はじめに
私はキャバクラによく行きます。行くたびに、同じ光景が目に入ります。店の奥の待機席で、指名を待つ女性たちが並んで座り、全員が黙ってスマートフォンを見ている光景です。
仲が悪いわけではないのでしょう。ただ、同じ店で働いているというだけで、特別に親しいわけでもありません。かといって、待機席でテキストを広げて勉強したり、本を読んだりするのは場違いです。結果として、何時間もの時間が、ただ画面をなぞることに使われていきます。店によっては、この待機の時間に時給が出ないこともあります。
ある日、私はふと思いつきました。店が話し上手な進行役を一人雇い、待機席に常駐させたらどうでしょうか。話題は恋愛でも、化粧品でも、何でもかまいません。待機席が楽しげに盛り上がっていれば、来店した客は必ずその席を気にします。そこで、待機席の女性はいつでも指名できるようにしておきます。そうすれば、店は売上が増え、彼女たちは暇をしなくて済み、雑談から人との接し方や新しい関心事を学べます。
この案が実際にうまくいくかどうかは、店の事情を知らない私には断言できません。私が気になったのは、別のことです。なぜ、この程度の発想が、店の中からは出てこないのでしょうか。
経営者は愚かではありません。店長もキャストも、私よりずっと店のことを知っています。それでも、外から週に何度か通うだけの客のほうが、先に「おかしい」と気づくことがあります。本稿では、この現象を手がかりに、仕事のやり方を新しく入れたり変えたりするとき、アイディアがどこから出てくるのかを考えます。
結論を先に書いておきます。変化の種は、立場を持たない人からではなく、いくつもの立場を同時に持ち、そのどれの利害にも縛られていない人から出てきやすいのです。ただし、その種を育てて実らせるのは、中にいる人です。
第1章:中の人が変えられない三つの縛り
まず、中にいる人がなぜ気づけないのかを整理します。私は、少なくとも三つの縛りがあると考えています。
役割の縛り
店長は店長として、キャストはキャストとして、それぞれの役割に沿った答えを求められています。店長が「待機席に人を置きましょう」と言えば、それは経営判断への口出しになります。キャストが「待機の時間を学びに使いたい」と言えば、わがままだと受け取られかねません。役割をはみ出した提案は、内容の良し悪しより先に「立場をわきまえない」という評価を受けてしまいます。
コストの持ち主の縛り
待機の時給が出ない店では、待機の時間はいくら長くても、店の帳簿に載りません。経営者から見れば、そこにコストは存在しないことになります。しかし、コストが消えたわけではありません。時間、交通費、呼ばれないことによる気持ちの消耗は、すべてキャストの側に移っています。
人は、自分が払っていないコストを無駄だと感じにくいものです。経営者が鈍いのではなく、無駄の請求書が別の人の手元に届いているのです。
慣れの縛り
三つ目は、慣れです。毎晩見ている光景は、やがて背景になります。待機席で全員がスマートフォンを見ているのは、店の人にとっては「いつものこと」で、問題には見えません。
行動経済学には、現状維持バイアスという概念があります。サミュエルソンとゼックハウザーは1988年の論文で、人は選択肢の中に「何もしない」「これまでどおり」が含まれていると、それを不釣り合いに選びやすいことを、実験と実際の年金・保険の選択データで示しました。変えることには手間とリスクがあり、変えないことには言い訳が要りません。
組織の研究でも似た現象が報告されています。カッツとアレンは1982年、ある大規模な研究所の50の研究開発チームを調べ、メンバーの在籍期間が長くなるほど、チームの外との情報のやりとりが減り、成果も落ちていく傾向を示しました。成果は在籍1年半ほどまでは上がり、しばらく横ばいになった後、5年ほどで目に見えて下がっていました。長く同じ場所にいるほど、外の考え方に耳を傾けなくなるのです。
この三つの縛りは、中の人の能力の問題ではありません。中にいるという位置そのものが生む構造です。
第2章:「立場がない」のではなく「立場が多い」
では、外の人なら誰でも気づけるのかというと、そうでもありません。待機席の前を通り過ぎる客の大半は、自分の卓についた女性のことしか見ていません。待機席は風景であり、気にするとしても「次に誰を呼ぼうか」くらいでしょう。
私がこの案を思いついたのは、たまたま複数の目を持っていたからだと思います。
- 表向きは客です。客として、待機席が盛り上がっていたら気になることを知っています
- フリーランスのエンジニアとして、自分で事業を回しています。売上と費用の両方を考える習慣があります
- 会社員を25年やってきました。雇われる側が、上に言えないことを抱えている感覚を覚えています
- 経営学、経済学、心理学、とくに行動経済学が好きです。人が損だと分かっていても無駄を続けてしまう仕組みに関心があります
- 知人から転職の相談を受けることがあります。夜の仕事を続ける人が、その先のキャリアをどう描けるのかが気になります
- そして、美しい女性が好きです。学ぶことも好きです
この中のどれか一つの立場だけなら、案は出てこなかったはずです。客の目だけなら「楽しそうな席がある」で終わり、経営者の目だけなら「待機は無給だから問題ない」で終わります。複数の目が一度に同じ光景を見たとき、初めて「この時間はもったいない。しかも、売上に変えられる」という一つの考えにつながりました。
ジンメルの「異郷人」
この位置には、昔から名前があります。社会学者のゲオルク・ジンメルは、集団の外からやってきて、そこにとどまる人を「異郷人」と呼びました。異郷人は、通りすがりの旅人とは違います。集団の中にいて、中の事情に触れています。しかし、集団の慣習や利害に根を下ろしてはいません。ジンメルは、この「近さと遠さ」を同時に持つことが、異郷人に特有の客観性を与えると論じました。
キャバクラの常連客は、まさにこの位置にいます。店の空気を知るほどには近く、店の利害に縛られないほどには遠いのです。
集団の隙間に立つ人
ロナルド・バートは2004年の論文で、アメリカの大手電子機器メーカーの管理職を調べました。社内の別々の集団の間をつなぐ位置にいる人、つまり集団と集団の「隙間」に立つ人ほど、良いアイディアを持っていたと報告しています。そうした人は、アイディアを口に出すことが多く、退けられることが少なく、価値が高いと評価されやすかったのです。バートの説明は単純です。人の考え方や行動は、集団の中では似通い、集団の間では違います。だから、複数の集団にまたがる人は、別のやり方を知っているのです。
ここで注意したいのは、バートが調べた「隙間に立つ人」は、会社の外の人ではなく、社内の人だったことです。大事なのは、外にいることそのものではありません。いくつもの集団にまたがっていて、どれか一つの集団の常識に染まりきっていないことです。客という外の立場は、その条件を満たしやすい位置の一つにすぎません。
専門の外から解く人
もう一つ、私が強く印象を受けた研究があります。イェッペセンとラカーニは2010年、研究開発の難題を外部に公開し、誰でも解答を出せる仕組み(InnoCentive)のデータを分析しました。その結果、自分の専門分野が問題の分野から離れている解答者のほうが、解決に成功しやすいことが分かりました。また、科学の世界で「外側」に置かれがちな女性の解答者は、男性よりもはっきり成績が良かったのです。著者たちは、技術的・社会的に周縁にいることが、別の視点や解き方をもたらすと結論づけています。
三つの知見に共通するのは、良いアイディアの出どころは、専門の中心ではなく、境界や隙間にあるということです。そして、そこに立つ人は「立場がない」のではなく、「立場をいくつも持っている」のです。
第3章:私的な動機は、不純か
ここで、正直に書いておかなければならないことがあります。私がこの案を考えた動機の一つは、美しい女性が好きだから、です。
こう書くと、論考としての信用を落とすように思えるかもしれません。客観的な分析をするなら、動機は中立であるべきだという考え方もあるでしょう。
しかし、私はそう考えません。中立な人は、そもそも他人の待ち時間に目を向けないからです。他人の時間を「もったいない」と感じるには、その人たちへの関心が必要です。私の場合、その関心の入口が「美女が好き」だっただけで、そこから「彼女たちの時間を無駄にしたくない」「学ぶ機会があればいい」「この先の仕事も心配だ」と、関心が広がっていきました。
変化の種を見つけるのは、多くの場合、何かを好きな人です。好きだから通い、通うから見え、見えるから気になります。冷静な分析は、その後からでも間に合います。
もちろん、私的な動機には危うさもあります。人は、見たいものを見ます。私は、待機席の女性たちが「学びたいはずだ」と思い込んでいるだけかもしれません。本当は、何も考えずにスマートフォンを眺める時間こそが、彼女たちにとって必要な休息である可能性もあります。私的な動機は、種を見つける力にはなりますが、その種が本当に良いものかを判断する力にはなりません。
第4章:種を育てるのは、中の人
ここまで、外の人の強みを書いてきました。しかし、外の人の案がそのまま実るとは限りません。むしろ、外の人の案は、そのままでは通らないことのほうが多いはずです。
外の人には、見えない壁がある
私の案にも、私には見えにくい壁がいくつもあります。
- 待機席を客に見せると、店の格が下がると考える店もあるでしょう。舞台裏を見せないこと自体が、価値の一部になっている業態です
- 待機席から気軽に指名できるようにすると、すでに指名を受けている女性との関係がこじれるかもしれません。指名をめぐる人間関係は、外からはまず見えません
- 進行役の力量に、結果が大きく左右されます。場を仕切れない人を置けば、気まずさが増えるだけです
- 待機中に学びや進行役を用意すれば、その時間は「店の指示の下にある時間」という性格を強めます。無給のまま続ければ、労務上の問題をかえってはっきりさせてしまいます
外の人は、こうした制約を知りません。そして、知らないまま言えるのは、責任を負わないからです。自由に言えることは強みですが、同じ理由で、言ったことは軽く扱われます。
地域づくりの分野では、町を変えるのは「よそ者・若者・ばか者」だという言い回しがよく知られています。一方で、敷田麻実は2009年の論文で、よそ者が高く評価される理由がはっきりしないまま「よそ者信仰」が広まり、よそ者に頼りすぎて失敗する例があることを指摘しています。敷田が重視したのは、よそ者そのものではなく、地域がよそ者と関わり続ける中で、お互いが変わっていく過程でした。
外の種を、中の人が育てる
だから、変化には二種類の人が必要です。立場の隙間から種を見つける人と、中にいてその種を育てる人です。
中の人の役割は、外の案をそのまま採用することでも、退けることでもありません。
- 外の案を、答えではなく仮説として受け取る。「なぜ思いつかなかったのか」と恥じる必要はありません。中にいる位置が、気づきにくくしていただけです
- 見えない壁を言葉にする。指名の関係、店の格、進行役の人選、時給の扱いなど、外の人が知らない制約を、中の人が具体的に挙げます
- 小さく、期限を区切って試す。たとえば三か月だけ、一店舗だけ、週末だけにします。失敗しても引き返せる大きさで試せば、「変えない言い訳」は要らなくなります
私が書いたビジネス寓話「待機席の笑い声」では、店長がこの役を担いました。店長は外にいる元キャストを進行役に呼び、オーナーには三か月という期限つきで許可をもらいました。種を持ち込んだのは外の人でも、通したのは中の人です。
第5章:自分の中に「よそ者」を飼う
最後に、個人の話をします。外の人の目は、外にいなければ持てないのでしょうか。
私はそう思いません。複数の立場を持つことは、生き方の選び方で、ある程度は増やせます。会社員をしながら副業をすること。職場とは関係のない趣味の集まりに顔を出すこと。客として、利用者として、相談相手として、いろいろな場所に出入りすること。どれも特別な才能は要りません。
むしろ、一つの分野を極めた専門家より、いろいろな場所で凡庸な立場を重ねてきた人のほうが、隙間に立ちやすいのかもしれません。私の持っている目は、どれも特別なものではありません。客、会社員、フリーランス、本好き、相談相手。どれも、多くの人が人生のどこかで経験する立場です。違うのは、それらを一度に持ったまま、同じ光景を見たかどうかだけです。
自分の職場を見るときに、「もし自分が客だったら」「もし自分が経営者だったら」「もし自分が新人だったら」と、別の席に座り直してみてください。それだけでも、背景になっていた光景が、少しだけ問題として浮かび上がってきます。
おわりに
待機席の光景は、どこの職場にもあります。会議の前の空き時間、承認を待つ書類、誰も読まない報告書。中にいる人には、それは「いつものこと」です。
それをおかしいと感じるのは、多くの場合、誰の席にも座っていない人です。正確に言えば、いくつもの席に少しずつ座っていて、どの席にも深く根を下ろしていない人です。
そういう人の言葉は、ときに軽く、ときに的外れです。それでも、その中には、中にいる人には見えない種がまぎれています。拾うかどうかを決めるのは、中にいる人です。
そして、私たち一人ひとりも、自分の職場の中で、ときどき別の席に座り直すことができます。変化の種は、その小さな座り直しの隙間から、顔を出すのだと思います。
予想される反論と、それに対する見解
反論1:結局、外の人の思いつきは現場を知らない素人の意見にすぎないのではないか
その面は確かにあります。だからこそ本稿では、外の案は「答え」ではなく「仮説」として扱うべきだと書きました。素人の意見が価値を持つのは、正しいからではなく、中の人が当たり前だと思っていることを問い直させるからです。正しいかどうかの判定は、現場の制約を知る中の人の仕事です。
反論2:多角的な視点を持つ人は、どの分野でも浅いだけではないか
浅いことは否定しません。ただ、イェッペセンとラカーニの研究が示したように、専門から遠いことが、かえって問題解決につながる場面があります。深さが必要なのは、種を実らせる段階です。種を見つける段階では、浅く広い目のほうが役に立つことがあります。
反論3:経営者は気づいていて、あえてやらないだけかもしれない
あり得ます。進行役の人件費、店の格、キャスト同士の関係などを天秤にかけて、やらないと判断している経営者もいるでしょう。その場合でも、外の案は「なぜやらないのか」を言葉にするきっかけになります。理由を言葉にできれば、やらない判断にも根拠が生まれます。言葉にできなければ、それは判断ではなく慣れだったということです。
反論4:私的な動機(美女が好き)から出た案を、ビジネスの議論として扱うべきではない
私は逆だと考えています。他人の時間に関心を持つには、何らかの私的な理由が必要です。中立な人は、そもそもその光景を見ていません。ただし、第3章で書いたとおり、私的な動機は見たいものを見せる危うさも持っています。動機の出どころではなく、案の中身と、それを試した結果で判断すべきです。
反論5:組織の中に「外の目」を持つ人を置けば済む話ではないか
外部のコンサルタントや社外取締役は、その役割を期待されています。ただ、彼らには「外の目」という役割が与えられており、その役割に沿った答えを求められます。役割として外にいる人は、役割の縛りから自由ではありません。本稿で言う「隙間に立つ人」は、役割を与えられていないからこそ自由に見られる人です。両者は似ていますが、同じではありません。
反論6:当たった例だけを語っているのではないか
これが一番痛い反論だと思います。外の人の思いつきの大半は、的外れで終わります。私自身、店の事情を知らずに口にして、的外れだった考えはいくらでもあるはずです。当たった一つを取り上げて「外の人から種が出る」と言うのは、生存者バイアスと言われても仕方がありません。
それでも私がこの主張を取り下げないのは、比べる相手が「中から出る案」だからです。第1章で見たとおり、中の人は役割・コストの持ち主・慣れの三つに縛られ、そもそも種の数が少なくなりがちです。外の案は外れが多くても、中からは出にくい種類の案を含んでいます。だからこそ、外の案を答えとして採用するのではなく、仮説として受け取り、小さく試して確かめる仕組みが必要になります。打率の低さは、試し方で補えます。
反論7:結局、言うだけ言って責任を取らない人を持ち上げていないか
そう受け取られないよう、第4章で外の人の限界を書きました。外の人が責任を負わないことは、強みでも弱みでもあります。だから、外の人だけでは変化は起きません。外の人の価値は、中の人と組んだときに初めて生まれます。私自身、この案を店に持ち込んで実行する立場にはありません。私にできるのは、種を言葉にして置いておくことだけです。
参考文献
- ゲオルク・ジンメル『社会学──社会化の諸形式についての研究』上・下、居安正訳(白水社, 1994年/新装復刊2016年)
- Ronald S. Burt, "Structural Holes and Good Ideas," American Journal of Sociology, 110(2), 2004, pp.349-399. https://doi.org/10.1086/421787
- Lars Bo Jeppesen & Karim R. Lakhani, "Marginality and Problem-Solving Effectiveness in Broadcast Search," Organization Science, 21(5), 2010, pp.1016-1033. https://doi.org/10.1287/orsc.1090.0491
- Ralph Katz & Thomas J. Allen, "Investigating the Not Invented Here (NIH) syndrome: A look at the performance, tenure, and communication patterns of 50 R&D Project Groups," R&D Management, 12(1), 1982, pp.7-20. https://doi.org/10.1111/j.1467-9310.1982.tb00478.x
- William Samuelson & Richard Zeckhauser, "Status quo bias in decision making," Journal of Risk and Uncertainty, 1(1), 1988, pp.7-59. https://doi.org/10.1007/BF00055564
- 敷田麻実「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.9, 2009年, pp.79-100. https://hdl.handle.net/2115/39351
著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業
## はじめに
私はキャバクラによく行きます。行くたびに、同じ光景が目に入ります。店の奥の待機席で、指名を待つ女性たちが並んで座り、全員が黙ってスマートフォンを見ている光景です。
仲が悪いわけではないのでしょう。ただ、同じ店で働いているというだけで、特別に親しいわけでもありません。かといって、待機席でテキストを広げて勉強したり、本を読んだりするのは場違いです。結果として、何時間もの時間が、ただ画面をなぞることに使われていきます。店によっては、この待機の時間に時給が出ないこともあります。
ある日、私はふと思いつきました。店が話し上手な進行役を一人雇い、待機席に常駐させたらどうでしょうか。話題は恋愛でも、化粧品でも、何でもかまいません。待機席が楽しげに盛り上がっていれば、来店した客は必ずその席を気にします。そこで、待機席の女性はいつでも指名できるようにしておきます。そうすれば、店は売上が増え、彼女たちは暇をしなくて済み、雑談から人との接し方や新しい関心事を学べます。
この案が実際にうまくいくかどうかは、店の事情を知らない私には断言できません。私が気になったのは、別のことです。**なぜ、この程度の発想が、店の中からは出てこないのでしょうか。**
経営者は愚かではありません。店長もキャストも、私よりずっと店のことを知っています。それでも、外から週に何度か通うだけの客のほうが、先に「おかしい」と気づくことがあります。本稿では、この現象を手がかりに、仕事のやり方を新しく入れたり変えたりするとき、アイディアがどこから出てくるのかを考えます。
結論を先に書いておきます。変化の種は、**立場を持たない人**からではなく、**いくつもの立場を同時に持ち、そのどれの利害にも縛られていない人**から出てきやすいのです。ただし、その種を育てて実らせるのは、中にいる人です。
## 第1章:中の人が変えられない三つの縛り
まず、中にいる人がなぜ気づけないのかを整理します。私は、少なくとも三つの縛りがあると考えています。
### 役割の縛り
店長は店長として、キャストはキャストとして、それぞれの役割に沿った答えを求められています。店長が「待機席に人を置きましょう」と言えば、それは経営判断への口出しになります。キャストが「待機の時間を学びに使いたい」と言えば、わがままだと受け取られかねません。役割をはみ出した提案は、内容の良し悪しより先に「立場をわきまえない」という評価を受けてしまいます。
### コストの持ち主の縛り
待機の時給が出ない店では、待機の時間はいくら長くても、店の帳簿に載りません。経営者から見れば、そこにコストは存在しないことになります。しかし、コストが消えたわけではありません。時間、交通費、呼ばれないことによる気持ちの消耗は、すべてキャストの側に移っています。
人は、自分が払っていないコストを無駄だと感じにくいものです。経営者が鈍いのではなく、無駄の請求書が別の人の手元に届いているのです。
### 慣れの縛り
三つ目は、慣れです。毎晩見ている光景は、やがて背景になります。待機席で全員がスマートフォンを見ているのは、店の人にとっては「いつものこと」で、問題には見えません。
行動経済学には、現状維持バイアスという概念があります。サミュエルソンとゼックハウザーは1988年の論文で、人は選択肢の中に「何もしない」「これまでどおり」が含まれていると、それを不釣り合いに選びやすいことを、実験と実際の年金・保険の選択データで示しました。変えることには手間とリスクがあり、変えないことには言い訳が要りません。
組織の研究でも似た現象が報告されています。カッツとアレンは1982年、ある大規模な研究所の50の研究開発チームを調べ、メンバーの在籍期間が長くなるほど、チームの外との情報のやりとりが減り、成果も落ちていく傾向を示しました。成果は在籍1年半ほどまでは上がり、しばらく横ばいになった後、5年ほどで目に見えて下がっていました。長く同じ場所にいるほど、外の考え方に耳を傾けなくなるのです。
この三つの縛りは、中の人の能力の問題ではありません。中にいるという位置そのものが生む構造です。
## 第2章:「立場がない」のではなく「立場が多い」
では、外の人なら誰でも気づけるのかというと、そうでもありません。待機席の前を通り過ぎる客の大半は、自分の卓についた女性のことしか見ていません。待機席は風景であり、気にするとしても「次に誰を呼ぼうか」くらいでしょう。
私がこの案を思いついたのは、たまたま複数の目を持っていたからだと思います。
- 表向きは客です。客として、待機席が盛り上がっていたら気になることを知っています
- フリーランスのエンジニアとして、自分で事業を回しています。売上と費用の両方を考える習慣があります
- 会社員を25年やってきました。雇われる側が、上に言えないことを抱えている感覚を覚えています
- 経営学、経済学、心理学、とくに行動経済学が好きです。人が損だと分かっていても無駄を続けてしまう仕組みに関心があります
- 知人から転職の相談を受けることがあります。夜の仕事を続ける人が、その先のキャリアをどう描けるのかが気になります
- そして、美しい女性が好きです。学ぶことも好きです
この中のどれか一つの立場だけなら、案は出てこなかったはずです。客の目だけなら「楽しそうな席がある」で終わり、経営者の目だけなら「待機は無給だから問題ない」で終わります。複数の目が一度に同じ光景を見たとき、初めて「この時間はもったいない。しかも、売上に変えられる」という一つの考えにつながりました。
### ジンメルの「異郷人」
この位置には、昔から名前があります。社会学者のゲオルク・ジンメルは、集団の外からやってきて、そこにとどまる人を「異郷人」と呼びました。異郷人は、通りすがりの旅人とは違います。集団の中にいて、中の事情に触れています。しかし、集団の慣習や利害に根を下ろしてはいません。ジンメルは、この「近さと遠さ」を同時に持つことが、異郷人に特有の客観性を与えると論じました。
キャバクラの常連客は、まさにこの位置にいます。店の空気を知るほどには近く、店の利害に縛られないほどには遠いのです。
### 集団の隙間に立つ人
ロナルド・バートは2004年の論文で、アメリカの大手電子機器メーカーの管理職を調べました。社内の別々の集団の間をつなぐ位置にいる人、つまり集団と集団の「隙間」に立つ人ほど、良いアイディアを持っていたと報告しています。そうした人は、アイディアを口に出すことが多く、退けられることが少なく、価値が高いと評価されやすかったのです。バートの説明は単純です。人の考え方や行動は、集団の中では似通い、集団の間では違います。だから、複数の集団にまたがる人は、別のやり方を知っているのです。
ここで注意したいのは、バートが調べた「隙間に立つ人」は、会社の外の人ではなく、社内の人だったことです。大事なのは、外にいることそのものではありません。いくつもの集団にまたがっていて、どれか一つの集団の常識に染まりきっていないことです。客という外の立場は、その条件を満たしやすい位置の一つにすぎません。
### 専門の外から解く人
もう一つ、私が強く印象を受けた研究があります。イェッペセンとラカーニは2010年、研究開発の難題を外部に公開し、誰でも解答を出せる仕組み(InnoCentive)のデータを分析しました。その結果、自分の専門分野が問題の分野から離れている解答者のほうが、解決に成功しやすいことが分かりました。また、科学の世界で「外側」に置かれがちな女性の解答者は、男性よりもはっきり成績が良かったのです。著者たちは、技術的・社会的に周縁にいることが、別の視点や解き方をもたらすと結論づけています。
三つの知見に共通するのは、**良いアイディアの出どころは、専門の中心ではなく、境界や隙間にある**ということです。そして、そこに立つ人は「立場がない」のではなく、「立場をいくつも持っている」のです。
## 第3章:私的な動機は、不純か
ここで、正直に書いておかなければならないことがあります。私がこの案を考えた動機の一つは、美しい女性が好きだから、です。
こう書くと、論考としての信用を落とすように思えるかもしれません。客観的な分析をするなら、動機は中立であるべきだという考え方もあるでしょう。
しかし、私はそう考えません。中立な人は、そもそも他人の待ち時間に目を向けないからです。他人の時間を「もったいない」と感じるには、その人たちへの関心が必要です。私の場合、その関心の入口が「美女が好き」だっただけで、そこから「彼女たちの時間を無駄にしたくない」「学ぶ機会があればいい」「この先の仕事も心配だ」と、関心が広がっていきました。
変化の種を見つけるのは、多くの場合、何かを好きな人です。好きだから通い、通うから見え、見えるから気になります。冷静な分析は、その後からでも間に合います。
もちろん、私的な動機には危うさもあります。人は、見たいものを見ます。私は、待機席の女性たちが「学びたいはずだ」と思い込んでいるだけかもしれません。本当は、何も考えずにスマートフォンを眺める時間こそが、彼女たちにとって必要な休息である可能性もあります。私的な動機は、種を見つける力にはなりますが、その種が本当に良いものかを判断する力にはなりません。
## 第4章:種を育てるのは、中の人
ここまで、外の人の強みを書いてきました。しかし、外の人の案がそのまま実るとは限りません。むしろ、外の人の案は、そのままでは通らないことのほうが多いはずです。
### 外の人には、見えない壁がある
私の案にも、私には見えにくい壁がいくつもあります。
- 待機席を客に見せると、店の格が下がると考える店もあるでしょう。舞台裏を見せないこと自体が、価値の一部になっている業態です
- 待機席から気軽に指名できるようにすると、すでに指名を受けている女性との関係がこじれるかもしれません。指名をめぐる人間関係は、外からはまず見えません
- 進行役の力量に、結果が大きく左右されます。場を仕切れない人を置けば、気まずさが増えるだけです
- 待機中に学びや進行役を用意すれば、その時間は「店の指示の下にある時間」という性格を強めます。無給のまま続ければ、労務上の問題をかえってはっきりさせてしまいます
外の人は、こうした制約を知りません。そして、知らないまま言えるのは、責任を負わないからです。自由に言えることは強みですが、同じ理由で、言ったことは軽く扱われます。
地域づくりの分野では、町を変えるのは「よそ者・若者・ばか者」だという言い回しがよく知られています。一方で、敷田麻実は2009年の論文で、よそ者が高く評価される理由がはっきりしないまま「よそ者信仰」が広まり、よそ者に頼りすぎて失敗する例があることを指摘しています。敷田が重視したのは、よそ者そのものではなく、地域がよそ者と関わり続ける中で、お互いが変わっていく過程でした。
### 外の種を、中の人が育てる
だから、変化には二種類の人が必要です。立場の隙間から種を見つける人と、中にいてその種を育てる人です。
中の人の役割は、外の案をそのまま採用することでも、退けることでもありません。
1. **外の案を、答えではなく仮説として受け取る**。「なぜ思いつかなかったのか」と恥じる必要はありません。中にいる位置が、気づきにくくしていただけです
2. **見えない壁を言葉にする**。指名の関係、店の格、進行役の人選、時給の扱いなど、外の人が知らない制約を、中の人が具体的に挙げます
3. **小さく、期限を区切って試す**。たとえば三か月だけ、一店舗だけ、週末だけにします。失敗しても引き返せる大きさで試せば、「変えない言い訳」は要らなくなります
私が書いたビジネス寓話「待機席の笑い声」では、店長がこの役を担いました。店長は外にいる元キャストを進行役に呼び、オーナーには三か月という期限つきで許可をもらいました。種を持ち込んだのは外の人でも、通したのは中の人です。
## 第5章:自分の中に「よそ者」を飼う
最後に、個人の話をします。外の人の目は、外にいなければ持てないのでしょうか。
私はそう思いません。複数の立場を持つことは、生き方の選び方で、ある程度は増やせます。会社員をしながら副業をすること。職場とは関係のない趣味の集まりに顔を出すこと。客として、利用者として、相談相手として、いろいろな場所に出入りすること。どれも特別な才能は要りません。
むしろ、一つの分野を極めた専門家より、いろいろな場所で凡庸な立場を重ねてきた人のほうが、隙間に立ちやすいのかもしれません。私の持っている目は、どれも特別なものではありません。客、会社員、フリーランス、本好き、相談相手。どれも、多くの人が人生のどこかで経験する立場です。違うのは、それらを一度に持ったまま、同じ光景を見たかどうかだけです。
自分の職場を見るときに、「もし自分が客だったら」「もし自分が経営者だったら」「もし自分が新人だったら」と、別の席に座り直してみてください。それだけでも、背景になっていた光景が、少しだけ問題として浮かび上がってきます。
## おわりに
待機席の光景は、どこの職場にもあります。会議の前の空き時間、承認を待つ書類、誰も読まない報告書。中にいる人には、それは「いつものこと」です。
それをおかしいと感じるのは、多くの場合、誰の席にも座っていない人です。正確に言えば、いくつもの席に少しずつ座っていて、どの席にも深く根を下ろしていない人です。
そういう人の言葉は、ときに軽く、ときに的外れです。それでも、その中には、中にいる人には見えない種がまぎれています。拾うかどうかを決めるのは、中にいる人です。
そして、私たち一人ひとりも、自分の職場の中で、ときどき別の席に座り直すことができます。変化の種は、その小さな座り直しの隙間から、顔を出すのだと思います。
## 予想される反論と、それに対する見解
### 反論1:結局、外の人の思いつきは現場を知らない素人の意見にすぎないのではないか
その面は確かにあります。だからこそ本稿では、外の案は「答え」ではなく「仮説」として扱うべきだと書きました。素人の意見が価値を持つのは、正しいからではなく、中の人が当たり前だと思っていることを問い直させるからです。正しいかどうかの判定は、現場の制約を知る中の人の仕事です。
### 反論2:多角的な視点を持つ人は、どの分野でも浅いだけではないか
浅いことは否定しません。ただ、イェッペセンとラカーニの研究が示したように、専門から遠いことが、かえって問題解決につながる場面があります。深さが必要なのは、種を実らせる段階です。種を見つける段階では、浅く広い目のほうが役に立つことがあります。
### 反論3:経営者は気づいていて、あえてやらないだけかもしれない
あり得ます。進行役の人件費、店の格、キャスト同士の関係などを天秤にかけて、やらないと判断している経営者もいるでしょう。その場合でも、外の案は「なぜやらないのか」を言葉にするきっかけになります。理由を言葉にできれば、やらない判断にも根拠が生まれます。言葉にできなければ、それは判断ではなく慣れだったということです。
### 反論4:私的な動機(美女が好き)から出た案を、ビジネスの議論として扱うべきではない
私は逆だと考えています。他人の時間に関心を持つには、何らかの私的な理由が必要です。中立な人は、そもそもその光景を見ていません。ただし、第3章で書いたとおり、私的な動機は見たいものを見せる危うさも持っています。動機の出どころではなく、案の中身と、それを試した結果で判断すべきです。
### 反論5:組織の中に「外の目」を持つ人を置けば済む話ではないか
外部のコンサルタントや社外取締役は、その役割を期待されています。ただ、彼らには「外の目」という役割が与えられており、その役割に沿った答えを求められます。役割として外にいる人は、役割の縛りから自由ではありません。本稿で言う「隙間に立つ人」は、役割を与えられていないからこそ自由に見られる人です。両者は似ていますが、同じではありません。
### 反論6:当たった例だけを語っているのではないか
これが一番痛い反論だと思います。外の人の思いつきの大半は、的外れで終わります。私自身、店の事情を知らずに口にして、的外れだった考えはいくらでもあるはずです。当たった一つを取り上げて「外の人から種が出る」と言うのは、生存者バイアスと言われても仕方がありません。
それでも私がこの主張を取り下げないのは、比べる相手が「中から出る案」だからです。第1章で見たとおり、中の人は役割・コストの持ち主・慣れの三つに縛られ、そもそも種の数が少なくなりがちです。外の案は外れが多くても、中からは出にくい種類の案を含んでいます。だからこそ、外の案を答えとして採用するのではなく、仮説として受け取り、小さく試して確かめる仕組みが必要になります。打率の低さは、試し方で補えます。
### 反論7:結局、言うだけ言って責任を取らない人を持ち上げていないか
そう受け取られないよう、第4章で外の人の限界を書きました。外の人が責任を負わないことは、強みでも弱みでもあります。だから、外の人だけでは変化は起きません。外の人の価値は、中の人と組んだときに初めて生まれます。私自身、この案を店に持ち込んで実行する立場にはありません。私にできるのは、種を言葉にして置いておくことだけです。
## 参考文献
- ゲオルク・ジンメル『社会学──社会化の諸形式についての研究』上・下、居安正訳(白水社, 1994年/新装復刊2016年)
- Ronald S. Burt, "Structural Holes and Good Ideas," *American Journal of Sociology*, 110(2), 2004, pp.349-399. [https://doi.org/10.1086/421787](https://doi.org/10.1086/421787)
- Lars Bo Jeppesen & Karim R. Lakhani, "Marginality and Problem-Solving Effectiveness in Broadcast Search," *Organization Science*, 21(5), 2010, pp.1016-1033. [https://doi.org/10.1287/orsc.1090.0491](https://doi.org/10.1287/orsc.1090.0491)
- Ralph Katz & Thomas J. Allen, "Investigating the Not Invented Here (NIH) syndrome: A look at the performance, tenure, and communication patterns of 50 R&D Project Groups," *R&D Management*, 12(1), 1982, pp.7-20. [https://doi.org/10.1111/j.1467-9310.1982.tb00478.x](https://doi.org/10.1111/j.1467-9310.1982.tb00478.x)
- William Samuelson & Richard Zeckhauser, "Status quo bias in decision making," *Journal of Risk and Uncertainty*, 1(1), 1988, pp.7-59. [https://doi.org/10.1007/BF00055564](https://doi.org/10.1007/BF00055564)
- 敷田麻実「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.9, 2009年, pp.79-100. [https://hdl.handle.net/2115/39351](https://hdl.handle.net/2115/39351)
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### 著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
日本大学法学部法律学科二部不合格、神奈川大学不合格、法政大学二部不合格、
専修大学石巻短期大学部不合格、千葉経済大学不合格、
日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業