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依存先が一つしかない人が壊れるとき――ストーカー、自立、そしてモテるダメ男の逆説
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## はじめに
ストーカー被害を扱ったニュース動画を観ていて、ある場面で手が止まりました。
同僚女性へのつきまといを繰り返していた男性が、会社から加害者向けの更生プログラムの受講を指示され、愛知から大阪まで通っているというのです。私が引っかかったのは、プログラムの中身よりも「よく本人が受講に納得したな」という点でした。自分の行為の重大さを認められる人は、そもそもストーカーにはなりにくいはずです。パワハラ研修に真面目に出てくる人は、たいていパワハラをしない人であるのと同じ理屈です。
ところが、その男性には妻と子どもがいたそうです。守るべきものがあったのです。そう考えると受講に応じたことにも合点がいきます。そして次の瞬間、嫌な問いが浮かびました。**では、失うもののない独身の加害者には、打つ手がないのでしょうか。**
本稿は、この問いから出発します。結論を先に言えば、私は「失うものがあるかどうか」は問題の表面にすぎず、核心は **「依存先が一つしかないかどうか」** にあると考えています。そしてこの視点に立つと、ストーカーという極端な現象と、「自分の機嫌を自分で取れる人はなぜか寂しがられる」「ダメ男はなぜかモテる」という、ごくありふれた恋愛の謎とが、一本の線でつながって見えてきます。
第1章では「失うもの」による抑止の限界をデータで確認します。第2章では拒絶がなぜ一部の人にとって致命傷になるのかを、依存先の集中という観点から分析し、同時にこの見方の弱点にも向き合います。第3章では「趣味がたくさんあれば大丈夫」という素朴な処方箋に、研究知見から水を差します。第4章では視点を反転させ、依存先を分散させた人が恋愛で直面する逆説を扱います。第5章で、個人と社会にとっての示唆をまとめます。
## 第1章:「失うもの」で止まる人と、止まらない人
まず現状を確認しておきます。警察庁のまとめによれば、2025年のストーカー事案の相談等件数は22,881件で、5年ぶりに2万件を超えました。ストーカー規制法違反の検挙は1,546件、禁止命令等は3,037件と、いずれも前年から大きく増えています。行為者と被害者の関係では、交際相手・元交際相手が約4割を占め、行為者の約8割は男性です。
同年12月には改正ストーカー規制法が成立し、紛失防止タグを悪用した位置情報の取得が規制対象に加わったほか、被害者の申し出がなくても警察が職権で警告を出せるようになりました。法的な包囲網は、確実に厚くなっています。
一方で、加害者の「内側」に働きかける取り組みはどうでしょうか。警察は地域の精神科医療機関などと連携し、加害者にカウンセリングや治療の受診を働きかけています。しかし日本経済新聞の報道によれば、2017年4〜12月に受診を勧めた522人のうち約7割が拒否し、実際に受診に至ったのは108人、全体の20.7%にとどまりました。警察庁の資料では、カウンセリング・治療を実施した人数は2025年に233人と、公表されている2016年以降で最多になっています。それでも、相談件数2万件超という母数と比べれば、まだ細い道です。
この「受診2割」という数字は、冒頭の違和感を裏づけています。自分から治療の門をくぐる加害者は少数派であり、門をくぐった人には何かしらの理由があるのです。その理由とは、妻子や職、社会的な評判といった、**「これ以上続けると自分の生活が壊れる」と計算できるだけの材料** です。
では、その材料を持たない人はどうなるのでしょうか。ここで議論は、よく「無敵の人」という言葉に行き着きます。失うものがないから脅しが効かず、物理的・法的に隔離するしかない、という結論です。
私はこの整理が間違っているとは思いません。被害者の安全が最優先である以上、説得の効かない相手には強制力で対処するほかない場面は確実にあります。ただ、この整理には一つ見落としがあると感じています。**「失うもの」の少なさと、「拒絶への耐性」の低さは、同じものの裏表なのではないか** という点です。
## 第2章:拒絶が「死刑宣告」になる構造
### 「この俺を拒むなんて許せない」の正体
加害者の心理を想像するとき、私の頭にはいつも「この俺を彼女が拒絶するなんて許せない」という声が浮かびます。そしてそのたびに、素朴な疑問が湧きます。**拒絶されたことの、いったい何がそんなに問題なのでしょうか。**
もちろん、好きな人に振られるのはつらいことです。私にも経験があります。しかし、その関係を諦めたとしても、私にはパソコンがあり、コンテンツ制作があり、音楽があり、世の中の構造をあれこれ分析する趣味があり、飲み会があり、両親や妹との関係があり、キャバクラやスナックもあります。やりたいことは、正直いくらでもあるのです。
加害者がそう思えないのは、おそらくそういうものが **ない** からではないでしょうか。これが私の出発点の仮説です。
### 精神医学の知見から言えること、言えないこと
ストーカー研究の古典に、オーストラリアの司法精神医学者ポール・マレンらによる研究があります。治療機関に紹介された145人のストーカーを分析したこの研究では、行為者の79%が男性、39%が無職で、52%は親密な交際経験が一度もありませんでした。マレンらはストーカーを「拒絶型」「親密希求型」「無能型」「憎悪型」「略奪型」の5類型に分けており、元交際相手などに拒まれたことを契機とする「拒絶型」では、パーソナリティ障害を持つ人が多数を占めていたと報告しています。
ただし、ここで注意が必要です。「52%は交際経験がない」という数字は対象者全体のものであり、拒絶型に限ったものではありません。拒絶型はそもそも、交際などの親密な関係を経験したうえで拒まれた人たちです。ですから私は、この数字を「拒絶型ストーカーは足場が少ない」ことの証拠としては使えません。言えるのは、ストーカー全体として、職や親密な関係といった足場を持たない人が少なくないという傾向までです。
そのうえで拒絶型について私が立てている見立ては、**失われた関係が、その人にとって唯一に近い足場だったのではないか** というものです。これは実証された事実ではなく、次に紹介する知見と組み合わせて考えるための仮説として受け取ってください。
### 「傷ついた自尊心」との関係
社会心理学者ロイ・バウマイスターらは1996年の論文で、暴力や攻撃の原因を「自尊心の低さ」に求める通説を退け、むしろ **「脅かされた自己愛(threatened egotism)」**、つまり肥大した自己評価が他者や状況によって否定されたときに攻撃が生じやすいと論じました。ストーカーに限った研究ではありませんが、「この俺を拒むなんて許せない」という心理を考えるうえで、避けて通れない知見です。
これは一見、私の「空っぽだから執着する」という仮説と矛盾するように見えます。自尊心が低いのではなく、高すぎるのではないか、というわけです。
私自身は、この二つは両立しうると考えています。自己評価を支える足場が一つしかない人ほど、その一つの足場の上に自己像を高く積み上げざるをえないのではないか、と思うからです。足場が一本しかないから塔が不安定に高くなり、その一本を蹴られたときに塔ごと崩れてしまう、というイメージです。ただし、これはバウマイスターらが述べていることではなく、私が二つの見方をつなぐために置いた仮説であることを明記しておきます。
### 「自立とは、依存先を増やすこと」
この構造を最も鮮やかに言語化しているのが、小児科医で当事者研究者でもある熊谷晋一郎さんの言葉です。脳性まひの当事者である熊谷さんは、東日本大震災のとき、5階から逃げようとしてエレベーターが止まっていることに気づいたそうです。他の人は階段でも、はしごでも逃げられるので、逃げるための依存先が三つあります。ところが熊谷さんには、エレベーターしかありませんでした。
そこから熊谷さんは、「自立」の反対語は「依存」ではないと説きます。人は物にも人にも、さまざまなものに依存しなければ生きていけない、というのです。障害とは「依存先が限られてしまっている」状態であり、**「依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます」** というのです。
この言葉をストーカーの問題に当てはめると、景色が変わります。拒絶型のストーカーとは、自分の存在価値を支える依存先を、たった一人の人間に集中させてしまった人ではないか、という見方ができるのです。エレベーターしかない建物で、そのエレベーターが止まってしまう状況です。その人にとって、相手からの拒絶は「相性が合わなかった」という出来事ではなく、**「お前には逃げ道がない」という死刑宣告** として響きます。だから相手を「許せない」存在に作り替え、怒りでなんとか自分を保とうとするのではないでしょうか。
### 冒頭の男性は、依存先が多かったのではないか
ここで、自分の仮説に一番痛い問いを向けておかなければなりません。冒頭の男性には、妻も子どもも仕事もありました。外から見れば、依存先はたくさんあったはずです。それでも彼はストーカー行為に及びました。これは「依存先の集中」という見方への反証ではないでしょうか。
私はこの問いに、二つの点で答えたいと思います。
一つ目は、**依存先の数は外形では測れない** ということです。家族がいることと、家族に寄りかかれていると本人が感じていることは別の話です。家庭や職場に居場所を感じられず、心の重みの大部分が特定の一人に移ってしまうことは、既婚者にも十分に起こりえます。
二つ目は、足場の役割を少し修正する必要があるということです。冒頭の男性の場合、家族や職という足場は、ストーカー化そのものを防いではくれませんでした。しかし、崩れた後に「戻ってくる理由」としては機能し、それが愛知から大阪までの通所を支えています。つまり依存先の多さは、拒絶の衝撃を必ず吸収してくれる防波堤というより、**崩れた人が戻ってくるための道** として働く面が大きいのかもしれません。
この修正は、独身の加害者を考えるうえでむしろ重要です。独身の加害者に欠けているのは「失うもの」というより「戻ってくる道」であり、それなら後から作ることができるからです。この点は第5章で改めて扱います。
## 第3章:「趣味がたくさんあれば大丈夫」ではない
### 母の一言
ここまでの話を、私は以前、母にしたことがあります。「拒絶されても、他にやりたいことがいくらでもあれば平気なはずだ」と。
すると母はこう言いました。「あんたみたいな人間は特別だ。世の中の大多数の人は、やりたいことなんか持ててないものだ」。
身も蓋もない一言ですが、私はこれを無視すべきではないと思っています。やりたいことの有無を直接測った統計ではありませんが、内閣府が2024年12月に実施した全国調査では、孤独感が「しばしばある・常にある」「時々ある」「たまにある」と答えた人を合わせると、約4割にのぼりました。寝食を忘れて打ち込める趣味を複数持ち、家族との関係も良好で、飲みに行く場所もあるという人は、たしかに多数派ではないのかもしれません。
### 研究は「多ければ安心」を単純には支持していない
さらに研究の側からも、素朴な「趣味の数」論には水が差されています。
心理学者パトリシア・リンヴィルは1987年、自己をたくさんの互いに独立した側面(仕事の私、趣味の私、家族の中の私……)で捉えている人ほど、ストレスによる抑うつや体調不良が和らぐという「自己複雑性の緩衝仮説」を提唱しました。一つの側面で傷ついても、他の側面に影響が波及しにくいという考え方で、私の直観にぴったり合う理論です。
ところが、その後の研究を統合したラファエリ=モアとスタインバーグの2002年のレビューでは、自己複雑性がストレスを緩衝するという証拠は乏しく、全体としてはむしろ幸福感とわずかに負の関係にあったと報告されています。
また、マコネルらの2009年の研究は、もう少し入り組んだ結果を示しました。自己の側面が少ない人は出来事への感情反応が強く出るため、**良い社会的サポートがあるときには、自己複雑性の高い人より自尊心が高く、抑うつも少なかった** のです。その一方で、**否定的な出来事を多く経験してきた人では、自己の側面が少ない人のほうが幸福度が低かった** ことも報告されています。
これは私の議論にとって痛い知見です。「足場は多いほうがいい」と単純には言えないのです。
### それでも「依存先の分散」は捨てられない
では、第2章の仮説は崩れたのでしょうか。私はそうは考えていません。ただし、主張の範囲を絞る必要があります。
第一に、リンヴィル以来の研究が扱ってきたのは、主に「自己像の側面がいくつあるか」という **頭の中の構造** です。熊谷さんの言う依存先は、エレベーターや階段、家族や友人、行きつけの店といった **現実の生活の中にある支え** です。自分をいくつの顔で捉えているかということと、倒れたときに寄りかかれる先がいくつあるかということは、似ているようで違います。
第二に、マコネルらの結果は、一点集中型の人が「その一点が安定しているときは満たされ、悪い出来事が重なると脆くなる」ことを示しています。ストーカー化とは、まさにその一点が拒絶によって失われる局面で起きる現象です。ただし、ラファエリ=モアらのレビューが示すように、ストレス一般に対する緩衝効果は研究全体では確認されていません。ですから私の主張は、「分散型はあらゆる困難に強い」ではなく、「拒絶によって唯一の支えを失うという特定の事態に対しては、一点集中型のほうが崩れやすいのではないか」という、限定された仮説にとどめておきます。
第三に、母の言う「大多数の人」も、別に空っぽなわけではありません。熱中できる趣味がなくても、毎朝のコーヒー、職場の雑談、週末に観るドラマ、実家への電話といった、地味で小さな依存先をいくつも持っています。**依存先は情熱である必要がない** のです。熊谷さんの言葉を借りれば、一つひとつが浅くてもかまいません。問題は、それらが何らかの理由ですべて剥がれ落ち、たまたま入ってきた一人の他者にすべての重みがかかってしまったときです。
ですから、私が母の言葉に今なら返したいのは、「特別な熱中は要らない。ただ、寄りかかる先が一人だけになってはいけない」という一言です。
## 第4章:「自分の機嫌を自分で取れる人」はなぜ寂しがられるのか
### 褒め言葉だと思っていた一言
さて、ここからは話を反転させます。依存先を分散させることが拒絶への備えになるとして、では依存先の多い人は恋愛において報われるのでしょうか。私自身の経験から言うと、どうもそう単純ではありません。
3年ほど前、半年だけお付き合いした女性がいました。その人から「あなたは自分の機嫌を自分で取れる人ね」と言われたことがあります。当時の私は、これを褒め言葉だと受け取っていました。
しかし後になって、別の意味に聞こえてきました。**「あなたは、私だけに没頭してくる人ではないのね」** と言われていたのかもしれないと、思うようになったのです。
### 熊谷さんの言葉の、もう一つの読み方
ここで再び、熊谷さんの言葉が効いてきます。「依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます」。
この「錯覚」は、本人だけでなく、**周囲の人にも起きる** のではないでしょうか。依存先を分散させた人は、実際には膨大なものに寄りかかって生きています。私などは、パソコンとキャバクラがなければ明日にも干上がる自信があります。しかし外から見ると、その人は「誰にも寄りかからずに立っている人」に見えてしまいます。そして恋愛の相手は、その「誰にも」の中に自分も含まれていると感じるのです。
恋愛には、「相手にとっての唯一無二になりたい」という欲求がつきものです。これは身勝手ですが、とても人間らしい欲求でもあります。依存先の分散は、この欲求に対して「あなたは私のたくさんある依存先の一つです」という、正直だけれど身も蓋もないメッセージを発してしまうのです。
### 開示された弱さは、弱さに見えない
もっとも、私は自分を自立した強い人間だとは思っていません。むしろ弱い人間ですし、それを隠しているつもりもありません。
ところが、ここにも落とし穴があります。**自分の弱さを自覚し、それを言葉にして他人に開示できること自体が、外から見るとすでに強者の振る舞いに映る** のです。「私は弱いんですよ」と笑って言える人は、その弱さを自分で管理できている人に見えます。取扱説明書を自分で持っている人には、他人が口を挟む余地がありません。
私がこれを痛感したのは、つい最近のことです。たちの悪い夏風邪を3週間ほどこじらせていたとき、キャバクラの女性が「ちょっとキュンとした」と言ったのです。もちろん、接客の技術も含まれているでしょう。それでも、熱を出して物理的にダウンしている姿は、言葉で説明された弱さとはまったく違う種類のものです。そこには、自分でコントロールできない生々しい隙があり、「ポカリを買ってくる」「お粥を作る」といった、相手の手助けが具体的な意味を持つ余白があります。
つまり恋愛で求められやすいのは、分析され、言語化され、自己処理された弱さではなく、**相手を巻き込み、相手に「私が必要だ」と感じさせる弱さ** なのだと思います。
### ダメ男の三分類
こう考えると、「なぜダメ男はモテるのか」という古典的な謎にも、一つの説明がつきます。私は世のモテるダメ男を、次の三つに分けられるのではないかと考えています。
- **天然ダメ男**:本当に生活能力が破綻していて、悪気も計算もなく相手に全体重を預けてくるタイプです。「私がいないとこの人は野垂れ死ぬ」という強烈な存在意義を相手に与えます。
- **戦略ダメ男**:基本的な能力は高いのに、「仕事はできるのに部屋が片付けられない」といったコントロールされた隙を計算して差し出すタイプです。
- **うっかりダメ男**:本人は真面目にちゃんとやろうとしているのに、肝心なところで盛大にずっこけるタイプです。健気さと無様さの落差が、見る人に愛嬌と安心感を与えます。
三者に共通するのは、**「あなたに寄りかかっています」というシグナルを、相手にはっきり送っている** ことです。天然は本当に寄りかかり、戦略は寄りかかる演技をし、うっかりは寄りかかるつもりがないのに結果として寄りかかってしまいます。いずれにせよ、相手は「自分がこの人の依存先になっている」と実感できます。
### 同じ構造の、穏当な版と極端な版
ここまで来ると、少し怖いことに気づきます。
恋愛において魅力的に映る「あなたがいないとダメなんだ」というシグナルと、拒絶型のストーカーが抱えているであろう「あの人がいないと自分が崩壊する」という心理は、**依存先の集中という同じ構造の、穏当な版と極端な版** なのではないか、ということです。
誤解のないように強調しておきます。ダメ男がストーカー予備軍だと言いたいのではありません。統計があるわけではなく私の見聞の範囲ですが、女性に寄りかかって生きている男性の多くは、振られればまた別の誰かに寄りかかるだけで、相手を追い回したりはしないように見えます。もしそうだとすれば、彼らは「今この人に全体重を預けている」ように見せながら、実際には寄りかかる先を乗り換える力を持っているのかもしれません。シグナルとしての集中と、逃げ道のない本物の集中とは、別物だということです。
そのうえで問題にしたいのは、私たちの恋愛文化です。ラブソングやドラマは、「あなたしかいない」「君がいなければ生きていけない」を最高の愛の言葉として繰り返し描いてきました。私は、こうした文化がストーカーを生み出していると言うつもりはありません。ただ、依存先の一極集中を愛の理想形として称揚する語彙は、拒絶を受け入れられない人に「これほど想っているのだから諦めるべきではない」という自己正当化の言葉を与えてしまう側面があるのではないか、とは考えています。
## 第5章:依存先を増やす、という処方箋
### 独身の加害者に「打つ手」はあるのか
冒頭の問いに戻ります。失うもののない独身の加害者に、打つ手はないのでしょうか。
まず確認しておくべきは、被害者の安全が何よりも優先されるということです。警告、禁止命令、逮捕といった法的措置は、加害者の内面がどうであれ、ためらわずに使われるべきです。改正法によって警察が職権で警告を出せるようになったのは、その意味で大きな前進だと私は考えています。
そのうえで、「依存先の集中」という見方は、法的措置の **次** を考えるヒントになります。「失うもの」で脅す発想は、失うもののない人には効きません。しかし第2章で見たように、足場が「戻ってくる道」として働くのであれば、足場を後から増やすという発想は、失うもののない人にこそ意味を持ちます。
警察庁が公表している2023年の調査研究報告書は、この点について示唆的です。報告書では、治療やカウンセリングを中断・離脱したケースがあると答えた機関が多数を占め、その理由として最も多かったのは「加害者が治療・支援等の必要性を感じなくなった」(6割台)で、「時間を取れなくなった」(4割台)がそれに続きました。「転居に伴い通院が難しくなった」「費用負担感が大きかった」も2割前後の機関が挙げています。また報告書は、地方公共団体における居住支援などの生活支援の実施状況もあわせて調べています。
最大の壁が「本人が必要性を感じなくなること」だという結果は、冒頭の男性の話と重ねると意味深く見えます。彼には、妻子という「通い続ける理由」がありました。独身の加害者に治療を続けてもらうには、治療の外側に、続ける理由と続けられる生活の両方を用意する必要があるのではないでしょうか。
私の言葉で言い換えれば、**加害者の更生とは、一本しかないエレベーターの代わりに、階段とはしごを建て増ししていく作業** です。仕事や住まい、話を聞いてくれる専門家、通える場所が一つずつ増えるたびに、特定の一人にかかっていた重みは少しずつ分散され、同時に「戻ってくる道」も増えていきます。
ただし、ここで一つ強調しておかなければなりません。**加害者の依存先を増やす責任は、決して被害者にはありません。** 「相手も寂しかったのだから」と被害者に理解や配慮を求めるのは、構造の分析を責任の転嫁にすり替える最悪の誤用です。建て増し工事を担うのは、司法と医療と福祉です。
### 個人にとっての示唆
この話は、加害者の問題にとどまりません。
私たちは誰でも、失業や転居、離別や病気によって、依存先が一つに痩せ細る時期を経験しえます。そういうときにたまたま出会った一人に、すべての重みを預けてしまう危険は、決して他人事ではありません。ですから、平時のうちに地味で浅い依存先をいくつも持っておくことは、自分が誰かを傷つけないための、ささやかな備えでもあります。熱中できる趣味である必要はありません。毎週顔を出す店でも、たまに電話する友人でも、ラジオ番組でもいいのです。
### 恋愛にとっての示唆
では、依存先を分散させた人は、恋愛で寂しがられる運命を受け入れるしかないのでしょうか。
私はここに、少しだけ希望を見ています。依存先を分散させることと、相手を **浅くない依存先** にすることは、両立するはずだからです。すべての重みを預けるのでもなく、「あなたも私の依存先の一つです」と澄ました顔をするのでもなく、「この件については、あなたに寄りかからせてほしい」と、特定の場面で本気で頼ってみることです。自己処理できる弱さを見せるのではなく、自己処理しきれない弱さを、相手を信頼して手渡してみることです。
言うのは簡単ですが、これが難しいのです。長年自分の機嫌を自分で取ってきた人ほど、他人に丸投げするやり方を忘れています。おそらく私たちのような人間が目指せるのは、計算高い戦略ダメ男ではなく、ちゃんとしようとした結果ポロリと隙が出てしまう、うっかりダメ男の枠くらいなのでしょう。それはそれで、悪くない着地点だと思っています。
## おわりに
本稿の主張を振り返ります。
ストーカー対策は、しばしば「失うものがある人は止まる、ない人は止まらない」という枠組みで語られます。しかし私は、その奥にある問題を **依存先の集中** だと考えました。依存先を一人の人間に集中させた人にとって、拒絶は逃げ道のない死刑宣告となり、それが「許せない」という怒りに変換されるのではないか、というのが本稿の仮説です。そして依存先は、崩れた人が戻ってくる道としても働きます。だからこそ、失うもののない人に対してこそ、依存先を後から増やすという発想が意味を持ちます。
同時に、依存先の分散は恋愛において「私を必要としていない」というメッセージとして受け取られやすく、はっきりと寄りかかってくるダメ男のほうが選ばれるという逆説を生みます。これは、依存先の一極集中を愛の理想形として描いてきた私たちの文化が抱える、小さくない矛盾です。
熊谷晋一郎さんは、依存先を増やすと「何にも依存してないかのように錯覚できます」と言いました。私はこの錯覚を、恋愛の場面では少しだけ解いてみてもいいのではないかと思っています。本当はたくさんのものに寄りかかって生きていることや、その中の一つとしてあなたにも寄りかかりたいと思っていることを、分析や冗談に包まずに伝えてみるのです。
もっとも、それを伝えようとして盛大にずっこけるところまでが、私の場合はセットになりそうです。
## 予想される反論と、それに対する見解
### 反論1:「冒頭の男性には妻子も仕事もあった。依存先の多い人でもストーカーになるのだから、依存先の集中説は冒頭の事例自体によって反証されている」
本稿にとって最も痛い反論であり、本文第2章でも正面から扱いました。私はこの事例を受けて、主張を二点修正しています。一つは、依存先の数は家族や職の有無といった外形ではなく、本人が実際に寄りかかれていると感じているかで考えるべきだという点です。もう一つは、依存先の多さはストーカー化を必ず防ぐ防波堤ではなく、崩れた後に戻ってくる道として働く面が大きいという点です。修正後の主張は当初より控えめですが、そのぶん独身の加害者に対して「後から道を作る」という具体的な方向を示せるようになったと考えています。
### 反論2:「ストーカーの原因を『依存先の少なさ』に求めるのは、加害者への同情であり、責任を曖昧にする」
本稿は、加害者の責任を軽くするために構造を分析しているのではありません。構造を理解することと、行為を免責することはまったく別の話です。むしろ「なぜ止まらないのか」を理解しなければ、法的措置が終わった後の再発を防ぐ手立ても考えられません。本文でも述べたとおり、被害者の安全と法的措置は常に最優先であり、加害者の依存先を増やす責任は被害者にはありません。
### 反論3:「孤立した人がストーカーになりやすいと言うなら、孤独な独身男性全体を危険視することにならないか」
これは本稿の議論が最も誤読されやすい点であり、最も注意すべき点だと考えています。孤立している人の圧倒的多数は、誰も傷つけずに生きています。依存先の集中は、仮に関係があるとしても、ストーカー化の条件の一つにすぎず、それだけで説明がつくものではありません。マレンらの研究でも、拒絶型のストーカーではパーソナリティ障害が多くみられています。本稿の主張は「孤独な人は危ない」ではなく、「拒絶が致命傷になる構造があるなら、それは治療と支援で緩和しうる」というものです。
### 反論4:「脅かされた自己愛が暴力を生むのなら、問題は依存先ではなく肥大した自己愛そのものだ」
バウマイスターらの知見は重く受け止めるべきです。本文では、足場が一本しかない人ほど自己像を不安定に高く積み上げざるをえないのではないか、という仮説で両者をつなぎましたが、これは私の見立てであり、実証されたものではありません。依存先がたくさんあっても自己愛が肥大した人はいますし、その場合は本稿の枠組みだけでは説明しきれません。自己愛への治療的アプローチと、依存先を増やす生活支援は、どちらか一方ではなく併用されるべきものだと考えます。
### 反論5:「自己複雑性の研究では、足場が多いほうが良いという結果は出ていない。本稿の主張は科学的根拠を欠くのではないか」
本文で紹介したとおり、ラファエリ=モアとスタインバーグのレビューは緩衝効果の証拠が乏しいことを示しており、マコネルらは一点集中型のほうが恵まれた環境では幸福度が高いことを示しています。私はこれを認めたうえで、二つの点で主張を限定しました。一つは、研究が扱う「自己像の側面の数」と、本稿が扱う「現実の生活上の依存先の数」は別物だという点です。もう一つは、本稿が問題にしているのは平時の幸福度ではなく、拒絶によって唯一の支えを失うという特定の事態だという点です。とはいえ、依存先の数とストーカー化の関係を直接検証した研究を私は見つけられておらず、本稿の主張が仮説の域を出ないことを率直に認めます。
### 反論6:「趣味も家族も飲み仲間もある著者が『依存先を増やせ』と言うのは、恵まれた人間の説教であり、自分の生き方の正当化にすぎない」
母に言われたとおり、この批判には正当な部分があります。趣味や人間関係を豊富に持てるかどうかは、経済状況や健康、育った環境に大きく左右されます。また、私が自分の生き方を健全さの見本のように語っている面があることも否定できません。だからこそ本稿では、依存先は情熱や趣味である必要はなく、日々の小さな習慣や地味な居場所でよいと強調し、さらに第4章では、その生き方が恋愛では報われにくいという自分の弱点も示しました。そして、それすら持てない状況に置かれた人の足場を建て増しするのは、個人の努力ではなく、福祉や医療といった社会の仕事だと考えています。
### 反論7:「恋愛で『あなたしかいない』を求めるのは自然なことで、それをストーカーと同じ構造だと言うのは恋愛への冒涜だ」
「あなたしかいない」という言葉に心を動かされる気持ちを、私は否定しません。私自身、そう言われてみたいと思う瞬間はあります。本稿が指摘したいのは、その言葉が比喩として交わされる限りは美しくても、文字通りに生きられたときには危うさを帯びるということです。「あなたしかいない」と言い合える関係の中にも、それぞれが他の依存先を持っていることこそが、その言葉を安全なロマンにとどめる条件なのだと思います。
## 参考文献
- 警察庁「令和7年におけるストーカー事案、配偶者からの暴力事案等、児童虐待事案等への対応状況について」(2026年)[URL](https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/stalker/R7_STDVRPCA_kouhou.pdf)
- 警察庁「ストーカー規制法が改正されました!」[URL](https://www.npa.go.jp/bureau/safetylife/stalker/kaisei/index.html)
- 警察庁「ストーカー加害者に対する再犯防止のための効果的な精神医学的・心理学的アプローチに関する調査研究 報告書」(2023年)[URL](https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/stalker/R4_researchreport_report.pdf)
- 日本経済新聞「ストーカー加害者に治療促すも…受診2割どまり」(2018年1月25日)[URL](https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26146120V20C18A1CR8000/)
- 内閣府孤独・孤立対策推進室「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和6年)調査結果のポイント」(2025年)[URL](https://www.cao.go.jp/kodoku_koritsu/torikumi/zenkokuchousa/r6/pdf/tyosakekka_point.pdf)
- 熊谷晋一郎「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」(『TOKYO人権』第56号, 東京都人権啓発センター, 2012年)[URL](https://www.tokyo-jinken.or.jp/site/tokyojinken/tj-56-interview.html)
- 「Study of Stalkers」Mullen, P. E., Pathé, M., Purcell, R., & Stuart, G.(American Journal of Psychiatry, 156(8), 1244-1249, 1999)[URL](https://psychiatryonline.org/doi/10.1176/ajp.156.8.1244)
- 「Relation of Threatened Egotism to Violence and Aggression: The Dark Side of High Self-Esteem」Baumeister, R. F., Smart, L., & Boden, J. M.(Psychological Review, 103(1), 5-33, 1996)[URL](https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/8650299/)
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### 著者プロフィール
kentrue(yousystem)
フリーランスクリエイティブエンジニア/現代社会構造分析フリーク/ミュージシャン/ビジネス寓話創作者/思想家/キャバクラ愛好家
麗澤大学不合格、中央学院大学不合格、千葉商科大学不合格、城西国際大学不合格、
日本大学農獣医学部食品経済学科不合格、明治大学商学部二部不合格、
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日本大学短期大学部合格、日本大学経済学部1年の留年を経て卒業
記事情報
公開日
2026-09-16 07:57:37
最終更新
2026-09-16 07:57:39