ショートストーリー
静かすぎる部屋
論考
恵まれた環境ほど、点検を忘れる
序:「ごほうび」は、本人にとってもごほうびか
在宅勤務、フレックス、昇進、栄転。組織が「良いこと」として用意する変化は、受け取る側も周囲も、喜ぶべきものとして扱いがちである。だが心身にとって、変化は良し悪しより先に「変化」として効く。人は、慣れた環境の手がかりを失うと、それを埋め直すために見えない労力を払い続ける。良い変化だから大丈夫だろうという思い込みが、不調の発見を遅らせる。
問い:自組織で「良い変化」と位置づけた施策のあと、対象者の体調や勤怠を追跡しているか。
展開:変化そのものが負荷になる
生活上の出来事をストレスの大きさで点数化した古典的な尺度として、ホームズとレイの社会的再適応評価尺度がよく知られている。そこには配偶者の死や解雇と並んで、結婚、引っ越し、休暇、さらにはクリスマスまでが並ぶ。共通するのは「いつもと違う」ことだ。働く場所や時間の自由化も、本人の生活の型を丸ごと組み替える出来事であり、周囲から羨ましがられる変化ほど、本人も弱音を吐きにくい。
問い:働き方の変更を、引っ越しや異動と同じ重さの「環境変化」として扱っているか。
反証:自由な環境は、多くの人に合うのではないか
もちろん、在宅や裁量労働で力を伸ばす人は多い。話し声や電話、差し込みの依頼で集中が何度も途切れるオフィスは、刺激に敏感な人にとっては、それ自体が大きな負荷である。そうした人にとって、誰にも話しかけられない一日は、失うものではなく取り戻すものだ。自由な環境は、一律に危険なのではない。
問い:オフィスの騒音や中断が、誰にとってどれだけの負荷になっているかを把握しているか。
再構成:問題は環境ではなく「一律」にある
同じ静けさが、ある人には集中の条件になり、別の人には孤立の始まりになる。人がつながりを求める度合いには大きな個人差があり、会話や外出のない日が続くだけで、眠りや食事、気分が崩れていく人もいる。つまり危ういのは在宅という形式ではなく、「この環境は誰にとっても良いはずだ」という一律の前提である。しかも不調は、真面目で、頑張りが利き、周囲の期待に応えようとする人ほど表に出にくい。
問い:制度の対象者が、その環境を自分で選び直せる余地はあるか。
示唆:「大丈夫だろう」から「大丈夫?」へ
管理職にできることは、環境を良し悪しで評価するのをやめ、人と環境の相性として扱うことだ。新しい働き方を始めた直後の数週間は、結果よりも睡眠、食事、会話の量といった生活の手がかりに目を向ける。そして「恵まれているのだから頑張れ」ではなく、「大丈夫?」と問いかける。言わない人ほど、聞かれるのを待っている。
問い:新しい環境に移った部下に、最後に「大丈夫?」と聞いたのはいつか。
実務への含意
- 在宅化・昇進・異動など「良い変化」も、開始後1〜2か月は体調と勤怠を見守る期間として扱う
- 働く場所や時間は、一律の特典ではなく、本人が定期的に選び直せる仕組みにする
- 不調の兆しは成果より先に、会話・外出・睡眠などの生活面に出ると心得て、問いかけで拾う
参考文献
- 『孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか』ジョン・T・カシオポ、ウィリアム・パトリック(河出書房新社)
- 『内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える』スーザン・ケイン(講談社)
- 『大事なことに集中する 気が散るものだらけの世界で生産性を最大化する科学的方法』カル・ニューポート(ダイヤモンド社)