はじめに
また、独身偽装のニュースを見ました。
都内の女性が、独身だと偽って交際した医師の男性を相手に、およそ2200万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したという報道です。女性は交際の前に「既婚者とは絶対に男女関係にならないし付き合わない。もしそうなら、きちんと言ってほしい」と何度も伝えていたそうです。男性は否定し続け、女性の妊娠がわかると既婚者であることを明かして「妻と離婚する」と説明しました。ところが女性が子どもを産むと、一変して連絡が取れなくなったといいます。被害者らでつくる団体への相談は、今年6月までに2年前の10倍ほどに増えているそうです(テレビ朝日系 ANN、2026年11月5日)。
私はこれまで、独身偽装について四本の論考を書いてきました。その一本目で、私はこう書いています。加害を駆動している中核報酬は性的アクセスであり、「性を抜いたら何も残らない」。そして、性交渉のない独身偽装は「嘘をつかれて時間を奪われた」という単純な被害に留まる、と。
今回、その二つの文を自分で修正しようと思います。
きっかけは、素朴な三つの問いでした。なぜ独身偽装はなくならないのでしょうか。加害者の目的は、結局のところ性なのでしょうか。そして、もし性的な関係がまったくなかったとしたら、それは訴えられるのでしょうか。この問いを、報道と判決の記録を十数件読み直しながら追いかけるうちに、私の中で「嘘の役割」が反転して見えてきました。
本論考の主張を先に書いておきます。独身偽装の加害者は、既婚という「非常口」を確保したうえで、決して決済されることのない結婚の約束を振り出し、相手の本気と時間を受け取り続けています。そのコストのほとんどは相手に転嫁されています。これは経済の言葉で言えば搾取であり、構造としては詐欺です。そして盗まれた本体は、性ではなく、相手の本気と時間です。
第1章で、性がない場合の法的な扱いを確かめ、法が「時間」をどう数えているかを見ます。第2章では、加害者がなぜわざわざ「独身」と偽る必要があったのかを考えます。第3章で、既婚であることが加害者にとって何を意味しているのかを、重婚という思考実験で照らします。第4章では、コストが誰に付け回されているのかを経済の目で整理します。第5章で、加害者の「情けなさ」の正体を考え、第6章で何が変わるべきかを述べます。
第1章:性がなければ、被害ではないのか
まず、法律の扱いを確かめておきます。
独身偽装の裁判で使われているのは、「貞操権」、つまり性的自己決定権の侵害という構成です。いつ、誰と、性的な関係を持つかを自分で決める権利のことで、既婚者かどうかはその判断の根幹にかかわる情報です。ですから、この構成は性的な関係があることを前提にしています。性がなければ、この道はほぼ閉ざされます。
ほかの道がないわけではありません。結婚の約束が客観的に認められる場合は、婚約の不当な破棄として慰謝料を求める道があります。2026年6月の東京地裁判決は、独身と偽って交際し婚約まで進めた男性について、貞操権侵害と婚約不履行の両方を認め、慰謝料400万円を含む約466万円の支払いを命じました。判決は「婚約時に、相手方に配偶者がいることを知らなかったものとの関係においては、配偶者のある者との婚約も法的保護に値する」と述べています。また、「結婚のため」とお金を出させたのなら、返還を求めることができますし、悪質なら刑事の詐欺にもなりえます。
では、性的な関係もお金のやりとりもなく、「時間を無駄にさせられた」ことだけで訴えたら、どうなるでしょうか。私が調べた範囲では、それだけで賠償を認めた判決は見つかりませんでした。
ただ、時間がまったく無視されているわけでもありません。2022年8月の東京地裁判決は、交際約3年3か月の事案で、女性の年齢に照らして子どもを産む機会が奪われたことを考慮し、慰謝料400万円を認めています。一方で、交際約4年9か月で90万円という判決もあります(弁護士ドットコムニュース、2025年)。時間は、慰謝料を重くする理由としては数えられることがあります。しかし、時間が単独の根拠になった例は見当たりません。法は、時間を「性」か「婚約」か「お金」に付いてきたときにだけ数えている、と言ってよいと思います。
一本目の論考で私が「時間を奪われたという単純な被害に留まる」と書いたのは、法の見方としては間違っていませんでした。しかし、それが被害の実態に合っているかは別の問題です。そのことを、加害者の側から考え直してみます。
第2章:なぜ、わざわざ「独身」と偽るのか
最初に立てるべき問いは、実はとても単純です。加害者は、なぜ独身と偽る必要があったのでしょうか。
性的な関係や、ひとときの恋愛感情だけが目的なら、既婚者と知ったうえで関係を持つ相手もいます。それは不倫であり、配偶者に対する裏切りという別の問題を抱えますが、少なくとも相手の女性を欺く必要はありません。
それでも彼らは独身と偽ります。それは、狙った相手が「既婚者とは付き合わない人」だからです。
報道や判決の記録を並べると、その相手の意思表示がいかにはっきりしていたかがわかります。
- 「不倫は絶対に嫌」「結婚しているのであれば、2人で出かけることはしない」と伝えていた女性に、男性は「離婚していて独身」と答えました。男性は、二人を引き合わせた友人たちにまで独身と偽っていたそうです(前述の466万円の事案)。
- マッチングアプリのプロフィールに「既婚者お断り」と明記し、妻や彼女はいないかを確かめていた女性もいました(2025年12月、東京地裁で約151万円の賠償命令)。
- 「結婚前提でないと交際できない」と答えた女性に、男性は「俺の最終目標は〇〇ちゃんと結婚すること」と応じています(2026年7月、名古屋地裁で121万円の賠償命令)。
- 男性の左手の薬指の指輪を嫌がった女性の前で、男性は指輪を切断してみせました。女性はそれを「結婚指輪ではない」と信じる材料にしました(2026年9月の判決で110万円の賠償命令)。
断られる条件を明示した相手に、それを一つずつ乗り越えて入り込んでいます。「たまたま言い出せなかった」では説明がつきません。
そして、ここからが本題です。性的な関係が目的なら、次の行動は明らかに割に合いません。
- 相手の両親だけでなく親戚中へのあいさつ、婚姻届への署名・押印、婚約指輪の注文、同居用マンションの仮契約、不妊治療への同意
- 相手の12歳の息子への「お母さんとお付き合いしています」というあいさつ、三人での旅行や誕生日やクリスマス、夕食づくりや洗濯
どちらも、発覚の危険を大きくし、手間とお金がかかるだけの行動です。466万円の事案の女性は、取材にこう答えています。「本当に女性と遊びたいだけなら、他にやり方はいくらでもあったはず」(弁護士ドットコムニュース、2026年9月7日)。
被害者自身が首をかしげているこの点に、答えがあると私は考えます。
既婚と知って関係を持つ相手からは、原理的に受け取れないものがあります。
- 「未来のある男」として本気で見られること。 結婚相手の候補として、将来の父親として扱われること。
- 相手の本気の投資。 親に会わせる、家族ぐるみで迎え入れる、子どもを望む、人生の計画を一緒に立てる。
- 「独身の自分」という役を、本物として生きること。 その役は、本体を知らない相手の前でしか本物になりません。
パイロットと身分を偽り、独身を装って複数の女性から金銭をだまし取った男がいます。お金が目的の詐欺事件として裁かれた男ですが、その彼でさえ、法廷でマッチングアプリを始めた理由をこう語りました。「子供が生まれ、妻が仕事と育児に忙しくて男性として見てもらえなかったのが寂しかった」(FRIDAYデジタル、2026年9月)。名古屋の事案の男性は、発覚後の話し合いで「このままバレないまま離婚を成立させて交際を続けたかった」と語ったと報じられています(中京テレビ、2026年7月)。
彼らが欲しかったのは、相手の体というより、何も知らずに本気で未来を預けてくれる相手だったのではないでしょうか。相手が騙されていること自体が、彼らの求めた体験の一部なのです。了承してくれる相手では、そもそも意味がなかったのです。
この読みを裏付けるのが、発覚した後の言い分です。
- 「婚姻意思がないことは伝え、相手も認識していた」として、解決金30万円を提示した元検事。
- 最後の電話で「最初に会ったときに既婚者だと伝えた。それでも付き合いたいと言ったのはお前だろ」と言い放った男性。
- 訴訟で「非日常の恋愛ごっこ」「真剣交際ではなかった」と述べた男性。
- 「真実夫婦として共同生活を営む意思で求婚した事実はなかった」と主張した男性。
交際中は「本気で未来を信じている相手」を必要とし、責任を問われた瞬間に「割り切った相手だった」ことに書き換えようとします。欲しかった相手と、言い逃れに使う相手が、正反対になっています。
第3章:重婚が許される社会なら、彼らは喜ぶか
ここで、少し変わった思考実験をしてみます。
もし重婚が認められる社会だったら、どうでしょうか。偽装であろうとなかろうと、女性が望めば本当に結婚できる社会です。独身と偽る必要がなくなり、加害者は喜ぶでしょうか。
私は、喜ばないと思います。そうなると、彼の約束が本当に取り立てられるからです。
「結婚しよう」と言えば、その言葉は履行を迫られます。結婚すれば、扶養も、同居も、相続も、子の父としての責任も、二つ目の家族に対して生じます。彼が欲しかったのは、結婚の約束が生み出す相手の本気であって、結婚そのものに伴う義務ではありません。
つまり、今の社会において既婚であることは、加害者にとって障害ではなく保険になっています。 相手に対しては隠すべき秘密であり、自分に対しては「どれだけ約束しても、本当に結婚させられることはない」という非常口なのです。
経済の言葉を借りるなら、これは決済できないとわかっている手形を、だからこそ何枚でも振り出している状態です。
独身の男が「結婚しよう」と言えば、その言葉には責任が付いてきます。言った以上、本当に結婚を迫られる可能性があります。だから普通は、そう簡単には言えません。ところが既婚の男には、最後は「妻がいるから無理」という出口があります。だから約束を、いくらでも、どこまでも大きく書けるのです。
実際の事案が、まさにその形をしています。
466万円の事案で、男性は婚姻届に署名し押印までしました。しかし住所欄は「同棲を開始したタイミングで住所を記入する」とごまかして空けたままにし、決して役所に提出しようとはしなかったと、判決は認定しています(FRIDAYデジタル、2026年7月)。指輪は「引き渡しまで6か月程度かかる」、転職は「信用調査が通過せず、うまくいっていない」、入籍は「転職の話に決着がついてから入籍するのが筋」。約束の演出だけは惜しみなく相手に渡し、履行への道は最初から塞いであります。
署名はしても、提出はしません。 空けたままの住所欄ほど、この構造をよく表しているものはないと思います。
冒頭の医師の事案も同じ形です。妊娠がわかると「妻と離婚する」と言い、子どもが生まれ、約束を果たす時が来た瞬間に連絡を絶ちました。
ですから、独身偽装の嘘は「結婚するための嘘」ではありません。「結婚しないで済むことを前提にした嘘」です。結婚できないことそのものがゴールなのではなく、結婚の約束が生む相手の本気を、結婚の義務なしに受け取り続けることがゴールであり、そのために約束が決して取り立てられないことが必要だったのです。
では、独身偽装から始まって、本当に離婚して結婚に至った例はあるのでしょうか。あるのかもしれませんが、確かめようがありません。報道や裁判に現れるのは、結婚しなかった事例だけだからです。そして仮にそうなったとしても、「最終的に結婚したのだから、いいでしょう」とは私は思いません。同意を取った時点の嘘は消えませんし、その間ずっと欺かれていた元の妻と子どもがいます。何より「最後は責任を取るつもりだった」という言い分は、加害者が最も使いたい言い逃れです。そう言えた瞬間、すべての嘘が「途中経過」になってしまうからです。
第4章:コストは誰が払っているのか
ここまでの構造を、損得の目で整理してみます。
加害者が手にしているものは、次のようなものです。家庭の安定と世間体。それに加えて、まっさらな目で選ばれる恋と、未来を信じる相手の本気。
では、そのコストは誰が払っているのでしょうか。
| コスト |
負担しているのは |
| 交際に費やした時間(数か月から数年) |
相手 |
| 妊娠・出産・不妊治療の身体的負担 |
相手 |
| 子を産める年齢の時間 |
相手 |
| 立て替えたお金、同居物件の手付金 |
相手(466万円の事案では、交際開始から6日後に借金の申し入れが始まり、計80万円ほどになったと報じられています) |
| 家族・親戚の期待と、それが裏切られる痛み |
相手とその家族 |
| 裁判の負担(立証、探偵、弁護士費用、数年の時間) |
相手 |
| 欺かれていた配偶者と子どもの損害 |
加害者の家族 |
加害者が負担しているのは、せいぜい交際費と、発覚したときの慰謝料です。その慰謝料も、これまでの判決では10万円から466万円の幅にあり、弁護士の解説でも「全体として低めに留まりがち」とされています(弁護士ドットコムニュース、2025年)。
経済学には、取引の当事者が負うべきコストを、取引の外にいる第三者に押し付けることを指す「外部不経済」という言葉があります。工場が排水を川に流せば、工場は安く製品を作れますが、そのコストは下流の住民が払います。独身偽装は、これを一人の人間の人生に対して行っているようなものです。しかも被害者は取引の「外」にいるのではなく、取引の当事者として、欺かれたまま自分の資源を差し出しています。
これは、まぎれもなく搾取です。そして、自分が提供する気のないもの(結婚と、それに伴う誠実さ)を提供すると偽って、相手の資源(時間・身体・お金・家族の信頼)を差し出させている以上、構造としては詐欺です。一本目の論考で私は「性搾取詐欺」という言葉を使いましたが、ここで訂正したいのは、騙し取られているのは性だけではない、という点です。騙し取られているのは、相手の本気と、その本気を注ぎ込んだ時間そのものです。 性は、その中の一つにすぎません。
コストの転嫁は、個々の被害者にとどまりません。ジョージ・アカロフは1970年の論文で、売り手だけが品質を知っている中古車市場では、買い手が良い車と悪い車を見分けられず、結果として市場全体の信頼が崩れていくことを示しました(Akerlof, 1970)。婚活市場でも同じことが起こります。独身偽装が横行すれば、誠実な独身の男性まで疑われ、出会う側はつねに警戒を強いられます。ある女性は、マッチングアプリで三人続けて既婚者、またはその疑いが極めて強い男性に出会いました。四人目に「独身証明書を出し合うこと」を条件にすると、相手は「そこまでしないと信じてもらえないんだね」と言い残して連絡を絶ったそうです(弁護士JPニュース、2026年9月)。独身偽装の加害者は、目の前の一人だけでなく、出会いの場そのものの信頼を食いつぶしているのです。
第5章:情けなさの正体
では、加害者とは、現実の自分を受け入れられない情けない男なのでしょうか。
半分は、そのとおりだと思います。前述のパイロットを名乗った男は、身分を偽った理由を問われ「学歴と職歴にコンプレックスがあった」と語っています。
ただ、それだけでは説明しきれません。報道される加害者には、医師、検事、大手広告会社の社員、一流企業の社員、自衛隊の幹部が並びます。肩書と収入だけ見れば、世間的には十分に満たされている側の人たちです。
彼らに共通して見えるのは、満足の欠如というより、どちらも手放したくないという態度です。
大人が何かを選ぶとき、選ばなかった道は捨てることになります。バリー・シュワルツは、選択肢が増えるほど人は選ばなかったものへの未練に苦しむようになると論じました(シュワルツ『なぜ選ぶたびに後悔するのか』)。結婚とは、ほかの人生の可能性をいくつも捨てることでもあります。多くの人は、その喪失を自分で引き受けて生きています。
独身偽装の加害者は、それを引き受けません。捨てるはずだった道を、嘘という裏口から取り戻し、その代金を何も知らない相手に払わせています。情けなさの正体は、肩書や収入の低さではなく、自分の人生の会計を他人に付け回すことです。 そう考えると、肩書が立派であることは何の言い訳にもなりません。
逆に、現実に満足していれば独身偽装はしないのでしょうか。私は、それも成り立たないと思います。結婚生活に不満や寂しさを抱えている人は、ありふれています。それでも、ほとんどの人は独身偽装をしません。不満は燃料にはなりますが、決め手ではないのです。
決め手は、相手の人生を自分の寂しさを埋める材料として使えてしまうかどうかです。エーリッヒ・フロムは、愛を「与えること」として論じ、市場の論理で相手を受け取る対象として扱う態度を、愛の崩壊として描きました(フロム『愛するということ』)。独身偽装の加害者がしているのは、その極端な形です。相手の本気を受け取り、自分は何も約束しません。不満という燃料に、ブレーキの欠如と、割に合ってしまう環境が重なったとき、独身偽装は起きるのだと私は考えます。
第6章:何が変わるべきか
最後に、ここまでの見方から言えることを三つ書きます。
一つ目は、法の数え方です。第1章で見たように、法は時間を単独では数えません。しかし、ここまで見てきたとおり、時間は性に付いてくる巻き添えの損害ではなく、加害者がまさに欲しかったものです。466万円の事案で原告側の弁護士は、女性が結婚して夫婦で子を育てるという人生を奪われたことを「あり得たルートが奪われた」と表現し、生命の侵害に比肩する被害だと主張しました(弁護士ドットコムニュース、2026年9月8日)。一審ではこの主張の一部(両親の慰謝料)は認められませんでしたが、判決は女性の「心を殺められた」という言葉を引いて慰謝料を認定したといいます。2022年の判決が子どもを産む機会の喪失を考慮したように、時間と機会の喪失を正面から損害として数える流れが、もっと太くなってほしいと思います。
二つ目は、刑事の扱いです。現状、独身と偽って交際しただけでは罪になりません。しかし、だまし取ったのがお金なら詐欺罪になります。パイロットを名乗った男が刑事裁判にかけられたのは、お金をだまし取ったからでした。2025年2月には、独身偽装への刑事罰の制定や慰謝料相場の引き上げを求めるオンライン署名が立ち上がったと報じられています。私も、騙し取られる対象が金銭か、本気と時間かで、扱いがここまで違うことには納得がいきません。
三つ目は、出会う側の構えです。ただし、これを被害者の責任に転嫁するつもりはありません。悪いのは、嘘をついた側です。そのうえで、第3章の見方から一つだけ言えることがあります。不渡りの手形は、決済を求められると逃げるということです。婚姻届は書くだけでなく出すこと、独身証明書を出し合うこと、相手の家族にも会うこと。約束の「演出」ではなく「履行」を、関係の早い段階で静かに求めることです。独身証明書の提出を条件にした瞬間に連絡を絶った男性の例は、それが効くことを示しています。
おわりに
独身偽装は、性を目的とした嘘だと思われがちです。私自身も、かつてそう書きました。
しかし、判決と報道の記録を読み直して見えてきたのは、もう少し冷たい構造でした。加害者は既婚という非常口を確保したうえで、決して決済されることのない結婚の約束を振り出し、相手の本気と時間を受け取り続けます。約束がタダだからこそ、いくらでも大きく書けます。婚姻届に署名はしても、住所欄は空けておきます。そして、そのコストのほとんどすべてを、何も知らない相手に付け回します。
だから、「性がなかったなら、大した被害ではない」という見方は逆なのだと思います。性がなくても、本体は盗まれています。盗まれたのは、未来を信じた人の本気と、その本気を注いだ取り返しのつかない時間です。
約束とは、本来、自分の未来の一部を相手に預ける行為です。預ける気のない未来を担保に、相手の現在を受け取ること。それを私は、恋愛のもつれとは呼びません。詐欺と呼びます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
予想される反論と、それに対する見解
反論1:「結局、ほとんどの加害者の目的は性ではないのか」
その可能性は否定しません。独身者向けのマッチングアプリでは、相手のほぼ全員が既婚者を断っています。単に出会いの母数を増やすために独身と偽り、性的な関係だけを求める加害者もいるはずです。その人にとっては、不倫を了承する相手でもよかったのでしょう。ただ、本論考で扱った、不妊治療や出産、親族まで巻き込む重い事案は、どれも性目的だけでは割に合わない行動を含んでいます。被害が深く長くなる事案ほど、「本気を受け取ること」が目的だったと読む方が筋が通る、というのが私の主張です。加害者の内心は確かめようがないので、これは本人の言い分ではなく、行動から逆算した見立てであることもお断りしておきます。
反論2:「本当に離婚するつもりだった加害者もいるのではないか」
いると思います。名古屋の事案の男性は「バレないまま離婚を成立させて交際を続けたかった」と語っています。ただ、彼が口にしたのは「結婚したかった」ではなく「交際を続けたかった」でした。そして、離婚の意思があったとしても、既婚であることを隠して同意を得た時点の欺罔は消えません。本当に離婚するつもりなら、離婚してから交際を申し込めばよかったのです。順序を逆にする理由は、相手を逃したくないという自分の都合以外に見当たりません。
反論3:「時間の損失を損害として認めたら、普通の失恋まで訴えられるようになる」
これは、本論考の主張に対する最も重い反論だと思います。交際して別れれば、誰でも時間を失います。それをすべて損害として扱えば、恋愛は訴訟の種だらけになります。
線を引くべきなのは、時間を失ったかどうかではなく、相手が真実を知っていれば差し出さなかった時間を、嘘によって差し出させたかどうかです。普通の失恋では、二人とも同じ条件の下で、互いに未来を賭けています。独身偽装では、一方だけが「この関係には未来がない」と知りながら、相手には未来があると信じさせています。前者はリスクの共有であり、後者はリスクの付け回しです。この区別は、性的自己決定権の侵害を「虚偽によって同意を得たこと」で判断している現在の判例の考え方とも整合すると考えます。
反論4:「被害者も、確かめようと思えば確かめられたのではないか」
本論考で紹介した被害者たちは、何度も確かめていました。「既婚者お断り」を明記し、言葉で確認し、指輪の意味を問いただし、関係の期限まで示していました。加害者は、そのすべてを乗り越えています。確かめる手段が乏しい社会で、確かめた人を責めるのは筋違いです。第6章で「履行を求める」ことを書いたのは、被害者の落ち度を指摘するためではなく、不渡りの手形がどういうときに逃げるかという構造を共有するためです。
反論5:「恋愛を、手形や外部不経済といった経済の言葉で語るのは乱暴だ」
恋愛を損得で語るべきでないという感覚は、私も持っています。ただ、独身偽装は、まさに一方が恋愛を損得で運用している現象です。相手の本気を受け取り、自分は何も約束せず、コストを相手に付け回します。その運用を見えるようにするには、経済の言葉が最も正確だと考えました。経済の言葉で書くのは恋愛を貶めるためではなく、恋愛の顔をした搾取を、恋愛から切り分けるためです。
反論6:「男性も被害に遭う。性別で語るのは偏っている」
そのとおりです。年上の「独身」の女性と交際したあとで、彼女が既婚者だったと知った30代の男性の独白も報じられています(FORZA STYLE、2026年2月)。一本目の論考で、私は女性に騙されて性的な被害を訴える男性はほとんどいないと書きましたが、ここも書き直す必要があると思っています。本論考の構造、つまり既婚という非常口を確保して決済できない約束を振り出すという構造は、性別を問いません。私が男性の加害者を中心に書いたのは、報道と判決の大半がそうだからであり、構造そのものは誰にでも当てはまります。
反論7:「報道される事案は、極端なものに偏っているのではないか」
偏っていると思います。裁判にまで至り、報道されるのは、被害の重い事案です。泣き寝入りした事案や、早い段階で関係が終わった事案は、記録に残りません。本論考は、独身偽装の全体の頻度や平均像を語るものではなく、被害が深刻化する事案に共通する構造を取り出す試みです。その意味で、この偏りは本論考の射程の限界でもあり、同時に、最も深刻な被害がどういう構造から生まれるかを見るための窓でもあります。
参考文献
- 書籍:『愛するということ 新訳版』エーリッヒ・フロム/鈴木晶訳(紀伊國屋書店, 1991)
- 書籍:『なぜ選ぶたびに後悔するのか——「選択の自由」の落とし穴』バリー・シュワルツ/瑞穂のりこ訳(ランダムハウス講談社, 2004)
- 論文:George A. Akerlof, "The Market for 'Lemons': Quality Uncertainty and the Market Mechanism," The Quarterly Journal of Economics, 84(3), 488–500, 1970. DOI
- 記事:「マチアプで『独身偽装』、150万円賠償命令『一番の決め手』 話題の判決を弁護士が徹底解説」弁護士ドットコムニュース(2025年) URL
- 記事:「『まさか自分が…』2年間信じた恋人は妻子持ち…妊娠後に発覚、独身偽装の“被害女性”が戦った本当の理由」弁護士ドットコムニュース(2026年9月7日) URL
- 記事:「『プロポーズを考えている』彼を信じたら独身偽装だった…裁判で『110万円』勝訴でも終わらない“被害”」弁護士ドットコムニュース(2026年10月11日) URL
- 記事:「独身偽装で『貞操権侵害』と『婚約不履行』ダブル認定、相場上回る『約460万円』の賠償はなぜ認められた?」弁護士ドットコムニュース(2026年9月8日)
- 記事:「女性を妊娠までさせ…”独身偽装”男に損害賠償命令『システム障害だ』判決文が明かす”呆れた嘘”」FRIDAYデジタル(2026年7月)
- 記事:「『パイロットとしての生活を維持しないと』ロマンス詐欺男が裁判で語った独りよがりな言い訳の数々」FRIDAYデジタル(2026年9月)
- 記事:「『信じた彼は、既婚者で子どもがいたんです』『独身偽装』被害にあったシングルマザーの女性が語る驚愕の実体験」中京テレビNEWS(2026年7月)
- 記事:「このまま野放しにしたらまた同じことを 『独身偽装』裁判で被害女性が問いかけた『性的同意』の本質」Yahoo!ニュース オリジナル 特集(2026年3月)
- 記事:「〈独身偽装した検察元エース〉『貞操権の侵害は成立しない…解決金は30万円で』騙された女性の絶望」集英社オンライン(2026年2月)
- 記事:「『絶対に結婚していない』“熱弁”も実は北海道に妻子…アプリで騙された31歳女性、“独身偽装男”の法的責任どう追及する?」弁護士JPニュース(2026年9月)
- 記事:「『初体験の夜を過ごしたのに…』僕が愛した人は既婚者でした。独身偽装被害に遭った30代男性の独白」FORZA STYLE(2026年2月)
- 記事:「『独身偽装』トラブル相次ぐ 女性が医師の男性提訴 『貞操権の侵害』約2200万円の賠償求め」テレビ朝日系(ANN)(2026年11月5日)
著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業
## はじめに
また、独身偽装のニュースを見ました。
都内の女性が、独身だと偽って交際した医師の男性を相手に、およそ2200万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したという報道です。女性は交際の前に「既婚者とは絶対に男女関係にならないし付き合わない。もしそうなら、きちんと言ってほしい」と何度も伝えていたそうです。男性は否定し続け、女性の妊娠がわかると既婚者であることを明かして「妻と離婚する」と説明しました。ところが女性が子どもを産むと、一変して連絡が取れなくなったといいます。被害者らでつくる団体への相談は、今年6月までに2年前の10倍ほどに増えているそうです(テレビ朝日系 ANN、2026年11月5日)。
私はこれまで、独身偽装について四本の論考を書いてきました。その一本目で、私はこう書いています。加害を駆動している中核報酬は性的アクセスであり、「性を抜いたら何も残らない」。そして、性交渉のない独身偽装は「嘘をつかれて時間を奪われた」という単純な被害に留まる、と。
今回、その二つの文を自分で修正しようと思います。
きっかけは、素朴な三つの問いでした。なぜ独身偽装はなくならないのでしょうか。加害者の目的は、結局のところ性なのでしょうか。そして、もし性的な関係がまったくなかったとしたら、それは訴えられるのでしょうか。この問いを、報道と判決の記録を十数件読み直しながら追いかけるうちに、私の中で「嘘の役割」が反転して見えてきました。
本論考の主張を先に書いておきます。**独身偽装の加害者は、既婚という「非常口」を確保したうえで、決して決済されることのない結婚の約束を振り出し、相手の本気と時間を受け取り続けています。そのコストのほとんどは相手に転嫁されています。これは経済の言葉で言えば搾取であり、構造としては詐欺です。そして盗まれた本体は、性ではなく、相手の本気と時間です。**
第1章で、性がない場合の法的な扱いを確かめ、法が「時間」をどう数えているかを見ます。第2章では、加害者がなぜわざわざ「独身」と偽る必要があったのかを考えます。第3章で、既婚であることが加害者にとって何を意味しているのかを、重婚という思考実験で照らします。第4章では、コストが誰に付け回されているのかを経済の目で整理します。第5章で、加害者の「情けなさ」の正体を考え、第6章で何が変わるべきかを述べます。
## 第1章:性がなければ、被害ではないのか
まず、法律の扱いを確かめておきます。
独身偽装の裁判で使われているのは、「貞操権」、つまり性的自己決定権の侵害という構成です。いつ、誰と、性的な関係を持つかを自分で決める権利のことで、既婚者かどうかはその判断の根幹にかかわる情報です。ですから、この構成は性的な関係があることを前提にしています。性がなければ、この道はほぼ閉ざされます。
ほかの道がないわけではありません。結婚の約束が客観的に認められる場合は、婚約の不当な破棄として慰謝料を求める道があります。2026年6月の東京地裁判決は、独身と偽って交際し婚約まで進めた男性について、貞操権侵害と婚約不履行の両方を認め、慰謝料400万円を含む約466万円の支払いを命じました。判決は「婚約時に、相手方に配偶者がいることを知らなかったものとの関係においては、配偶者のある者との婚約も法的保護に値する」と述べています。また、「結婚のため」とお金を出させたのなら、返還を求めることができますし、悪質なら刑事の詐欺にもなりえます。
では、性的な関係もお金のやりとりもなく、「時間を無駄にさせられた」ことだけで訴えたら、どうなるでしょうか。私が調べた範囲では、それだけで賠償を認めた判決は見つかりませんでした。
ただ、時間がまったく無視されているわけでもありません。2022年8月の東京地裁判決は、交際約3年3か月の事案で、女性の年齢に照らして子どもを産む機会が奪われたことを考慮し、慰謝料400万円を認めています。一方で、交際約4年9か月で90万円という判決もあります(弁護士ドットコムニュース、2025年)。時間は、慰謝料を**重くする理由**としては数えられることがあります。しかし、時間が**単独の根拠**になった例は見当たりません。法は、時間を「性」か「婚約」か「お金」に付いてきたときにだけ数えている、と言ってよいと思います。
一本目の論考で私が「時間を奪われたという単純な被害に留まる」と書いたのは、法の見方としては間違っていませんでした。しかし、それが被害の実態に合っているかは別の問題です。そのことを、加害者の側から考え直してみます。
## 第2章:なぜ、わざわざ「独身」と偽るのか
最初に立てるべき問いは、実はとても単純です。加害者は、なぜ独身と偽る必要があったのでしょうか。
性的な関係や、ひとときの恋愛感情だけが目的なら、既婚者と知ったうえで関係を持つ相手もいます。それは不倫であり、配偶者に対する裏切りという別の問題を抱えますが、少なくとも相手の女性を欺く必要はありません。
それでも彼らは独身と偽ります。それは、狙った相手が「既婚者とは付き合わない人」だからです。
報道や判決の記録を並べると、その相手の意思表示がいかにはっきりしていたかがわかります。
- 「不倫は絶対に嫌」「結婚しているのであれば、2人で出かけることはしない」と伝えていた女性に、男性は「離婚していて独身」と答えました。男性は、二人を引き合わせた友人たちにまで独身と偽っていたそうです(前述の466万円の事案)。
- マッチングアプリのプロフィールに「既婚者お断り」と明記し、妻や彼女はいないかを確かめていた女性もいました(2025年12月、東京地裁で約151万円の賠償命令)。
- 「結婚前提でないと交際できない」と答えた女性に、男性は「俺の最終目標は〇〇ちゃんと結婚すること」と応じています(2026年7月、名古屋地裁で121万円の賠償命令)。
- 男性の左手の薬指の指輪を嫌がった女性の前で、男性は指輪を切断してみせました。女性はそれを「結婚指輪ではない」と信じる材料にしました(2026年9月の判決で110万円の賠償命令)。
断られる条件を明示した相手に、それを一つずつ乗り越えて入り込んでいます。「たまたま言い出せなかった」では説明がつきません。
そして、ここからが本題です。性的な関係が目的なら、次の行動は明らかに割に合いません。
- 相手の両親だけでなく親戚中へのあいさつ、婚姻届への署名・押印、婚約指輪の注文、同居用マンションの仮契約、不妊治療への同意
- 相手の12歳の息子への「お母さんとお付き合いしています」というあいさつ、三人での旅行や誕生日やクリスマス、夕食づくりや洗濯
どちらも、発覚の危険を大きくし、手間とお金がかかるだけの行動です。466万円の事案の女性は、取材にこう答えています。「本当に女性と遊びたいだけなら、他にやり方はいくらでもあったはず」(弁護士ドットコムニュース、2026年9月7日)。
被害者自身が首をかしげているこの点に、答えがあると私は考えます。
既婚と知って関係を持つ相手からは、原理的に受け取れないものがあります。
1. **「未来のある男」として本気で見られること。** 結婚相手の候補として、将来の父親として扱われること。
2. **相手の本気の投資。** 親に会わせる、家族ぐるみで迎え入れる、子どもを望む、人生の計画を一緒に立てる。
3. **「独身の自分」という役を、本物として生きること。** その役は、本体を知らない相手の前でしか本物になりません。
パイロットと身分を偽り、独身を装って複数の女性から金銭をだまし取った男がいます。お金が目的の詐欺事件として裁かれた男ですが、その彼でさえ、法廷でマッチングアプリを始めた理由をこう語りました。「子供が生まれ、妻が仕事と育児に忙しくて男性として見てもらえなかったのが寂しかった」(FRIDAYデジタル、2026年9月)。名古屋の事案の男性は、発覚後の話し合いで「このままバレないまま離婚を成立させて交際を続けたかった」と語ったと報じられています(中京テレビ、2026年7月)。
彼らが欲しかったのは、相手の体というより、**何も知らずに本気で未来を預けてくれる相手**だったのではないでしょうか。相手が騙されていること自体が、彼らの求めた体験の一部なのです。了承してくれる相手では、そもそも意味がなかったのです。
この読みを裏付けるのが、発覚した後の言い分です。
- 「婚姻意思がないことは伝え、相手も認識していた」として、解決金30万円を提示した元検事。
- 最後の電話で「最初に会ったときに既婚者だと伝えた。それでも付き合いたいと言ったのはお前だろ」と言い放った男性。
- 訴訟で「非日常の恋愛ごっこ」「真剣交際ではなかった」と述べた男性。
- 「真実夫婦として共同生活を営む意思で求婚した事実はなかった」と主張した男性。
交際中は「本気で未来を信じている相手」を必要とし、責任を問われた瞬間に「割り切った相手だった」ことに書き換えようとします。**欲しかった相手と、言い逃れに使う相手が、正反対になっています。**
## 第3章:重婚が許される社会なら、彼らは喜ぶか
ここで、少し変わった思考実験をしてみます。
もし重婚が認められる社会だったら、どうでしょうか。偽装であろうとなかろうと、女性が望めば本当に結婚できる社会です。独身と偽る必要がなくなり、加害者は喜ぶでしょうか。
私は、喜ばないと思います。そうなると、彼の約束が本当に取り立てられるからです。
「結婚しよう」と言えば、その言葉は履行を迫られます。結婚すれば、扶養も、同居も、相続も、子の父としての責任も、二つ目の家族に対して生じます。彼が欲しかったのは、結婚の約束が生み出す相手の本気であって、結婚そのものに伴う義務ではありません。
つまり、今の社会において**既婚であることは、加害者にとって障害ではなく保険になっています。** 相手に対しては隠すべき秘密であり、自分に対しては「どれだけ約束しても、本当に結婚させられることはない」という非常口なのです。
経済の言葉を借りるなら、これは**決済できないとわかっている手形を、だからこそ何枚でも振り出している**状態です。
独身の男が「結婚しよう」と言えば、その言葉には責任が付いてきます。言った以上、本当に結婚を迫られる可能性があります。だから普通は、そう簡単には言えません。ところが既婚の男には、最後は「妻がいるから無理」という出口があります。だから約束を、いくらでも、どこまでも大きく書けるのです。
実際の事案が、まさにその形をしています。
466万円の事案で、男性は婚姻届に署名し押印までしました。しかし住所欄は「同棲を開始したタイミングで住所を記入する」とごまかして空けたままにし、決して役所に提出しようとはしなかったと、判決は認定しています(FRIDAYデジタル、2026年7月)。指輪は「引き渡しまで6か月程度かかる」、転職は「信用調査が通過せず、うまくいっていない」、入籍は「転職の話に決着がついてから入籍するのが筋」。約束の演出だけは惜しみなく相手に渡し、履行への道は最初から塞いであります。
**署名はしても、提出はしません。** 空けたままの住所欄ほど、この構造をよく表しているものはないと思います。
冒頭の医師の事案も同じ形です。妊娠がわかると「妻と離婚する」と言い、子どもが生まれ、約束を果たす時が来た瞬間に連絡を絶ちました。
ですから、独身偽装の嘘は「結婚するための嘘」ではありません。**「結婚しないで済むことを前提にした嘘」**です。結婚できないことそのものがゴールなのではなく、結婚の約束が生む相手の本気を、結婚の義務なしに受け取り続けることがゴールであり、そのために約束が決して取り立てられないことが必要だったのです。
では、独身偽装から始まって、本当に離婚して結婚に至った例はあるのでしょうか。あるのかもしれませんが、確かめようがありません。報道や裁判に現れるのは、結婚しなかった事例だけだからです。そして仮にそうなったとしても、「最終的に結婚したのだから、いいでしょう」とは私は思いません。同意を取った時点の嘘は消えませんし、その間ずっと欺かれていた元の妻と子どもがいます。何より「最後は責任を取るつもりだった」という言い分は、加害者が最も使いたい言い逃れです。そう言えた瞬間、すべての嘘が「途中経過」になってしまうからです。
## 第4章:コストは誰が払っているのか
ここまでの構造を、損得の目で整理してみます。
加害者が手にしているものは、次のようなものです。家庭の安定と世間体。それに加えて、まっさらな目で選ばれる恋と、未来を信じる相手の本気。
では、そのコストは誰が払っているのでしょうか。
| コスト | 負担しているのは |
|---|---|
| 交際に費やした時間(数か月から数年) | 相手 |
| 妊娠・出産・不妊治療の身体的負担 | 相手 |
| 子を産める年齢の時間 | 相手 |
| 立て替えたお金、同居物件の手付金 | 相手(466万円の事案では、交際開始から6日後に借金の申し入れが始まり、計80万円ほどになったと報じられています) |
| 家族・親戚の期待と、それが裏切られる痛み | 相手とその家族 |
| 裁判の負担(立証、探偵、弁護士費用、数年の時間) | 相手 |
| 欺かれていた配偶者と子どもの損害 | 加害者の家族 |
加害者が負担しているのは、せいぜい交際費と、発覚したときの慰謝料です。その慰謝料も、これまでの判決では10万円から466万円の幅にあり、弁護士の解説でも「全体として低めに留まりがち」とされています(弁護士ドットコムニュース、2025年)。
経済学には、取引の当事者が負うべきコストを、取引の外にいる第三者に押し付けることを指す「外部不経済」という言葉があります。工場が排水を川に流せば、工場は安く製品を作れますが、そのコストは下流の住民が払います。独身偽装は、これを一人の人間の人生に対して行っているようなものです。しかも被害者は取引の「外」にいるのではなく、取引の当事者として、欺かれたまま自分の資源を差し出しています。
これは、まぎれもなく搾取です。そして、自分が提供する気のないもの(結婚と、それに伴う誠実さ)を提供すると偽って、相手の資源(時間・身体・お金・家族の信頼)を差し出させている以上、構造としては詐欺です。一本目の論考で私は「性搾取詐欺」という言葉を使いましたが、ここで訂正したいのは、騙し取られているのは性だけではない、という点です。**騙し取られているのは、相手の本気と、その本気を注ぎ込んだ時間そのものです。** 性は、その中の一つにすぎません。
コストの転嫁は、個々の被害者にとどまりません。ジョージ・アカロフは1970年の論文で、売り手だけが品質を知っている中古車市場では、買い手が良い車と悪い車を見分けられず、結果として市場全体の信頼が崩れていくことを示しました(Akerlof, 1970)。婚活市場でも同じことが起こります。独身偽装が横行すれば、誠実な独身の男性まで疑われ、出会う側はつねに警戒を強いられます。ある女性は、マッチングアプリで三人続けて既婚者、またはその疑いが極めて強い男性に出会いました。四人目に「独身証明書を出し合うこと」を条件にすると、相手は「そこまでしないと信じてもらえないんだね」と言い残して連絡を絶ったそうです(弁護士JPニュース、2026年9月)。独身偽装の加害者は、目の前の一人だけでなく、出会いの場そのものの信頼を食いつぶしているのです。
## 第5章:情けなさの正体
では、加害者とは、現実の自分を受け入れられない情けない男なのでしょうか。
半分は、そのとおりだと思います。前述のパイロットを名乗った男は、身分を偽った理由を問われ「学歴と職歴にコンプレックスがあった」と語っています。
ただ、それだけでは説明しきれません。報道される加害者には、医師、検事、大手広告会社の社員、一流企業の社員、自衛隊の幹部が並びます。肩書と収入だけ見れば、世間的には十分に満たされている側の人たちです。
彼らに共通して見えるのは、満足の欠如というより、**どちらも手放したくない**という態度です。
大人が何かを選ぶとき、選ばなかった道は捨てることになります。バリー・シュワルツは、選択肢が増えるほど人は選ばなかったものへの未練に苦しむようになると論じました(シュワルツ『なぜ選ぶたびに後悔するのか』)。結婚とは、ほかの人生の可能性をいくつも捨てることでもあります。多くの人は、その喪失を自分で引き受けて生きています。
独身偽装の加害者は、それを引き受けません。捨てるはずだった道を、嘘という裏口から取り戻し、その代金を何も知らない相手に払わせています。**情けなさの正体は、肩書や収入の低さではなく、自分の人生の会計を他人に付け回すことです。** そう考えると、肩書が立派であることは何の言い訳にもなりません。
逆に、現実に満足していれば独身偽装はしないのでしょうか。私は、それも成り立たないと思います。結婚生活に不満や寂しさを抱えている人は、ありふれています。それでも、ほとんどの人は独身偽装をしません。不満は燃料にはなりますが、決め手ではないのです。
決め手は、相手の人生を自分の寂しさを埋める材料として使えてしまうかどうかです。エーリッヒ・フロムは、愛を「与えること」として論じ、市場の論理で相手を受け取る対象として扱う態度を、愛の崩壊として描きました(フロム『愛するということ』)。独身偽装の加害者がしているのは、その極端な形です。相手の本気を受け取り、自分は何も約束しません。不満という燃料に、ブレーキの欠如と、割に合ってしまう環境が重なったとき、独身偽装は起きるのだと私は考えます。
## 第6章:何が変わるべきか
最後に、ここまでの見方から言えることを三つ書きます。
一つ目は、法の数え方です。第1章で見たように、法は時間を単独では数えません。しかし、ここまで見てきたとおり、時間は性に付いてくる巻き添えの損害ではなく、加害者がまさに欲しかったものです。466万円の事案で原告側の弁護士は、女性が結婚して夫婦で子を育てるという人生を奪われたことを「あり得たルートが奪われた」と表現し、生命の侵害に比肩する被害だと主張しました(弁護士ドットコムニュース、2026年9月8日)。一審ではこの主張の一部(両親の慰謝料)は認められませんでしたが、判決は女性の「心を殺められた」という言葉を引いて慰謝料を認定したといいます。2022年の判決が子どもを産む機会の喪失を考慮したように、時間と機会の喪失を正面から損害として数える流れが、もっと太くなってほしいと思います。
二つ目は、刑事の扱いです。現状、独身と偽って交際しただけでは罪になりません。しかし、だまし取ったのがお金なら詐欺罪になります。パイロットを名乗った男が刑事裁判にかけられたのは、お金をだまし取ったからでした。2025年2月には、独身偽装への刑事罰の制定や慰謝料相場の引き上げを求めるオンライン署名が立ち上がったと報じられています。私も、騙し取られる対象が金銭か、本気と時間かで、扱いがここまで違うことには納得がいきません。
三つ目は、出会う側の構えです。ただし、これを被害者の責任に転嫁するつもりはありません。悪いのは、嘘をついた側です。そのうえで、第3章の見方から一つだけ言えることがあります。**不渡りの手形は、決済を求められると逃げる**ということです。婚姻届は書くだけでなく出すこと、独身証明書を出し合うこと、相手の家族にも会うこと。約束の「演出」ではなく「履行」を、関係の早い段階で静かに求めることです。独身証明書の提出を条件にした瞬間に連絡を絶った男性の例は、それが効くことを示しています。
## おわりに
独身偽装は、性を目的とした嘘だと思われがちです。私自身も、かつてそう書きました。
しかし、判決と報道の記録を読み直して見えてきたのは、もう少し冷たい構造でした。加害者は既婚という非常口を確保したうえで、決して決済されることのない結婚の約束を振り出し、相手の本気と時間を受け取り続けます。約束がタダだからこそ、いくらでも大きく書けます。婚姻届に署名はしても、住所欄は空けておきます。そして、そのコストのほとんどすべてを、何も知らない相手に付け回します。
だから、「性がなかったなら、大した被害ではない」という見方は逆なのだと思います。性がなくても、本体は盗まれています。盗まれたのは、未来を信じた人の本気と、その本気を注いだ取り返しのつかない時間です。
約束とは、本来、自分の未来の一部を相手に預ける行為です。預ける気のない未来を担保に、相手の現在を受け取ること。それを私は、恋愛のもつれとは呼びません。詐欺と呼びます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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## 予想される反論と、それに対する見解
### 反論1:「結局、ほとんどの加害者の目的は性ではないのか」
その可能性は否定しません。独身者向けのマッチングアプリでは、相手のほぼ全員が既婚者を断っています。単に出会いの母数を増やすために独身と偽り、性的な関係だけを求める加害者もいるはずです。その人にとっては、不倫を了承する相手でもよかったのでしょう。ただ、本論考で扱った、不妊治療や出産、親族まで巻き込む重い事案は、どれも性目的だけでは割に合わない行動を含んでいます。被害が深く長くなる事案ほど、「本気を受け取ること」が目的だったと読む方が筋が通る、というのが私の主張です。加害者の内心は確かめようがないので、これは本人の言い分ではなく、行動から逆算した見立てであることもお断りしておきます。
### 反論2:「本当に離婚するつもりだった加害者もいるのではないか」
いると思います。名古屋の事案の男性は「バレないまま離婚を成立させて交際を続けたかった」と語っています。ただ、彼が口にしたのは「結婚したかった」ではなく「交際を続けたかった」でした。そして、離婚の意思があったとしても、既婚であることを隠して同意を得た時点の欺罔は消えません。本当に離婚するつもりなら、離婚してから交際を申し込めばよかったのです。順序を逆にする理由は、相手を逃したくないという自分の都合以外に見当たりません。
### 反論3:「時間の損失を損害として認めたら、普通の失恋まで訴えられるようになる」
これは、本論考の主張に対する最も重い反論だと思います。交際して別れれば、誰でも時間を失います。それをすべて損害として扱えば、恋愛は訴訟の種だらけになります。
線を引くべきなのは、時間を失ったかどうかではなく、**相手が真実を知っていれば差し出さなかった時間を、嘘によって差し出させたかどうか**です。普通の失恋では、二人とも同じ条件の下で、互いに未来を賭けています。独身偽装では、一方だけが「この関係には未来がない」と知りながら、相手には未来があると信じさせています。前者はリスクの共有であり、後者はリスクの付け回しです。この区別は、性的自己決定権の侵害を「虚偽によって同意を得たこと」で判断している現在の判例の考え方とも整合すると考えます。
### 反論4:「被害者も、確かめようと思えば確かめられたのではないか」
本論考で紹介した被害者たちは、何度も確かめていました。「既婚者お断り」を明記し、言葉で確認し、指輪の意味を問いただし、関係の期限まで示していました。加害者は、そのすべてを乗り越えています。確かめる手段が乏しい社会で、確かめた人を責めるのは筋違いです。第6章で「履行を求める」ことを書いたのは、被害者の落ち度を指摘するためではなく、不渡りの手形がどういうときに逃げるかという構造を共有するためです。
### 反論5:「恋愛を、手形や外部不経済といった経済の言葉で語るのは乱暴だ」
恋愛を損得で語るべきでないという感覚は、私も持っています。ただ、独身偽装は、まさに一方が恋愛を損得で運用している現象です。相手の本気を受け取り、自分は何も約束せず、コストを相手に付け回します。その運用を見えるようにするには、経済の言葉が最も正確だと考えました。経済の言葉で書くのは恋愛を貶めるためではなく、恋愛の顔をした搾取を、恋愛から切り分けるためです。
### 反論6:「男性も被害に遭う。性別で語るのは偏っている」
そのとおりです。年上の「独身」の女性と交際したあとで、彼女が既婚者だったと知った30代の男性の独白も報じられています(FORZA STYLE、2026年2月)。一本目の論考で、私は女性に騙されて性的な被害を訴える男性はほとんどいないと書きましたが、ここも書き直す必要があると思っています。本論考の構造、つまり既婚という非常口を確保して決済できない約束を振り出すという構造は、性別を問いません。私が男性の加害者を中心に書いたのは、報道と判決の大半がそうだからであり、構造そのものは誰にでも当てはまります。
### 反論7:「報道される事案は、極端なものに偏っているのではないか」
偏っていると思います。裁判にまで至り、報道されるのは、被害の重い事案です。泣き寝入りした事案や、早い段階で関係が終わった事案は、記録に残りません。本論考は、独身偽装の全体の頻度や平均像を語るものではなく、被害が深刻化する事案に共通する構造を取り出す試みです。その意味で、この偏りは本論考の射程の限界でもあり、同時に、最も深刻な被害がどういう構造から生まれるかを見るための窓でもあります。
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## 参考文献
- 書籍:『愛するということ 新訳版』エーリッヒ・フロム/鈴木晶訳(紀伊國屋書店, 1991)
- 書籍:『なぜ選ぶたびに後悔するのか——「選択の自由」の落とし穴』バリー・シュワルツ/瑞穂のりこ訳(ランダムハウス講談社, 2004)
- 論文:George A. Akerlof, "The Market for 'Lemons': Quality Uncertainty and the Market Mechanism," *The Quarterly Journal of Economics*, 84(3), 488–500, 1970. [DOI](https://doi.org/10.2307/1879431)
- 記事:「マチアプで『独身偽装』、150万円賠償命令『一番の決め手』 話題の判決を弁護士が徹底解説」弁護士ドットコムニュース(2025年) [URL](https://www.bengo4.com/c_3/n_19743/)
- 記事:「『まさか自分が…』2年間信じた恋人は妻子持ち…妊娠後に発覚、独身偽装の“被害女性”が戦った本当の理由」弁護士ドットコムニュース(2026年9月7日) [URL](https://www.bengo4.com/c_3/c_1153/n_20856/)
- 記事:「『プロポーズを考えている』彼を信じたら独身偽装だった…裁判で『110万円』勝訴でも終わらない“被害”」弁護士ドットコムニュース(2026年10月11日) [URL](https://www.bengo4.com/c_3/n_21038/)
- 記事:「独身偽装で『貞操権侵害』と『婚約不履行』ダブル認定、相場上回る『約460万円』の賠償はなぜ認められた?」弁護士ドットコムニュース(2026年9月8日)
- 記事:「女性を妊娠までさせ…”独身偽装”男に損害賠償命令『システム障害だ』判決文が明かす”呆れた嘘”」FRIDAYデジタル(2026年7月)
- 記事:「『パイロットとしての生活を維持しないと』ロマンス詐欺男が裁判で語った独りよがりな言い訳の数々」FRIDAYデジタル(2026年9月)
- 記事:「『信じた彼は、既婚者で子どもがいたんです』『独身偽装』被害にあったシングルマザーの女性が語る驚愕の実体験」中京テレビNEWS(2026年7月)
- 記事:「このまま野放しにしたらまた同じことを 『独身偽装』裁判で被害女性が問いかけた『性的同意』の本質」Yahoo!ニュース オリジナル 特集(2026年3月)
- 記事:「〈独身偽装した検察元エース〉『貞操権の侵害は成立しない…解決金は30万円で』騙された女性の絶望」集英社オンライン(2026年2月)
- 記事:「『絶対に結婚していない』“熱弁”も実は北海道に妻子…アプリで騙された31歳女性、“独身偽装男”の法的責任どう追及する?」弁護士JPニュース(2026年9月)
- 記事:「『初体験の夜を過ごしたのに…』僕が愛した人は既婚者でした。独身偽装被害に遭った30代男性の独白」FORZA STYLE(2026年2月)
- 記事:「『独身偽装』トラブル相次ぐ 女性が医師の男性提訴 『貞操権の侵害』約2200万円の賠償求め」テレビ朝日系(ANN)(2026年11月5日)
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### 著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業