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ショートストーリー
奨学金の重さ
人事部の村瀬は、面接室のドアをノックする音に顔を上げた。
「失礼します」
入ってきた女性は、黒髪を一つに束ね、落ち着いた紺のスーツを着ていた。履歴書には「藤野真希、26歳、医療福祉系大学卒」とある。
「本日はよろしくお願いいたします」
藤野は背筋を伸ばして椅子に座った。村瀬は彼女の職務経歴書に目を落とした。理学療法士として二つの病院を経て、今回が三度目の転職になる。
「藤野さん、失礼ですが、なぜこれほど短期間で転職を繰り返されているのですか」
藤野の視線が一瞬だけ揺れた。
「前の職場は、待遇面で折り合いがつかなくて」
「待遇面、ですか」
村瀬は眉を上げた。うちの病院の給与は、業界では平均的だ。むしろ低い部類かもしれない。それでも応募してきたということは、何か別の理由があるはずだった。
「正直に申し上げます」藤野は少し間を置いてから続けた。「私には奨学金の返済があります。月々の返済額は、手取りの三分の一を超えています」
村瀬は黙って聞いていた。
「大学時代、学費を払うために夜間にアルバイトをしていました。実習期間中も地方に泊まり込みながら働きました。それでも足りなくて、奨学金は満額借りました。卒業時には八百万円を超える借金になっていました」
藤野の声には、感情の色がほとんどなかった。ただ事実を述べているだけのような、淡々とした調子だった。
「なぜそこまでして、この資格を取ろうと思ったのですか」
「母子家庭で育ちました。母は『大学は義務教育じゃない、行きたいなら自分で何とかしろ』と言いました。高校時代にダブルワークをして百万円貯めて、それでも足りなくて」
村瀬は自分の学生時代を思い出した。父親は銀行員で、学費の心配をしたことは一度もなかった。アルバイトは小遣い稼ぎ程度で、夏休みは友人と旅行に出かけた。
「藤野さん。私の父は団塊の世代です。国立大学の学費が年間一万二千円だった時代に大学を出ました」
藤野は何も言わなかった。
「父はよく言います。『最近の若者は我慢が足りない』と。私はその言葉を聞くたびに、違和感を覚えていました。でも、何が違うのか、うまく説明できなかった」
村瀬は窓の外に目をやった。病院の駐車場では、高級車を降りてくる年配の患者たちが見えた。
「この業界は人手不足です。でも給与は上がらない。国が決めた報酬の中でしか動けないからです。あなたが八百万円の借金を背負って取った資格で得られる給与は、おそらくあなたが期待していたものより低い」
藤野は静かに頷いた。それは最初から分かっていた、という顔だった。
「それでも、この仕事を続けたいですか」
「はい」藤野は迷いなく答えた。「患者さんのリハビリを担当していると、少しずつ良くなっていく姿を見られます。その瞬間だけは、借金のことを忘れられるんです」
村瀬は履歴書を閉じた。
面接の後、村瀬は病院の屋上に出た。煙草に火をつけながら、さっきの会話を反芻していた。
隣に人事部長の田代が来た。
「どうだった、あの子」
「採用したいと思います」
「理由は」
「特にありません。ただ、彼女のような人間がこの業界を支えているんだと、そう思いました」
田代は煙を吐き出した。
「うちの給与じゃ、奨学金の返済は楽にならないぞ」
「分かっています」
村瀬は煙草を揉み消した。彼女が抱える借金は、自分の父親の世代が享受した恩恵の裏返しなのかもしれない。社会のどこかで帳尻を合わせなければならない負債を、なぜか彼女たちの世代が背負っている。
「田代さん。来年の採用から、奨学金返済支援制度を作れませんか」
田代は少し驚いた顔をした。
「金がかかるぞ」
「分かっています。でも、何かしないと、この業界はいずれ回らなくなります」
田代は何も言わず、ただ遠くの空を見ていた。
翌日、藤野に採用通知を送った。彼女の借金が消えるわけではない。でも、せめて少しだけ、返済が楽になる仕組みを作ろうと村瀬は思った。
それが正しいかどうかは分からない。ただ、何もしないよりはましだと、そう信じたかった。
論考
教育投資のパラドックス——世代間負担と自己責任論の構造
### 序
高等教育は将来への投資である。この命題は長く信じられてきた。しかし現代日本において、その投資の負担は著しく偏在している。医療福祉系大学の年間学費は150万円から200万円に達し、4年間で600万円以上を要する。奨学金を満額借りても生活費と学費を賄えないケースは珍しくない。ここに、教育投資のパラドックスが生じる。資格を得るための投資が、かえって将来の経済的自由を奪うという逆説である。
【検証可能な問い】医療福祉系資格取得者の奨学金返済負担率は、他業種と比較してどの程度高いか。
### 展開
問題の根底には、世代間の経験格差がある。1970年代、国立大学の授業料は年間1万2000円程度だった。現在の150倍以上に相当する学費を、今の学生たちは支払っている。この格差を、上の世代はしばしば認識していない。「自分たちもアルバイトで学費を稼いだ」という経験則は、物価上昇と学費高騰の比率を無視した議論である。
加えて、「大学は義務教育ではない」という論理が、責任の個人化を正当化する。進学は本人の選択であり、その負担も本人が負うべきだという考え方は、一見すると合理的に見える。しかしこの論理は、高等教育が事実上の社会的必須要件となっている現代において、構造的な問題を見えなくさせる。
【検証可能な問い】学費の対可処分所得比率は、過去50年間でどのように推移してきたか。
### 反証
もちろん、反論もある。給付型奨学金の拡充や所得連動返還制度の導入により、状況は改善の方向にあるという見方がある。また、すべての学生が困窮しているわけではなく、家庭の経済状況や進学先の選択によって負担は大きく異なる。夜間大学や通信制課程など、働きながら学べる選択肢も存在する。
しかし、医療福祉系のような資格養成課程は出席要件が厳しく、臨床実習の負担も大きい。「働きながら学ぶ」ことが現実的に困難な領域がある点を見逃すべきではない。問題は個別の選択肢の有無ではなく、システム全体の設計にある。
【検証可能な問い】資格養成系学部と一般学部で、学生のアルバイト従事時間と学業成績の相関に違いはあるか。
### 再構成
この問題を再構成すると、「誰が高等教育のコストを負担すべきか」という分配の問いに行き着く。現状では、コストは学生個人とその家庭に集中している。一方、教育を受けた人材から利益を得るのは、雇用する企業や、サービスを受ける社会全体である。
介護福祉業界を例にとれば、その賃金は全64業種中最下位である。人材を必要としながら、育成コストを社会が負担せず、低賃金で働かせる構造が固定化している。これは市場の失敗というよりも、政策設計の帰結である。
【検証可能な問い】介護福祉人材の離職率と奨学金返済負担には、統計的な相関があるか。
### 示唆
自己責任論は、しばしば構造的問題を不可視化する装置として機能する。「自分で選んだのだから」という論理は、選択肢が限られている状況を無視している。高等教育のコスト負担の偏りは、単に個人の問題ではなく、世代間の公平性と社会的再分配の問題として捉え直す必要がある。
上の世代が享受した社会的インフラの恩恵を、下の世代が等しく受けられていない現実がある。この格差を認識し、是正に向けた議論を始めることが、持続可能な社会を構築する第一歩となるだろう。
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### 実務への含意
- 企業は採用段階で奨学金返済支援制度を導入することで、人材確保と定着率向上を図れる
- 資格養成系教育機関は、学費納入スケジュールの柔軟化や、実習期間中の費用補助を検討すべきである
- 政策立案者は、教育投資の社会的リターンを可視化し、コスト負担の適正配分を再設計する必要がある
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### 参考文献
- [教育費負担](https://www.amazon.co.jp/s?k=教育費負担&tag=digitaro0d-22)
- [奨学金問題](https://www.amazon.co.jp/s?k=奨学金問題&tag=digitaro0d-22)
- [世代間格差](https://www.amazon.co.jp/s?k=世代間格差&tag=digitaro0d-22)
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