はじめに
予備校に通っていたころ、英語の先生が授業の合間に、こんな話を聞かせてくれました。
仕事を失って、どん底にいたアメリカ人の男性が、公園のベンチでうなだれていました。ふと顔を上げると、正面に「AMERICAN」と書かれた看板が見えます。そこへ風がそよいで、木の葉が「AMER」の部分を隠しました。残った文字は「I CAN」でした。彼はそれに勇気づけられて立ち上がり、その後、大きな成功を収めた――という話です。
作り話かもしれません。それでも、私はこの話がずっと好きでした。
看板には、何の意図もありません。葉が文字を隠したのも、ただの偶然です。「I CAN」という意味を作ったのは、彼自身です。人間には、偶然の出来事に意味を読み込む力 があります。この話は、その力が人を救うこともある、と教えてくれます。
ところが最近、私はこの同じ力が、まったく逆の方向に働く場面について考えるようになりました。他人の何気ない言動に悪意を読み込み、誰にも確かめないまま恨みを育てていく人がいます。他人の何気ない笑顔に好意を読み込み、相手の「嫌だ」すら聞こえなくなっていく人もいます。そして、部下の忖度を「心からの同意」だと思い込んでいる経営者もいます。
この三者は、一見まったく別の人たちです。けれども、私には同じ仕組みで動いているように見えます。
この論考では、その仕組みを「独り相撲」と呼んで解き明かします。そのうえで、なぜ彼らは「他人の心を思い通りにする」という、絶対に勝てないゲームから降りられないのかを考えます。最後に、I CAN の看板に戻って、良い思い込みと悪い思い込みの境目がどこにあるのかを示したいと思います。
第1章:他人の心は無理ゲーである
最初に、この論考の出発点となる私の立場を書いておきます。
他人が何を考え、どう動くかは、自分には決してコントロールできません。 これは「難しい」という話ではなく、「できない」という話です。ゲームにたとえるなら、最初から勝てないように作られている、いわゆる無理ゲーです。
こう言うと、反論があるかもしれません。「部下は自分の指示どおりに動いている」「家族は自分の言うことを聞いてくれる」。確かに、表面上こちらの意に沿ってくれる場面はいくらでもあります。
しかし、日本語には「忖度」という便利な言葉があります。相手の意向を先回りして汲み取り、それに沿って動くことです。忖度した人の行動は、確かにこちらの思いどおりになっています。けれども、その人が 心から同意しているかどうか は、まったく別の問題です。
権力や評価や恐怖を使えば、人の行動はある程度まで動かせます。でも、確実に動かせるのは行動だけで、心まで動いたかどうかは、外からは決して分かりません。行動が動いたことを「心をコントロールできた」と考えるのは、根本的な取り違えだと私は思っています。
だから私にとって、他人の心をコントロールしようとすることは、やる意味のないことです。私が「毎日アホ十則」という、ワンマン経営者や恐怖で支配する組織のトップを小馬鹿にした文章を毎日作って公開しているのも、根っこにはこの考えがあります。
では、なぜこの無理ゲーに挑み続ける人が、後を絶たないのでしょうか。
考えるきっかけになった、ある懲戒処分
この問いを考えるきっかけになったのは、2026年11月に報じられた、さいたま市の懲戒処分の記事でした。
市の発表と報道によると、市の環境局の48歳の男性主任が、同年6月15日の昼、職員ら240人に対して、上司や同僚ら3人の実名を挙げ、否定的な評価を書いた電子メールを一斉に送信しました。市は、3人の社会的評価を下げ、精神的苦痛を与えたとして、主任を減給10分の1(1か月)の懲戒処分にしました。主任は送信を認める一方、目的や動機について「正当な大義の下に行った」と話しているといいます。
ここで、はっきり書いておかなければならないことがあります。
公表されているのはこれだけで、メールの中身も、主任と3人の間に何があったのかも分かりません。 主任が本当にハラスメントや不正の被害を受けていて、ほかに道がなかった可能性は十分にあります。この論考は、主任がどういう人なのかを判断するものでは決してありません。
ただ、「なぜ、処分されると分かっていたはずのやり方を選んだのか」と考えるうちに、私はいくつかの可能性を検討しました。主任が本当に追い詰められていた、という可能性も、その逆の可能性も、同じように並べて考えました。そうして可能性を並べていく過程で、逆に、この事件とは切り離して考えるべき一般的なパターン が見えてきました。
ですから、ここから先に出てくる「恨みの人」は、そのパターンを説明するための抽象的な人物であって、主任のことではありません。以下では、この事件から離れて、パターンそのものを考えます。
第2章:恨みが育つ七つの段階
自家中毒としての恨み
一般的なパターンとは、周りの誰もそう受け取っていないのに、本人だけが「自分は不当に扱われた」と受け取り、誰にも確かめないまま、その受け取り方を何度も反芻して恨みを育ててしまう、というものです。
職場では、決して珍しくない姿だと思います。外から毒が入ってくるのではなく、自分の中で毒が作られ、それがまた自分の材料になってしまう のです。いわば自家中毒です。私は、これを七つの段階に分けて考えています。
- 種:上司のそっけない返事、自分だけ会議に呼ばれなかった、といった、どちらとも取れる出来事が起きる
- 解釈:それを「わざとだ」「軽く見られている」と読む
- 反芻:家でも通勤中でも思い返し、そのたびに相手の悪意が具体的になっていく
- 証拠集め:その後の出来事が全部「やっぱりそうだ」の証拠になり、そうでない出来事は目に入らない
- 孤立:誰にも話さない(話せない)ので、「それは考えすぎじゃない?」と言ってくれる人がいない
- 道徳化:「自分が傷ついた」が「あいつらは間違っている」に変わり、個人の恨みが正義になる
- 行動:正義なのでためらいが消え、準備して、平然と実行する
それぞれの段階には、心理学の知見があります。
②の「あいまいな行為に悪意を読む傾向」は、敵意帰属バイアス と呼ばれます。発達心理学者のケネス・ドッジは1980年の研究で、攻撃的な子どもほど、相手の意図がはっきりしない場面で「わざとやった」と解釈しやすいことを示しました。
③の反芻については、社会心理学者のブラッド・ブッシュマンが2002年に発表した実験がよく知られています。怒らされた人に、怒らせた相手のことを考えながらサンドバッグを叩いてもらうと、怒りは発散されるどころか、何もしなかった人よりも怒りが強く、その後の攻撃的な反応も強くなりました。思い返すことは、怒りを鎮めるのではなく育てる のです。
⑤の孤立と②の解釈の結びつきについては、組織論のロデリック・クレイマーが「組織のパラノイア」として論じています。立場が弱い、周りから評価の目で見られている気がする、自分だけが浮いている気がする、という条件がそろうと、人は周りの何気ない言動にまで悪意を読み込みやすくなる、というものです。
そして、私がいちばん重く見ているのが⑥の 道徳化 です。社会心理学者のリンダ・スキツカらは、ある考えを「道徳的に正しいかどうか」の問題として抱いている人ほど、その考えが揺らぎにくく、考えの違う相手に不寛容になりやすいことを示しています。ここから先は私の考えですが、ただの恨みのうちは、本人にもどこか後ろめたさがあるので、ブレーキがかかります。ところが「大義」になったとたん、ブレーキがアクセルに変わります。
第3章:裏返すと、ガチ恋になる
この七つの段階を眺めていて、私はあることに気づきました。
感情の向きを、悪意から好意にひっくり返してみる と、どうなるでしょうか。
- 種:店員の笑顔、配信で名前を読んでもらえた、たまたま目が合った
- 解釈:「自分に気がある」と好意を読む
- 反芻:相手のことが頭から離れず、思い返すたびに二人の物語が具体的になる
- 証拠集め:全部が好意の証拠になり、断られても「照れている」「試されている」と読む
- 孤立:話せば否定されるので誰にも話さず、相手本人にも確かめない
- 道徳化:好意が「運命」「純愛」「彼女を守る使命」になる
- 行動:待ち伏せ、大量のメッセージ、贈り物(本人は愛の行為のつもり)
驚くほど、どの段階もぴったり当てはまります。これは、いわゆる「ガチ恋」が行き過ぎた姿であり、つきまといによく見られる姿でもあります。
しかも④は、裏返したほうが強く出ます。はっきり断られても、それすら「本当は好きだという合図」と読み替えてしまうのです。反対の証拠まで燃料にしてしまいます。
⑥の対応も、きれいに成り立ちます。恨みの側の「大義」にあたるのが、恋の側の「純愛」です。どちらも、相手の意思より上に置かれる言葉 です。大義があれば、相手の名誉は二の次になります。純愛があれば、相手の「嫌だ」は二の次になります。
同じエンジンの、正転と逆転
裏返しがここまで合うということは、中で動いている仕組みが同じだということです。私は、恨みとガチ恋は 真逆の感情ではなく、同じエンジンの正転と逆転 だと考えています。
エンジンの中身は、三つに要約できます。
- 相手の気持ちを、自分で勝手に決める
- それを相手に確かめない(確かめても、受け入れない)
- 頭の中で物語を育てる
どちらも、相手のいない関係 です。関係は本人の頭の中にしかなく、相手はただの登場人物になっています。相撲は相手がいて初めて成り立つものですが、彼らは相手がいないのに、本人だけが汗だくで取り組んでいます。これが、私が「独り相撲」と呼ぶものの正体です。
この見方を裏づける研究があります。精神医学者のポール・ミューレンらは1999年、司法精神医学の専門機関に紹介された145人のストーカーを調べ、その動機から五つの型を見いだしました。拒絶型、親密さを求める型、無能型、恨み型、略奪型です。
注目したいのは、同じ「つきまとい」という行動の中に、恋を求める型と、恨みを晴らす型が並んでいる ことです。外から見える行動は同じで、エンジンの向きだけが違うのです。さらに、恋人だった相手に関係を終わらされた側がつきまとう拒絶型では、よりを戻したい気持ちと恨みが入り混じります。報告は、ストーカーの多くが孤独で、人との関わりが不得手だとも述べています。七つの段階の⑤、孤立とぴったり重なります。
「かわいさ余って憎さ百倍」という言葉があります。私はこれを、ことわざというより、このエンジンの仕様書のようなものだと思っています。アイドルや配信者への熱烈な好意が、交際の発覚や「裏切られた」と感じた瞬間に、激しい攻撃に変わることがあります。同じエンジンなので、向きが入れ替わるのは、むしろ自然なことなのです。
第4章:大きくすると、ワンマン支配になる
恨みとガチ恋を並べたところで、私はもう一つのことに気づきました。
第1章で書いた、ワンマン経営者や恐怖で支配する組織のトップです。彼らもまた、他人の心を自分の望む形にしたい人たちです。違うのは、使える力の大きさだけ ではないでしょうか。
|
書き換えたい相手の心 |
使う手段 |
| 恨み |
相手と周りの心(「あいつらは悪い」と思わせたい) |
言いふらし、仕返し |
| ガチ恋 |
一人の相手の心(「自分を好きなはず」) |
つきまとい、贈り物 |
| ワンマン支配 |
社員の心(「従うのが当然」) |
権力、評価、恐怖 |
ワンマン支配を七つの段階に当てはめると、面白いことが分かります。④の 証拠集めを、本人がやる必要がない のです。
部下が忖度して従います。会議では誰も反対しません。報告は都合のいいことばかり上がってきます。トップから見ると、これらはすべて「みんな分かってくれている」という証拠に見えます。権力があるほど、偽の証拠が向こうから集まってくるのです。 忖度とは、部下が代わりにやってくれる証拠集めなのです。
力は、現実にぶつかるのを遅らせるだけ
恨みやガチ恋の人は、力が小さいので、比較的早く現実にぶつかります。断られたり、処分されたり、警察が来たりします。ぶつかるのが早いぶん、追い詰められて行動が極端になることもあります。
ワンマン支配の人は、力が大きいので、忖度が現実を覆い隠してくれます。けれども、それは ぶつかるのが遅れているだけ です。無理ゲーであることは変わりません。そして、遅れたぶん、ぶつかったときの負債は大きくなります。社員の大量退職、内部告発、組織の崩壊という形で、利子をつけて請求が来るのです。
ここで一つ、注意しておきたいことがあります。組織のトップは、自分に向けられた告発に「誹謗中傷だ」「逆恨みだ」というラベルを貼ることができる立場でもあります。
兵庫県の文書問題では、知事らを告発する文書を配った元県民局長に対し、県は文書を「誹謗中傷性の高い」ものとして、停職3か月の懲戒処分を下しました。ところが、のちに県が設けた第三者委員会は、文書の配布を公益通報にあたると認め、文書の作成・配布を理由とした部分の処分は「効力を有しない」と結論づけました。
この例が示すのは、「独り相撲」というラベルそのものが、権力の側の独り相撲になりうる ということです。告発を逆恨みと決めつけることは、相手の心を勝手に決めることにほかなりません。この論考の枠組みは、他人を裁くための道具としてではなく、自分を点検するための鏡として使うべきものだと、私は考えています。
第5章:なぜ彼らは無理ゲーだと気づかないのか
ここまでで、恨み、ガチ恋、ワンマン支配が、同じエンジンの大きさ違いだと述べてきました。いよいよ本題です。他人の心は無理ゲーなのに、なぜ彼らはそれに気づかないのでしょうか。私は、理由が三つあると考えています。
理由1:そもそも、ゲームをしているつもりがない
いちばん大きいのは、これだと思います。
無理ゲーだと感じるには、相手にも自分と同じように心があって、その心は自分には書き換えられない と認めている必要があります。相手を、自分とは別の、手の届かない存在として見ているということです。
ところが彼らの頭の中では、相手はすでに答えが決まっている登場人物です。
- 恨みの人:「真実を知らせれば、みんな分かってくれる」
- ガチ恋の人:「彼女は本当はもう自分を好きなんだ。まだ気づいていないだけ」
- ワンマン支配の人:「社員は分かっている。分かっていない奴は、やる気がないだけ」
彼らは、相手の心を変えようとしているのではありません。すでに決まっている正解を、相手に認めさせようとしている のです。だから本人の感覚では、無理なことに挑んでいるのではなく、当然のことを求めているだけです。
裏返すと、「他人の心は無理ゲーだ」と思えること自体が、相手を一人の人として見ている証拠だとも言えます。
理由2:ときどき「勝てた」ように見える
完全に勝てないゲームなら、さすがに人はやめます。ところが、表面だけなら、ときどき思い通りになるのです。
ワンマン支配の人には、部下の忖度があります。ガチ恋の人には、困った相手が一度だけ返してくれた返事があります。恨みの人には、話を聞いて「大変だったね」と声をかけてくれた誰かがいます。
たまにだけ当たる というのは、ギャンブルと同じで、いちばんやめにくい形です。当たらない回は「まだ足りないだけだ」と解釈され、当たった回は「やっぱり正しかった」と解釈されます。ここでも④の証拠集めが働いています。
理由3:無理ゲーだと認めるのが、怖すぎる
他人の心はどうにもならない、と認めるということは、次のことを受け入れることでもあります。
「どれだけ尽くしても、どれだけ正しくても、嫌われるときは嫌われる。好かれないときは好かれない」
これを受け入れるには、それなりの自分の土台が要ります。土台が弱い人ほど、この事実に耐えられないので、「コントロールできるはずだ」という錯覚にしがみつきます。
恐怖で支配するトップほど、実は自分がいちばん怖がっているのではないか、と私は思います。心の奥には、社員が裏切るかもしれない、陰で笑っているかもしれない、という不安があります。その不安を消したくて、支配を強めます。でも忖度は表面だけなので、不安は消えません。だから、さらに支配を強めます。これもまた、自家中毒の循環です。
アドラー心理学を紹介した岸見一郎さんと古賀史健さんの『嫌われる勇気』には、「課題の分離」という考え方が出てきます。相手が自分をどう思うかは相手の課題であって、自分が踏み込めるものではない、というものです。さらにさかのぼれば、古代ローマのストア派の哲学者エピクテトスは、物事を「自分の力が及ぶもの」と「及ばないもの」に分けよ、と説きました。他人の心が無理ゲーだという考えは、私の発明ではなく、古くからある知恵なのです。
第6章:良い思い込みとの境目
ここで、I CAN の看板に戻ります。
あの男性がしたことも、七つの段階で書けます。偶然の出来事(①)に、「自分へのメッセージだ」という意味を読み込み(②)、「自分はやれる」という物語を支えにして(⑥)、立ち上がりました(⑦)。偶然に意味を読む力は、恨みでも、恋でも、I CAN でも同じものです。
では、何が良い思い込みと悪い思い込みを分けるのでしょうか。私は二つの境目があると考えています。
境目1:誰の心についての思い込みか
I CAN の男性が思い込んだのは、自分について です。自分はやれる、という思い込みは、自分の人生の中だけで完結します。外れても、損をするのは自分だけです。
恨みやガチ恋の人が思い込んでいるのは、他人の心について です。あいつには悪意がある、彼女は自分が好きだ、という思い込みは、相手の内心を勝手に書き換えてしまいます。ここで他人を巻き込みます。
境目2:仮説として使っているか、結論として使っているか
I CAN の男性は、そのあと実際に動いて、現実の手応えで思い込みを確かめていったはずです。うまくいかなければ、思い込みのほうが修正されます。思い込みが 仮説 として働いているのです。
恨みやガチ恋の思い込みは、現実から何が返ってきても、全部が証拠になります。思い込みが 結論 になっていて、もう動きません。
普通の恋は、どこで引き返すのか
実は、①から④までは、普通の恋でも起きます。好きになれば、相手の一言を何度も思い返しますし、都合よく解釈もします。心理学者のドロシー・テノフは、こうした恋の初期の状態を「リメランス」と名づけ、多くの人が経験するものとして描きました。それ自体は病気でも異常でもありません。
分かれ目は⑤と⑥にあります。普通の恋は、どこかで相手に確かめます。告白したり、誘ってみたりします。そして断られたら、つらくても物語を畳みます。危ない恋は、確かめないか、確かめても答えを受け入れません。そして「運命」が、相手の答えより上に来ます。
恨みもまったく同じです。不満を持つこと自体は、誰にでもある普通のことです。危ないのは、相手に確かめないまま、それを大義へと持ち上げてしまうことです。
まとめると、こう言えます。思い込みは、自分に向けて、仮説として使えば燃料になります。他人の心に向けて、結論として使えば毒になります。
おわりに
偶然に意味を読む力は、誰にでも備わっています。その力は、どん底の男性を立ち上がらせることもあれば、職場の誰かを恨みで満たすことも、好きな相手を追い詰めることもあります。そして、権力を持った人の中では、忖度という偽の証拠に囲まれて、静かに肥大していきます。
恨み、ガチ恋、ワンマン支配の三者に共通しているのは、相手を一人の人として見ていないことでした。相手の心は、すでに自分の頭の中で決まっているので、確かめる必要がないのです。これが独り相撲です。
逆に言えば、「他人の心は無理ゲーだ」と言える人は、二つのものを持っている人です。一つは、相手を、自分には書き換えられない心を持った一人の人として尊重する姿勢 です。もう一つは、嫌われても、好かれなくても、立っていられる自分の土台 です。この二つがそろっていることが、独り相撲に落ちないための条件なのだと思います。
他人の心を動かすことはできません。できるのは、自分の心を動かすことと、相手に確かめることだけです。それは、少しさびしい結論に聞こえるかもしれません。けれども、他人の心が無理ゲーだと知っている人だけが、たまに心が通じ合ったときに、それがどれほど貴重な奇跡なのかを知ることができるのだと、私は思っています。
I CAN の看板は、自分に向けて読むものです。他人の心の看板を、勝手に読み替えてはいけないのだと思います。
予想される反論と、それに対する見解
「本当に被害を受けた人の訴えまで、『独り相撲』として片付けられてしまうのではないか」
私がいちばん重く受け止めている反論です。
本物のハラスメントの被害者も、外から見ると七つの段階とよく似た姿になります。何度も思い返しますし、孤立しますし、証拠も集めます。そこに「独り相撲だ」というラベルを貼れば、訴えを封じる道具になってしまいます。第4章の兵庫県の例は、まさにその危険を示しています。
ですから、この枠組みは他人に当てはめて裁くためのものではありません。もし使うなら、判断の手がかりにすべきなのは、訴えが人格の評価(無能だ、卑劣だ)なのか、具体的な事実(いつ、何をされたか)なのか、同じように感じている人がほかにもいるのか、正式な窓口に相談した跡があるのか、といった点です。それでも外からは決めきれないことが多い、という謙虚さが前提になります。
「他人の心をコントロールできないなら、教育も説得も無意味ではないか」
無意味ではありません。教育や説得は、相手が自分で納得するための材料を差し出す行為です。材料を差し出すことはできますが、納得するかどうかを決めるのは相手です。
無理ゲーなのは「相手の心を思い通りにすること」であって、「相手に働きかけること」ではありません。この区別がついていれば、働きかけが届かなかったときに、相手を責めずに済みます。
「無理に従わせた行動にも、あとから心がついてくるのではないか」
鋭い反論で、半分はその通りです。社会心理学者のレオン・フェスティンガーとジェームズ・カールスミスは1959年、退屈な作業を「面白かった」と人に言わされた人のうち、わずかな報酬しかもらわなかった人ほど、あとで本当に作業を面白かったと評価するようになることを示しました。行動と心のずれが気持ち悪いので、人は心のほうを行動に合わせてしまうのです。
ただ、ここで心を動かしたのは、命じた側ではありません。本人が、自分で自分を納得させた のです。しかも、心がついてくるかどうか、どの方向についてくるかは、命じた側には選べませんし、外から見分けることもできません。強く押しつけられた人は、むしろ反発を強めることもあります。行動を通じて心が動くことはあっても、それをコントロールできるわけではない、というのが私の考えです。
「組織の経営には、ある程度の統制が必要だ」
その通りです。ルールや指示がなければ、組織は動きません。
ここで問題にしているのは、統制そのものではなく、統制で行動が揃ったことを「心からの同意を得た」と取り違えることです。行動を統制することと、心を支配できたと思い込むことは、まったく別のものです。前者を自覚している経営者は、忖度を同意と取り違えないので、現実とのずれに早く気づけるはずです。
「恋とは、そもそも思い込みではないのか」
半分はその通りだと思います。第6章で書いたように、恋の初期にはほとんどの人が思い込みの中にいます。思い込みがなければ、恋は始まらないのかもしれません。
ただ、普通の恋は、どこかで相手に確かめ、答えを受け入れます。思い込みを仮説として扱っているのです。私が問題にしているのは、思い込むことではなく、確かめることを拒み、相手の答えより自分の物語を上に置くことです。
「確かめろと言うが、相手が本当に悪意を持っていたら、確かめても無駄ではないか」
ここで言う「確かめる」は、加害者本人に「あなたは悪意がありますか」と聞くことだけを指しているのではありません。信頼できる第三者に話してみる、窓口に相談する、記録を残して客観的に見直す、といったことも含みます。
大切なのは、自分の解釈を、自分の頭の外にある何かと一度突き合わせることです。それによって、本当に悪意があった場合には、その訴えはむしろ強く、確かなものになります。
「結局、さいたま市の主任を、暗に独り相撲だと決めつけているのではないか」
決めつけていません。第2章で書いたとおり、公表されている情報からは、主任がどういう人で、何があったのかは分かりません。主任が本当に被害を受けていて、ほかの道がふさがれていた可能性も、同じように残っています。
この論考は、その事件をきっかけに「こういう可能性もあるのではないか」と考えるうちに見えてきた、一般的なパターンを取り出したものです。特定の誰かについての判断ではないことを、改めてお断りしておきます。
あわせて読みたい
- 毎日アホ十則:忖度を同意と取り違え、権力で無理ゲーに挑み続けるトップたちの「十則」を、毎日1号ずつ公開しています。リンク
参考文献
- Dodge, K. A.「Social Cognition and Children's Aggressive Behavior」(Child Development, 51, 1980)DOI
- Bushman, B. J.「Does Venting Anger Feed or Extinguish the Flame? Catharsis, Rumination, Distraction, Anger, and Aggressive Responding」(Personality and Social Psychology Bulletin, 28, 2002)DOI
- Kramer, R. M.「Organizational Paranoia: Origins and Dynamics」(Research in Organizational Behavior, 23, 2001)DOI
- Skitka, L. J., Bauman, C. W., & Sargis, E. G.「Moral Conviction: Another Contributor to Attitude Strength or Something More?」(Journal of Personality and Social Psychology, 88, 2005)DOI
- Mullen, P. E., Pathé, M., Purcell, R., & Stuart, G. W.「Study of Stalkers」(American Journal of Psychiatry, 156, 1999)DOI
- Festinger, L., & Carlsmith, J. M.「Cognitive Consequences of Forced Compliance」(The Journal of Abnormal and Social Psychology, 58, 1959)DOI
- Dorothy Tennov『Love and Limerence: The Experience of Being in Love』(Stein and Day, 1979)
- 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社, 2013年)
- エピクテトス(著)國方栄二(訳)『エピクテトス 人生談義』上・下(岩波文庫, 2020年・2021年)
- さいたま市「(令和8年11月6日発表)職員の懲戒処分について」(2026年)リンク
著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業
## はじめに
予備校に通っていたころ、英語の先生が授業の合間に、こんな話を聞かせてくれました。
仕事を失って、どん底にいたアメリカ人の男性が、公園のベンチでうなだれていました。ふと顔を上げると、正面に「AMERICAN」と書かれた看板が見えます。そこへ風がそよいで、木の葉が「AMER」の部分を隠しました。残った文字は「I CAN」でした。彼はそれに勇気づけられて立ち上がり、その後、大きな成功を収めた――という話です。
作り話かもしれません。それでも、私はこの話がずっと好きでした。
看板には、何の意図もありません。葉が文字を隠したのも、ただの偶然です。「I CAN」という意味を作ったのは、彼自身です。人間には、**偶然の出来事に意味を読み込む力** があります。この話は、その力が人を救うこともある、と教えてくれます。
ところが最近、私はこの同じ力が、まったく逆の方向に働く場面について考えるようになりました。他人の何気ない言動に悪意を読み込み、誰にも確かめないまま恨みを育てていく人がいます。他人の何気ない笑顔に好意を読み込み、相手の「嫌だ」すら聞こえなくなっていく人もいます。そして、部下の忖度を「心からの同意」だと思い込んでいる経営者もいます。
この三者は、一見まったく別の人たちです。けれども、私には同じ仕組みで動いているように見えます。
この論考では、その仕組みを「独り相撲」と呼んで解き明かします。そのうえで、なぜ彼らは「他人の心を思い通りにする」という、絶対に勝てないゲームから降りられないのかを考えます。最後に、I CAN の看板に戻って、良い思い込みと悪い思い込みの境目がどこにあるのかを示したいと思います。
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## 第1章:他人の心は無理ゲーである
最初に、この論考の出発点となる私の立場を書いておきます。
**他人が何を考え、どう動くかは、自分には決してコントロールできません。** これは「難しい」という話ではなく、「できない」という話です。ゲームにたとえるなら、最初から勝てないように作られている、いわゆる無理ゲーです。
こう言うと、反論があるかもしれません。「部下は自分の指示どおりに動いている」「家族は自分の言うことを聞いてくれる」。確かに、表面上こちらの意に沿ってくれる場面はいくらでもあります。
しかし、日本語には「忖度」という便利な言葉があります。相手の意向を先回りして汲み取り、それに沿って動くことです。忖度した人の行動は、確かにこちらの思いどおりになっています。けれども、その人が **心から同意しているかどうか** は、まったく別の問題です。
権力や評価や恐怖を使えば、人の行動はある程度まで動かせます。でも、確実に動かせるのは行動だけで、心まで動いたかどうかは、外からは決して分かりません。行動が動いたことを「心をコントロールできた」と考えるのは、根本的な取り違えだと私は思っています。
だから私にとって、他人の心をコントロールしようとすることは、やる意味のないことです。私が「[毎日アホ十則](https://tools.systemengineer-yousystem.jp/aho/)」という、ワンマン経営者や恐怖で支配する組織のトップを小馬鹿にした文章を毎日作って公開しているのも、根っこにはこの考えがあります。
では、なぜこの無理ゲーに挑み続ける人が、後を絶たないのでしょうか。
### 考えるきっかけになった、ある懲戒処分
この問いを考えるきっかけになったのは、2026年11月に報じられた、さいたま市の懲戒処分の記事でした。
市の発表と報道によると、市の環境局の48歳の男性主任が、同年6月15日の昼、職員ら240人に対して、上司や同僚ら3人の実名を挙げ、否定的な評価を書いた電子メールを一斉に送信しました。市は、3人の社会的評価を下げ、精神的苦痛を与えたとして、主任を減給10分の1(1か月)の懲戒処分にしました。主任は送信を認める一方、目的や動機について「正当な大義の下に行った」と話しているといいます。
ここで、はっきり書いておかなければならないことがあります。
**公表されているのはこれだけで、メールの中身も、主任と3人の間に何があったのかも分かりません。** 主任が本当にハラスメントや不正の被害を受けていて、ほかに道がなかった可能性は十分にあります。この論考は、主任がどういう人なのかを判断するものでは決してありません。
ただ、「なぜ、処分されると分かっていたはずのやり方を選んだのか」と考えるうちに、私はいくつかの可能性を検討しました。主任が本当に追い詰められていた、という可能性も、その逆の可能性も、同じように並べて考えました。そうして可能性を並べていく過程で、逆に、**この事件とは切り離して考えるべき一般的なパターン** が見えてきました。
ですから、ここから先に出てくる「恨みの人」は、そのパターンを説明するための抽象的な人物であって、主任のことではありません。以下では、この事件から離れて、パターンそのものを考えます。
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## 第2章:恨みが育つ七つの段階
### 自家中毒としての恨み
一般的なパターンとは、周りの誰もそう受け取っていないのに、本人だけが「自分は不当に扱われた」と受け取り、誰にも確かめないまま、その受け取り方を何度も反芻して恨みを育ててしまう、というものです。
職場では、決して珍しくない姿だと思います。外から毒が入ってくるのではなく、**自分の中で毒が作られ、それがまた自分の材料になってしまう** のです。いわば自家中毒です。私は、これを七つの段階に分けて考えています。
1. **種**:上司のそっけない返事、自分だけ会議に呼ばれなかった、といった、どちらとも取れる出来事が起きる
2. **解釈**:それを「わざとだ」「軽く見られている」と読む
3. **反芻**:家でも通勤中でも思い返し、そのたびに相手の悪意が具体的になっていく
4. **証拠集め**:その後の出来事が全部「やっぱりそうだ」の証拠になり、そうでない出来事は目に入らない
5. **孤立**:誰にも話さない(話せない)ので、「それは考えすぎじゃない?」と言ってくれる人がいない
6. **道徳化**:「自分が傷ついた」が「あいつらは間違っている」に変わり、個人の恨みが正義になる
7. **行動**:正義なのでためらいが消え、準備して、平然と実行する
それぞれの段階には、心理学の知見があります。
②の「あいまいな行為に悪意を読む傾向」は、**敵意帰属バイアス** と呼ばれます。発達心理学者のケネス・ドッジは1980年の研究で、攻撃的な子どもほど、相手の意図がはっきりしない場面で「わざとやった」と解釈しやすいことを示しました。
③の反芻については、社会心理学者のブラッド・ブッシュマンが2002年に発表した実験がよく知られています。怒らされた人に、怒らせた相手のことを考えながらサンドバッグを叩いてもらうと、怒りは発散されるどころか、何もしなかった人よりも怒りが強く、その後の攻撃的な反応も強くなりました。**思い返すことは、怒りを鎮めるのではなく育てる** のです。
⑤の孤立と②の解釈の結びつきについては、組織論のロデリック・クレイマーが「組織のパラノイア」として論じています。立場が弱い、周りから評価の目で見られている気がする、自分だけが浮いている気がする、という条件がそろうと、人は周りの何気ない言動にまで悪意を読み込みやすくなる、というものです。
そして、私がいちばん重く見ているのが⑥の **道徳化** です。社会心理学者のリンダ・スキツカらは、ある考えを「道徳的に正しいかどうか」の問題として抱いている人ほど、その考えが揺らぎにくく、考えの違う相手に不寛容になりやすいことを示しています。ここから先は私の考えですが、ただの恨みのうちは、本人にもどこか後ろめたさがあるので、ブレーキがかかります。ところが「大義」になったとたん、ブレーキがアクセルに変わります。
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## 第3章:裏返すと、ガチ恋になる
この七つの段階を眺めていて、私はあることに気づきました。
**感情の向きを、悪意から好意にひっくり返してみる** と、どうなるでしょうか。
1. **種**:店員の笑顔、配信で名前を読んでもらえた、たまたま目が合った
2. **解釈**:「自分に気がある」と好意を読む
3. **反芻**:相手のことが頭から離れず、思い返すたびに二人の物語が具体的になる
4. **証拠集め**:全部が好意の証拠になり、断られても「照れている」「試されている」と読む
5. **孤立**:話せば否定されるので誰にも話さず、相手本人にも確かめない
6. **道徳化**:好意が「運命」「純愛」「彼女を守る使命」になる
7. **行動**:待ち伏せ、大量のメッセージ、贈り物(本人は愛の行為のつもり)
驚くほど、どの段階もぴったり当てはまります。これは、いわゆる「ガチ恋」が行き過ぎた姿であり、つきまといによく見られる姿でもあります。
しかも④は、裏返したほうが強く出ます。はっきり断られても、それすら「本当は好きだという合図」と読み替えてしまうのです。反対の証拠まで燃料にしてしまいます。
⑥の対応も、きれいに成り立ちます。恨みの側の「大義」にあたるのが、恋の側の「純愛」です。**どちらも、相手の意思より上に置かれる言葉** です。大義があれば、相手の名誉は二の次になります。純愛があれば、相手の「嫌だ」は二の次になります。
### 同じエンジンの、正転と逆転
裏返しがここまで合うということは、中で動いている仕組みが同じだということです。私は、恨みとガチ恋は **真逆の感情ではなく、同じエンジンの正転と逆転** だと考えています。
エンジンの中身は、三つに要約できます。
- 相手の気持ちを、自分で勝手に決める
- それを相手に確かめない(確かめても、受け入れない)
- 頭の中で物語を育てる
どちらも、**相手のいない関係** です。関係は本人の頭の中にしかなく、相手はただの登場人物になっています。相撲は相手がいて初めて成り立つものですが、彼らは相手がいないのに、本人だけが汗だくで取り組んでいます。これが、私が「独り相撲」と呼ぶものの正体です。
この見方を裏づける研究があります。精神医学者のポール・ミューレンらは1999年、司法精神医学の専門機関に紹介された145人のストーカーを調べ、その動機から五つの型を見いだしました。拒絶型、親密さを求める型、無能型、**恨み型**、略奪型です。
注目したいのは、**同じ「つきまとい」という行動の中に、恋を求める型と、恨みを晴らす型が並んでいる** ことです。外から見える行動は同じで、エンジンの向きだけが違うのです。さらに、恋人だった相手に関係を終わらされた側がつきまとう拒絶型では、よりを戻したい気持ちと恨みが入り混じります。報告は、ストーカーの多くが孤独で、人との関わりが不得手だとも述べています。七つの段階の⑤、孤立とぴったり重なります。
「かわいさ余って憎さ百倍」という言葉があります。私はこれを、ことわざというより、このエンジンの仕様書のようなものだと思っています。アイドルや配信者への熱烈な好意が、交際の発覚や「裏切られた」と感じた瞬間に、激しい攻撃に変わることがあります。同じエンジンなので、向きが入れ替わるのは、むしろ自然なことなのです。
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## 第4章:大きくすると、ワンマン支配になる
恨みとガチ恋を並べたところで、私はもう一つのことに気づきました。
第1章で書いた、ワンマン経営者や恐怖で支配する組織のトップです。彼らもまた、他人の心を自分の望む形にしたい人たちです。**違うのは、使える力の大きさだけ** ではないでしょうか。
| | 書き換えたい相手の心 | 使う手段 |
|---|---|---|
| 恨み | 相手と周りの心(「あいつらは悪い」と思わせたい) | 言いふらし、仕返し |
| ガチ恋 | 一人の相手の心(「自分を好きなはず」) | つきまとい、贈り物 |
| ワンマン支配 | 社員の心(「従うのが当然」) | 権力、評価、恐怖 |
ワンマン支配を七つの段階に当てはめると、面白いことが分かります。④の **証拠集めを、本人がやる必要がない** のです。
部下が忖度して従います。会議では誰も反対しません。報告は都合のいいことばかり上がってきます。トップから見ると、これらはすべて「みんな分かってくれている」という証拠に見えます。**権力があるほど、偽の証拠が向こうから集まってくるのです。** 忖度とは、部下が代わりにやってくれる証拠集めなのです。
### 力は、現実にぶつかるのを遅らせるだけ
恨みやガチ恋の人は、力が小さいので、比較的早く現実にぶつかります。断られたり、処分されたり、警察が来たりします。ぶつかるのが早いぶん、追い詰められて行動が極端になることもあります。
ワンマン支配の人は、力が大きいので、忖度が現実を覆い隠してくれます。けれども、それは **ぶつかるのが遅れているだけ** です。無理ゲーであることは変わりません。そして、遅れたぶん、ぶつかったときの負債は大きくなります。社員の大量退職、内部告発、組織の崩壊という形で、利子をつけて請求が来るのです。
ここで一つ、注意しておきたいことがあります。組織のトップは、自分に向けられた告発に「誹謗中傷だ」「逆恨みだ」というラベルを貼ることができる立場でもあります。
兵庫県の文書問題では、知事らを告発する文書を配った元県民局長に対し、県は文書を「誹謗中傷性の高い」ものとして、停職3か月の懲戒処分を下しました。ところが、のちに県が設けた第三者委員会は、文書の配布を公益通報にあたると認め、文書の作成・配布を理由とした部分の処分は「効力を有しない」と結論づけました。
この例が示すのは、**「独り相撲」というラベルそのものが、権力の側の独り相撲になりうる** ということです。告発を逆恨みと決めつけることは、相手の心を勝手に決めることにほかなりません。この論考の枠組みは、他人を裁くための道具としてではなく、自分を点検するための鏡として使うべきものだと、私は考えています。
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## 第5章:なぜ彼らは無理ゲーだと気づかないのか
ここまでで、恨み、ガチ恋、ワンマン支配が、同じエンジンの大きさ違いだと述べてきました。いよいよ本題です。他人の心は無理ゲーなのに、なぜ彼らはそれに気づかないのでしょうか。私は、理由が三つあると考えています。
### 理由1:そもそも、ゲームをしているつもりがない
いちばん大きいのは、これだと思います。
無理ゲーだと感じるには、**相手にも自分と同じように心があって、その心は自分には書き換えられない** と認めている必要があります。相手を、自分とは別の、手の届かない存在として見ているということです。
ところが彼らの頭の中では、相手はすでに答えが決まっている登場人物です。
- 恨みの人:「真実を知らせれば、みんな分かってくれる」
- ガチ恋の人:「彼女は本当はもう自分を好きなんだ。まだ気づいていないだけ」
- ワンマン支配の人:「社員は分かっている。分かっていない奴は、やる気がないだけ」
彼らは、相手の心を変えようとしているのではありません。**すでに決まっている正解を、相手に認めさせようとしている** のです。だから本人の感覚では、無理なことに挑んでいるのではなく、当然のことを求めているだけです。
裏返すと、「他人の心は無理ゲーだ」と思えること自体が、相手を一人の人として見ている証拠だとも言えます。
### 理由2:ときどき「勝てた」ように見える
完全に勝てないゲームなら、さすがに人はやめます。ところが、表面だけなら、ときどき思い通りになるのです。
ワンマン支配の人には、部下の忖度があります。ガチ恋の人には、困った相手が一度だけ返してくれた返事があります。恨みの人には、話を聞いて「大変だったね」と声をかけてくれた誰かがいます。
**たまにだけ当たる** というのは、ギャンブルと同じで、いちばんやめにくい形です。当たらない回は「まだ足りないだけだ」と解釈され、当たった回は「やっぱり正しかった」と解釈されます。ここでも④の証拠集めが働いています。
### 理由3:無理ゲーだと認めるのが、怖すぎる
他人の心はどうにもならない、と認めるということは、次のことを受け入れることでもあります。
「どれだけ尽くしても、どれだけ正しくても、嫌われるときは嫌われる。好かれないときは好かれない」
これを受け入れるには、それなりの自分の土台が要ります。土台が弱い人ほど、この事実に耐えられないので、「コントロールできるはずだ」という錯覚にしがみつきます。
恐怖で支配するトップほど、実は自分がいちばん怖がっているのではないか、と私は思います。心の奥には、社員が裏切るかもしれない、陰で笑っているかもしれない、という不安があります。その不安を消したくて、支配を強めます。でも忖度は表面だけなので、不安は消えません。だから、さらに支配を強めます。これもまた、自家中毒の循環です。
アドラー心理学を紹介した岸見一郎さんと古賀史健さんの『嫌われる勇気』には、「課題の分離」という考え方が出てきます。相手が自分をどう思うかは相手の課題であって、自分が踏み込めるものではない、というものです。さらにさかのぼれば、古代ローマのストア派の哲学者エピクテトスは、物事を「自分の力が及ぶもの」と「及ばないもの」に分けよ、と説きました。他人の心が無理ゲーだという考えは、私の発明ではなく、古くからある知恵なのです。
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## 第6章:良い思い込みとの境目
ここで、I CAN の看板に戻ります。
あの男性がしたことも、七つの段階で書けます。偶然の出来事(①)に、「自分へのメッセージだ」という意味を読み込み(②)、「自分はやれる」という物語を支えにして(⑥)、立ち上がりました(⑦)。偶然に意味を読む力は、恨みでも、恋でも、I CAN でも同じものです。
では、何が良い思い込みと悪い思い込みを分けるのでしょうか。私は二つの境目があると考えています。
### 境目1:誰の心についての思い込みか
I CAN の男性が思い込んだのは、**自分について** です。自分はやれる、という思い込みは、自分の人生の中だけで完結します。外れても、損をするのは自分だけです。
恨みやガチ恋の人が思い込んでいるのは、**他人の心について** です。あいつには悪意がある、彼女は自分が好きだ、という思い込みは、相手の内心を勝手に書き換えてしまいます。ここで他人を巻き込みます。
### 境目2:仮説として使っているか、結論として使っているか
I CAN の男性は、そのあと実際に動いて、現実の手応えで思い込みを確かめていったはずです。うまくいかなければ、思い込みのほうが修正されます。思い込みが **仮説** として働いているのです。
恨みやガチ恋の思い込みは、現実から何が返ってきても、全部が証拠になります。思い込みが **結論** になっていて、もう動きません。
### 普通の恋は、どこで引き返すのか
実は、①から④までは、普通の恋でも起きます。好きになれば、相手の一言を何度も思い返しますし、都合よく解釈もします。心理学者のドロシー・テノフは、こうした恋の初期の状態を「リメランス」と名づけ、多くの人が経験するものとして描きました。それ自体は病気でも異常でもありません。
分かれ目は⑤と⑥にあります。普通の恋は、どこかで相手に確かめます。告白したり、誘ってみたりします。そして断られたら、つらくても物語を畳みます。危ない恋は、確かめないか、確かめても答えを受け入れません。そして「運命」が、相手の答えより上に来ます。
恨みもまったく同じです。不満を持つこと自体は、誰にでもある普通のことです。危ないのは、相手に確かめないまま、それを大義へと持ち上げてしまうことです。
まとめると、こう言えます。**思い込みは、自分に向けて、仮説として使えば燃料になります。他人の心に向けて、結論として使えば毒になります。**
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## おわりに
偶然に意味を読む力は、誰にでも備わっています。その力は、どん底の男性を立ち上がらせることもあれば、職場の誰かを恨みで満たすことも、好きな相手を追い詰めることもあります。そして、権力を持った人の中では、忖度という偽の証拠に囲まれて、静かに肥大していきます。
恨み、ガチ恋、ワンマン支配の三者に共通しているのは、相手を一人の人として見ていないことでした。相手の心は、すでに自分の頭の中で決まっているので、確かめる必要がないのです。これが独り相撲です。
逆に言えば、「他人の心は無理ゲーだ」と言える人は、二つのものを持っている人です。一つは、**相手を、自分には書き換えられない心を持った一人の人として尊重する姿勢** です。もう一つは、**嫌われても、好かれなくても、立っていられる自分の土台** です。この二つがそろっていることが、独り相撲に落ちないための条件なのだと思います。
他人の心を動かすことはできません。できるのは、自分の心を動かすことと、相手に確かめることだけです。それは、少しさびしい結論に聞こえるかもしれません。けれども、他人の心が無理ゲーだと知っている人だけが、たまに心が通じ合ったときに、それがどれほど貴重な奇跡なのかを知ることができるのだと、私は思っています。
I CAN の看板は、自分に向けて読むものです。他人の心の看板を、勝手に読み替えてはいけないのだと思います。
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## 予想される反論と、それに対する見解
### 「本当に被害を受けた人の訴えまで、『独り相撲』として片付けられてしまうのではないか」
私がいちばん重く受け止めている反論です。
本物のハラスメントの被害者も、外から見ると七つの段階とよく似た姿になります。何度も思い返しますし、孤立しますし、証拠も集めます。そこに「独り相撲だ」というラベルを貼れば、訴えを封じる道具になってしまいます。第4章の兵庫県の例は、まさにその危険を示しています。
ですから、この枠組みは他人に当てはめて裁くためのものではありません。もし使うなら、判断の手がかりにすべきなのは、訴えが人格の評価(無能だ、卑劣だ)なのか、具体的な事実(いつ、何をされたか)なのか、同じように感じている人がほかにもいるのか、正式な窓口に相談した跡があるのか、といった点です。それでも外からは決めきれないことが多い、という謙虚さが前提になります。
### 「他人の心をコントロールできないなら、教育も説得も無意味ではないか」
無意味ではありません。教育や説得は、相手が自分で納得するための材料を差し出す行為です。材料を差し出すことはできますが、納得するかどうかを決めるのは相手です。
無理ゲーなのは「相手の心を思い通りにすること」であって、「相手に働きかけること」ではありません。この区別がついていれば、働きかけが届かなかったときに、相手を責めずに済みます。
### 「無理に従わせた行動にも、あとから心がついてくるのではないか」
鋭い反論で、半分はその通りです。社会心理学者のレオン・フェスティンガーとジェームズ・カールスミスは1959年、退屈な作業を「面白かった」と人に言わされた人のうち、わずかな報酬しかもらわなかった人ほど、あとで本当に作業を面白かったと評価するようになることを示しました。行動と心のずれが気持ち悪いので、人は心のほうを行動に合わせてしまうのです。
ただ、ここで心を動かしたのは、命じた側ではありません。**本人が、自分で自分を納得させた** のです。しかも、心がついてくるかどうか、どの方向についてくるかは、命じた側には選べませんし、外から見分けることもできません。強く押しつけられた人は、むしろ反発を強めることもあります。行動を通じて心が動くことはあっても、それをコントロールできるわけではない、というのが私の考えです。
### 「組織の経営には、ある程度の統制が必要だ」
その通りです。ルールや指示がなければ、組織は動きません。
ここで問題にしているのは、統制そのものではなく、統制で行動が揃ったことを「心からの同意を得た」と取り違えることです。行動を統制することと、心を支配できたと思い込むことは、まったく別のものです。前者を自覚している経営者は、忖度を同意と取り違えないので、現実とのずれに早く気づけるはずです。
### 「恋とは、そもそも思い込みではないのか」
半分はその通りだと思います。第6章で書いたように、恋の初期にはほとんどの人が思い込みの中にいます。思い込みがなければ、恋は始まらないのかもしれません。
ただ、普通の恋は、どこかで相手に確かめ、答えを受け入れます。思い込みを仮説として扱っているのです。私が問題にしているのは、思い込むことではなく、確かめることを拒み、相手の答えより自分の物語を上に置くことです。
### 「確かめろと言うが、相手が本当に悪意を持っていたら、確かめても無駄ではないか」
ここで言う「確かめる」は、加害者本人に「あなたは悪意がありますか」と聞くことだけを指しているのではありません。信頼できる第三者に話してみる、窓口に相談する、記録を残して客観的に見直す、といったことも含みます。
大切なのは、自分の解釈を、自分の頭の外にある何かと一度突き合わせることです。それによって、本当に悪意があった場合には、その訴えはむしろ強く、確かなものになります。
### 「結局、さいたま市の主任を、暗に独り相撲だと決めつけているのではないか」
決めつけていません。第2章で書いたとおり、公表されている情報からは、主任がどういう人で、何があったのかは分かりません。主任が本当に被害を受けていて、ほかの道がふさがれていた可能性も、同じように残っています。
この論考は、その事件をきっかけに「こういう可能性もあるのではないか」と考えるうちに見えてきた、一般的なパターンを取り出したものです。特定の誰かについての判断ではないことを、改めてお断りしておきます。
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## あわせて読みたい
- 毎日アホ十則:忖度を同意と取り違え、権力で無理ゲーに挑み続けるトップたちの「十則」を、毎日1号ずつ公開しています。[リンク](https://tools.systemengineer-yousystem.jp/aho/)
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## 参考文献
- Dodge, K. A.「Social Cognition and Children's Aggressive Behavior」(Child Development, 51, 1980)[DOI](https://doi.org/10.2307/1129603)
- Bushman, B. J.「Does Venting Anger Feed or Extinguish the Flame? Catharsis, Rumination, Distraction, Anger, and Aggressive Responding」(Personality and Social Psychology Bulletin, 28, 2002)[DOI](https://doi.org/10.1177/0146167202289002)
- Kramer, R. M.「Organizational Paranoia: Origins and Dynamics」(Research in Organizational Behavior, 23, 2001)[DOI](https://doi.org/10.1016/S0191-3085(01)23002-0)
- Skitka, L. J., Bauman, C. W., & Sargis, E. G.「Moral Conviction: Another Contributor to Attitude Strength or Something More?」(Journal of Personality and Social Psychology, 88, 2005)[DOI](https://doi.org/10.1037/0022-3514.88.6.895)
- Mullen, P. E., Pathé, M., Purcell, R., & Stuart, G. W.「Study of Stalkers」(American Journal of Psychiatry, 156, 1999)[DOI](https://doi.org/10.1176/ajp.156.8.1244)
- Festinger, L., & Carlsmith, J. M.「Cognitive Consequences of Forced Compliance」(The Journal of Abnormal and Social Psychology, 58, 1959)[DOI](https://doi.org/10.1037/h0041593)
- Dorothy Tennov『Love and Limerence: The Experience of Being in Love』(Stein and Day, 1979)
- 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社, 2013年)
- エピクテトス(著)國方栄二(訳)『エピクテトス 人生談義』上・下(岩波文庫, 2020年・2021年)
- さいたま市「(令和8年11月6日発表)職員の懲戒処分について」(2026年)[リンク](https://www.city.saitama.lg.jp/006/014/008/003/015/008/p135053.html)
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### 著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業