存在こそが、最も強靭な生存戦略を持っている」と書きました。
今回は、2026年の秋にたまたま続けて目にした二つのニュースから考えてみます。一つは、アメリカ・アラスカ州の上院選で起きた「同じ名前の二人の候補」をめぐる騒動です。もう一つは、日本のあるインフルエンサーが、炎上をきっかけに売上を伸ばし、その後も話題を重ねていった出来事です。
一見、何の関係もない二つの話です。けれども並べてみると、同じ問いが浮かび上がってきます。
**注目とは、受け取った瞬間に何かを手放す「契約」なのではないでしょうか。そしてその契約書の裏面には、小さな字で負債の明細が書かれているのではないでしょうか。**
先にお断りしておきます。本稿は、登場する方々を裁くためのものではありません。私は「自分ならこうは選ばない」と考えていますが、それは私の物差しにすぎません。注目の舞台に上がることを選ぶ人生も、その人のものとして尊重しています。本稿でやりたいのは、契約書の裏面を一緒に読んでみること、それだけです。
なお、私人である方々については名前を伏せ、報道された事実と本人が公に語った言葉だけを扱います。
## 第1章:同じ名前を持つという災難
### ダン・サリバン対ダン・サリバン
アラスカ州の連邦上院選には、2026年、ダン・サリバンという名前の候補が二人いました。
一人は、2014年から上院議員を務める共和党の現職、ダン・S・サリバン氏です。もう一人は、南東部の漁業の町ピーターズバーグに住む、退職した元小学校教員のダニエル・J・サリバン・Jr.氏です。米国森林局で働いた経歴もある人です。
報道によれば、新人のサリバン氏は、現職が地元の声に応えないこと、物価の上昇、地方の医療などへの不満を出馬の理由に挙げています。AP通信の取材には「何かを変えたい。それは私の権利だ」と語り、出馬すれば庭に看板を立てたり手紙を書いたりするより多くの人に届く、という趣旨の話もしています。
これに対し、共和党側は「現職の票を奪って民主党候補を勝たせるための偽装の立候補だ」と主張しました。州の選挙管理当局はいったん彼を失格にしましたが、州の裁判所がこれを覆し、6月29日には州最高裁が出馬を認めています。共和党側が根拠に挙げたのは、選挙の立ち上げを手伝ったコンサルタントが民主党の候補者を支援してきた人だったことなどです。本人も州の民主党も、連携を否定しています。8月には、連邦司法省が大陪審を通じて召喚状を出したと報じられましたが、本稿の執筆時点で起訴は報じられていません。
8月の予備選で、新人のサリバン氏の得票は2.5%でした。地元公共放送の報道では、その票の多くは民主党寄りの地区から来ていて、名前の取り違えはほとんど見られなかったといいます。
そして10月22日、連邦司法省はアラスカ州を提訴しました。現職が僅差で敗れた場合に、当選の認定を止めるよう求める訴えです。トランプ大統領は翌日、「やれと言ったのは私だ」と記者団に語りました。
### 誰が騒ぎを大きくしたのか
ここで一つ、注目の「量」が誰によって増やされたのかを見ておきたいと思います。
新人のサリバン氏が出馬したとき、予想できた注目は「上院議員と同じ名前の人が立候補した」というちょっとした話題くらいだったはずです。ところが、その後の流れはこうでした。
1. 現職の陣営と共和党の全国組織が「偽装だ」と声を上げる
2. 州が調査し、失格にする
3. 裁判で覆る
4. 連邦の捜査が報じられる
5. 大統領が名指しで批判する
6. 司法省が州を訴える
本人の得票は2.5%です。放っておけば、泡沫候補の一人として静かに選挙を終えていたかもしれません。騒ぎを全国規模に広げたのは、本人ではなく、彼を消そうとした側でした。消そうとするほど広まる、いわゆる「ストライサンド効果」の典型です。
### 名前が「共有資産」になるとき
二作目で私は、スターのブランドは本人の持ち物ではなく、周りの人々が投資して作り上げた「共有資産」になってしまう、と書きました。
新人のサリバン氏に起きたことは、それをさらに極端にした形です。彼が投資したのは自分の名前だけでした。その名前が、出馬した瞬間に上院の多数派を争う戦場の道具になりました。ある陣営は「偽物の名前だ」と言い、別の陣営は「その名前に入った票は、本当は現職のものだ」と言います。自分の名前に投じられた票の持ち主まで、他人が決めようとしているわけです。
ここには、二作目で触れた「有限責任と無限責任」の非対称もそのまま現れています。訴えが退けられても、政党や政権が失うのは政治的な得点の一部です。一方で本人は、失格をめぐる裁判に追われ、刑事捜査の報道や大統領からの批判にさらされました。
### それでも、彼は凡人の強さも持っている
ただし、この話を「凡人が舞台に上がって痛い目を見た」とだけまとめるのは、公平ではないと思います。
地元テレビ局の報道によれば、ピーターズバーグの人々は党派を超えて彼を支えています。都市計画委員の選挙に勝ったこともあり、町では「みんなが知っている先生」です。あるテレビ局の取材は断り、書面での回答が中心だとも報じられています。目立つことそのものを求めている人の振る舞いには、あまり見えません。
退職した元教員には、守るべき出世も、取引先も、ブランドもありません。選挙が終われば「ただのサリバン先生」に戻れる町があります。凡人最強説の言葉でいえば、もともと失うものが少なく、倒れても戻れる場所を持っている人です。その意味で、彼の出馬は凡人だからこそできた挑戦だったとも言えます。
それでも、一つだけ引っかかる点が残ります。連邦の刑事捜査です。町の人々がどれだけ支えてくれても、国家の捜査機関が相手では、「元の車線に戻る」ことが保証されません。凡人の強さは「戻れること」にあります。その「戻れること」そのものを奪いかねない負債は、凡人であっても慎重に扱うべき種類のものだと私は考えます。
## 第2章:ピラミッドの頂上で
### 1万円と、3〜4倍の売上
2026年5月の大型連休中、ある動画がXで拡散されました。六本木の貸切スペースで、全裸の女性6人が人間ピラミッドを組み、男性経営者が頂上の女性にシャンパンをかけながら「これが資本主義だ」と叫ぶ、というものです。経営者は当初「AI生成の疑いがある」と否定しましたが、頂上にいた女性インフルエンサー(以下、A氏とします)が「頂上にいたのは私だ」と名乗り出た後、事実と認めて謝罪しました。
A氏はその後の取材に、参加した理由を「今後、何か出資してもらったりとか、コネクションができればと言う思い」「恩を売りたいという浅い気持ちでやっちゃいました」と語っています。当日受け取ったのは1万円だったそうです。
一方で、A氏はこうも語っています。
> 「実は私に関連する商品の売り上げが伸びましたので、あまり怒ってないです。(中略)いつもの売り上げの3〜4倍になりました」
> 「いろいろ失ったんですけど、得たものも多かったのでよく分かりませんね」
### 戻る売上と、戻らない要求
約4か月後、同じ媒体の取材に、A氏はこう振り返っています。
> 「話題にはなりましたから、ユーザーからの自分の見え方とか、どう発言したら人をこっちに向かせられるかとか、ビジネスとしては良くなった。むしろメチャクチャプラスかなと思っています」
ここだけを読むと、炎上は成功した投資のように見えます。けれども、同じインタビューには次の言葉もありました。
> 「コンテンツの売り上げはあの時が一番上がって、また元には戻るんですけど、過激なのを求められるようになったので、その辺はしんどくなりました。やりすぎちゃったのはマイナスですね」
私は、この一節がこの出来事のすべてを語っていると思います。
**売上は元に戻りました。けれども、観客の期待値は戻りませんでした。**
注目は、逆回りしない歯車(ラチェット)のように働きます。一度大きな刺激を出すと、観客はそれを基準にします。次に同じ量の注目を得るには、もっと強い刺激が要ります。二作目で私は承認を「高カロリーの餌」にたとえましたが、その味を覚えるのは発信する側だけではありません。見る側も同じです。
実際、その後もA氏の名前が、より強い刺激を伴う動画とともに話題になることがありました。経営者やインフルエンサーに会うたびに「シャンパンタワーやった人だ」と言われ続けていて、本人も「人から爆弾みたいに思われているかもしれませんね」と語っています。
### 二つの「最強」
印象に残ったのは、A氏が4か月後の取材で使った言葉です。
> 「私の方が最強かなと思います」
偶然ですが、凡人最強説と同じ「最強」という言葉です。けれども、中身はほとんど正反対です。
| | A氏の語る「最強」 | 凡人最強説の「最強」 |
|---|---|---|
| 何を測るか | 数字がどれだけ伸びたか | 倒れたときにどれだけ戻れるか |
| 比べる相手 | 自分を利用しようとした相手 | 昨日の自分 |
| 見ている時間 | ピークの瞬間 | 長く生き延びること |
片方は山の高さを測り、もう片方は谷の浅さを測っています。どちらの物差しを採るかは、人それぞれです。ただ、山の高さを測る物差しには、山が高いほど谷も深くなりうるという事実が目盛りとして刻まれていません。
## 第3章:すっぱいぶどうと甘いレモン
### 凡人最強説は「すっぱいぶどう」ではないのか
ここで、凡人最強説にとって一番痛い問いに向き合っておきます。
「有名になれなかった人が、有名人の不幸を見て『自分は凡人でよかった』と言っているだけではないか」。
イソップ寓話のキツネは、高いところにあるぶどうに手が届かず、「どうせあれはすっぱいぶどうだ」と言って立ち去ります。哲学者ヤン・エルスターは、このように手に入らないものに合わせて自分の好みの方を作り変えてしまう心の働きを「適応的選好形成」と呼び、それが本人の自律的な選択とは言えない可能性を論じました。凡人最強説も、この疑いから自由ではありません。
私なりの答えを書いておきます。
すっぱいぶどうの理屈は、**結果が先にあって、理由が後から作られます**。手に入らなかったという事実が先にあり、「だからあれは価値がない」という評価が後から付きます。
凡人最強説が目指しているのは、その逆の順番です。注目を得る**前に**、それがどんな負債を連れてくるかを一つずつ数えます。数え終わったところで「自分は要らない」という結論が出てきます。結論が後、計算が先です。
もちろん、私がこの順番を本当に守れているかどうかは、私自身には確かめようがありません。一つだけ、自分に向けて試せる問いがあります。
**「明日、名声がただで手に入るとしたら、受け取るか」。**
それでも「要らない」と答えるなら、少なくとも値札の高さだけで断っているのではない、ということになります。名声に付いてくる明細の方を見て断っているからです。
### 「甘いレモン」という逆向きの合理化
心理学には、すっぱいぶどうと対になる言葉があります。「甘いレモン」です。手に入ってしまった悪いものを、「これは実は良いものだった」と思い込む合理化のことです。
社会心理学者のレオン・フェスティンガーは、自分の行動と考えが食い違ったとき、人はその不快さ(認知的不協和)を減らすために、考えの方を書き換えることが多いと論じました。
A氏の語る動機は、時間とともに変わっています。
| 時期 | 本人の説明 |
|---|---|
| 騒動の直後 | 「恩を売りたいという浅い気持ちでやっちゃいました」「ちょっとそういうのはもう辞めなきゃなって」 |
| 4か月後 | 「恩を売るっていうより、自分でピラミッドの上に立って、自分で数字をつかみにいく感覚を勉強させてもらった感じ」「メチャクチャプラス」 |
私はこれを、A氏個人の弱さとして指摘したいのではありません。起きてしまったことに後から意味を与えるのは、人間なら誰でもすることです。むしろ、そうやって前を向かなければ立っていられない状況もあると思います。
ただ、ここで見ておきたいのは、合理化の向きです。すっぱいぶどうは「手に入らなかったもの」を下げ、甘いレモンは「手に入ってしまったもの」を上げます。どちらも、**結果が出た後で帳簿を書き換える**という点では同じです。
本人の言葉の中で、私が一番誠実だと感じたのは、5月の「いろいろ失ったんですけど、得たものも多かったのでよく分かりませんね」という一言でした。帳簿がつけられていない、ということを正直に言っているからです。そして、帳簿がつけられないまま次の取引に進まざるをえないことこそが、注目の経済の一番怖いところだと私は思います。
## 第4章:注目という契約の、裏面の明細
### 三つの問い
二つの出来事から、注目という契約の裏面に書かれている明細を、三つの問いとして取り出してみます。
**一つ目:それは戻れる取引か**
炎上で伸びた売上は数か月で元に戻りました。けれども「シャンパンタワーの人」という呼び名は戻りません。新人のサリバン氏の場合も、得票は2.5%で終わるかもしれませんが、刑事捜査の記録が始まってしまえば、それは選挙の結果とは関係なく残ります。
利益は一時的で、負債は恒久的です。この非対称が、注目の取引の基本形なのだと思います。
ナシーム・ニコラス・タレブは『身銭を切れ』の中で、何度も繰り返す賭けにおいては、一度でも「破滅」がありうるなら、平均の期待値がどれほど高くても最後には負ける、という趣旨の議論をしています。破滅とは、次の試行ができなくなることです。凡人最強説の言葉に置き換えれば、「元の車線に戻れなくなること」です。
**二つ目:負債は誰が払うのか**
人間ピラミッドの場を設けた経営者は、謝罪動画を出しました。拡散した暴露系のアカウントは、閲覧数を得ました。アラスカでは、政党や政権が政治的な得点を得たり失ったりしています。
けれども、名前と顔が残り続けるのは、それぞれの中心にいる個人です。二作目で書いた「有限責任の大人たちと、無限責任の個人」という構図は、芸能界の外にもそのまま広がっています。注目の場では、負債の多くを払うのは、たいてい一番目立った人です。
**三つ目:要求は戻るか**
注目には、一度上げた水準を下げられないという性質があります。観客は前回を基準にします。昨日と同じ刺激では、今日の注目は得られません。
これは承認を求める側だけの問題ではありません。見る側の私たちも、より強い刺激を求めることで、この歯車を回すのに加担しています。私自身も、こうして記事を読み、論考の題材にしている時点で、その観客の一人です。
### 凡人であることは、注目をゼロにすることではない
誤解のないように書いておきます。凡人最強説は「誰にも見られずに生きよ」という主張ではありません。
文章を書いて公開すれば、誰かの目に触れます。仕事をすれば、評価されます。完全に注目の外に出ることは、現代ではほとんど不可能です。
凡人最強説が言いたいのは、**注目の大きさを自分で決められる範囲にとどめる**ということです。具体的には、次のような構えのことです。
- ハンドルを自分で握れる速度で走る
- 名前が自分の持ち物でなくなるほどの規模には、自分から近づかない
- 近づかざるをえないときは、先に明細を読む
新人のサリバン氏が出馬に込めた「自分の声を届けたい」という願いそのものは、私にはよく分かります。看板や手紙では届かない声を、どうにかして届けたいという気持ちです。その気持ちは、凡人の誰もが持っているものだと思います。問題は、その声を届ける手段の規模を、自分ではなく他人が決めてしまう場に入ったことでした。
## 第5章:それでも舞台に上がる人へ
### 消防士は必要である
二作目の反論の中で、私は「消防士は社会に必要ですが、全員が消防士になる必要はありません」と書きました。
注目の舞台も同じだと思います。誰かが舞台に上がらなければ、政治は動かず、新しい表現は生まれず、埋もれた問題は知られないままです。リスクを引き受けて声を上げる人がいるからこそ、私のように舞台の外で静かに暮らす人間も、その恩恵を受けています。
新人のサリバン氏が、自分の名前が戦場の道具にされると知ったうえで、それでも選挙に残ると決めたのだとすれば、それは一つの覚悟です。A氏が「数字をつかみにいく」生き方を選び、その代償を自分で引き受けると決めているのだとすれば、それもまた、その人の人生です。
私は、どちらの選択も否定しません。私が自分には選ばない、というだけです。
### 明細を読んでから、署名する
一つだけお願いしたいことがあるとすれば、それは「署名する前に、裏面を読んでほしい」ということです。
- それは戻れる取引か
- 負債を払うのは誰か
- 一度上げた要求を、下げられるか
この三つを読んだうえで「それでも上がる」と決めた人は、私よりずっと勇気のある人です。読まずに上がってしまった人には、少なくとも「読む機会があった」ことを知ってほしいと思います。そして、まだどちらにも決めていない人には、舞台に上がらない人生も、決して負けではないということを知ってほしいと思います。
## おわりに
同じ名前を持っていたために、望んだ以上の注目を浴びることになった元教員がいました。注目を自ら取りにいき、その歯車が戻らないことを身をもって知ったインフルエンサーがいました。
二人の立場は正反対ですが、どちらの話にも、注目という契約の裏面がはっきりと見えていました。表には「話題」「売上」「声が届くこと」が大きな字で書かれています。裏には「戻れないこと」「払うのは自分であること」「要求が上がり続けること」が小さな字で書かれています。
凡人最強説は、その小さな字を読む習慣のことなのだと、私は三度目にしてようやく言葉にできた気がします。
それをどう読み、どう振る舞い、どう生きていくかは、読んでくださったお一人お一人のものです。私はこう考えている、というだけです。
ビールでも飲みながら、契約書の裏面を、一度ゆっくり眺めてみませんか。
## 予想される反論と、それに対する見解
### 反論1:「結局、有名になれない人の負け惜しみではないか」
その疑いは、本稿の第3章で正面から扱いました。すっぱいぶどうは「結果が先、理由が後」の理屈です。凡人最強説は「計算が先、結論が後」を目指しています。ただし、私がそれを本当に守れているかは、私自身には確かめられません。「名声がただで手に入るとしたら受け取るか」という問いを、読者の皆さんにも自分自身に向けてみていただければと思います。
### 反論2:「注目が収益に直結する仕事なら、炎上を利用するのは合理的な判断ではないか」
一理あります。注目そのものが商品である仕事では、注目を集めることは事業の中核です。本稿も、その計算をすべて誤りだとは考えていません。ただ、その計算に「元に戻る売上」と「戻らない要求」の差が入っているかどうかが問題だと考えます。本人が「売上は元に戻ったが、過激なものを求められるようになった」と語っていることは、その差が実在することを示しています。
### 反論3:「アラスカの候補は自分で選んだわけではない。凡人最強説で論じるのは筋違いではないか」
おっしゃる通り、新人のサリバン氏の注目の大部分は、相手側が作ったものです。だからこそ私は彼を、凡人が「自分で決めた大きさを超えて巨大化させられた」例として扱いました。凡人最強説は「目立とうとするな」という教えではなく、「注目の大きさは自分の手を離れて膨らみうる。その可能性まで明細に入れよ」という教えでもあると考えます。
### 反論4:「他人の騒動を題材にして論考を書くこと自体が、注目の経済への加担ではないか」
痛いところです。その通りだと思います。私もこの論考を書くことで、二人の騒動を読む観客の一人になっています。だからこそ、私人の名前は伏せ、報道された事実と本人が公に語った言葉だけを扱い、家族やプライベートに関わる事柄には触れないようにしました。それでも加担がゼロになるわけではありません。その自覚は持っておきたいと思います。
### 反論5:「注目を浴びる勇気のない人間の自己正当化を、『戦略』と呼んでいるだけではないか」
勇気の問題として見れば、私は勇気のない側にいるのだと思います。第5章で書いた通り、舞台に上がる人は、私よりずっと勇気のある人です。ただ、勇気があることと、その選択が本人にとって合理的であることは、別の問題です。凡人最強説は勇気の大小を競うものではなく、自分が引き受けられる負債の大きさを知るためのものだと考えています。
### 反論6:「明細を読めと言っても、注目の負債は事前には予測できない」
その通りです。新人のサリバン氏が、出馬の時点で司法省の提訴まで予想できたとは思えません。だからこそ、明細の一つ目は「戻れる取引か」なのです。具体的に何が起きるかは予測できなくても、「最悪の場合に戻れるか」は事前に考えられます。予測できないものに備える方法は、予測の精度を上げることではなく、破滅を避ける余白を残すことだと、タレブも繰り返し述べています。
## 参考文献
- ナシーム・ニコラス・タレブ『身銭を切れ——「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質』望月衛 監訳、千葉敏生 訳(ダイヤモンド社, 2019)
- ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性[上]——不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』望月衛 監訳、千葉敏生 訳(ダイヤモンド社, 2017)
- ヤン・エルスター『酸っぱい葡萄——合理性の転覆について』玉手慎太郎 訳(勁草書房, 2018)
- レオン・フェスティンガー『認知的不協和の理論——社会心理学序説』末永俊郎 監訳(誠信書房, 1965)
- 山本龍彦『アテンション・エコノミーのジレンマ——〈関心〉を奪い合う世界に未来はあるか』(KADOKAWA, 2024)
### 報道(事実関係の出典)
- BBC News「Trump administration sues to block certification of upcoming Alaska election」(2026年10月)ほか、ロイター・AFP・共同通信・日本テレビ・産経新聞・時事通信の同件報道(2026年10月)
- Al Jazeera「Dan Sullivan vs Dan Sullivan: Why is Trump's DOJ suing in Alaska?」(2026年10月24日)
- Associated Press「To the GOP, he's a sham candidate. At home, he's Mr. Sullivan, ex-teacher and Alaska Senate hopeful」(2026年7月11日)
- Alaska Public Media「Petersburg's Dan J. Sullivan stays on Alaska's U.S. Senate ballot after third-place primary finish」(2026年9月1日)
- Alaska's News Source「Searching for Sullivan: Petersburg rallies behind candidate, declines KTUU interview」(2026年6月26日)
- 集英社オンライン(2026年5月9日)、NEWSポストセブン(2026年5月14日・9月25日)の人間ピラミッド騒動に関する記事
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### 著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業